小説「Choice」
前頁 次頁 

chapter3



エドワードは社交の場には普段は顔を出さない。
ホーエンハイムには重要だから顔を出せと言われていたが、どうも苦手だ。
部屋で本の続きを読んだほうがマシだ、と思うのだが、
今日ばかりは仕方がない。
長年欲しているあの石の手がかりがここにあるなら、甘んじよう。

「……兄さん。何、ふてくされてるの」
「あー?」

紙片に書かれていたのは、セントラルのとある高級ホテルだった。
そこに、セントラルの名家やら著名人やら軍人、知識人やらが集まって
食事をしながら他愛の無い世間話を交わしたりする。
ここにくればこの国の縮図が転がっている。

エドワードとアルフォンスは、
壁際に寄って、談笑を交わす人の流れを眺めている。

「ふてくされてるか?オレ」
「うん」
もう少しさ、目つきをよくしたほうがいいよ、と弟に言われて
悪かったな、とエドワードはむっとした。
目つきが悪いのは生まれつきだ。
なんだか弟の言い方が気に入らない。
さらに気に入らないのは…と、
エドワードは肩を並べている隣の弟をちらりと見る。
正確には、少しばかり自分の視線よりも高いところにある弟の顔を。

「あ、あの子。見たことがある」
どの子だよ、とアルフォンスの視線の先をたどる。
「ほら、あの赤いドレスの子」
見れば、桜桃の色と同じスカーレットのドレスを着た少女が、
室内の真ん中で談笑している。
艶やかな金髪は、露出した背中に長く垂れていて
遠目から見てもよく目立つ。

「へぇ、あの子、しばらく見ないうちにすごく綺麗になったね」
ね、兄さん、とアルフォンスは隣の兄に視線を移した。
しかし、エドワードはうんともすんとも言わない。
「……兄さん?」
エドワードの視線の先は真っ直ぐにその少女に注がれている。
呆けたような、呆然としたようなそんな顔だ。
「…誰だ、あれ」
「え」
「…知らねぇ…」
ええ?とアルフォンスは何言ってんだよと言葉を継ぐ。
「あのロックベルんとこの子じゃない。昔遊んだことあるでしょ」
兄の答えは明瞭だ。
「知ってる。」
けど、知らない、とエドワードは続けた。
言ってることがよくわからない、とアルフォンスは困ったように肩をすくめた。
隣の兄はまだその少女を見ている。
もう一度視線を元に戻して、
アルフォンスは、あ、と小さく声を上げた。

「兄さん。…その隣」
「あ?」
ああ、とエドワードはようやく視線を彼女から外す。
横顔しか見えなかったが、その彼女の表情がくるくるとよく変わるのは
談笑しているその隣の男のせいだ。

「シン国人か」
「らしいね」
名前からしてそれっぽいし、とアルフォンスは頷く。
「どうする?」

弟の問いに、エドワードは答えない。
どうするもなにも、この人だかりだ。ここで何かしようにも限界がある。
「しばらく様子見だな」
そう言って、エドワードは運ばれてきたグラスをひとつ手に取る。
あおるようにして飲んだ視線の先には、
見知らぬ彼女。

…その彼女が、こっちに向かって真っ直ぐに歩いてくるので
エドワードは口に含んだワインを吹きそうになる。

「な…」

慌てて隣のアルフォンスを見れば、
アルフォンスは動じた風も無く、背もたれていた壁から体を起こす。

「こんにちは、ミス?」
アルフォンスが身を少しかがめて、差し出されたその少女の手の甲に唇を触れる。

「誰かと思ったら、エルリック兄弟じゃない」
アルフォンスの挨拶を受けながら、その少女はちらりとエドワードのほうを見る。
「こっちこそ、誰かと思ったぜ。…ウィンリィ」
しかしエドワードの言葉はさらりと無視して、
ウィンリィは手を離したアルフォンスに微笑みかけた。
「こちら、お兄様のほうだったかしら?」
アルフォンスはにっこりと笑みを返す。
「いえ、僕は弟のほうで…」
あら、分からなかったわ、とその少女はにっこりと言ってみせた。
「こちらのほうがお背が高くて、ついお兄様のほうかと」
あははは…とアルフォンスは弱ったなぁというような笑みを浮かべている。
その背後では、作った拳をふるふると震わせながら耐えているエドワードがいる。
「お前……相変わらずだな…」
まぁまぁ、とアルフォンスはその場を取り持ちながら、
ウィンリィに笑いかける。
「しばらくだね。すごく綺麗になってるからびっくりしたよ」
アルフォンスはこうした言葉をさらりと言えるタイプだ。
エドワードは聞いていて背中の辺りがむずがゆくなってくる。
「ありがと。アル」
そっちの男は少しは気の利いたことはいえないのかしら、と
ウィンリィが視線を投げると、
エドワードは冗談だろ、と目をそむける。

小さい頃は。

エドワードは一瞬反芻する。
何も知らなかった小さい頃は、
一緒に遊んで、泣いたり笑ったりしていた。

しかし、今は違う。


呑気に笑ってるその少女を見ながら、
分かってるか?とエドワードは内心穏やかではない。
時がたつにつれて世界は広がって、単純じゃないことが分かってくる。
当人達がどう思おうと、
少女の名前はロックベル。家間では争いが続いてる。

実際に、とエドワードはちらりと視線を泳がせてみる。

こうして談笑している間にも、
エドワードとアルフォンス、そしてウィンリィには
複数の視線が多方向から注がれているのをエドワードはよく理解していた。
それはアルフォンスも理解しているはずだ。

愛想のないエドワードに、ウィンリィは大げさにため息をつく。
「昔はラブレターくれるほどの仲だったのに」
「……な…っ!」
一体いつの話だよ!とエドワードは自分の顔が赤くなるのを自覚する。
「ファーストキスだって…」
ヤメロ馬鹿!記憶に無いぞ!とエドワードが慌てて声を上げる。
「思い出したくない過去の傷をえぐるな」
「ひどい!過去の傷なんて!」
そう言うウィンリィだが、顔は笑っている。面白がっている。

こいつはいつもそうだ。
変わらないままに接してくる。
いつまでもつか分からない、ごっこ遊びだ。


しばらくアルフォンスと世間話を交わしたウィンリィは、
また後で、と言い残して人波の中に戻っていく。
それをぼんやりと見送ってから、
アルフォンスはぽつりと呟いた。

「ウィンリィ…結婚するんだって」
知ってるよ、とエドワードは感情の篭らない声で答えた。
「あの糸目と」

糸目…と、エドワードは視線を巡らせる。
先ほどまでウィンリィと談笑を交わしていたシン人らしき者は見当たらない。
だが、ウィンリィがまだこのホテルにいるのだから、近くにいるだろう。
ホーエンハイムから貰った情報とつきあわせれば、
その結婚が意味するところは自ずと分かってくる。

「気にならないの?」

ならねぇよ、と即答したら、
「ファーストキスした仲なのに?」
と返ってくる。
だから、とエドワードは誤解だとアルフォンスに言おうとしたが、
アルフォンスが面白がっているのに気づいて口を開くのをやめる。


「…オレは。」
揺れるハニーブロンドを、気がつけば探している。

「あーいう風には、なりたくねぇな」


エドワードが言いたいところを悟って、
アルフォンスの顔から笑みがわずかに引いた。

エドワードもアルフォンスも、錬金術の研究を趣味でやっている。
とりわけ、兄のほうは有名だった。
マスタングが軍属になるように誘ってきたように、
その腕を買われて仲間にならないかと誘ってくる組織やファミリーは多い。
エドワードが父の正式な部下になればそんな誘いは消えるのだろうが、
それをエドワードは断り続けていた。
そんなエドワードを父は惜しんでいると
アルフォンスはよく分かっていた。
皮肉にもその父の書斎にある本から錬金術を知ったのだけれども。

錬金術師は探す者だ。

そう言って、エドワードは賢者の石の研究に没頭している。
賢者の石はどこかにあると探索し続けている。
けれど、いつもどこか腑に落ちない。
血の臭いが絶えることのないこの街で、
自分達が出来ることは何か。
探しているのは賢者の石じゃないのかもしれない、と
アルフォンスは隣の兄を見ながらふと思った。
兄は、違うものを見ている気がする。


「何か、もってくるよ」
「ん」
さっきから酒ばかり流し込んでいるエドワードを見かねて、
アルフォンスは思い立つ。
別にいーよ、とエドワードは言ったが、
アルフォンスはいいから、いいからと言って
料理の並んだテーブルに足を向けた。

アルフォンスを見送りながら息をひとつついて、
人だかりを眺めていると
どうしても目にちらつくのはスカーレットのドレスだ。
あの糸目のシン人を探さないといけないのに、
何をやってんだオレは、と心の中で呟く。
そして、あいつを見張っていれば、糸目に繋がるからいいんだ、
と何か必死に言い聞かせながら、揺れるハニィブロンドばかり見ている。
しかし、糸目の姿は見当たらない。
その上、ウィンリィがなにやら見知らぬ男に絡まれているのが目にちらついて、
落ち着かない。

エドワードは、はぁ、と息をひとつついた。
苛々していた。


アルフォンスが戻ってくる頃、
いたはずの場所に、エドワードの姿は無かった。






前頁 次頁 
template : A Moveable Feast

-Powered by HTML DWARF-