chapter12
ぐ、というくぐもった声が響いた。
ウィンリィは顔を蒼白にさせた。
隣のエドワードの体が、ゆっくりと傾きはじめたからだ。
「エド…!」
しかし、エドワードはもちこたえた。
足に力をこめ、ふらつきながらも姿勢を戻す。
「何をしている!!ハボック!!銃をとりあげろ!!」
エドワードの斜め後ろから発砲された銃は、
リンが向けたものだった。
しかし、手元が狂ったのか、エドワードの肩をかすっただけだった。
取り押さえられながら、リンはわめいた。
「偽物のはずがなイっ!!」
エドワードは肩を抑え、苦痛で顔を歪ませながらも、
ゆっくりとその声に振り返る。
ぱたた…、という音をウィンリィは聞いた気がした。
ふと見れば、床に大小丸く落ちているのは、
底冷えするような、赤い赤い鮮血。
「エド……っ」
血が出てる、とウィンリィは半泣きになりながら
血の出ているらしい肩口に手を触れようとしたが、
エドワードはそれをさせなかった。
リンから遠ざけるようにウィンリィを自分の背後へと回りこませる。
焼け付くような痛みが、体を動かすたびに奔った。
「どういう、意味、だ」
複数の軍人から、顔を床に押さえつけられるような格好のリンに、
エドワードは切れ切れに言葉を返す。
「偽物のはずがなイ…!あれは、あれは…」
しかし、マスタングは冷酷にも、黙らせろ、という指示を出す。
不意にリンの声は途絶えた。
見れば、気を失っている。軍人のひとりが、リンの後頭部をしたたかに打ったのだ。
おいおい、とエドワードは肩を押さえながら
呆れたようにマスタングを見返す。
「……いいのかよ。官憲のくせにあんなことして」
「ほっとけば発砲するだろう」
「銃を持たせなければ、な」
マスタングは、肩を押さえたままなんとか立っている風のエドワードを一瞥してから、
救急車を、と部下の一人に声を掛ける。
「いらね」
エドワードは首を振った。
そして、ウィンリィの腕を引っ張る。
歩け、とエドワードが目で促すので、ウィンリィが歩を進めようとする。
しかし、マスタングは駄目だ、と言葉を投げた。
「……君の父上の命令だ。」
エドワードは、進みかけた歩をぴたりととめて、
マスタングを振り返った。
何度言ったかわからねぇけどさ、とエドワードは言葉を継ぐ。
「…オレは、親父の部下じゃない。」
ああ、知っている、とマスタングは言った。
「そうでなければ、とっくにすまきにしてホーエンハイムのところに投げ込んでいる」
エドワードはホーエンハイムの息子だ。
マスタングはそのことを言っているのだとわかって、
容赦ねぇな、とエドワードは軽く笑う。
しかし、笑おうとして、肩に激痛を覚える。
「…部下じゃないから、命令はきかない」
「そういうことは私の知ったことではない」
そりゃそうだな、とエドワードは頷いて、
親父に伝えてくれよ、とマスタングに言葉を投げる。
「オレは錬金術師になる、って」
何を言っているんだ、と言いかけたマスタングの言葉をさえぎるように、
エドワードは言葉を続けた。
「錬金術師は探す者だ。だから、オレは探す」
賢者の石は無い。
ホーエンハイムはそう言った。
探求者である錬金術師のホーエンハイムがそう言ったのだ。
「オレは探すよ。賢者の石も。自分の道も。自分で、選ぶ」
マスタングに向かってそう言い放つエドワードを、
ウィンリィは横からみあげていた。
真っ直ぐな金の目が、真っ直ぐに言葉を吐き出している。
……誰、こいつ。
ふと落ちた気持ちが、ことんと音を立ててウィンリィを揺さぶった。
踵を返すエドワードに、
マスタングは待て、と呼び止める。
「抵抗するなら、無理にでも連れて来いという命令だ」
鈍い鉄の音が響いた。
撃鉄を起こす音だ、とエドワードはとっさに反応する。
「………銃一本でオレに対抗しようっての?」
鋭いまなざしが、マスタングを刺す。
そうだったな、とマスタングは軽く笑った。
「君が、錬金術師だということを失念していたよ」
その言葉が言い終わるか否かの矢先。
マスタングは唐突に左手を突き出す。
それより半歩先に、エドワードも両の手をあわせる。
乾いた音が響くか響かないかという瞬間。
エドワードとウィンリィの前に現れるのは巨大な壁。
それに叩きつけるように、何かが爆ぜる音が耳に痛く響く。
空気をびりびりといたぶるように伝わる衝撃にウィンリィが思わず目を閉じると、
来い、と手を引っ張られる。
「逃げるぞ」
「え、…ちょ、ちょっと…!!」
その声に重なるように、
あの二人を捕まえろ、というマスタングの怒声が響く。
掴みかかってくる兵卒を蹴散らしながら、
エドワードはウィンリィを連れてホールの入口を飛び出す。
「鬼ごっこ、だっ」
エドワードは声を張り上げる。
そうして、引っ張られるようにして後ろからついてくるウィンリィを
奔りながら振り向く。
「昔、した、だろ!」
思い出せよ、と言う彼は笑っている。
額から脂汗がにじんでいるのがウィンリィにもよく分かった。
傷が痛むのだ、というのは言われなくても分かる。
撃たれた肩から流れる血は、
彼の黒いスーツをさらにどす黒く染めながら、
繋いだウィンリィの手のところまで垂れていた。
「来る?」
走りながら、エドワードは切れ切れに言う。
息が切れそうになっていた。
それでも、エドワードはウィンリィに、不敵な笑みを見せながらそう言った。
「一緒に、逃げようぜ」
ウィンリィは、うんとは言わなかった。
言いたくても、途切れ途切れになりつつある息のせいでうまく言葉が告げなかったというのが正しい。
返事のように、
エドワードの手をぎゅっと強く握り返した。
そうすると、彼は、また返事をするように、握り返してきた。
ぎゅっと。
エドワードは前を向く。
さらに力強くウィンリィを引っ張る。
ホテルの外にはアルフォンスが待機しているはずだ。
出口を目指すために走っていた。
駆けながら、ウィンリィは小さい頃のことがなぜか頭にちらつき始めるのを自覚する。
大人たちが難しい話をしている間、
その横でおとなしく出来なかった小さい頃の三人。
鬼ごっこやかくれんぼをしながら、この広いホテルの中を迷うように行き来していた。
……出口は見えないと思っていたのに。
抜け出せない、抜け出すことなど考えられない。そう思っていた。それなのに。
エドワードは真っ直ぐに前を向いて走っていく。
迷いの無い足取りだった。
直線に伸びたホテルの廊下を、ただひたすら走る。
ただただひたすらに、真っ直ぐ。