chapter6
どこ行ってたんだよ、と言うアルフォンスの苦言に
エドワードは上の空だった。
「兄さん、襟、曲がってるよ」
しかし、エドワードは上の空だ。
先ほどの出来事はほんの数十分の間のことなのだが、
エドワードの頭の中を濃密に支配していて離れようとしない。
先に部屋を出たはずのウィンリィは、ホールには見当たらなかった。
探している相手が違う、と思っていても頭が言うことを聞いてくれない。
曲がった襟をそのままに、上の空で人ごみを見ている兄に、
アルフォンスはため息をついた。
「…ウィンリィ…」
え、と言う兄の反応は、アルフォンスの予想以上だった。
何かあったんだな、と聡いアルフォンスは内心思ったが、
直には触れないでおこうと思った。
直感が、そう告げている。
「気分悪いから先に帰ったみたい」
「…へぇ」
それ、お前に言いに来たの?とエドワードがアルフォンスに聞くと、
肯定が返ってくる。
「他に、なんか言ってた?」
アルフォンスは首をかしげて、否定する。どうして?という疑問符付で。
別に、とエドワードは答えたが、内心は落ち着かない。
どうして自分はこんなにそわそわしているのか。
アルフォンスはいぶかしげな表情を浮かべながらも、
エドワードがいない間に仕入れたらしい情報を小声で兄に披露する。
アルフォンスはこういうことが得意だ。
たいてい、こういう情報はお喋りな女との話から漏れ聞くと本人も言っている。
話題を引き出すのはアルフォンスの会話と社交性の賜物だろう。
オレには無理な話だな、と思いながら、
エドワードはアルフォンスの話に耳をそばだてる。
しかし、内心ではどうも落ち着かなかった。
押し倒した彼女が頭の中で泣いている。
目を潤ませて、何かをいいかけた唇をゆっくりと閉じる。
重ねた唇は甘い痺れを伴って、反芻するエドワードの脳内を支配していく。
それしか考えられなくなる。
「聞いてる?兄さん」
いまいち集中力に欠ける兄に、アルフォンスは大丈夫かと眉根を寄せる。
よっぽどのことがあったのか。
小さい頃からこうした社交場に出入りしていた
エドワードとアルフォンスは、同じ年頃のウィンリィとよく遊んだものだ。
こうしたパーティーはホテルで行われることが多かったが、
大人たちが交わす難しい会話を隣でしおらしく聞いている三人ではなかったので、
食事の並べられたテーブルの下やホテルの部屋を使って
かくれんぼをしたりおいかけごっこをしたりと騒いだものだ。
ウィンリィは兄の身長を馬鹿にしていたが、
数年前には兄はウィンリィを追い越してしまった。
そして、結婚を控えた彼女に兄が「誰だあれ」と言ったのも頷けるほどに
お互いに状況は変わりつつある。
兄は隠しているつもりかもしれないけれど、
兄が誰を好きかなんてバレバレだったし、たぶんウィンリィもそうだと
アルフォンスは思っていた。
だから、この状況にしてこの兄のこの状態は仕方ないのかと思ったのだけれども。
「たぶん、ウィンリィだよ」
注意力散漫な兄に、アルフォンスは脈絡なく彼女の名前を出してみた。
今度はちゃんとした返事が返ってくる。
「何がだよ」
「聞いてなかったの?」
「わり」
脈絡なく彼女の名前を出しただけだが兄は気づいていない。
これは重症だなぁとアルフォンスはため息をついた。
「あの糸目が何か宝石を持ち込んだらしいっていうのは本当らしいよ。
マダム達が噂をしていたし。」
「……マダム、ね」
つくづく弟の周到性にエドワードは少し笑みをこぼした。
呆れたというか感心したというか、そういった複雑な念をこめて。
「で、その宝石を、婚約者に贈るとかなんとか」
アルフォンスの言葉にエドワードの動きは一瞬固まる。
「婚約者って………ウィンリィ…?」
「そう」
エドワードは頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
なんだか落ち着かない理由。
そう、これはチャンスなのかもしれない、とエドワードは思っていた。
壊したい壁がある。それを、蹴破って向こう側へ行くチャンス。
彼女がすぐ間近まで直面している未来は、そのまま自分にもあてはまる気がした。
彼女は自分を受け入れなかったけれど、いいかけた言葉は肯定に近かったのだ。
彼女が助けて、というなら助けたい。
「なぁ、アル」
「なに」
エドワードの瞳に強い金色が宿りだす。
それを少しばかり兄より高い位置から眺めながら、
アルフォンスはエドワードの言葉を待った。
「もし、オレが」
「うん」
「親父を敵に回したら」
何言ってるんだよ、とアルフォンスは笑った。
「兄さんはいつも父さんを目の敵にしてるじゃないか」
そーいう意味でなくてな、とエドワードは答えを急ぐなといわんばかりに
アルフォンスの言葉を制止する。
「親父も、ロックベルも、何もかも敵に回して」
「……うん」
「ここにもいられなくなるようなことをしたら」
「うん」
「どーする?」
金色の眼が見上げてくるので、アルフォンスもまた見返した。
同じ色をした二人の視線が、かちりと合う。
それって兄さんが?と聞いて、そうだ、という答えを得たアルフォンスは
どうしようかなぁ、と意地悪そうな笑みを浮かべた。
そう、兄が考えていることなど、たいていはお見通しだから。
「なんだよ」
エドワードは弟のその笑みに少したじろぐ。
別に、と笑って、アルフォンスは言葉を続ける。
「兄さん、ひとりじゃ危なっかしいからね。
父さんは大丈夫そうだけど」
だから、と一拍の間を置いてアルフォンスは答えた。
「探した結果に開けた道がそれだとしたら、僕なら迷わずそこに行くかな」
ふ、とエドワードが笑ったのを、アルフォンスは笑顔で返した。