小説:「 ヤ サ シ イ 方 程 式 」
She said,"he always has our dreams of futures in his pocket."
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Chapter2




「もしかして、風邪? ウィンリィさん」
「え?」
 少し熱っぽい目をしながら口元を覆った手を離したウィンリィは、一瞬、何を言われたか分からない、とばかりに顔をあげた。
「違う? そういえば、さっきから咳ばかりしてない?」
 少年はウィンリィが造った機械鎧の常連客だった。心配した漆黒の瞳に間近に見つめられて、ウィンリィはきょとんと蒼い目を瞬かせる。
「そう……かな? カノト君」
「そう」
 カノトは生真面目に頷く。
「なんか、熱っぽいし」
 そう言いながら、ウィンリィの額にカトノは手を伸ばそうとする。
「ウィンリィ、風邪なの?」
 幼い兄妹の仲をとりもちながらも、二人の会話を聞いていたのか、アルフォンスが心配そうな声をあげて、テーブルの向こうのウィンリィに声をあける。幼なじみの心配そうな声に、ウィンリィはくるりと振り向いた。幼い兄妹とアルフォンス達が座っているテーブルに背を向ける格好で、ウィンリィはカノトと並んで整備をしていた。
「んー……大丈夫だよ」
 背後のアルフォンスに声をひとつ掛けてまた首を元の方向に向けるウィンリィに疑問を投げたのはカノトだ。
「そうかなぁ?」
 整備とは関係ない生身のほうの手を伸ばしたカノトは、ウィンリィの額に手のひらをぺたりとあてる。
「なんとなくだけど、熱っぽい気がする」
「えー…そうかな?」
「うん」
 休んだほうがよくない? とカノトが言いかけたときだった。
 唐突に整備室のドアがガチャリと音を立てて開く。整備室には二つ扉があった。一つは店先へと繋がる扉であり、アルフォンスらが座っている一郭のすぐ傍にある。そしてその正反対方向に、ガーフィール工房のさらに奥に繋がった扉があった。その扉の奥は、工房主やウィンリィらが住まうプライベートな場所がある。
「あ、エド」
 最初に声をあげたのはウィンリィだった。起きぬけとおぼしきラフな黒シャツ一枚にレザーパンツ姿で部屋に入ってきたエドワードの頭は、ポニーテールに括られているが、どこかまとまりがなく乱れている。
「兄さん、やっと起きたの? もう昼になるよ」
「……おー」
 アルフォンスの声に答えるエドワードの返事はひどく不機嫌そうだ。あ、とアルフォンスは兄の視線の先を辿る。
「あんた、風邪は大丈夫なの?」
「……―」
 ウィンリィの声に、エドワードは言葉につまったように押し黙った。部屋に入って真っ先に視界に飛び込んできたのは、ウィンリィと、その横でメンテナンスを受けているらしい男。彼女の額にぴたりと手をあてているその男とパチリと弾かれるように目があった。
「…………大丈夫だけど」
 出来るだけ無感情に答えたエドワードに、ウィンリィは怪訝そうに小首をかしげた。しかし、間を置かずに彼女は咳込み始める。そんなウィンリィの横を、エドワードはなるべくゆっくりとすり抜けた。咳き込む彼女がカノトの手を払うように身体をよじらせたのを横目で確認しながら、背を向けるように歩を進める。少し離れたところのテーブルに掛けている弟の傍に寄りながらも、背中は目になったように、背後の彼女と、その隣の見知らぬ男を伺っているのを痛いほど自覚していた。
 整備室はよく整理整頓されていたが、それでも雑多に物が並んでいるのは否めない。部屋に入った瞬間に一瞬だけつんと鼻をつくのは機械鎧に特有のオイルの匂いだが、エドワードが顔を顰めてみせたのはそれだけのせいではないと、アルフォンスは瞬間的に察知していた。
「風邪、ホントに大丈夫?」
 宿題をする兄妹の横で、アルフォンスは心配そうに兄を伺う。ロウトの隣に陣取ったエドワードは、短く「おー」とだけ返事をする。こころなしか投げやりに腰掛けたため、椅子はガタンとひときわ大きな音を立てた。
「……」
 一瞬だけ、不穏な沈黙が落ちる。テーブルに肘をつき、手のひらの上に顎をのせるようにして座った兄は、不貞腐れているようにも見えた。何気なく走らせた視線の先にウィンリィの姿をみとめた兄が、思わず視線を外すのを、アルフォンスは見逃さなかった。
「まだ、ダルそうだけど」
 食事は? とアルフォンスが聞いても、兄はどことなく上の空だ。
 けほ、とひとつ咳を漏らしたのはウィンリィのほうだった。二人を見比べたアルフォンスはさらに小首をかしげた。
「兄さんの風邪、もしかしてウィンリィにうつった?」
 なにげなく口についたことだった。アルフォンスは兄が昨日から体調を崩していることを知っていたからだ。
「え」
 ウィンリィがまたも振り向く。あ、とエドワードは音は漏らさずとも驚いたように口をあけた。蜂蜜色の髪を揺らせながら振り向いてきたウィンリィと、頬杖をついたまま彼女がいるほうへそれとなく視線を走らせていたエドワードの目が、お互いに見定めていたかのようにひたりと合う。
 一瞬二人の間を固い空気が流れたようにアルフォンスは思えた。表情を強張らせたのが兄だけでなく、振り向いたウィンリィも同様で、アルフォンスは、アレ? と内心訝る。
「……そーね」
 先にさらりと頷いたのはウィンリィだった。
「エドの、うつっちゃったかも」
「……」
 その言葉に、エドワードは無言だった。
 けほ、とまたひとつ咳き込むウィンリィを見て、ふーん、と相槌とも言えない声をあげたのは、メンテナンスを受けていたカノトだった。
「なんだか嬉しそうだね、ウィンリィさん」
「え」
 どきっとして、ウィンリィは思わずカノトを見返した。ひやりと背中が冷える感覚におちる。それは図星だったからだ。
「ふーん。うつされて嬉しいのかぁ」
「やだ、そんなことないよ」
 アレ? とアルフォンスはさらに首をかしげた。何か予感めいたものが己の空っぽの身体の中に形作られていくのを自覚する。カノトのさりげない言葉を聞いたせいなのか、そうではないのか、判別は出来ずとも、向かいに座った兄の眉間に不愉快そうに小さな皺が寄ったのを見逃せるはずがなかった。
 そんなエドワードを尻目に、ウィンリィは慌てたようにカノトの言葉を否定に回る。あたかも油断してゆるみかけていた頬を引き締めるように表情を繕って、カノトの腕の整備を再開しようとする。
 しかし、カノトはまだ言葉を続けた。
「そうかなぁ?」
 腕を差し出したカノトは、わずかに顔を赤くしたウィンリィと、その背後でそっぽを向いたようにして座るエドワードを見比べる。ウィンリィは背を向けていたが、身体をウィンリィに対して真横に向けて腕だけを差し出しているカノトからは、ウィンリィの肩越しにエドワードらがよく見えていた。
 彼女の肩越しにエドワードをちらりと伺った後、視線を手前に戻してウィンリィの顔を伺うカノトに、慌てたようにあはは、とウィンリィは明るく笑ってみせる。
「嬉しいわけないじゃない、あーんな錬金術オタクから風邪なんか貰って―」
「……悪かったな、うつして」
 ウィンリィの声を遮るようにして、エドワードはボソリと低く声を落とした。
 え、とウィンリィは顔をあげる。整備の手を思わず止めて、部屋の一郭で少し気だるそうに椅子に背を預けているエドワードをもう一度振り返った。しかし彼はウィンリィのほうは見ずに、アルフォンスが手にしたノートのほうに視線を注いでいるようだった。
「………別に」
 勢いをそがれてしまったように、ウィンリィの声はしぼむように小さくなる。まさかストレートに謝られるとは思っていなかったからだ。
「だって、あんたの風邪、元を正せば、あたしのせいだし」
「……」
 彼女の言葉を耳だけで聴きながら、エドワードは表情ひとつ動かさずに視線をテーブルの上のノートに落とす。簡易な計算が羅列しているのを見つめながら、「そんなことねぇよ」と一言だけ低く言葉を返した。
「……兄さん、まだ治ってないでしょ」
 どこか熱っぽい目をしている兄を見やりながら、アルフォンスは咎めるような声を出した。エドワードはピクリと眉を動かす。
「……治った」
「ホントに?」
 怪しむように顔を覗き込んでくる弟に、見るなよ、とばかりに軽く腕を振った。
「治ったって。……誰かさんにうつしたからな」
 どこか含みを持たせた言い方に、思わずピクリと身体を硬くしたのはウィンリィのほうだった。
『うつして』
 そう言ったのはそういえば自分の方だったと、ウィンリィは思い出す。そして、手繰り寄せられるように昨晩の行為を全部思い出しそうになって、内心慌てた。音が聞こえてしまうのではないかというほどに、唐突に鼓動は跳ね上がり、耳の裏に痛いほどに鳴り始める。それに刺激されるように緩やかに立ち昇る身の内の熱が、昨夜の記憶と出来事に裏打ちされた熱さであることに、ウィンリィは動揺する。
 思わず顔の筋肉と唇にぎゅっと強張らせて、口元に力をこめる。そうしないと、零れてしまいそうな感情がある。少なくとも、エドワード以外の前で、その感情を零すことは、ウィンリィが自身で咎めていた。エドワードとアルフォンス二人の兄弟が道ゆく途中であることは分かっていたし、それはまたウィンリィも同様だった。だから、今は隠している。秘密にしている。……ある意味、エドワードに対しても。
 エドワードの言葉を聞こえなかったフリをして、腕の整備に再び専念しはじめたウィンリィの真剣な顔を、興味深そうに見つめていたのはカノトだった。
 メンテナンス中の二人から離れたところに座っているエドワードは、ちらりと横目で押し黙った彼女を確認する。反応なしか? と悪態をついている自分は、どこか子供っぽいと分かっていても、なんだか面白くなかったのだ。
 ウィンリィはエドワードに背中を向ける位置にいて、彼の視線には気付かない。気付かれない。エドワードは彼女が背中をしなやかに丸めて機械鎧の製作や整備に没頭する彼女の後姿をよく見ていた。
 その彼女の後姿の景色に、いつもはいない余計な男が映っている。どこか挑発的にエドワードを見返してきた漆黒色の瞳の少年が、エドワードは本能的に気に入らなかった。





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■ヤサシイ方程式
Fullmetal Alchemist fan book Edward×Winry+Alphonse

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