小説「I do」
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【3】





「で。本当のところ、何で帰ってこようと思ったのさ?」

ロックベル家の一室で、
本棚に手をのばす兄の背中に、
アルフォンスは声をかける。
しかし、エドワードは何の反応もなしだ。
開け放った扉に寄り掛かるようにして、
アルフォンスは兄の背中を見つめた。

「この本棚に、兄さんが探している本があるなんて、
今日ここに来て初めて知ったよ、ボク」
「…………」

エドワードは顔をしかめる。
しかし、その表情はどこか気まずそうだ。
押し黙ったまま、
部屋の壁ぎわに敷き詰められた本を引っ張り出して床に置いていく。
積み上げられていく本の種類はいたって秩序がない。

ロックベル家のその一室は、
二人の兄弟の私物が置かれている場所だった。
旅の最中、何度かの帰郷を経て持ち込まれていったそれらは、
いつの間にかその部屋にひっそりと留め置かれるようになっていた。
二人はその部屋がもともとは何に使われていたのか知らなかったが、
いつの間にかそこは、二人が帰郷した際の滞在場所となっている。

「兄さん?聞いてるの?」

押し黙ったままの兄の背中に、どこかあきれたような声を投げつつ、
アルフォンスはやれやれとばかりに大きなため息をついた。

「そんなメチャクチャにしてさ。あとでちゃんと元に戻しておいてよね。
……ボクは片付けないから」
うるせぇな、わかってるよ!とエドワードが言い掛けた時だった。


「エドー!」


階下から声が響く。
ウィンリィの声だ。
なんだ?とエドワードは首を小さく傾げる。
さぁ?とアルフォンスは言葉の代わりに肩をすくめてみせた。
エドワードはとりあえず重い腰をあげる。
気まずそうに口をへの字に結んだ彼は、
アルフォンスには目をあわせようとせずに、
無言でその脇をすりぬける。
階段をとんとんと降りていく足音を背中で聞きながら、
アルフォンスはもう一度ため息をついた。
部屋に散乱した本の山を前にして、
十中八九これは自分が片付けることになるだろうと思うと
ため息の一つでもつきたくなる。
まったく、とアルフォンスはぽつんとひとりごとのように言った。

「……世話の焼ける兄さん」



*



「なんでオレが?」
心底面倒くさいとでもいわんばかりの表情を
エドワードは微塵も隠さない。
「いいじゃない、へるもんじゃないし」
ウィンリィはあっさりと言葉を返す。

一階のロックベル家の診察待合室には、
どう見繕っても義肢装具屋の客とは思えない面々が顔を並べている。
エドじゃないか、という声に、エドワードは面倒そうに肩をすくめた。
「なにかあるのか?みんな集まって」
「さっき聞いてたでしょ」
「何が?」
ウィンリィの手にはあの白い布片が握り締められたままだ。
縫い物の続きをしているのだろう。
それに、どこか心穏やかでないものをちりちりと覚えつつ、
エドワードはなおも口をへの字に引き結ぶ。
ウィンリィも負けじと唇を尖らせる。

「明日、お祭りがあるって言ったじゃない。
聞いてたでしょ」
「そうだったっけか?」
「その準備を外でやってるんだけど、人手が足りないっていうから、
アンタがいるよって話をしてたとこ」
「は?」
めんどくせぇ、とエドワードは眉を顰める。

ウィンリィの隣で示し合わせたように何やら視線を引き合わせた男が、
いいんじゃん、と笑った。

「お前、国家錬金術師やめて、暇なんだろ?」
「……暇じゃねぇっての」

いま何してんだ?と問い掛けてきたのは
日によく焼けた同じ年くらいの男だ。

「……中央で雑用やらされてるよ。
…錬金術師だし、その手の資料整理とか、いろいろ」
「政府がかわっちまったもんなぁ……やっぱまだ大変なのか」
「……まぁな。いろいろと。……借りもあるし……」

思い出して、エドワードは憮然とした表情を浮かべる。
何かにつけては中央でいろいろとこき使ってくれる
あの嫌味なロイのことを思い出したのだ。
そしてついでに、中央からここに今日帰ってきた直接的な理由も。

「てっきり、祭りの日に合わせて里帰りか?
って話してたとこなんだよ。
おまえら兄弟、滅多に秋祭りなんてでられないだろ?」

年に一度の収穫祭に、
エドワードはこれまで数えるほどしか出たことがなかった。

「まぁ、忙しいならしょうがないよな」
そう言って肩をすくめた男は、
口を開くと零れる白い歯と色黒の顔が対照的だ。
同じリセンブールの学校に通ったはずなのだが、
エドワードはその男の名前が思い出せない。
誰だったっけ、と頭を巡らせているところを、
忙しくないわよ、とウィンリィの声が邪魔をする。

「明日なんだから、少しは手伝ってくれてもいいでしょ。
アンタ、いちおう錬金術師だし、どうせ暇なんだろうし」

だ、か、ら!とエドワードは眉根を険しく寄せてウィンリィをにらむ。
暇じゃねぇっての!と言い掛けたが、ふと彼は口をつぐんだ。
「……なによ?」
急に黙りこくった彼が、
まじまじと自分の顔を上から見つめてくることに気付いて、
ウィンリィもまた訝しげに眉間に皺を寄せる。
「……な」

彼女の空色の瞳がまるく見開かれる。

唇をきゅっと引き結んだエドワードが
つかつかとウィンリィに近づいてきたからだ。

「……おまえ」

半歩ほどの距離まで近づかれて、
彼がじっと見下ろしてくる。

なんなのだ、自分の顔に何かついているのだろうか、
と慌てるウィンリィに、おもむろに手が伸びてくる。

「……っ!」
思わず肩をすくめて目をぎゅっと瞑ったウィンリィの額に
ふわっとあてられたのは、ひやりと冷たい彼の右のてのひら。

「……大丈夫か…?なんか、熱っぽくねぇ?」
「…………」

おそるおそるウィンリィが顔をあげると、
ほど近いところにエドワードの顔がある。
ウィンリィのどこか濡れたように揺れる瞳を覗き込みながら、
エドワードはなおも言葉を続けようとする。
顔も赤いし……、と言いいながら、
左手はウィンリィの額にひたりとあてたままだ。
「おい……?」
みるみる頬の赤みがさらに増していくウィンリィに
さらに不審そうにエドワードが眉をひそめながら顔を近付けたときだった。

「ヤ……」

耐えられずにウィンリィは彼を押し退ける。

「え」

一瞬何が起こったのか理解が追い付かずに、
エドワードは目を丸くする。
しかし、避けられた?と思い至るよりも前に、ハタと我に返っていた。
痛く感じるのは周りの意味ありげな視線だ。
ウィンリィの横に立っていた男も、
エドワードの突然の行動に呆気にとられながらも、
何か含みをもたせた笑みをにやりと浮かべる。
エドワードのてのひらはウィンリィの額にあてがわれたまま。
知らず知らずのうちに顔が赤くなっていくのを
エドワードは成す術もなくただ自覚する。

「〜〜っ!!」

衆目を前にして、慌ててウィンリィから手を離す。しかし既に遅い。

「…お前らってさぁ…………」
誰かが言い掛けた言葉を遮るように、
エドワードは慌てた口調でわかったよ!と叫ぶ。

「わかった!わかった!手伝えばいいんだろ!手伝えば!」
顔の赤い彼は、ウィンリィから視線を外すと、
彼女の横に立つ男を切り込むように睨み付ける。
何かを言いたげな男のにやけた顔をねめつけるように一瞥すると、
行くぞとばかりにくるりとウィンリィに背を向ける。

なんなんだ、とばかりに周囲の人間は
部屋を出ていこうとするエドワードと
顔を赤くしたまま固まっているウィンリィとを見比べる。

診察室の出入口まで歩を進めたエドワードは
おもむろにくるりとウィンリィを振り返った。

「具合悪いなら」
「え」

ウィンリィとエドワードの視線が、衆前でカチリとぶつかる。

白い布切れを握り締めたままつっ立っている彼女を一瞥した金色の眼差しは
視線のやり場をなくしたように床の上に斜めに落ちていく。
どこか頬に朱がさした彼は、それでも精一杯声を抑え、
努めてぶっきらぼうに言い捨てた。

「そんなのアルにでもやらせて、寝てろ。バカ」

む、とウィンリィは唇を尖らせる。
「バカとは何よ、バカとは!」
「うるせぇ!バーカ!バーカ!」

そういい捨てて、くるりと背中を向けた彼は出て行く。
そんな様子を肩をすくめて見送った面々は
ぞろぞろと彼についていくように診察室をあとにしていく。

「……なによあれ」

(……なにも、…知らない、くせに)
不意に胸をついた感情を、口にすることは踏み止まった。

誰にともなく呟いた声が、部屋にぽつんと落ちる。
しかし答えられる者は誰もいない。


「ウィンリィおねえちゃん」
急に人が引けた待合室で、
服の裾をくいっと引っ張るのは、造花をつくりあげたクルスだった。
祭り前の昼下がり、
ロックベル義肢装具屋には
とても穏やかな時間が静かに流れていく。

ウィンリィに完成した花を渡すと、
次はなにをする?とクルスが見上げてくる。
そうね、とウィンリィは笑おうとした。
しかし、ふと固まった表情を、
ふいと窓の外へと向ける。
開け放たれた待合室の窓からは秋の風がそよいでいて、
ウィンリィの視線の先に、
小さくなっていく人だかりが見えた。
その中に、彼がいるはずだ。

急に帰ってきた彼。
まるで直感でも働いたように。

ウィンリィはきゅっと眉根を寄せた。
手にした作りかけの白いドレスを痕が着くほど強く握り締める。



「……バレてんのかしら」


ぽつんと呟いた言葉に、答える者はやはり誰もいない。



(続)


2006.09.22up





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