chapter2
セントラルシティは、
アメストリスの中心にして大総統府直下の街だ。
セントラルと冠してあるだけあって、ここは、
国内の政治、軍事はもとより、文化、産業の要衝でもあり、
そして、表向きの世界とは少し異なった世界のそれでもあった。
セントラルのさらに中央、一番華やかに賑わう界隈の一郭に、
エドワードとアルフォンスの住居、
もう少し正確に言えば、二人の父の屋敷はある。
雨の日だというのに深夜まで人の絶えることのない通りを縫うように車で直進すれば、
唐突に、それまでの飲食店が軒を連ねていた界隈とは全く雰囲気を異にする空間が立ち現れる。
高い塀に囲まれたそこは正面に鉄の門扉が構えていて、
アルフォンスの運転する車がそこに近づくと、
少しの間があった後に、重々しくそれは開きはじめる。
「……なんか、来てるな」
雨の水滴に濡れた窓越しから外を眺めていたエドワードは
ぽそりと呟いた。
え?と、アルフォンスが兄の視線の先をたどれば、
塀の脇に軍用車が一台停まっている。
「何かあったのかな?」
車をゆっくりと徐行させながらアルフォンスはのんびりと口を開く。
「さぁな。でも、たいしたことじゃあないだろ。
一台しか来てないってことは」
大方、父にゴマを擦りに来た憲兵崩れか落ちぶれ軍人か。
そこまで思いいたってから、エドワードは苦虫を潰したように顔を顰める。
今日の仕事は、父であるホーエンハイムから与えられたものだった。
ホーエンハイムは、この辺りでは一番守備勢力範囲の大きいファミリーの親玉だ。
決して表だってホーエンハイムの存在は目立つことは無い。
しかし、この国の裏側に少しでも足を踏み入れれば誰でも聞いたことのある名前だ。
その財力、影響力のおかげで。
そして、エドワードとアルフォンスはそのホーエンハイムの息子だった。
屋敷の中に入れば、
客室にいたのは知った顔だった。
「…へぇ、アンタ、何してんの、こんなとこで」
エドワードは面白いものでも見つけた、とでもいわんばかりに、
客間のソファに体を預けて紅茶をすすっていたその男に話しかける。
エドワードの声に振り向いた男は黒髪に黒い瞳だ。
まとった軍服の階級章は佐官のもの。
すぐ側に控えている女性が、エドワードに軽く会釈をしてくるので、
どうも、とエドワードも軽く返す。
面識のある顔だ。彼女はその男の副官だった。
「君こそ。錬金術の研究は進んでいるのかね」
整った顔に瑪瑙のような瞳が印象的なその男の名はロイ・マスタング。
エドワードはこの男が少し苦手だ。
「まぁね。…何、また勧誘?」
無駄だぜ、何度来ても、とエドワードは馬鹿にしたような笑みを向ける。
エドワードが錬金術の研究をしていると知ったマスタングは
しばらくエドワードを軍属にしようとしつこく勧誘していた時期があったのだ。
エドワードはそれをことごとく断っていたけれども。
「いや、違うが。まぁ君がその気になってくれれば私としては歓迎だが?」
マスタングの答えに、エドワードは冗談だろ、と乾いた笑みを見せる。
「違うんなら、何の用だ?
マスタング大佐もまさかうちの親父にゴマすりか?」
だったら意外だな、とエドワードは皮肉を言う。
マスタングはまだ若いが、遣り手の青年将校という評判だったからだ。
「いや、違うな」
マスタングはエドワードの皮肉に動じることもなく律儀に言葉を返した。
「今日は、大総統閣下の命令でここに来ている」
へぇ!とエドワードは頓狂な声を上げた。
「大総統閣下…ねぇ。そんなどエライお人がなんでこんなとこへ」
マスタングは何も言わず、ただ不敵に笑っている。
さぁね、と彼が答えたところで部屋の扉が開いた。
入ってきたのはアルフォンスと、屋敷の執事だ。
「マスタング大佐、こんにちは」
アルフォンスの挨拶にマスタングは答えて、
現れた執事に連れられて別部屋へと消える。
「表の車はホークアイ中尉が?」
部屋に居残ったホークアイにアルフォンスは尋ねる。
そうよ、と頷くホークアイは少しばかり表情が厳しい。
ホークアイ中尉は軍務中は寡黙で表情も乏しいが、
決して冷たい印象があるわけではない。
しかし、今日はどこかぴりりとした緊張感を漂わせている。
なんだ?とエドワードは首をかしげた。
2、30分ほど経った頃、
マスタングはホークアイを伴って足早に屋敷を出て行った。
それを見送る暇も無く、
エドワードはホーエンハイムに呼ばれる。
廊下は無駄に広い。
壁には色とりどりの絵画が掛けられていたが、
エドワードにはその絵がどのようなものなのか理解も興味も無かった。
屋敷の最奥にホーエンハイムの部屋はあったが、
そこにいたるまでには結構な時間を要する。
ここは無駄が多いんだ、とエドワードは思っていた。
廊下の広さにしろ、部屋の数にしろ、
全て取り払って門壁も全て壊してしまえばいたってシンプルになるに違いない。
少なくとも、自分の父親に会うために執事に取り次ぐ必要は無くなるだろう。
角を曲がればまた気の遠くなるような長さの廊下が真っ直ぐに伸びている。
そして、その真正面には、白い両開きの扉。
お連れしました、という執事は、扉を押し開けてエドワードを導く。
室内は煌々と明るい。
これでもかという位に数々の装飾品に取り囲まれたその部屋は、
エドワードから見れば悪趣味この上無かったが、
そこが父の私室へと続く部屋のひとつだった。
普段はさらに最奥の書斎にいる父が、
今日は入ってすぐ、真正面のテーブル席に腰かけて食事をしている。
数日前のことだ。
数日前に呼び出された時も、同じようにホーエンハイムは食事を摂っていた。
『賢者の石の情報?』
父の言葉にエドワードは胡散臭そうに顔を上げた。
そんなエドワードを気にした風も無く、ホーエンハイムはそうだ、と低く頷く。
エドワードはわずかに顔をゆがませて言った。
『存在しないはずなんだろ?』
目の前の父親自身が、昔から諭すように繰り返してきたことだ。
賢者の石は存在しない。探そうとするなど、愚の骨頂だ、と。
ホーエンハイムはエドワードが錬金術に傾倒するのを極端に嫌った。
それよりも組織の一員になって自分の片腕として働くように望んだのだ。
そんなホーエンハイム自身が錬金術師だったので、
エドワードは父の言うことに反発した。
『今更、何を言って……』
今更、なのだ。エドワードは顔をゆがめて席を立とうとした。
『…まぁ、聞け。エドワード』
帰るよといわんばかりに椅子から立ち上がった息子を、
ホーエンハイムは制止した。
エドワードは立ち上がったままテーブルの遥か向こうにいる父を正面から見つめる。
『あんたは言ったじゃないか。昔。賢者の石を探そうとするのは馬鹿がすることだと。
オレはその馬鹿なんでね。あんたがオレをバカにするのは勝手だが、
それに付き合うほどオレは暇じゃないんだ。』
…父が自分をバカにする種になるような話に付き合ってるほど、
オレはお人よしでも聞き分けのいい子供でももうない。
感情を殺すように淡々と続ける息子に、
ホーエンハイムは片手を軽くあげて、それ以上言うなと言外に制止する。
向かい合うようにしてテーブルに座っている二人だったが、
その距離は果てしなく遠かった。
それは、子供の頃からだ。エドワードは馴れていた。
これが自分達の距離なのだ。これが自然なことなのだ。
エドワードははるか離れたところから自分を見つめる父を真正面から見据えた。
部屋の光を反射するほどに磨かれたテーブルの両サイドは空いた椅子がずらりと並び、
定距離毎に置かれたいくつもの燭台の向こうに、
食事をしている父が見える。
空いた席は父の腹心の部下達の席だ。
向かい合うようにして末席に案内されたエドワードは、
父が今更どうして自分を呼び出すのかいまいちよく分からなかった。
ここに自分の居場所は無いはずだ。
数年前、自らそれを拒絶したのだから。
そして今、また同じようにテーブルで真正面に二人は向き合っている。
「終わったぜ」
エドワードは運ばれてきた紅茶のカップをすすりながらぞんざいに言った。
エドワードが目で示したトランクを、執事が手にして
ホーエンハイムのところまでしずしずと運んでいく。
「ご苦労だったな」
食事の手を止めずに父はさらりと言った。
眼鏡の奥が何を見ているのか、エドワードの座っているところからは
遠すぎて分からない。
「何か、されたか」
「いや。別に」
「………」
ホーエンハイムは黙りこくってナイフとフォークを置き、
グラスに注がれたワインを飲み干す。
「抵抗すれば殺せ。そう言ったはずだ」
何もかもバレている。エドワードは内心舌うちした。
「オレはあんたの部下じゃない。」
言い返した言葉に、また言葉が返される。
「しかし、今は私の命令で動いているはずだ」
「…だとしても、だ」
エドワードはホーエンハイムを睨みつける。
「オレはあんたの部下になるつもりも稼業を継ぐつもりもない」
父は一息置いてからエドワードの言葉を無視するように続けた。
「……錬金術などまやかしだ。」
きっぱりと言い捨てるホーエンハイムに、エドワードは手を軽くあげる。
聞きたくない。いや、正確には聞き飽きた、だ。
「そのまやかしの研究材料を提供するって言ったのはアンタなんだけどな」
ホーエンハイムはナプキンで口元を拭きながら
脇の執事に開かせたトランクの中身を横目で確認し、
別部屋へと持っていかせる。
「約束だぜ。この遣いが終われば情報を提供すると」
執事がグラスにワインを注ぐのを待ちながら
ホーエンハイムはまたひとつ息を吐く。
「条件は半分しか果たせていないぞ。
私は奴を殺せと命じたはずだ。なのにお前は…」
「抵抗したら、だろ」
「抵抗するのは分かっていた。だから最初から殺せと言ったのだ」
エドワードは息をつく。
「この街は……血が流れすぎなんだ」
父がもつような組織は、セントラルに大なり小なりいくつも存在した。
セントラルの水面下には麻薬や人身売買が横行している。
その専売権や縄張りの争いから抗争が絶えなかった。
そして、さらに拍車をかけるような法が大総統府より制定された。
それが、禁酒法。
「そんな考えでは生きていけんぞ」
ホーエンハイムは言い切った。
その父の手にはなみなみと酒が注がれている。
あって無いような法律だ、とエドワードはそれを見ながら自嘲した。
大総統府が何を思ってこんな悪法を施行したか、
エドワードには興味は無かった。
しかし、酒はあるし、飲まれている。
酒の価格は高騰し、日の当たらないところで取引は横行している。
麻薬や人身売買の市場に加えて、酒の市場価値は跳ね上がった。
その専売ルートや販売領域を巡って連日血が流れている。
「別に。この世界でずっと生きていくつもりはない。」
何度も繰り返してきた押し問答を、エドワードはまた始めていることに気づく。
もう何度目だろうか。ホーエンハイムの考えにどうしてもついていけない。
諦めきれないというホーエンハイムの視線を遮断するように、
エドワードは父を促した。
仕方ない、という風にホーエンハイムはワインをまたあおる。
「ヤオという男を知っているか」
エドワードが首を横に振るのを見て、
ホーエンハイムは銀のプレートを持った執事に何かを渡す。
執事はゆっくりとエドワードの所まで歩いていき、
プレートの上にのった紙切れ一枚をエドワードに示す。
それを手にとってエドワードは中の書き込みに目を落とした。
「そいつが東から何かの石を持ち込んだという話が流れている。
そいつが今夜現れる場所がそれに書いてある」
東…とエドワードはぽつんと呟いて、
先ほどの店で同じ単語を聞いたことを思い出した。
「知っているかもしれんが…」
ホーエンハイムは気にも留めていないという風にゆっくりとした口調で続けた。
「ロックベルが東の連中と手を組んだ」
「……東って」
エドワードが顔をあげれば、
はるか向こうの席の父の顔は少しばかり険しい色を帯びている。
「東の国。シンだ。そこから別ルートで金が流れている」
店の男が言っていたのはこのことか、とエドワードは臍をかむ。
ロックベルは、セントラルに数多く存在するファミリーのひとつだ。
ホーエンハイムの次に勢いのある勢力。
それが、別組織と手を組んだという。
「ふぅん…対抗勢力ってわけ」
すんなりと手を組めたのかとエドワードは内心驚いている。
顔色には出していないが。
しかし、それさえも読み取ったように
ホーエンハイムは行くといいと言葉を続けた。
「そこの娘が結婚するらしいからな」
娘…?とエドワードは思考を巡らせる。
そして数拍の間をおいて、あ、と顔を引きつらせた。
「結婚て……あいつがぁ…?」
げ、という表情をして固まったエドワードを残して、
ホーエンハイムは席を立った。