小説「I do」
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【2】






「もう、びっくりさせないでよ」

「それはこっちの台詞よ、アル」

急に帰ってきたからびっくりしちゃった、
というウィンリィの声は、明るい。

昼下がりのリゼンブール、ロックベル家。
ウィンリィは四人分のお茶を用意している。

「クルスちゃん、お茶にしよ?」

ウィンリィの呼び掛けに、
手元の造花に目を落としていた少女は、
顔をあげて嬉しそうに頷く。

整備室の隣では、
湯気のたつティーカップの前にすでに
エドワードとアルフォンスが陣取っている。

「結婚式ていうからさ、ボクてっきり……」

アルフォンスはそう言いながら、
隣でウィンリィの用意したアップルパイに手を伸ばそうとしている兄に、
ちらりと目をやる。

「……なんだよ?」

弟の視線を感じたのか、
エドワードは隣のアルフォンスを見返した。

「……べっつにぃ〜?」

アルフォンスは意味ありげに目を細めてみせると、
兄に倣うようにテーブルの真ん中に置かれたアップルパイの皿に
手を伸ばす。

急にリゼンブールに帰ろうと言い出した兄にそんな理由があったのか!?と心底驚いたからだ。
「結婚式があるのよ」と言われた瞬間に。

「まさか、お祭りのこととはね」

アルフォンスは苦笑混じりに、誤解させてくれた少女をみやる。

「本当、びっくりしたよ。
……まさかウィンリィが……!?ってね。……ねぇ、兄さん?」

しかしエドワードは
憮然とした表情で黙ったままアップルパイを頬張る。

「ちょっとぉ!何?そのアルの言い草!」

対してウィンリィは軽く眉を吊り上げて、幼なじみをたしなめる。

「だって、ウィンリィの相手は、にぃ……」
「おかわり」

アルフォンスの言葉を遮るように、
エドワードはウィンリィにずいっと空になったカップを突き出す。

「……ホットミルクはいかが?」

ウィンリィは悪戯っぽい笑みを柔らかく浮かべながら、
牛乳嫌いの男にわざときいてみる。

「冗談だろ」

しかし既にウィンリィは、
答えを待たずにまだ温かいティーポットに手を伸ばす。
カップに湯気を立ち上らせながら紅茶が注がれていくのに、
どこか安心しながら、へ、とエドワードは薄く笑った。

「牛乳飲まなくても、おまえ追い抜いたし?」
「ボクの身体が元に戻ったら、
兄さんたらあっという間に身長伸びちゃったもんね」

まぁ、ボクはもっと伸びたけど、
と言葉を付け足すアルフォンスに、
うるせぇな、とエドワードは口を不服そうにへの字に曲げた。

「だからさ……」

アルフォンスは
カップを手渡すウィンリィと受け取る兄、
両人をみながらさらりと言った。

「二人は結婚しないの?」
「っぅあッちぃッ!?」


頓狂な声をあげるのはエドワードだ。
手にしたティーカップから紅茶を零してしまう。

「きゃ!気をつけてよ!」

それに対して眉を吊り上げて怒った声をあげたのはウィンリィ。

「イキナリ何言い出し……」
ウィンリィの怒声を尻目に
エドワードは弟のほうをこれ以上ない勢いで向く。

「おにいちゃん、かお、まっか!」

少女がエドワードを指差してけらけら笑う。
そんな彼女をぎりっとエドワードがねめつけるように睨むと、
はいはい、大人気ないよと
アルフォンスは兄をたしなめる。

「お前が変なこと言うから…!」
怖いほど顔を赤くさせたエドワードが
アルフォンスに掴みかかろうとする前に、
彼の顔にべちっと飛んで張り付いたのは一枚の冷たいタオルだ。

「ってぇ…!てめ!ウィンリィ!」

なにすんだ!と
顔にはりついたタオルを引き剥がすエドワード。
しかしウィンリィは彼の剣幕などどこ吹く風だ。

「手!冷やして!」

お茶は熱いままだった。
手にかかったそれのせいで火傷をしたかもしれない。

タオルを投げて寄越したウィンリィの顔が
どこか頑なな表情を固持していて、
どこか不安を押し隠したように揺れるその青の眼差しに
エドワードの剣幕は一気に消沈する。

「…大丈夫だよ」
ほれ、とお茶のかかった手を示すエドワード。
彼の左手は赤くはなっていない。

ウィンリィはそんな彼を見つめて、
ようやくほっとしたような緩んだ表情を見せた。
しかし、それさえも慌てて押し隠すように
別に、と言葉を慌てて付け足す。

「……お、機械鎧が錆びたらイヤだから、
ちゃんと拭いてよね」

紅茶はあちこちに飛び散ってしまって、
エドワードの服やテーブルにまで幾つかの丸い染みを作っている。

「服も拭いて。染みになるでしょ」
「あーはいはい」
「テーブルも!アンタが汚したんだから!」
「わかったわかった」

やれやれ、とアルフォンスは肩をすくめる。

「訊いたボクが間違いだったよ」
「………だから、ナニが!」

ウィンリィに言われるままに
渡されたタオルでテーブルまで拭き出したエドワードが
弟を睨みつけるように怒鳴る。

「わかってんじゃないの」
「わかんねぇよ!」

やれやれ、とアルフォンスは肩をすくめて
それ以上兄には何も言わない。

アップルパイに手を伸ばそうとすると、
最後の一切れだった。

「あ!オレの分!」
エドワードが慌てたような声をあげる。
ウィンリィが呆れたような顔をする。

「エド、さっき食べてたじゃない。3枚も!」
見てたのかよ、とエドワードは一瞬慌てたように
ウィンリィをみる。
しかし、どこか顔の赤い彼はすぐに眼をそらした。

「…んなもん、覚えてねぇよ。…アル、じゃんけんだ」
「えー!兄さん、ボクより2枚は多く食べてたと思うけど」

不満そうに口を尖らせてみるものの、
アルフォンスはどこか楽しげに笑ってみせる。
手にした一切れのアップルパイと兄の顔を、
どうしようかなぁとばかりに見比べる。

「あんなに食べてたのに。兄さんの欲張り」
「しょうがねぇだろ!美味いんだから!」
「ふぅん」

やれやれ、とアルフォンスはまた肩をすくめた。
もう何度目だろう。

ウィンリィをちらりとみやる。

「…だって。ウィンリィ?」
よかったね、とアルフォンスが笑うと、ウィンリィは慌てたように目をそらす。

なにがだ、と言い掛けたエドワードの顔が
またみるみる赤くなっていく。
自分が思わず言ってしまった本音を、当の本人がばっちり聞いてしまっているという状況に。

「てめ!……やっぱそれはオレのもんだ!」
収拾がつかなくなったのか、顔赤いままやっぱりアップルパイに手を伸ばして
奪おうとするエドワードに逃げようとするアルフォンス。

なにやってんだかと、
ウィンリィは若干頬を赤らめながら、
そんな幼馴染の兄弟を眺めた。

二人が旅を始めてから、
二人が色々なものを取り戻してから、
何年もたったというのに、
どこか変わらない光景がそこにあり、
それにほっと安堵しながら、
同時に妙な違和感を覚えながら、
しかしウィンリィも笑みを零す。零さずにはいられない。



「で、アンタたち。なんでまた急に?」


アップルパイは結局アルフォンスの腹に収まってしまった。
不貞腐れるエドワードを尻目に
二人が急に帰ってきた理由をまだ訊いてなかった気がする、と
ウィンリィは思い出す。
帰ってくるのに理由など要らない。
しかしあまりに急すぎた。
二人は今はセントラルにいてそこで働いているはずなのに。

織り成される日常と、
ちょっと異なったことがあるとやはり不安で、
ウィンリィは答えを待つように
紅茶をすするアルフォンスをちらりと見上げる。


「それ、ボクも訊きたかったんだよね」

アルフォンスの答えはウィンリィには予想できなかったことだった。

「どういう意味?」

ぽかんとするウィンリィにアルフォンスはそのままの意味、と答える。


「で。どうして帰ってこようと思ったの。
兄さん?」


アルフォンスの視線の先には
不貞腐れたようにして
テーブルに突っ伏す兄がいる。






2006.8.30 up




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