Holy Ground -Please Kill me, and Kiss me-
01
空を切る風は鋭利に唸る。どこまでも迷いがない。その風に乗って、紙芝居の箱の中で入れ替わる絵のように、のどかな田園風景が次々と流れていく。
線路をひた走る列車に揺られながら、エドワードは何度目か知れないため息をついた。夏めいた温い空気がただひたすらに鬱陶しい。
先程からため息ばかり落としている兄を、弟のアルフォンスは首をかしげながら見つめた。タタン、タタンと一定調で揺れる汽車の木目床の上を、鎧と人型といういびつな組み合わせを象った影が滑る。
「兄さん………どうしたの?」
向かい合って座っている弟のほうは見向きもせず、エドワードはボソリと返事をした。
「………なんでもねぇよ」
そうかなぁ? とアルフォンスが言う前に、別の声が割り込む。
「お腹でも壊したんじゃないの。拾い食いでもして」
エドワードの額にピクリとひとつ青筋が立つ。
「……誰が拾い食いするかっつーのッ!」
あらこれは失礼、と言う声はまったく悪びれた素振りがなかった。謝っている風にはとても見えなかい。エドワードはわざとらしく大きなため息をつく。
「だいたいなぁ、……ウィンリィ!」
大きなため息をひとつついて、エドワードは隣に座る彼女……ウィンリィのほうに顔を向けた。
ビシッと人差し指を立てて、エドワードはこの道中において何度となく繰り返した問答をまたも繰り返す。
「なぁんでおまえがココにいるんだよっ!」
「……あら。耳まで豆粒並に聞こえが悪くなったの? さっき言ったじゃない」
青筋立てるエドワードとは打って変わって、ウィンリィは涼しい顔だ。空を切る汽車が舞い上げる乾いた風に、そよそよと波打つ長い髪は、真夏に満開になる向日葵のように艶やかな黄金色だ。煽られる髪を軽く手で押さえながら、ウィンリィはすました顔でエドワードを見返す。
「もう一回、その豆耳に言ってあげましょうか?」
ずいッと顔を近づける彼女に対して、エドワードは「げ!」と言いたげに顔を顰める。開け放たれた窓際へ身体をよじらせながら、せめてもの反撃とばかりにエドワードは吼えた。
「豆って言うなっ! それは関係ないだろがーーーッ!」
「はいはい、豆を豆と言って何が悪いんだか」
「なんだとテメッ!」
「はいはいはいはいそこまで、そこまで」
二人の間を割って入るように手を伸べたのはアルフォンスだ。まるで昔からの決り事のように、喧嘩を続ける二人の間を取り持つのはこの心優しきアルフォンスだった。それは、彼が鎧姿になった今でも変わることはない。
弟に諭されて、ふてくされたようにぷいっと横を向き、エドワードは窓の桟に肘をついたまま外の景色に目を向ける。
目の前では、穏やかな青空が広がり、次々と流れていた。絶え間ない景色の連続は、希望と同時に不安を煽る。敷かれた線路の上をひた走る汽車には必ず到着駅があるにもかかわらず、だ。先が見えているようで、見えない、そんな手探りの旅を、エドワードとアルフォンスは続けていた。その全ては、「目的」のため。
しかし、まさかその旅の途中で、「彼女」に出会うなんて思いもよらなかった。ここはリゼンブールとはだいぶ離れている。こんな偶然ってあるのか? しかも、隣に座る彼女は、いつもとは服装が違う。
もちろん、自分が里帰りするとき、彼女はいつも作業服を身にまとっていたし、それ以外の服を着ていることも見ていた。
しかし、なんだか違うのだ。やたらに綺麗に見えるのはなんでだ? 彼女は肩の出たワンピースは薄い桃色で、白い帽子をかぶっている。いくら暑いからって、そんな服装で機械鎧整備用の工具入れを持っているのはちょっと似合わない。
「つまりね、この先のオールトって街に住む人が、わざわざこのあたしを指名してきたってわけ」
「………わざわざ、お前を、ねぇ…」
若干毒を付けて呟いたのだが、そんなエドワードをウィンリィは華麗に無視する。
「でもね、ウィンリィ。最近、ここ物騒らしいんだよ」
アルフォンスが世間話でもするように話し出す。
「若い女の人ばかり狙った人攫い事件が多発しているんだ」
それは、今日汽車の中で買ったばかりの新聞から得た情報だった。家出の理由もない若い女ばかりが忽然と姿を消すという。
「だから、ウィンリィも気をつけないと」
しかし、親切なアルフォンスの忠告を、ウィンリィは「大丈夫、大丈夫、あたしは仕事なんだから」と何の根拠があるのか、底抜けの明るさであしらってみせた。
「それに、人攫いだかなんだか知らないけど、いざとなったらコレで追い払ってやるわよ」
と言いながら彼女がエドワードとアルフォンスに示して見せたのは、エドワードにとっては銀色の最強凶器だ。やーれやれ、とばかりにアルフォンスは軽く肩をすくめて兄のほうをちらりと伺う。しかし、エドワードは窓の外の景色をただひたすらに眺めていた。
聞き流すフリをしながら、聞き流せていないのがエドワードだった。顔は窓のほうへ向けたまま、それでもなんとなく視界の端っこに彼女のワンピースの裾をしっかり捉えている。彼はなんとなく面白くない気持ちだった。だいたいなんだ? とさっきから何度となく心の中で繰り返している。仕事って言うならなぁ、なんでそんな格好で出歩いてんだよ、と。
「で、あんた達はどこへ向かってるの?」
エドワードの気持ちなど露知らず。ウィンリィはきゅるんとした大きな青い瞳を瞬かせながら、二人に尋ねる。
「……べっつにぃ。おまえには関係ねーだろ」
アルフォンスが答える前に、それを遮るかのようにエドワードが口を開いた。やっと口を開いたかと思えばこの言い草だ。ムッ、とウィンリィは頬を膨らませる。
「何よ、その言い草。ねぇ、アル? なんでこの豆は、こんなに機嫌悪いわけ?」
「豆って言うな!」
すかさず飛ぶエドワードの反論に、アルフォンスはポリポリと鎧の頭を掻く。そんなこと、僕に聞かれても……とアルフォンスは応えようが無い。兄が不機嫌になる理由は思い当たらなかったが、そうなると、十中八九、この不機嫌はウィンリィ絡みなのだろう、とアルフォンスは思案する。が、それをここで言うのは得策ではない。
取り繕うようにアルフォンスは言った。
「ぼ、僕たちはこれからセントラルに戻るところなんだ」
アルフォンスの言葉を遮るようにエドワードが割り込む。
「……そ。セントラルに戻るから、お前とは途中でお別れだな!」
せーせーするぜ、とでも言わんばかりのエドワードに、アルフォンスはなぁんでそんな態度取るんだよぅ……、と鎧の中でこっそりため息を落とす。
セントラルへ向かうこの列車は、途中でオールトの街にも止まる。ウィンリィの目的地がそこなら、途中でお別れだ。
そう思い至って、なんとなくエドワードの胸によぎったのはすぅっとした寂しさだ。エドワードは、そんな自分の感覚に目をつぶる。
(まさか、こんなところで会うとは思わなかったぜ)
旅の途中で彼女のことを思い出すのはしょっちゅうだ。リゼンブールに帰る予定は今のところなかった。だから、いつもは想像だけに終始する彼女が、予想外のところで自分の目の前に現れて、エドワードはなんとなく落ち着かなかった。
(このまま、ずっとオールトの街に着かなければいいのに)
それを願うのは無理な話だし、自分にも弟にも予定はあることは分かりきっていたが、エドワードは感傷的な気分に陥ってしまう。 思うだけなら、自由なはずだ。しかし、隣の彼女はそんな自分には目もくれず、弟のアルフォンスと機械鎧に関する自慢話を始めている。おそらく話はよく判らないのであろう、アルフォンスは、それでもまじめに相槌を打っている。
(この機械オタが。人の気も知らないで!)
なぜだか判らないまま、だんだん不愉快になってきて、面白くない気持ち半分、からかい半分な気持ちでエドワードが口を開こうとしたその時だった。
「きゃッ!」
か細い悲鳴を上げたのはウィンリィだ。
「!」
周囲の乗客も同じように声を上げる。何が起こったのか一瞬わからなかった。ガタガタッと衝撃音が身を揺らす。座っていられないほどに身体を激しく揺すられ、天地がひっくり返ったかと頭が真っ白になる。衝突音とともに激しく視界は揺れ、あまりの激しい揺れに思わず身体をすくめ、目を閉じた。人影まばらな車内を、女子供の悲鳴が響く。
突如襲った衝撃にエドワードは驚くと同時に、その衝撃以上に、自分の身体に倒れこんできたウィンリィに動転していた。衝撃で窓の桟にがちんと頭をぶつけてしまう。しかし、そんなことよりも、悲鳴をあげて倒れ掛かってきた彼女のふんわりとした髪がちらつくことに動揺した。
しだれかかるハニーブロンド。自分の胸に押さえ付けられた彼女の華奢な掌。間近で聴こえてきそうな息づかい。エドワードにのしかかるように上体だけ倒れてきた彼女の身体は、掌で確かめなくても判るほどに柔らかかった。
(ヤバイ!)
エドワードは目を見開き、息をひとつ呑む。思わずその彼女の両腕を掴んでしまう。
(や、わらかっ!)
なんでそんな柔らかいんだっ? と疑問が頭の中に落ちたか否かの矢先、「兄さん!」という弟のひと声で、エドワードは我に返る。
「……大丈夫か」
ぷはっ、と息をひとつ吐いてから、おそるおそる尋ねてみた。彼女の両肩に手を添えて、ゆっくりと身体を離すように覗き込むと、彼女の髪がさらりとひと揺れして、こくりとうなずいたのが分かる。
どこも怪我してないみたいだ、とエドワードはほっと安堵する。さらにゆっくりと身体を起こし、彼女を椅子に座らせた。
「何が、あったんだ?」
気がつけば衝撃は収まっている。先ほどの激しい衝撃音が嘘のように、物音ひとつしない。
しかし、遠巻きには人々の悲鳴のような喧騒が聞こえてきており、それがどんどん近づいてくる。周りにいた乗客たちも、それに誘われるようにざわめき始め、不安の色を露わにしながらきょろきょろと辺りを見回している。
「爆発だ!」
唐突に、悲鳴にも似たその叫び声があたりを切り裂いた。
ざわめきはより一層大きくなり、乗客の顔に狂気にも似た混乱が奔り始める。エドワードはアルフォンスの顔を見た。険しい兄の表情に、アルフォンスは訝しげに鎧の頭をかしげる。そんなアルフォンスに、エドワードは鼻を抑える仕草をして見せた。
「においだ」
「え?」
鼻をつくのは、何かが焼け焦げるような臭い。
一瞬だが、ぱちりと何かが爆ぜる音を聞いたような気がした。
エドワードはウィンリィから身体を離すと、開け放っていた窓から身を乗り出す。止まった汽車の先頭車両の方向から煙があがっているのが見える。線路に沿うように伸びる汽車の車両の一部が、少しいびつにひしゃげてクネクネと蛇行を描いていた。
「出たほうがいい」
窓の外に乗り出した身体を引っ込めて、エドワードは険しい顔でぽつりと呟いた。
「うん」
頷くのはアルフォンスだ。
「行くぞ。……ウィンリィ、立てるか?」
ウィンリィは不安げに視線を泳がせた。先ほどまでふざけあっていたはずなのに、急に降って沸いた剣呑な感覚に身体がついていけない。しかし目の前には、手を差し出して立つエドワードがいた。
「……う、うん」
ためらいがちに伸びた彼女の手を、エドワードはぐいっと力強く引っ張る。
「急げ」
「エド……」
困惑したように、蒼い瞳を揺らすウィンリィに、エドワードは呟いた。
「とりあえず、何が起こったか確かめる。おまえも来い」
既に乗客の幾人かは、列車の扉を自力でこじ開け外へと逃げ出し始めている。車内にひとり残しておくのは不安だった。エドワードは片手にトランク、もう片手にウィンリィの手を引いて座席の間の通路を走り出す。その後をアルフォンスが続いた。
赤色のコートを翻して息一つ乱さずに前を行くエドワードに、ウィンリィは目を丸くする。
(はやい……)
引かれた手のさらに前を行く背中を見つめながら、こんな状況だというのに、ウィンリィは思わず顔がほころんでしまう。緊張していた。しかし、それでも緩やかに気持ちは落ち着いていく。大丈夫だ。エドがいるなら、大丈夫。
ウィンリィはなんとか気を持ち直して、息を乱しながらエドワードに必死についていく。
車外に出ると、そこは、汽車から逃げ出した乗客でごった返していた。
列車が止まったところは、ちょうど山々に囲まれた峡谷にあり、切り立った山肌が寒々しくそびえている。
「何が……」
エドワードが何かを言う前に、また地響きが走る。人々の悲鳴と混乱の叫びがあがる。
「兄さん、あれっ!」
アルフォンスが指さす方向を見て、エドワードは目を見張る。
「トンネルが……!」
汽車の車両の一部はクネクネとひしゃげて、線路から部分的に脱線しながら止まっている。その汽車のずっと先頭方向に煙があがっていた。煙の元に目を移せば、山腹で真っ黒い口を開けているようなトンネルの入り口があった。
しかし、トンネルは汽車の一部を飲み込んで崩れてしまっている。なんだありゃあ、とエドワードが声をあげようとした矢先だった。
「あっ!……ちょっと待て! ウィンリィ!」
エドワードの手を握っていたウィンリィが突如として走り出したのだ。
爆破の衝撃で先頭車両はひしゃげ、線路から脱線している。トンネルの壁を守っていたのであろう岩盤が崩れた衝撃で跡形もなく潰れているのが分かる。煙の元はその先頭車両から燃え上がっている赤い炎だ。
そこへ向かって、ハニィブロンドが揺れる。
「あんのバカっ!」
「に、兄さんっ!?」
エドワードは荷物をアルフォンスに投げ出して、ウィンリィの後を追う。
全速力で駆けるウィンリィには、潰れた先頭車両の後方出入口に、人の腕が投げ出されているのが遠目に見えたのだ。思わず身体が動いてしまっていた。
「大丈夫ですか……っ?」
混乱と悲鳴と怒号が飛び交う中で、ウィンリィは声を張り上げる。声を張り上げながら、ウィンリィは顔をしかめた。空気を焼くような圧倒的な熱気にむせそうになったのだ。
しかしなりふり構っていられなかった。。腕の主は、入口までもう少しという所の床にうつぶせに倒れていた。線路の上に車輪が乗り上げた汽車にウィンリィはよじ登ろうとしながら必死に声をかけた。
ウィンリィの何度かの声に、倒れた腕はぴくりと動き、低いうめき声が返ってくる。
「れ、レナを……」
なんとかウィンリィがよじ登ると、ぎしりと嫌な音を立てて、列車は不安定に揺れた。ウィンリィは息をひとつ呑む。車内に踏み入れた途端に、全身からじわりと汗が滲むような感覚に襲われた。
(あつい……)
炎だ。ようやくそれを身体で理解した。焼けたような空気が肺を侵食するような感覚に一瞬ひるみながらも、ウィンリィは倒れている腕の主に近づく。
「大丈夫!?」
「…な…を…」
うつぶせになった背中が動いて、ぶるぶると震えながら起き上がろうとする。ウィンリィは駆け寄って腕を貸そうとした。
「れ……な」
「え?」
身体をなんとか起こし、レナ、と呟いた男が、ウィンリィのほうを真っ直ぐに見てきた。見つめられて、ウィンリィは一瞬ギクリとする。その男の目の色を見て。
(……イシュヴァール人?)
しかし、躊躇した心をウィンリィ自身が責める暇もなく、男がなおも声を上げる。
「レナを、探してくれ。早く……」
「レナ?」
「一緒に居たはず……まだ車内に……」
「でも……」
ウィンリィはゆるゆると事態の深刻さに心臓が急くのを自覚する。
男の酷い怪我を見て、身体がこわばっていく。
「でも、あなたも、酷い怪我をしてるわ……っ。外に……」
しかし男はウィンリィの言を激しい勢いで遮った。
「レナが……先だッ…! お願いだ!……は、やく…っ」
そう言いながら、男はウィンリィを振り払うように身をもがく。男が床を這ってでも車内に戻ろうとしていると分かって、ウィンリィは必死で男の腕を掴んだ。
「れ、れな、さんね。わ、分かったから! おねがい、おとなしくして!」
ウィンリィは不安定に揺れる車内を振り向いた。男が倒れていた場所は、出入り口に程近いステップだ。そのすぐ奥に車内に続く扉が半開きになっていた。
意を決して、ウィンリィはその扉を全開にする。一気に飛び込んできたのは灰白い煙だった。燃え上がる火の手は近い。煙が目や喉を焼くのを感じて、ウィンリィは思わず口を手で覆う。しゃがみながら、車内へ向かって声を張り上げた。
「レナさん! いませんか? レナさんっ!!」
「……ウィンリィッ!!」
ようやく追いついたエドワードは、出入口近いステップの中を見渡してぎょっと竦む。男が倒れていた。真っ赤な血の海に顔を横たえている。しかし、ウィンリィの姿はない。
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