私は寝食外出以外では
1日のほとんどをPCの前で過ごして仕事してますが、
映像と音楽とお菓子は作業上必須です。
小説書きながらどうやって映画を観るんだよとか言われましたが、これが普通に観れるんですよ奥さん!目で見るんじゃない、耳で見るんだー!
そんなわけでここ1ヶ月くらいでみたもの。
「エリザベス・ゴールデンエイジ」を借りて観ました。
なーかーなーかー良かったです。
女王が嫉妬に狂ったり、威風堂々に演説したり。
自分も女ですが、エリザベスの醜い部分もまるっとひっくるめて震えます。ある意味、この「処女王」に憧れます。
この映画、去年は映画館で見る暇がなくて残念だったんす。
「ブーリン家の姉妹」も観たいんだがな、タイミングが合わなさそうです。とほー。
英国史で一番心ときめくのは、私はやはりテュ-ダー朝です。マイナーかもしれません(いやそんなことないか!)英国国教会を巡るイギリスの歴史はどろどろしてて、カトリックとの対立におけるイギリスのジレンマはたまらんのうとハァハァします。
そんなどろどろの犠牲者(ある意味立役者)でもあるアン・ブーリンなんてもう心ときめくどころじゃないですよ。記録では語られることのない歴史の隙間を想って妄想がどんどん膨らんでしまう人物のひとりなんです。エリザベスはその一人娘!だからなおさらホント色々妄想できてしまう。ああ、みたいです、ブーリン家の姉妹。
ブーリンの代わりに観たのは「ネコナデ」と「おくりびと」。
ネコナデにはひたすら癒されたんだぜ…あんな猫欲しい。トラの名前がリアルにトラだとエンドロールで分かってうっかり吹いてしまいましたが。今住んでるマンションは、猫Okなので、ぶっちゃけプライベートが色々落ち着いたらホントに猫を飼うかもしれん…。
「おくりびと」はずるい映画でした。
なんちゅうか、人の死を創作物で取り扱うのって、結構勇気いるし、私は書き手でもあるからかもしれないけれど、こういう映画の描かれ方をされると「狙ってる」ってどうしても想っちゃうんですね。んで、わかってるくせにあえて「狙う」のが「きたない・ずるい」ってつい批判的に想っちゃう感覚が染み付いちゃってて、この映画を観て泣かされた自分が悔しくてしょうがなかったという。でも、納棺師が登場人物である以上「死」と「生」へ目を向けざるをえないというのは分かっているので、その描かれ方には必然性を含んでいるんだと想うことで、やっとこさ受け入れられたような気がします。
社長の言葉がとてもよかった。
飯を食いながら「これも御遺体だよ」という所。
あと、「死にたくないなら命を食っていかなきゃ」(うろ覚え)
あと、御遺体だよと言ったそばから「うまいんだなぁ。困ったことに」
なぜ人は「食う」のか?
「食う」とはなんなのか?
こんなに端的な言葉がありますかね。
食ってるご飯だって「御遺体なんだ」よって。
震えたなぁ、これ。
死体に触れてる納棺師に対する差別的発言も幾つか見られましたけど、
死を嫌悪する・禁忌扱いするような風習だったり人の深層意識だったりってのがやっぱりあるわけじゃないですか。
でもその一方で私達は常に死に触れてるんです。
生きるために。
生のための死があるんです。
とても身に染み入る死生観をみせつけられて
そういう意味では
たいへん気持ちよい想いをさせてもらった映画でした。
あ!!
でも最後の父親が石を持ってたところは、いくらなんでも狙いすぎだーー!
やっぱずるいやこの映画。