Holy Ground -Please Kill me, and Kiss me-

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  03  

 エドワード、アルフォンス、ウィンリィの三人が、マスタングに伴われて駅へ降り立つと、赤い目をした七、八人の男女が待ち構えていた。
「エレーナ様から、お世話するよう仰せつかりました」
 声を揃えてそう言われてしまい、エドワード達三人は、どうも居心地が悪い。三人を尻目にマスタングがしれっとした表情でありがとうございます、と応えている。そのマスタングの斜め後方には、厳しい表情を崩さずに直立するホークアイがいる。
「で、どーすんの?」
 駅のホームを見回して、エドワードは諦めたようにマスタングに問う。国軍大佐の周りには群青の軍服に身を固めた兵が一0人ほど、寄り添うように団をなしている。
「どうするも何も。このままついてきたまえ」
 軍靴を鳴らしながら進むマスタングの表情は少し硬い。言いながら、その目は前方を進んでいく集団を捉えている。人だかりの中央には、長い黒髪を揺らせながら車に乗り込もうとしているエレーナが見える。
「いいかね。君はここから、私の指揮下に入る。勝手なことをするのは慎めよ。問題を起こせば私の出世に関わるからな」
「へいへい。分かってますよ、マスタング大佐殿」
 やれやれ、という風にエドワードは嫌味をこめて大げさに息をつき、さっきからおとなしい背後の二人にちらりと目をやる。
 アルフォンスはさっきから無言で後をついて来るだけで、その横を進む幼馴染も、肩に羽織った赤いコートの一端を握り締めたまま硬い表情を崩さない。
「……やけに静かだな。腹でも壊したか?」 おちゃらけたように、ほんの数時間前に列車の中で言われた言葉をそのまま返してみた。しかし、返ってきたウィンリィの声に力はない。
「……あんたと一緒にしないで」
 エドワードはもう一度ため息をついた。
「…悪かったよ。なんだか、巻き込んじまって」
「あんたのせいじゃないわよ」
 それは、そーかもしれないけどよ、とエドワードは頭をひねる。
 そもそも列車事故に遭ってしまった自分達やウィンリィがついていないだけだ。マスタングにも言われた。悔やむなら自分達の不運さを悔やめと。しかし、隣で意気消沈したような表情を見せる幼馴染に、何か言葉をかけてやれないものか、エドワードは疲れた頭をほんの少しばかりめぐらせる。
「兄さん……」
「ん?」
 不意に呼ばれて、ずっと押し黙っていた弟を見上げる。アルフォンスの表情は読めるはずがないのだが、その声色はずっと厳しいものだった。
「このまま、ウィンリィを連れて行っても大丈夫かな……」
 アルフォンスもまた、横を歩く幼馴染を気にしていた。
「仕方ねーだろ。こうなっちまったら」
 エドワードは努めて明るい声で言い、落ちる不安を払拭しようとする。
「まぁ、アレだ。……こんなガサツな暴力女をかっさらおうなんて……」
 エドワードの言葉をウィンリィは聞き逃さない。
「誰がガサツな暴力女ですってぇ〜!!」
「うをっ!?」
 飛んできた拳をなんとかエドワードは交わす。
「甘いっ!」
 しかし、ウィンリィはもう片方の手に忍ばせていたらしいレンチを振りかざした。容赦ない攻撃にエドワードは悲鳴をあげる。
「どっからそんなの出してくるんだよっ! 普通死ぬぞ! てかヤメロ!」
「うるさい!」
 ホームの真ん中で言い合いを始める二人を、兵士達が眺めている。そんな二人の横で、アルフォンスはあ〜あ、また始まったよ、と肩を落とす。
 やり取りの一部始終を耳で聞いていたマスタングはふっと笑みを浮かべたが、
「顔を引き締めてください、大佐」
 とぴしゃりと隣の副官に言われ、慌てて咳払いをする始末だった。
 ホームを出ると、そこに、黒い制服に身を包んだ集団が現れた。
「……ご苦労」
 マスタングの言葉に、先頭で指揮をとっているらしい男がマスタングに敬礼をする。
「これはこれは。中央の……」
「ロイ・マスタングです」
 男はちらりとマスタングの階級章に目をやりながら自己紹介する。
「グレナダ・ボルティモア大尉であります、マスタング大佐。ハイゼンベルクの監察は我々に任せて頂けると思っていたのですが……」
 ボルティモアと名乗った男は、マスタングよりも年上に見える。灰色の目と顔色が、直立不動の姿勢でマスタングを睨むように仰いできた。別に、この男の地位がその歳にくらべてとりたてて低い、というわけではなかった。マスタングの地位の方が、はるかにその年齢にそぐわなかったのだ。
「いや、君達はそのまま君達の任務を続けてくれ。我々はトラブルでここに戻ってきただけだ。エレーナ殿の希望で、今からハイゼンベルクの屋敷へ向かう。兵卒はここへ残すが君達は通常の任務についていてくれて構わない」
「了解しました」
 ボルティモアの返事は明瞭だった。しかし、その顔色には、別のものがにじんでいるのをマスタングは見逃さない。よくあることだ、とマスタングは心の中で呟いた。自分のような年下の佐官に敬礼することで崩されるような矜持など、マスタングにはどうでもよかった。そのような羨望の目で見られるのには、もう馴れた。
 駅前に待機していた車二台に分かれて乗り込む。
「なんでオレが大佐と同じ車なんだよ」
 アルフォンスとウィンリィとは別の車に乗り込んだエドワードの開口一番の言葉に、マスタングは吹き出す。
「悪いな。ロックベル嬢と乗りたかったか?」
「誰がそんな話してるか!」
 やはりムキになって怒り出すエドワードを、まだ子どもだな、と思うマスタングとしては、普段から何かと生意気なこの最年少国家錬金術師をいじる絶好の材料を手に入れた気分なのだが、助手席に控えたホークアイが、ミラー越しに射るような視線を送ってくるので、慌てて、「まぁ、冗談はおいといて」と話題を変えるように、咳払する。
「で、あの女が疑われてるって話だけど。なんで軍が出張るんだ? あの事件は憲兵隊の担当じゃないのか?」
 新聞からの情報を頼りに尋ねるエドワードにいいえ、と答えたのはホークアイだ。
「ある情報筋から彼女の名前が出た時から、憲兵隊の手に負えなくなったと上層部が判断したのよ」
 アメストリスは軍事国家だ。警察の役割を担う憲兵隊という組織がもちろんあったが、何よりもやはりその軍隊が絶大な力を持っていた。先ほどのボルティモアなどは憲兵であり、マスタングとは属する組織を異にしていたが、やはり軍属のほうが力があるのだ。お陰で、憲兵は縄張りがかぶると何かとうるさい。そう思い至ってマスタングはこっそり息をつく。
「まぁそういうことだ。護衛の際に少しでも尻尾がつかめれば、と思っていたが、こんなアクシデントに遭遇することが出来たからな」
 ふふん、とマスタングが心の中で笑ったのがエドワードには手に取るようにわかった。ロイ・マスタングといえば、その若さで大佐を拝命しているやり手の青年将校だ。出世のための足がかりになるような機会は逃さぬはずが無かった。
「ハイゼンベルクは曲がりなりにも自治権を保有している一部族だ。今まで手出しできずにいたが……これを機会に、彼らの懐へ入り裏づけを行う。シロならば情報部の連中の失敗と片付けられるし、黒だと判明できずともグレーと言えるような証拠が挙がれば……」
 マスタングはそこで言葉を切る。
「……君も一応少佐官相当の地位にある軍属だ。くれぐれも、私の目が届くところでヘマはしてくれるなよ、鋼の」
「分かったって言ってるだろ!」
 しつこいぞ、とエドワードは苛々しながら言葉を返す。ふっと前方に目をやると、ミラーの中に、後方の車両が写っているのが目に入る。そこに、「おーい」と言わんばかりにこちらに手を振っている人影を見てとり、エドワードは、あ〜あ、とため息をついて片手で顔を覆う。
(……遊びに来たんじゃないってのに)
「あ、あいつ、気が付いたくせに、無視した!」
 その頃、後方の車両には、少しばかり元気を取り戻したウィンリィがアルフォンスと仲良く後部座席に座っている。
「あいつってば、ホント、ワケわかんないわ。すぐに怒るし、かと思えば……」
 と、ウィンリィは言いかけて、口を閉ざす。ぎゅっと彼女の右手が握り締めるのは、エドワードの赤いコートの端だ。
「……ねぇ、アル……」
「どうしたの? ウィンリィ」
 ウィンリィは前方を見据えたまま、ぎゅっとその赤いコートを手の中で握る。
「あんた達、危ないこと、しないでね」
「……ウィンリィ?」
 遠ざかる背中がウィンリィの脳裏に瞬く。言いながら、ウィンリィはどこか後ろめたさを覚えていた。なぜなのか分からなかった。自分は踏み込めないのだ。幼馴染の兄弟がいる世界へは、踏み込めない。それでも胸の内には、ある感情をひそやかに暖めている。このまま秘密裏に暖め続けてよいものかどうか、判断つかぬまま。
 アルフォンスは、頑なな表情を浮かべてそれっきり何も言わなくなった幼馴染を見つめる。
(……それ、僕に言わないで、兄さんに言えばいいのに。喧嘩ばっかりしないでさ)
 しかし、アルフォンスは何も言わなかった。なんとなく、言うのは気が引けた。そこに、触れてはいけないようなバランスを保った糸が引かれているような気がしたからだ。その糸の名を何というのか、アルフォンスには分からなかったが。
 無茶をするのは、たいていは兄のほうなんだから、とアルフォンスは心の中でひとりごちた。


 滑るように車は闇を切り裂き、前へとひた走る。
「見えてきたぞ」
 マスタングの言葉に、エドワードは顔を上げた。エドワードの目に飛び込んできたのは、高い高い、一本の塔だ。西方角の山陰に沈みゆく月を背後に、くっきりと浮かび上がる一本塔のシルエット。エドワードの金の瞳に、いびつな形をした月が映る。あと数日のうちに、それは完全な満月の形になりそうだった。
「伝説によれば……」
 と、不意にマスタングが口を開く。
「…オルドール地方には、赤い月が昇る日があるらしい」
「赤い、月?」
 聞き返すエドワードの目に映るのは、いたって普通のやわらかな白い光を降らせる月だ。
「その月が昇る夜、流れるような金の髪をした乙女が月からやってきて、天上へと続く梯子をおろしてくる。その梯子を上って、その先へたどり着いた者は、大いなる力を得られるという、伝説だ」
 まぁ、いつから伝わるようになったかは知らないがな、とマスタングは言い置く。
「天から女性が降りてくる。さぞかし綺麗な貴婦人だろうな、なぁ、鋼の?」
「………しらねぇよ。馬鹿馬鹿しい。ただの伝説だろが」
「ダメだな、鋼の。こういうロマンチックな話はきっとロックベル嬢も……」
「…あーうるせ〜っ!!」
 最後までマスタングはエドワードをからかいたいらしい。しかし、前方から凍るような冷たい声が降ってきた。
「お二人とも。……静かにしてください」
 車内に冷たい空気が吹雪いているのをエドワードは悟って、ざまぁみろ、とマスタングを一瞥する。憮然とした表情を浮かべるのはマスタングだ。マスタングはどうも、この優秀すぎる自分の副官相手だと分が悪い。
 闇の中をひた走る二台の車は、夜空を裂くようにそびえる塔と、その下に広がる巨大な屋敷へと吸い込まれるように消えた。


       ‡


「す、すご……」
 車を降り立ったウィンリィは、呆然と目の前の建物を見上げた。どうやら、自分の意識の中にあるイシュヴァール人と、実際のものは違うらしい、とウィンリィは考えを新たにする。傍に寄ることで改めてその屋敷の巨大さを目の当たりにした格好だ。首が痛くなるほどに天を仰ぐウィンリィにエドワードはたしなめるように声をかける。
「あんま、口開けて眺めてるとアホ丸出しだぞ、おまえ」
 その声にむっとしてウィンリィは向き直る。
「うるさいわね! すごいものはすごいって素直に褒めたっていいじゃない!」
「おまえに褒められてもなぁ……」
 またしても言い合いを始めそうになる二人を、まぁまぁとおさめるのはアルフォンスだ。
 先触れが伝わったのか、現れたのは、ハイゼンベルクに仕える使用人達だった。一様に頭を下げられ、またもエドワード達三人はいたたまれない気持ちになる。
 いくつもの門をくぐりぬけ、エドワード達三人と、マスタング、ホークアイら軍人数人はさらに建物の奥へと導かれる。
 レンガ敷きの廊下を進みながら、エドワードは何か、甘ったるい匂いが鼻につくのを覚える。
「…アル…」
 言いかけて、弟には嗅覚はおろか、身体の身体器官の全てが無いことを思いだす。
「何?」
「あ……いや」
 エドワードは言葉を濁し、さらに嗅覚を集中させようとしたがそれは途中で阻まれる。
「ようこそ、おいでくださいました」
 頭を下げて現れたのは、特等車の中でエドワードを舐めるように睨み付けたあの男だ。
「サラム・マックホルツ、と申します」
 以後、お見知りおきを、と口上するその男の目は、やはり冷たい蛇の双眸をしている。赤い目は、そのほかのオルドールの人間にくらべても、濁ったワインのように深い紅蓮の色を燃やしていた。なんだか気にくわねぇ、とエドワードはその双眸をひたと睨み返した。
「宰相代理の復代理人として、お客様をもてなすようにと、エレーナ様から言われました。どうぞなんなりとお申し付けください」
 馬鹿丁寧なその口上に、丁寧さを通り越して不快感さえ覚えたのはエドワード一人だけではなかったはずだ。
「お気遣い、有難うございます」
 マスタングはその口上にわざとらしいほど満面の笑みを浮かべて答えている。この猫かぶりなところが、エドワードにはいちいち鼻につく。
 サラムは先頭を進みながら、建物の案内役を買って出たようだ。とてつもなく高い天井に、複数の足音とサラムの声だけが響く。
「建物は四階、そして屋上までございます。屋上は月が綺麗な晩には最高ですよ」
 と、どうでもいいような話までサラムは延々と続けながら歩く。
「……なぁ。あの塔にはどうやったら行けるの?」
 エドワードは不意に疑問に思って口に出した。塔とは、屋敷へ来る途中の車内から見たばか高くそびえたつ建物だった。月夜の美しい景色を切り裂くように歪にそびえたあの影が、エドワードはどうにも気になって仕方なかったのだ。特に意味も無い、ただの好奇心からの質問だったが、サラムは足を止め、エドワードのほうへ向き直る。
 蛇のような目が舐めるようにエドワードを見つめた。
「…あそこへは、何人も足を踏み入れることは禁じられております」
「ふぅん?……なんで?」
 その質問に、サラムは感じた不快感を顔から隠そうとはしなかった。飄々とした態度で質問を投げてくる目の前の子どもが、アメストリスの国家錬金術師でなければもっとその表情は険しくなっていたのかもしれない。言葉だけは丁寧な口調で、サラムはその質問に応えた。
「昔からの、しきたりでございます。あそこへ近づけるのはオルドールの族長とその近親者のみ」
 ということは、エレーナか、とエドワードは臍を噛む。不穏な空気を察知したマスタングは、やれやれ、という心の呟きを微塵も顔には出さずに、サラムに向かって、部屋への案内を頼む。
 ようやく通された部屋へたどり着いた時には、とんでもなく広い屋敷に対する一行の関心は薄れ、はやく休みたい、という気持ちが心の大半を占めるようになっていた。しかし、ここでもサラムは意地悪く付け加える。
「これから、エレーナ様が皆様を夕食へ誘いたいと申しておられましたが……」
 もちろん喜んで、と答えたのは満面の笑顔を浮かべるマスタングだ。
「では、色々と準備がございますので、これにて」
 また迎えに上がります、と言ってサラムは部屋から引き下がる。
 ぱたん、と音を立てて扉が閉まった途端、ウィンリィがへたりこむように床に崩れ落ちた。
「……つ、疲れたわ……」
「へっ。さっきはあんな無駄に元気だったくせに」
 エドワードの憎まれ口に勢いよく答える余裕さえも今のウィンリィには無いらしい。ただむっつりと黙ってエドワードを横目に睨む。
「あたしは、あんたのような体力馬鹿と違ってかよわいんだから」
 なんだってぇ? と聞き返そうとする兄をはいはい、とおさめるのは弟だ。
「今から夕食なんて……そんな元気ないわよ……」
 ウィンリィの呟きに、まぁまぁ、とマスタングは言ってから、側に控える兵に下がるように命じる。
「とりあえず、夕食まではゆっくりと休むといい。お風呂にでも入って体を綺麗にして」
 風呂ぉ〜? とエドワードが面倒くさそうな声を上げる。
「今から食事だ。そんな小汚い格好で出られると思ってるのかね、鋼の?」
 小汚いとはなんだ! とエドワードが言い返そうとするのをマスタングはさらりと制して、
「とにかく、君達の部屋はあの奥の一部屋だ。ゆっくり休め」
 と言い渡し、エドワード達を廊下へ追いやる。
「ちくしょう。なんだよ、大佐のやつ」
 ぶつぶつ言いながら、エドワードとアルフォンスとウィンリィはあてがわれた部屋へと入る。
「わぁ〜!」
 先ほどのくたびれた様子はどこへいったのか、部屋へ足を踏み入れた途端、ウィンリィは歓声を上げる。
「ね、ね、ね、見て見て! すっごく綺麗!」
「え。あ、おい、ちょっ……」
 遅れて入ったエドワードの手を引いて、ウィンリィは部屋の奥のバルコニーへと進む。「外の景色が見えるわ」
「わ、わ、分かったから……っ」
 機械鎧の右腕をがっしり胸のところでつかまれたまま引きずられるエドワードは、慌ててウィンリィから身体を離そうとするが、外の景色に夢中の彼女は気がついてない。
(……手が、手が……!)
 火照りだすエドワードの顔を、ふわっと夜風が撫でた。
「!」
 はっとして、エドワードは逆にウィンリィをひきずって外へと飛び出す。
「ちょ…と、いきなり、何?」
 足をもつれさせながらエドワードに続いて外へ出たウィンリィは、眼下に広がる夜景に目を輝かせる。
「わぁ……キレイっ! ね、エド!」
 しかし、エドワードは見ていたのは違うところだった。
「アル…!」
「何?」
 鎧の足音を響かせて、アルフォンスは兄の呼ぶ声に応じる。
「見ろ。……塔だ」
 エドワードは左腕をあげ、その方向へ指をさす。その先に、月明かりに浮かぶ円筒のシルエットがある。
「一、二、…四本くらいかな?」
 アルフォンスの声に、エドワードは、ああ、そうみたいだ、とこたえる。
「この建物にも確か塔があった。それ以外にもこんなにあるのか……?」
「やけに塔を気にしてるね」
 先ほども兄がサラムに噛み付くように塔の話をしていたのをアルフォンスは思い出す。
「まーな。……勘ってやつだ」
「勘……」
 野生の勘? とアルフォンスはひとりごちたが、兄の不興を不用意に買うのはやめようと口は閉ざす。
 エドワードは特に根拠もなく気になっていた。マスタングが言うこの地に伝わる伝承を聞いてから、どうも胸騒ぎがしてならないのだ。
「ウィンリィ」
 おまえ、気をつけろよ、と言おうとしたエドワードだが、ウィンリィが自分をとんでもない形相で睨んでいるのに気づいてあたふたする。
「な…んだよ…」
「エドの馬鹿!」
 ウィンリィの怒鳴り声が落ちる。
「はあ? なんで」
「人の話、全然聞いてないじゃないっ!」
「………はぁ?」
 ウィンリィは乱暴にエドワードの腕をほどき、部屋へと戻る。荷物を持って出て行こうとするので、慌ててエドワードは追った。
「どこ行くんだよっ!」
「……部屋。変わるの」
「勝手に行動すんな!」
 キッ、とウィンリィはエドワードを睨みつけた。
「あんたと同じ部屋で寝るのなんて、絶対にイヤなんだから!」
 噛み付くような言い方をされるとつい反論してしまうのはエドワードの悪い癖だった。
「あーそーかい! 勝手にしろ!」
 音を立てて部屋の扉が閉まる。
「なんなんだ? あいつ。いきなり怒ったかと思えば……」
 横で一部始終を見守るアルフォンスはまたしてもため息をつく。
(……二人して同じことを言ってるよ)
 しかしアルフォンスは別の言葉を口にした。
「兄さん。僕、ウィンリィを探してくる」
 兄は何も言わない。そのままごろん、とベッドの上に仰向けに倒れる。
「兄さん?……顔、赤いよ?」
「……なんでも、ねーよ」
 右腕に感覚がなくて、本当にヨカッタ、と今さらながらエドワードは思い返してしまったのだ。同時に、感覚がなくて、勿体無いことしたかも…とも。
 まったく、世話がやけるなーと心の中で呟くのはアルフォンスだ。
「ウィンリィ、探してくるから」
 靴を履いたまま寝転がった兄の口から、今度は「勝手にしろ」という答えが小さく返ってきた。


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