「アンタの弟に言っといてくれ。国家錬金術師なんてロクでもねぇよって」 「そうだね」 相槌を打たれて、エドワードは苦笑いにも似た、自嘲に近い笑みをひとつ漏らしてカノトをちらりと流し見た。 軍の狗は嫌われているものだ。少なくとも国家錬金術師になって数年、エドワード自身、それを一番肌に感じている。嫌味も罵倒も慣れっこだった。しかし、カノトの言はそういった類のものではなかったらしい。苦笑いを一つ零して去ろうとするその国家錬金術師の背中に、カノトは試すように言葉を放った。 「あんないい人を待たせてるなんて、国家錬金術師はロクでもないっていうのは正しいかもしれない」 一瞬何を言われたか分からなかった。エドワードは、踏み出しかけていた足を思わず止める。 なにがだ、と呟きつつも、ふと胸を突いた予感は正しかったようだ。振り向いた先に、自分と同じ類の目をした男がいる。 「あなたはここに時々しか帰らないから知らないだろうけど」 来客のために開け放った玄関の扉に、身体半分を預けるように寄り掛かって、カノトはエドワードを精悍に見つめた。睨んだと言うほうが正しいかもしれない。 「あの人はずっとあんたしか見てないよ。あんたがメンテナンスの最中、彼女をずっと盗み見ているようにさ。頭にくるほど、あんたをずっと待ってる」 「……」 カノトを見据えるエドワードの眉根に皺がひとつ刻まれる。不愉快そうに顔色を変える国家錬金術師の視線を、カノトは静かな眼差しで受け止めた。 「一度聞いたことがあるんだ。ウィンリィさんに」 「…………何を」 「あんたのこと」 「……」 扉に寄り掛かったまま、カノトは軽く両腕を身体の前で組んだ。首をカクンと折り、斜めになった視界の下から覗き込むような目線で、エドワードの反応を観察する。 「幼なじみ、ってしか言われなかったけど、話してるうちに彼女がどう思ってるかなんてすぐに分かった。さっきいちいち聞かなくたって知ってたんだよ、俺。……そんでもって腹が立った」 「……」 シトシトと降りしきる雨足が重低音に響き渡り、玄関先に立つ二人の耳の裏を等しく静かにくすぐる。 カノトが何を言い出すのか、エドワードは静かな面持ちで待った。銀時計を失くしたことで焦っていた思考は緩やかに明瞭になっていき、目の前の男が、自分と似た感情に支配されている存在なのだと、ようやく実感を抱く。 「俺だったら一人にしないし」 「……」 「ずっと傍にいてあげる」 エドワードは押し黙って、カノトの声を聞いた。不思議と怒りは湧いてこなかった。心臓の音に呼応するように、身の内に跳ね上がる激情は、怒りの類ではなかった。それは確実だった。激情は哀愁となって、シトシトと降り続く雨の音に混ざりながら、エドワードの身体を侵食していく。 カノトはこれが最期だ、とばかりに言い放った。彼は、恋するがゆえに容赦がなかった。 「あんたが彼女こと、空気って言う資格はないよ」 降りしきる雨の音が、二人の沈黙を優しく覆うように響く。唇を一文字に引き結んで、エドワードはカノトを声もなく見据えていた。負けじと見返してくるカノトの眼差しの奥に、自分と同じものを想い描いていることを痛く察知する。それでも譲る気はなかった。 「言いたいことはそれだけか」 「……」 カノトに答えがないとわかると、エドワードは再び踵を返そうとする。 「言っとくけどな」 半分背中を向けながら、エドワードは睨むような眼差しでカノトを見据えて低く呟いた。 「あいつはただ待ってるだけの奴じゃねぇよ」 少し怪訝そうに眉をひそめるカノトを見やりながら、エドワードはなおも言葉を継いだ。 「一人にしないとか、傍にいてやるとか、そんな目でしかあいつを見てないんだとしたら、痛い目見るぜ」 言いながら、エドワードは痛烈に思い知らされている。何をしたってあいつは泣くのだ、と。カノトが言うことを、実際にウィンリィにしてやったとしても、彼女は泣くか怒るかしかしないだろう。ウィンリィは優しい。「あんたをサポートするって決めたから」と宣言してみせたその日から、ウィンリィは望んでそれをしていて、エドワードはそれを受け入れている。それがないと前には進めない、それほどに、ある意味、彼女に依存している。だから、仮に、カノトが言うような傍にいてやるだとか、一人にしないだとか、そういうことを彼女にしてやっても、ウィンリィ自身は喜ばない。むしろ怒るのだ。そして、泣く。弟と自分と、歩んできた道を誰よりも身近に知っている。弟の現実を知っていて、胸を痛めている。それゆえに、彼女はエドワードに対して、必要以上に望もうとしなかったのだ。前だけ見てと、まるで叱咤するように、後ろから自分を見ている。 だからカノトが言うような「してやる」では駄目だった。優しい彼女はきっとそれを拒否するだろう。そして、したくても「できない」ことのほうが、エドワードにはまだ多かった。 こんな形で思い知らされるとは。 エドワードはカノトをただ黙って見つめるしか出来なかった。カノトに対して怒りはなかった。腹立たしいのは自分に対してだった。 落ちた沈黙を先に切ったのはカノトだった。 「痛い目ならもう見た」 「……」 何の話か、一瞬エドワードは理解できなかった。カノトは視線を濡れた石畳に落としながら、自嘲的な笑みを唇の端に浮かべた。 エドワードは押し黙ったまま、カノトの言葉を振り切るように背を向けた。答えは分かりきっていた。……分かりきっていると瞬時に断言出来るほどにヤサシイ式なのに、どうしてもこうも難しく思えてしまうのだろう。 「彼女はアンタじゃないと駄目だってハッキリ言ったよ。空気でもいいのって言いながらさ」 パシャリと泥を跳ね飛ばしながら雨の中に飛び込む。赤いコートを翻しながら、昼間だというのに雨天のせいでどんよりと翳った通りに出ようとする。背中にカノトの声を聞きながら、エドワードの心には暗澹とした影が落ち始めていた。言われなくても一番自分が分かっていることだった。そんな自分に出来ないことをやれると断言したその男の声をこれ以上聞くのは苦痛でしかなかった。 |