小説「Choice」
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chapter5




近づいてきた足音はひとつ。
寝室に繋がる部屋の扉も蹴破るように乱暴に開けられた。

「や……あ…っ…」

侵入者の目にとまるのは中央のベッドだ。
部屋の真ん中にあるベッドに、うごめく白いシーツの塊がある。
そして、そこから女の声が洩れていた。

「おい」
侵入者に構わず、シーツはもぞもぞと動いている。

「…何」

シーツの中から、低い男の声が漏れる。

「顔を見せろ」

一拍の間を置いて、邪魔しないでよ、と声が返ってくる。
「今、いいトコなんだから、さ」

撃鉄をひく音がガチリと響く。
エドワードは息をひとつついてから、
体を起こして、シーツの中から顔をのぞかせる。
スーツがはだけて肌が顕わになった背中に、金色の髪がすべる。
男を射るように強く向けられた双眸もまた、金色だ。

エドワードの双眸から、ただならぬ気配を感じ取ったのか、
男はすこしたじろぐ。

「…名前は」
エドワードはため息に近い息をふぅと吐く。
エドワードだけど、と答えると、何かの確信に当たったように、
侵入者の顔色は変わった。

「邪魔、しないでくれる?」

うせろ、と金の瞳が言っている。
力強いまなざしは、有無を言わさない。
侵入者はじりじりと銃を構えたまま後ずさりする。
エドワードに、相手の女の顔を見せる気配は微塵も感じられない。


「行った」


静寂が舞い戻って、
エドワードがぽつんと言い、自分が下敷きにしている彼女に視線を戻してみれば、
彼女の顔は真っ赤だ。
潤んだ瞳が真っ直ぐにエドワードを睨みつけている。
肩にかかっていたストラップをずらして彼女の胸元を覆うドレスを少し引き下げたのだが、
まだ胸は見えていない。
しかし、ぎりぎりまで顕わになった白い肌は
オレンジの灯りに照らされて淡い陶磁のような滑らかさを主張している。

思わず見とれていたら、
馬鹿、という声が落ちてきた。

「ひどい」

エドワードはむすっとする。
泣き出しそうな彼女が前にいる。
他にいい方法が思いつかなかった。とっさの判断だ。
でも泣かれたらどうしようかと思い、
どんな顔をしたらいいか分からない。
アルフォンスならこういうとき、へらっと笑うんだろうなと思うのだが、
自分はなんだかそれがうまく出来ない。

「ひどいも何も。…お前、匿えって言ったじゃんか」
「ひとことも言ってない」
「……目が言ってた」
「何よ、それぇ……」

ウィンリィは唇を押さえる。
顔は真っ赤だ。
どこに視線を置いたらいいのか分からない、とでも言いたげに
さっきから瞳がせわしなく揺れている。

「だからって、いきなり…き、す…」
エドワードは仏頂面のまま答えた。
「…ファーストキスは済んでたんだろ」
じゃあ2回も3回も変わらんだろ、というエドワードにウィンリィは眉を吊り上げる。
「あれは…冗談じゃない!」
小さい頃の冗談でしょ、とウィンリィは言ったが、
「じゃあ、あれが冗談なら、今ので1回。
……してないってアルに言い訳考える手間が省けた」
と、エドワードはさらりと言った。

「な、んで…アンタなんかと…!」
あんた、酔ってるんじゃないの、とウィンリィが言うが、
それはお前だ、とエドワードはむっとして、
しょうがねーだろが、と
先ほどの問答とさして変わらないやり取りを繰り返す。
匿えとウィンリィが言っていたから匿っただけ、と。

そーいう問題じゃなくてね!とウィンリィはますます声に怒気を帯びる。
「いちいちキスしたり、脱がしたり脱いだりする必要ないじゃない!」

あーうるさい、とエドワードは聞きたくないと言いたげに首を振る。

「お前、黙ってたら可愛いのに」
「え」
黙れよ、と言いたげにエドワードの顔が近づいてくる。
「ん」

落ちてきたのは触れるようなキスではなく、
唇を食むような深いキスだ。

顔を離して、エドワードはぽつりと言った。
「しょーがないだろ………見てたら、したくなったから」

したかったらするのか!とウィンリィはますます怒りたくなってきたが、
与えられた唇が予想以上に甘くて眩暈を覚えていた。

しかし、それはいつまでも続かない。
ゆるやかに、ウィンリィは現実に引き戻されていくのを自覚する。


「どいて」

ウィンリィは震える声で言った。

「………泣くほど、嫌か?」
ウィンリィの目から涙がこぼれているのを悟って、
エドワードは内心ショックだった。
好かれているとは思っていなかったけれども、
泣かれるほどに嫌われているとは思っていなかった。

「ちが…」
言いかけて、ウィンリィは口をつぐむ。
違うと言ってはいけない。ウィンリィには分かっていた。


小さい頃はお互いに何の気兼ねもなく遊んでいた。
だけれど、大きくなるにつれて、大人の世界が嫌でも見えてくる。
同じ歳のただの幼馴染が、本当はお互いに相容れない世界にいるのだと
どうして誰かが最初から教えてくれなかったのだろう。
そうしたら、自分の気持ちが生まれることも、それを知ることも無かった。
そうすれば、逃げたりしなかった。


どいてという彼女に、
エドワードはどかなかった。

何かの確信に触れそうになっている気がしていた。
父からロックベルの娘が結婚すると聞いてからもやもやと溜まっていた気持ち。
いや、本当はずっとその前から在ったのかもしれない。


「結婚、するって、聞いた。」

ウィンリィの目がわずかに見開かれる。
彼女を上から見下ろすようにして、その表情をエドワードは慎重に読みとろうとしていた。
読み取りながら、ゆっくりと言葉を吐き出していく。

「だから、か?」

逃げたの、という彼女の言葉。
理由を知りたい。



しかし、ウィンリィが言った言葉は、どいて、だった。


エドワードは触れそうになったものが、手の間をすり抜けていったような
そんな感覚に陥っていた。
何か触れそうになった確信が、今は遠い。彼女の表情を見ればそれが分かる。

エドワードが体を引けば、
はだけた衣服を整えて、ウィンリィが体を起こす。

二人の間に沈黙が落ちた。


ベッドから少し離れたところに配された椅子にエドワードはゆっくり腰掛けて、
ほどいたタイを床にするっと落とす。
名前の無い落胆が体を支配していて、何かをしようという気力が抜けていくような気がした。
一度は崩れたドレスの形を気にしている彼女を視界の端にちらつかせながら、
どうしようもなくそわそわしている。

沈黙がいたたまれなくなったのか、
不意にウィンリィが口を開いた。
「アンタ、悪いことばっかしてるの?」
なんで?とエドワードは聞き返す。
だって、とウィンリィは泣き笑いのような表情を浮かべながら、
エドワードの方を見る。
服をはだけたままの彼に視線のやり場が無いのか、
床に目を落としたまま、ウィンリィは言葉を続けた。
さっきの人、アンタの名前聞いただけで出てったじゃない、と。

「ああ…」
エドワードは少し憂鬱そうな色の目を向ける。
それはあれだ、とエドワードはそっけなく答えた。

「オレが、腐っても、ヴァン・ホーエンハイムの息子だから」


一拍の間が落ちた。

それからすぐに落ちた、そうね、という彼女の相槌は、
落胆の色そのものだった。

「その結婚。嫌なら、ヤメロよ」
「え」

ウィンリィは目を見開いて、
エドワードを見返す。

「嫌なら。……なんとか、する」

道を探したいと思っていた。
敷かれたレールを走るように
ホーエンハイムのようにはなりたくなくて、
それでも周囲はそうなれと期待している。
それが重くて、壊したくて。

東の国から別ルートが出来たということはつまり、
別ルートから酒と麻薬と金が転がり込むということだ。
そのルートの共有を、ファミリー同士が決めたということ。
その証として、彼女が結婚するということ。
エドワードの予想は、恐らくそう大きく外れてはいないだろう。

逃げ出したと言った彼女。
彼女が本当に嫌なら。


「なんとかするって…いい加減なこと言わないで」
いい加減なつもりはない、と
エドワードはむっとしてウィンリィを見返した。
しかし、ウィンリィは明らかに怒っている。
「簡単に、ヤメれたら、とっくにやめてるわ」
協定が丸く収まれば、多くの血が流れずに済む。
そうウィンリィは聞いていた。だから。

部屋を出て行こうとする彼女に、
エドワードはもう一声掛けた。

「お前が選ぶなら、オレは捨てる」



ずるい男。
ウィンリィは思ったが、何も言わなかった。

扉が音を立てて閉まり、
何事も無かったかのように、静寂が落ちてきた。






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