Holy Ground -Please Kill me, and Kiss me-
02
「ウィンリィッ!」
咄嗟にエドワードの視界に入ったのは開け放たれた扉だ。同時に、ウィンリィの声が聞こえた。誰かを呼ぶ声だ。
「レナ……さんっ?」
ちょうどその時、ウィンリィは、視界の端の床に横たわる人影を目に留める。駆け寄ってはなんとかその身体を抱き起こした。
さらりと黒い髪が揺れる。身につけているイヤリングやネックレスがしゃらりと音を立てた。年の頃はウィンリィと同じ位だろうか。若い女だった。なんて綺麗な人だろう、とウィンリィは一瞬目を見張る。
「怪我はしてない……。気を失ってるだけだわ……」
少女の首筋に手を軽くあて、生きていることを確認する。だいじょうぶよ、とまるで自分に言い聞かせるように、ウィンリィは呟く。
「ウィンリィッ! ウィンリィ、どこだっ!」
背後からの声に、ウィンリィは意を決したように勢いよく振り向いた。
「……エド!」
「ウィンリィ!」
床に座り込んだウィンリィを見とめて、エドワードは煙で薄暗くなった車内を走る。
「この子、おねがい!」
駆け寄ったエドワードにウィンリィは少女を預ける。
「お、おい!?」
「だいじょうぶ、怪我はしてないわ」
「いやそういうことじゃなくてだな……おい!」
エドワードの声には耳も貸さず、散乱する割れたガラスを慎重に踏みつけながら、ウィンリィは来た通路を男の元へ戻る。
男の頭にゆっくりと手を添えて、怪我をしている場所を探す。
男はゆっくりと息を震わせながら掠れた声を出した。
「レナは……?」
「大丈夫よ。あなたの怪我のほうが酷い」
ウィンリィは諭すように言ってから、止血のために手ごろなものがないか辺りを見回す。しかし、目に見えて白い煙が充満し始めた車内にそんなモノはなく、躊躇している暇も無かった。
「!」
エドワードは、託された少女を引きずりながら、ウィンリィの行動に目を見張る。ウィンリィは自分のワンピースの裾を引きちぎり、男の頭を縛った。
「これで、少しは、血が、止まるはず……」
はやく、この列車から脱出しないと、とウィンリィが立ち上がろうとしたとき、またもや衝撃で地面が揺れた。列車が横転しようと傾きはじめていたのだ。
くそっ、とエドワードは頭をめぐらす。錬金術でなんとかできないか? しかし、崩壊したトンネルが思考をよぎる。ここで構造をいじれば、被害がさらに拡大するのでは、とエドワードは躊躇する。その時だった。
「おや。こんなところで会うとは、奇遇だな」
この声は……と、エドワードはいやな予感を確信しながら、その声に振り向いた。
「あなたは……」
と目を丸くするウィンリィの横で、凶悪に顔を歪ませるのはエドワードだ。
声の主はくつッと噛み殺したような笑みを口端に浮かべて車外に立っている。エドワードのよく見知った顔だった。少女をひきずりながらエドワードは叫ぶ。
「……大佐! なんで、ここに……っ」
「私は君と違って忙しい身なのだよ、鋼の。軍務以外に何がある?」
そう言い置いて、後ろに控える部下に目配せする。軍人数名が軍靴を鳴らしながら列車に乗り込み、倒れていた二人の男女を担ぎ出す。横転を防ぐように、太い杭で列車を支える軍人達の合間を縫うようにしてエドワードとウィンリィは列車から降りた。二人の避難を確認したマスタングは声を張り上げる。
「ようし、それまで! 退避しろ!」
マスタングの声を契機に、軍人達は一糸乱れぬ行動で列車から一斉に離れる。そのとたん、地響きを立てながら、列車は横倒しになってしまった。
燃え上がる火の粉を見ながら、マスタングはため息をつく。
「…たく。余計な仕事が増えたな。……ホークアイ中尉、被害状況を報告しろ」
「はい」
きりりとした表情でマスタングの斜め横にはリザ・ホークアイ中尉が控えていた。
「大佐!……なんで、こんなところに軍がいるんだ? しかも好都合のようにわらわら出てきやがって!」
倒れていた少女を兵士に預けながら、エドワードは噛み付くように言う。
「だから言っただろう。軍務だと」
「それは分かる。オレが聞きたいのは……」 しかし、マスタングは聞いていない。エドワードの側で、身の置き所がなさげにそわそわと視線を動かしているウィンリィに向かって、ほう〜、と何やら合点がいった風にマスタングは微笑む。
「鋼の」
「なんだよ」
人の話を聞け、と言いたげに睨みあげてくるエドワードに向かって、マスタングは努めてのんびりと言った。
「君にこんなかわいらしい彼女が居たなんて知らなかったよ」
「か!?」
マスタングの言葉に顔を真っ赤にして反応したのはウィンリィだけではない。毛を逆立てた猫のように掴みかかったのはエドワードだ。
「だー〜〜っ!! 彼女じゃないっ! ていうか、オレの話を聞けっ!」
しかしやはりマスタングは聞かずに、ウィンリィに向かって手を差し出し、握手を求める。自己紹介するマスタングの横ではホークアイが何やら指示を出して忙しそうだ。エドワードは混乱渦巻くこの場をじっとにらみつけた。きびきびと動いている軍人達の数は、ざっと見て100いるかいないか。燃え上がる列車の消火作業をすることもなく、けが人の収容と、乗客の統率にせわしなく動いている。
「大佐……目覚められたとの報告が」
ホークアイ中尉の言葉に、マスタングは今行く、と声をかける。
「鋼の、お前も来い」
「どういうことか説明が先だ」
ふん、とマスタングは笑う。
「列車爆破事故に遭遇した。だから、兵を動かした。それだけだが。……あぁ、ここは水が少ない。だからあれもそのまま燃えるにまかす」
幸い、ここは移り火しやすい木々がすくないからな、とマスタングは続ける。
「トンネルは崩落した。復旧には時間がかかる。それとも、君が得意の錬金術を使って直すかね?」
バカ言え、とエドワードは吐き捨てる。
「復旧…って? え? え? さ、先に進めないんですか?」
戸惑ったように声をあげたのはウィンリィだ。
「ええ。申し訳ないですが」
マスタングはウィンリィにだけは丁寧な口調で返した。そんなマスタングをエドワードは苦々しく思う。
「そんな……。仕事が……」
うなだれるウィンリィの肩をぽんと叩くのはホークアイ中尉だ。
「ごめんなさいね」
エドワードはそんなウィンリィの様子に思わずため息をつく。
「ウィンリィ……アルを探して、この辺で待っててくれ」
オレはこいつと、とエドワードはマスタングを親指で示す。
「う、うん……」
戸惑いの表情を隠せないウィンリィに、悪いな、と言い掛けたが、エドワードは声にならなかった。本当は言いたいことがたくさんあった。しかし、声にならない。後ろ髪ひかれる思いを振り切るように、エドワードは無言のまま、先を行くマスタングを追う。歩を並べられたところで、マスタングはちらりと視界の端にいる自分よりずっと年下の錬金術師を横目に見た。
「鋼の。彼女を慰めなくていいのか?」
ピクリと青筋立てていちいち反応するこの少年の反応が、マスタングは面白くてたまらない。
「だーかーらー! 彼女じゃねぇっての!! しつこいぞ、大佐」
期待を裏切らない反応に、マスタングはふん、とバカにするように笑ってから、本題に戻すぞ、といわんばかりに表情を引き締める。二人の視線の先には、幾人かの兵士達が警備に立っているテントが見えた。
国軍大佐の姿を見るなり敬礼する兵士に、ご苦労、と言い置いて、マスタングは仮設された灰色のテントに入った。それに続いたエドワードは、テントの奥で横たわるあの少女を見とめた。
「マスタング……殿」
身体を横たえた少女は瞳だけをくるりと動かし、やってきた軍将校とそれに続く少年を射るように見返した。
エドワードは息を呑んだ。
少女のその瞳は、炎をたたえるような深い紅の色をしている。
(……イシュヴァール人か?)
エドワードは首をひねる。その割にはイシュヴァール人の特徴を踏んでいないような気もする。エドワードが見たことのあるイシュヴァール人の肌の色はもっと褐色がかっていたが、目の前の少女の肌はそれとは明らかに違っている。
「無事になによりでした、エレーナ殿」
マスタングは軽く敬礼する。
「ハンスは……?」
少女の唇が小さく動いた。赤い瞳が不安げに揺れている。
「宰相代理殿もご無事です。これの連れが……」
と、マスタングはエドワードを示す。
「なんとか処置したお陰で一命は取り留めました」
そう、と息をつきながらエレーナと呼ばれるこの少女は安堵したように目を閉じる。
「列車の行く手に爆破物を仕掛けられたようです。セントラルへ続くトンネルが崩壊し、先には進めません。ここは一度、オルドールへ戻られたほうがよろしいかと考えます」
なんてこと…と少女は呟いた。そして、ゆっくりと瞳をあけて、エドワードの方を正視する。
「私の部下を助けてくれて、有難う。礼を言います」
「お、オレじゃ、ありません」
慌てたエドワードは言うけれど、少女はもう一度、ありがとう、と瞳を伏せる。
「オルドールへ戻ります。サラムに連絡を……」
「無線が回復しましたら、すぐにでも」
マスタングの答えに、お願いします、と言い置いて、少女はまた目を閉じた。
「……大佐」
テントを出たエドワードは、マスタングに詰め寄る。
「あれは……」
しかし、マスタングは手を上げて、エドワードの言葉を制止する。
「列車に偶然お前が居合わせた。悔やむなら自分の不運さを悔やめ。しばらく、お前は私の指揮下に入ってもらう。どうせしばらくは、この峡谷からは出られない」
「どういうことだ」
「ここら一帯は狭い峡谷に北と南の出口をはさまれた盆地でね。こちら側のトンネルと正反対の方向にもうひとつトンネルがあってそれ以外に出入口がない。あるとしたらあの厳しい峡谷を横断することかもしれないが、峡谷に人踏の道はないに等しい。さらに……」 マスタングはそう言ってふいっと空を仰ぐ。燃え続ける炎が、マゼンタ色に暮れかけ始めた空を紅く焦がしている。
「この切り立った断崖がぐるりとこの一帯を囲んでいるのだ。あれを越えるのは容易ではない。それともう一つ。もう片方のトンネルも、同じく列車爆破でふさがれたという報告がある。……どういうことか、分かるな?」
「それって、つまり……」
何かを言おうとしたエドワードの耳に、兄さん、という声が届く。知れた声にエドワードは振り向く。
「アル」
「兄さん、どうしちゃったの? なんで大佐がいるの?」
それはこっちが聞きてぇよ、と言い捨てて、エドワードはアルフォンスの傍らで立ち尽くすウィンリィに目をやる。
その格好に目をあてられなくて、エドワードは思わず自分の着ている赤いコートを脱いだ。
「エド……」
驚いたように身をひくウィンリィに、いいから着ろ、と無理矢理彼女の肩にコートをかけた。ウィンリィはそんな彼の挙動にヒヤリとする。思い出してしまうのだ。戦場にも似た街中での情景を。破壊された街中で、傷の男相手にウィンリィが引き金をひけなかったときのあの慟哭を。彼はあのときも、ウィンリィに赤いコートを着せて、遠ざかってしまった。まるで「おまえは見るな」とでも言わんばかりに、ウィンリィをその場に置いて、遠ざかってしまったのだ。
(怖い)
ウィンリィは思わず願っていた。
(どこにも、行かないで。……エド)
言葉にしない想いは挙動に現れる。ウィンリィは思わず、エドワードのシャツの端に指先をかけていた。
「ウィンリィ……?」
エドワードは小首をかしげた。おとなしくエドワードのコートを受け入れた彼女は、俯いたまま、自分の黒いシャツの端をぎゅっと握り締めてくる。
伸ばされてきた白い腕は煤や土埃で汚れてしまっていた。白い腕を道標にエドワードは視線を彼女の身体へ移す。彼女のワンピースの裾は無残に裂かれていて、露出した白い足に、赤々と燃え上がる火の光が反射している。
そんな痛々しい光景にエドワードは目をそらして呟いた。
「無茶しやがって……」
彼の言葉に、きゅるんとした大きな蒼い瞳が一瞬小さく揺れて、ごめん、とウィンリィは呟く。
「でもね、……身体がね、勝手に動いてた」
ウィンリィは顔をあげた。目の前にエドワードの顔があった。そこで彼女はとりあえず笑おうとした。しかし、顔がこわばって、うまく笑えなかった。あの時は夢中だったが、炎に巻かれた列車を目の前にして、ようやく自分がとった行動を思い返すことができた。思い出して、震えが走った。再びうつむいたウィンリィの目に、コートを脱いだエドワードの腰に光る銀時計の鎖が目に入る。ウィンリィの視線に気づいて、今度はエドワードが無理に笑おうとする番だった。
「仕方ねぇよな……。国家資格を取ったときから分かりきってるコトだ」
ウィンリィの表情が曇るのをみながら、エドワードはぽつんと言った。ウィンリィはそれに対しては何も言わなかった。不穏は音もなく胸に落ちる。きっと彼は何かを命令されるのだ。聡いウィンリィには分かっていた。そして、彼がウィンリィにはその内容を教えてくれないであろうことも。みるみる「距離」が遠ざかっていくのをウィンリィは力なく感じていた。彼のシャツの端を握っているというのに、彼はそこにいないように思えた。そこにあるのは圧倒的な壁であり、距離であった。
埋まらない。この距離は埋められない。諦めるために言葉を飲み込んで、ウィンリィは別の言葉を小さく呟いた。
「コート……ちょっと小さい」
思わずむっとするエドワード。
「……うるせぇ」
しかしエドワードの口調は静かだった。そしてウィンリィもそれ以上は何も言わない。ただ、彼の腰に光る銀時計の鎖を見つめていた。
そんな二人の様子を見ていたマスタングはにやりと笑う。
「ふむ? 若いということは素晴らしいことだな、なぁ、中尉?」
しかし、側に控えていた中尉はそれには応えない。いつものお戯れだとばかりに冷たい声を返した。
「代理車の采配を指示してください、大佐」 ぴしゃりと放たれた言葉に、やーれやれとマスタングは肩をすくめた。
オルドールの駅から代理の列車が届いたのは夜もすっかり更けこんでからだった。軍の指揮下にある乗客たちは、それぞれ列車に乗り、最寄のオルドール中央駅へと向かう。
復旧には四、五日はかかるという軍からの情報に、ウィンリィは肩を落として「電話をしないと……」と呟いた。
マスタングとホークアイに向かい合うようにして座ったエドワードの横には、疲れたような表情をみせるウィンリィと、アルフォンスがいる。
場所は一等客車。エドワードはあまり利用したことの無い場所だが、普段使っている二等客車と大したつくりの違いはない。向かい合った座席の間隔が少し広くなっているくらいだ。
一等客車からさらにその奥へ続く特等車には、あの、エレーナという少女が乗っているということをエドワードは知った。
「そろそろ、話してくれてもいいんじゃねぇの」
詰め寄るように問いただすエドワードを、マスタングは鼻で笑う。
「君もしつこいな。……しつこい男は嫌われるぞ? ロックベル嬢、あなたもそう思うでしょう?」
ウィンリィは話をふられて、はは、と軽く笑うしかない。
「うるせーな! しつこい男って、なんでそれが関係あるんだよっ! ていうか、ウィンリィには関係ねーよっ!!」
と、エドワードは叫んでから、はーっと息をはく。このやり手の青年将校が、エドワードはひどく苦手だった。
「軍の指揮下に入るというなら、オレにも聞く権利とやらがあるはずだぜ」
やれやれ、という風にマスタングは首を回す。
「……気づかなかったのかね? 我々は君と同じ列車にずっと乗っていた」
「1等車のことなんて知るかよ」
くるりとエドワードは背後に乗る兵士を見渡す。
「ざっと一00くらいか? 何を企んでいる」
企んでるなんて、とマスタングは首をすくめて見せる。
「君は軍属のくせにやたらに軍を疑ってかかるんだな。一歩間違えれば上官批判で軍法会議モノだぞ」
そう言い置いてから、マスタングは眉をつりあげる。
「………ここ半年ばかり頻発している事件を君は知っているか?」
「事件?」
眉をひそめるエドワードの横でアルフォンスが軽く身を乗り出す。
「それって、もしかして、女の人たちが消えるっていう?」
アルフォンスの言葉にホークアイ中尉が頷く。
「ええ。我々はその調査をしているの」
「だからって、こんだけの兵士を動かすか?」
エドワードの問いに違う違う、とマスタングは手を振る。そして、若干声をひそめる。
「これは別命だ。我々はエレーナ・ハイゼンベルクの中央訪問を護衛する任についている」
エドワードは首を傾げる。
「エレーナって、さっきのあの子か?」
ウィンリィがはっとしたように口を開いた。
「あの子……もしかしてイシュヴァールの?」
エドワードもふと思い出す。さっきの少女の目はこの国では珍しい深紅の色だった。
「ちょっと、違うな。彼らはイシュヴァール人ではない」
マスタングはウィンリィの言葉を訂正する。
「イシュヴァールの系統を汲むが、イシュヴァールを離反した一部族だ」
「離反?」
マスタングは頷く。その時だった。一人の兵士がマスタングの側へやってくる。何かをぼそぼそと囁かれて、マスタングは眉をしかめながら立ち上がる。
「鋼の。ロックベル嬢。ちょっとこちらへ」 戸惑いながらもエドワードとウィンリィは、マスタングに導かれ、特等車の扉を進んだ。 どこへ行くんだよ、と小さく尋ねるエドワードを無視して、マスタングは先へと進む。 その歩の先に、あの少女がいた。
「マスタング殿。先ほどの采配、とても見事でした」
ん? とエドワードは首を傾げる。
目の前の少女は、先ほど同じく、赤い目をしたエレーナと呼ばれていた少女のはずなのに、先ほどとはずいぶん印象が違う。
「お褒めに預かり、光栄です」
とマスタングは敬礼する。ゆったりと椅子に腰をかけた彼女の顔はひどく蒼白かったけれども、紅い双眸だけは射るような威圧感があった。
長い黒髪をなびかせながら、威圧するような、しかし柔らかな微笑みを浮かべたエレーナは、マスタング、エドワード、そしてウィンリィをまっすぐに見つめた。青白い顔ながらも放つこの覇気はなんだろうか。威厳とも言うべきか。さきほどは意識を取り戻した直後で弱っていたのか? とエドワードは思う。
「それで、そちらが、ハンスを助けてくれたお嬢さん?」
ぴくん、とウィンリィの身体が撥ねた。ウィンリィは慣れない空気に酷く緊張した表情を浮かべている。
「本当に有難う。お礼が言いたくて。……よろしければ、路線が復旧するまで私のところにおいでくださいませんか?」
「え」
ウィンリィは驚いたように目を丸く見開く。彼女の反応を見ながらもエレーナは淀み泣く言葉を続けた。
「四、五日ほどと聞きますし、ぜひ、私のところへお招きしたいのです。ああ、マスタング殿も一緒に。ぜひ、お礼がしたいのです。宰相代理の命の恩人として」
あの人が宰相代理!? とウィンリィは内心驚く。
「ね。構わないわね? サラム?」
少女の脇に控えるようにして立つ男が、ゆっくりと首を縦に振る。
いや、そんな気を遣わなくても……とエドワードとウィンリィが言いそうになるのを、引き止めたのはマスタングだった。
「それはなんとも身に余る光栄です。この二人も喜んでお供します」
なんでそーなる!? と慌てるエドワードとウィンリィを尻目に、さらりとマスタングが快諾した。
マスタングの目が、私に任せておけ、と言っている。ムッとして、エドワードは何も言えなくなった。そう、自分は今、この男の指揮下に入っているのだ。
納得いかないまま口を横一文字に引き結んでいると、ふと視線を感じてエドワードは顔を上げた。
見れば、エレーナの側に控えるサラムと呼ばれた男が、じっとこちらを見ている。歳はマスタングよりもさらに五、六歳くらい上だろうか。短い銀髪にすらりとのびる細身の体躯、そして色の悪い蒼白の顔に、血の色をした紅い双眸がこちらを睨むように見ていた。(……なんだ?)
エドワードは眉をしかめて、睨み返す。その視線は、歓迎ムードのエレーナとはひどく対照的な色をしていた。まるで、敵意を剥き出しだ。
そうこうしているうちに、マスタングに引っ張られて、特等車を出た。
「なんであの女の家に泊まることになったんだよ!?」
エドワードは戻った席でマスタングに詰め寄る。
「オレはともかく……ウィンリィは関係ないぞっ」
やれやれとマスタングは軽く首を振る。
「外交というものを知らないのか? 鋼の錬金術師。あの方がそれを望んだ。断る理由はない。だから承諾した」
「理由ならある」
エドワードは、わざわざ自分を銘で呼んだマスタングを睨みつける。
「これが軍務なら、ウィンリィは関係ない。ウィンリィは軍属じゃないからな」
「え、エド……」
ウィンリィは困ったように、息巻く幼馴染を制止する。
「あたし、別にいいよ。まぁ、ちょっと、ビックリしたけどさ」
えへへ、と暢気に笑う幼馴染を見て、エドワードはため息をついた。
「おまえ……まさか、オルドールへいけるって喜んでるんじゃないだろーな……」
そ、そんなことないわよぅ〜とウィンリィは苦笑いを浮かべる。
「どうせオールトに行けないなら、オルドールで観光ってのも……」
「観光じゃねーよっ!」
「い、いいじゃない。どっちにしろここから出れないなら、人助けして宿代がチャラになったってことで〜」
そういう問題かよ! とエドワードは怒鳴りたくなる。そういうことじゃなくてだな〜とエドワードは苛々しながら横目でマスタングを睨む。当のマスタングはこの流れに非常に満足そうな笑みを浮かべている。
「ん? どうした鋼の。彼女もああ言ってることだし、素直に従いなさい。「彼女」の意見を尊重することも男として立派な務めだぞ?」
彼女じゃねーっ!! というエドワードの怒声はさらりと無視して、マスタングは顔を引き締めた。
「まぁ、冗談はおいといて。さっきの話の続きだが。」
「イシュヴァールを離反したとかなんとかっていう?」
アルフォンスが身を乗り出す。マスタングはうなずいた。
「そうだ。彼らはイシュヴァール戦争の直前、セントラルの人間と組んでイシュヴァールを離反した。お陰で彼らはそのほかのイシュヴァール人とは区別されて、普通住居としてオルドールを与えられて、ある程度の自治権を獲得してる」
マスタングの言葉を継ぐようにホークアイが続けた。
「エレーナ・ハイゼンベルクはそこの族長の娘。現在病に臥しているハイゼンベルクの族長に代わってセントラルとの内交関係などに奔走しているの。我々はその護衛として列車に乗り、事故に遭遇した」
「あれ?……それと、人攫いと、何の関係があるんだ?」
エドワードは冷静になりつつある頭の中で、ゆっくりと考えを組み立てていく。
腑に落ちない。
先ほどのサラムとかいう男の舐めるような視線は、憎悪に満ちていた気がする。
「察しがいいな。鋼の」
さすがだな、とにやりとマスタングは笑う。
「オルドールには……いや、あのエレーナ・ハイゼンベルクには、集団誘拐の嫌疑がかかっている」
ウィンリィは目を見開いた。信じられない、という風にマスタングを見つめる。驚愕の表情を浮かべるウィンリィを見て、エドワードはちくしょ、と心の中で呟いた。
……ウィンリィは関係ないのに、大佐の話を聞いてしまった。マスタングは言うだろう、もう関係なくはない、と。
「だから、言っただろう?」
マスタングはエドワードの想像のそのとおりに笑ってみせた。
「悔やむなら、己の運のなさを悔やめと」
軽く笑いながらそう言い渡すマスタングを、エドワードは睨みつけるしか術がない。
列車はガタガタと揺れながら、闇を切り裂くようにひた走る。そして、前方に見えはじめる駅へ向かって減速を始めた。
「ここは、裏切りの街だ」
ゆるゆると流れる景色のスピードが落ちていくのを見つめながら、マスタングはぽつりと続けた。
「アメストリスの人間でもなければ、イシュヴァール人でもない者たちの街」
何がいいたい? とエドワードはマスタングの言葉を待つ。精悍な黒色の瞳が、エドワードを睨むように捕らえた。マスタングの言葉は意味深に続けられた。
「………彼女をしっかりと守るんだな、鋼の」
その言葉が終わるか否か、列車はするりと静かに駅のホームに滑り込んだ。
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