小説「Choice」
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chapter13




「で、彼らの足取りはつかめないのかね?」


窓の外を眺めていた男は、
座っている回転椅子の音をぎぃっと言わせた。
それを軋ませながら、男はくるりと体ごと振り向く。
振り向いたその男は、隻眼だった。

申し訳ありません、と敬礼するのは、
マスタング大佐である。

広い机にふんぞり返るようにして座るその男の名は、キング・ブラッドレイ。
この国の最高権力者である。

「各国境に検問も張りまして、全力で捜査しておりますが」

どこにも、とマスタングは言い含めるようにそう言った。

ブラッドレイは、そうか、とゆっくりと頷いて、
引き続きよろしく頼む、と言葉を言い置く。

了解しました、と敬礼して、マスタングは部屋を出て行く。
それを見守っていたブラッドレイの細い右目は、
マスタングがドアの向こうに消えるのを確認した途端、
鋭い眼光を帯びながら薄く開く。

明るい日差しがまばゆく飛び込んでくる窓のカーテンを勢い良く引いて、
ブラッドレイは立ち上がった。
ゆっくりとした足取りで、
執務室と隣接する別部屋へと続くドアのノブに手を掛ける。


「お聞きの通りです」

その部屋の奥には、ゆったりと構えるようにして足を組み、
豪華な装丁の椅子に座る男がひとりいる。
金髪に金色の眼。眼鏡の奥から鋭く刺すように光る眼光。

「彼らはまだ見つかりません」

ブラッドレイの言葉に、その男はそれでいい、と静かに答える。
ブラッドレイは表情をひとつも変えずに、しかし、と言葉を続ける。

「よろしいのですか。…ご子息二人も」

いいんだ、と言うその男の名は、ヴァン・ホーエンハイム。

「東の石を手に入れた。十分すぎる収穫だ」
ブラッドレイは、ホーエンハイムの前に広げられた黒い布地に目を落とす。
正確には、その真ん中でまばゆく光る紅い石を。

アメストリスにはふたつの世界がある。
表向きは、軍に覇権を牛耳られた中央集権国家。
そしてその水面下に暗躍するのは、
伝説の石と世界の真理をその手に握る錬金術師が一人。
マフィアの顔を見せながら、その影響力を緩急自在に使ってこの国を牛耳っている。

ホーエンハイムの瞳に、その赤はまばゆく揺れながら映る。

あいつも錬金術師なら、とホーエンハイムは続けた。

「いずれ、いやでも会うことになるよ」


そういい置いて、
ホーエンハイムはゆっくりとその石を黒布に包んだ。






一方。
夜の闇に点々と明かりが灯る頃、
とある街のとある宿屋の一室では、
その捜索の対象である三人が顔を揃えていた。
「いいぃいてててて…」
「情けない声、出さないでよ」
「しょーがねぇだろ。痛いんだから」
「はー…、少しは我慢しなさいよ、男のくせに」
「うるせぇな!お前だって女のくせに
もう少し労りってもんがねぇのかよ」

なんですってー!と
言い合いが始まりそうになったのを見計らい、
まぁまぁ、と仲裁に入るのはアルフォンスだ。


エドワード達はまだ国内にいた。
ホテルから逃げ出したエドワードとウィンリィは
アルフォンスの運転する車で一路セントラル郊外へと向かった。
追っ手はすぐに来たけれども、
アルフォンスの機転で仲良くなれたこの宿屋の女主人のおかげで、
匿われる形になっている。
話題性たっぷりに、爽やかに会話をとりもつアルフォンスに、
宿屋の女主人はもうぞっこんだ。
そんな弟を、兄であるエドワードは複雑な気分で見ていた。
しかし、今はそんなアルフォンスの機転のおかげで隠れ場を確保できている。
それは感謝すべきことなのかもしれない。

ベッド上でエドワードはウィンリィの手当てを受けていた。
肩の傷はかすり傷だったけれども、結構な量の出血だった。
宿屋から貰った包帯やら傷薬を使って、
ウィンリィが手当てを施しているのだが、
その手つきはとても手馴れたものだった。
どうしてかと聞けば、そういう勉強をしていたのだとウィンリィは言う。
へぇ、とエドワードとアルフォンスはそろいの相槌を打った。

「で、これからどうするの」

話題が途切れたところで、アルフォンスは本題に入る。
ぽつんと沈黙が落ちたが、破られるのも早かった。

「…賢者の石を、探す」
エドワードはゆっくりと言った。
「リンは、偽物であるはずがないって言っていた。
あれの真意はつかめないけれど…」

エドワードは身体を起こして、はだけたシャツを軽く肩に羽織る。

「あの石は偽物でも、本物はどこかにあるかもしれない。
資料を探しつつ手がかりを調べて」
アルフォンスはそんな兄を見ながら、資金はどうする?と静かに聴く。
「そりゃあ、お前…」
エドワードは両の手の平をあわせる。
あわせた手を、シャツの破れた部分にひたりとあてた。

「…コレで稼ぐ。」

くすっと、アルフォンスは笑った。
「…それじゃあ、今までと大して変わらないじゃないか」
そうか?とエドワードは聞き返す。

「でも。…少なくとも、自分で考えて自分で行動できるぜ」
エドワードがいいたいところをアルフォンスは自然に理解する。
そうだね、とアルフォンスは静かに頷いた。

「僕は前も言った通り……兄さんひとりじゃ危なっかしいから」
だから、ついてくよ、とアルフォンスは笑った。

で、ウィンリィは?と、アルフォンスは兄の隣に座る彼女に目をやる。
そして、あぁ、そうだ、とアルフォンスは思いついたように立ち上がる。

「アル…?」
ぽかんとするエドワードをよそに、
アルフォンスはにっこりと笑む。

「僕は席を外したほうがよさそうだし。二人だけで話ししてよ」
お邪魔虫は消えるね、とアルフォンスは爽やかな笑顔を浮かべながら
部屋を出て行こうとする。
「おい、お前…」
エドワードは何か言いかけようとしたが、
ドアノブに手をかけて出て行こうとするアルフォンスは
ああそういえば、と思い出したように後ろを振り返った。
「ウィンリィ」
あっけに取られた様子でアルフォンスを見ていたウィンリィは
唐突に呼ばれて少し驚いたようにぴくっと体を震わせる。

アルフォンスは爽やかに言った。
「ウィンリィは、
言葉では嫌っていうくせに体はそう言ってない…って、
……兄さんが言ってたよ」

それじゃあ、とアルフォンスは笑いながら扉を閉める。
おま…それは曲解しすぎだろ!とエドワードは慌てて言ったが
扉は音を立てて閉まった。
後に残るのは、顔を真っ赤にさせてフルフルと身体を震わせているウィンリィだ。

「あーなんだその…」
たじたじになりながら、
エドワードが何か言う前に、ウィンリィの怒声が部屋に響いた。
「あんたアルになんてコト言ってるのよー!!」
「いって!…誤解だ!」
「馬鹿!」


つかみかかってくるウィンリィの腕を、
エドワードはなんとか捕まえる。

「まてまて!ホント、誤解だって!」
ウィンリィの顔は熟れた林檎のように真っ赤だ。
泣きそうになるほどに顔を歪ませている彼女を前にして、
アルのやつ〜!とエドワードは弟を恨めしく思う。

不意に、ウィンリィの腕の力が緩んで、
エドワードはほっと息をつく。

振り上げられたウィンリィの腕は、力なく下に降ろされる。
それを掴んだまま、エドワードはウィンリィの顔を覗き込もうとした。

「…不安?」
下を向いたウィンリィの顔色は見えない。
しかし、ゆっくりと頭が揺れて、頷く仕草を見せる。
そりゃそうだろうな、とエドワードは息をついた。

「…前も言ったけど」
「………」
「…なんとかするって、言っただろ。」
あの時、ウィンリィはその言葉を拒絶したけれど。
また、なんとかするから。

「あてに、ならない」
はぁ、とエドワードは肩を落とした。
「お前な、あの時もそう言ってたけど」
エドワードは、向かい合うようにして座っているウィンリィの顔を
ゆっくりとあげさせる。

「今、なんとかなってるじゃねーか」
あげさせた顔から覗く青い瞳は不安そうに揺れている。
「…アンタのその無計画性っていうか」
「無計画じゃねーよ」
「じゃなくても。…そのなんとかなるって…やっぱ怖い」
そりゃそうか、とエドワードは思い直してから、
じゃあ、信用されるように頑張るよ、と小さく言った。
ウィンリィの形良い顎を指先でとらえながら、
ゆっくりと顔を近づける。
「…信用されるように、なんとかを積み重ねて。」
「うん」
「道。つくる」
「ん」


言葉を封じ込めるように、エドワードはキスをする。
受け止めるように目を閉じるウィンリィの腕は、それでもやはり震えていた。

やりなおそっか。
唇を離してから、エドワードは小さく言った。
何を、とウィンリィが聞く前に、
エドワードは囁くようにその言葉を言う。
そして、ウィンリィの手をゆっくりととった。
右の薬指には、紅い石を失ったリングの残骸がまだはめられたままだ。
それをゆっくりとはずして、エドワードはそれを床に落とす。
かつん、と乾いた音が、ひたすら静かな部屋に大きく響いた。

電気消して、というウィンリィの声にこのままでいいだろ、
とエドワードは答えるが、彼女は否と言う。
しょうがない、とエドワードは言われた通りにする。
しかし、明かりの消えた部屋に、まるで代わりのように差し込むのは
淡く優しい月の光だ。


リングを外した指にまずひとつキスを落とした。
それから、反対側の左手をエドワードは手にとる。
そうして、左側の薬指にも軽く唇を落として、
ゆっくりとたどるように指先に、手の甲に、そして、指の付け根に
唇を這わせていく。

「あ…」
彼女が小さく声を上げた。
押し留めるように唇を塞ぐ。
鼻腔をくすぐるのは薔薇の花びらのような甘くて少し棘のある香り。
背中に爪を立てられたけれども、
徐々に彼女の力が抜けていくのが分かる。
調えられたシーツの上に、口付けながら彼女を押し倒す。
ゆっくりと唇を離して、それからまたついばむようにまた口付ける。
欲しいのは唇だけじゃない。全部だ。
漂うように漏れる彼女の香りも、
紡がれる吐息も全て手に入れたい。食べてしまいたい。
そんな衝動。


「もう一度、言う」

顔を離せば、潤んだ瞳の彼女がいる。
どこか不安げなその青い目が、迷うように揺れる。
口をきけないのか、何度か躊躇うように小さく開いたその珊瑚色の唇は、
それでもやはり音を作らずにそのまま閉じられた。
そんな様子を、エドワードは焦れたように見つめる。
カーテンを引いていないガラス窓から、
月の光が蒼く淡く部屋を照らしていた。
その光の下で、震えるように剥き出しになった彼女の肌は白い。

エドワードは待った。
しかしやはり腕の中のウィンリィは何も言おうとしない。
ゆるゆると頭をもたげてくるのは不安だ。
拒絶されるのは嫌いだ。そんなはずはないという確信はあったが、確定ではなかった。
だから不安だった。
言葉を聴かせて欲しかった。
彼女に誓わせたかった。選ばせたかった。

「自由になりたいんだろ?」
エドワードは諭すように口を開いた。
確か、彼女はそう言ったはずだ。逃げたいと。だったら、逃がしてやる。
自由にしてやるから。一言、yesと言いさえすれば。
気の遠くなるような時間が過ぎたような気がした。
彼女の言葉を、ただ待つ。
うながすように、エドワードはもう一度言った。

「選ばせてやる」

だから、選んで。オレを。
そうしたら、全てを捨てて、全てを手に入れて見せるから。


しばらくして落ちてきた言葉。
それはそっけないほどに短くて、でもどうしようもなく愛しい響きを持っていて。


エドワードはもう一度キスを落とす。
なんだ、と笑って。
「…ちゃんと、笑えるじゃんか」
そう、言いながら。





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