小説「Choice」
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chapter1




セントラルのとある薄暗い路地を
一台の黒塗りの自動車が音も無く止まる。

酷い土砂降りだな、と息をひとつつきながら、
少年は、少し待ってろ、と運転席の弟に声をかけた。
了解、と明瞭な答えが返ってくる。
それに満足して、車を降りる。
黒い帽子を目深にかぶり直しながら、
雨に濡れるのも構わずゆっくりと歩き出す。
目指すは、橙の明かりが窓から薄暗く洩れる一軒の店だ。

扉を押し開ければ、むっと鼻をつくのは煙草と酒の臭いだ。
そして、目につくのは、店内にまばらにいる客らしき者の好奇の視線。
それには構わずに、少年はそのまま店に足を踏み入れる。
木張りの床がぎしぎしと音をたて、
少年が進んだ後には、彼のコートを伝って落ちる水滴の痕が残った。
空席の目立つテーブルの合間を縫うようにして、
自分を睨むようにして店の最奥のテーブルにつく初老の男の前までまっすぐに向かう。

「使いの者だ」
少年は短く言った。
男は息をひとつのみ、目の前に立った少年を血走った目でぎょろりと見上げる。
乱雑に空の酒瓶が転がったテーブルの上に男は左手を軽くのせ、
もう片方の右腕は何かを隠すようにだらりと脇に垂らして、
くたびれたように椅子の上に座っている。
テーブルの上に軽く着いた男の左手は、小刻みに震えていた。
そんな様子を少年は舐めるように一瞥しながら、
わずかに目をきつく細める。


「…約束の、金だ」
震えを隠そうとしているのか、息もきれぎれな声で男はようやく言った。
投げ出されるようにして、丸テーブルの上に置かれたのは
黒い革張りのトランクだ。
差し出されたトランクを前にして、少年は顔色ひとつ変えずに手をかけた。
ばちんとひときわ大きな音を立ててそれは開く。
中身を改める少年の金色の眼は、獲物を狙う猫の目のように油断が無い。

「……確かに。」

表情ひとつ変えずに、少年は小さく言葉を継ぐ。
「額面通りだな。確かに受け取った」
声は低い。
一本にまとめた金髪は濡れそぼっていたが色味の強い光沢を失っておらず、
鋭い光を宿す金色の眼は、目深にかぶった帽子の奥からも存在感を主張する。
少年の名はエドワード。
この辺りに出入りする人間なら誰でも知っている名前だ。


「次からは納期を遅らせるなよ…」
伝言だ、とトランクを左手に持って、
エドワードはゆっくりと探るように付け加えた。
「ああ……」
男はまだ震えている。脂汗が額から流れ落ちている。
エドワードはそれを目にしながら、まだ何かあるか、と男に問うた。
いや、と言いかけた男は、ひとつ息を呑んで違う言葉を口にする。

「聞いたんだが…東からの別ルートをあいつらが掴んだって話」
エドワードは首をわずかにかしげる。
「…東からのルート?」
何の話だ、と言い返すと、
青ざめていた男の顔に、冷えた笑みが張り付いた。
しかし、流れる汗はとまることが無い。
「知らんのか」
エドワードは眉をわずかに顰めて、知らないなと答える。
「東の連中と奴らが手を組んだんだ。…独占ルートを失ってお前の親父はさぞ悔しがってるだろうがな」
「………」
沈黙が落ちた。
エドワードは真っ直ぐに男を見詰めた。
震えの止まらないその男を。
なぜこの男はこんなに怯える。理由はなんだ。
挙動不審な男の目は、そわそわとテーブルの上を泳ぎ、
さらに立っているエドワードの背後へと急に方向転換する。
異常なほどに落ち着きを失っている。

だから、エドワードはその瞬間を見逃さなかった。
泳いでいた男の目は、一瞬脇にそれる。
正確には、だらしなく垂らしていた右の手の、中にある武器に。

「…っ!」
男が息をひゅっと呑んだのを察知する。
その瞬間に響くのは一発の銃声。
標的を逃した弾はあらぬ方向へ飛ぶ。
その次の瞬間にガラスの砕ける音が部屋に響いた。
弾丸を間一髪で避けたエドワードは、かがみながらも両の手を合わせることを忘れない。
薄暗い部屋に場違いな蒼い光が弾けた。
刹那、木々の砕ける音と人の悲鳴が響く。
見れば、床板がまるで鞭のようにしなって男を拘束している。
小走りで駆けるエドワードは男が取り落とした銃を拾い上げ
身動きの取れない男の背後に素早く回りこむ。
手の中の銃をぴたりと男のこめかみにあてて、一言低く、
「動くな」
と呟いた。
男にではなく、周囲に控えていた店の客に、である。
まばらに立ち上がった男達の手にはそれぞれ黒く光る武器が握られている。

金色の瞳は射抜くように油断無く
薄暗い店の中を見渡す。
身動きの取れない男は撃つんじゃない、と武器を握ったままじりじりと
エドワードを包囲する男達に命令した。
時折ガラスの破片がぱらぱらと砕け落ちる音以外の音はしない。
静まり返った店内の最奥で、
エドワードは低く口を開いた。
「誰の、差し金だ?」

答える者はいない。
棒でも呑んだように立ち尽くした男達は、一心にエドワードの挙動を眺めている。

「もう一度言う。…誰の、差し金だ」
ぶるぶると震えている男のこめかみに当てている銃口を
じり…とねじるように力をこめて押し付ける。

「言え。でなきゃ、撃つ」
10秒待ってやるよ、と軽い調子で言ってから、
エドワードはさらりとカウントを始める。
待て、待て、という男の制止虚しく、数字はどんどん小さくなっていく。
それにつれて、引鉄にかける指にぎりぎりと力をこめていく。

「3、2、1…」

ゼロ…とは言わず、
一息置いてから、エドワードは唐突に怒鳴った。
銃声は、…響いていない。

失神した男を床に転がして、
エドワードは銃を男達に向ける。
「…錬金術師に銃一本で対抗しようっての?」
くるなら本気で来いよ、とエドワードは軽く笑って、
銃を向けたまますたすたと店の出口まで歩き出す。
笑ってはいるが、目は笑っていない。
そんなエドワードを前にして、
身動きをしようとする者はいない。

扉に手をかけて、外に出ようとした時、
あ、そうだ、と思い出したようにエドワードは店内を振り向いた。

「親父には報告しておくから。…本職がこないうちに逃げたほうがいいぜ」
じゃーな、とエドワードは手を振る。
手にしていた銃を放り投げて、バタンと扉を閉めれば、
店のすぐ手前には黒塗りの自動車がつけている。


「どーだったの?」
車に乗り込むとすぐに、運転席の弟、アルフォンスは発進させた。
んー…とやる気のないような面倒そうな表情を浮かべながら、
エドワードは後部座席に収穫物であるトランクを放り投げる。
「虫が飛んでた」
「え。…始末したの」
「いんや」

それより…と、エドワードは帽子をとって、水滴を払う。
「…面倒なことになりそうだ」
隣のアルフォンスはぽそっと呟いた兄をちらりと見てから、
また視線を前方に移した。
打ち付けるような雨が視界を濁らせている。

土砂降りの中、二人を乗せた車は
セントラルの街中を一路ひた走った。






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