小説:「シ ュ レ デ ィ ン ガ ー の 猫 は 泣 く」
それは、たった2週間の出会いと別れでした。

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06.土曜日
-The day of 6th on Saturday-





■土曜日■


 その日も彼女はやはり現れなかった。
「もう五年になるよ」
 コーヒーの豆を挽きながら、ピナコはぽそりと言った。
「前の大戦に志願してね。それっきりだ。あたしゃ、よしなって言ったんだ。まだ一六だった。最初のうちは手紙が頻繁にきてたんだが、それも長くなかったよ。敗戦を迎えても、帰ってこなかった」
 周囲の人間は、悲観的だった。
 エドワードはその日、窓際ではなく、カウンタに腰をかけて、図書館から借りてきた本と一緒に、白い手紙をテーブルの上に置いた。
「だってそうだろ?」
 カップをお湯で温めながら、ピナコはエドワードに同意を求めるように言った。
「五年だよ。仮に生きてたとしても、帰ってこないってことは、つまりそういうことじゃないか」
 そして、彼女は手紙を待つようになったという。マスタングはそんな彼女に郵便をずっと渡し続けていたのだ。
「それからあの子は、宛先不明の手紙を書くようになったんだ。来ない返事を待ち続けながら」
 古びたポストに、彼女は手紙を投函し続ける。
 使われていない、存在を忘れられたあのポストが、投函すれば必ず相手に手紙が届く不思議なポストだと、一体誰が言い出したのだろう。そんなふざけたことを彼女は信じて、手紙を出しているのだ。もしくは、信じていなくても、手紙を出すことで、返事を待ち続ける理由を作っているのかもしれなかった。その結果が、受取人の名前しか書かれていないこの白い手紙。
 エドワードは、マスタングから渡されたそれを、開封して読んでいた。何度も、何度も。彼女が過ごす、無為に流れる日々をつづった手紙を。
「あんたがこの店に来るようになって」
 ほとほととコーヒーをカップに注ぎながら、ピナコは目元を緩ませた。
「あの子の顔色はだいぶよくなったよ。ついこの間まで、もう駄目じゃないかと思っていたんだ」
 ソーサの上にカップを置いて、ピナコはエドワードの目の前に置く。
「なんの、病気なんだ?」
 白く立つ湯気を見つめながら、エドワードはカップをソーサの上でくるりと回した。
「……分からない。例の学者先生の所から帰ってきてから、ずぅっと様子がおかしくてね。昼日中から倒れるし、血は吐くし、顔色はあんなだろ? お医者も手がないってほとほと困ってるらしい」
「そうか」
 エドワードは虚ろに相槌を打った。ゆらりとカップから立つ白い湯気が、音もなく空に霧散していく様をひたすら眺めていた。
「なぁ、あんた」
 そんなエドワードを見つめながら、ピナコは身を乗り出した。どこか期待を孕んだその声に、エドワードは無意識に身を硬くする。
「あんた、あの子のそばにいてやってくれよ。顔も似てるし、名前も一緒だ。……あの子が少しは落ち着いてくれるかもしれない」
 なんだそれ、とエドワードはカップに口をつけながら眉をしかめた。
「それがいい。……あんたに会ってから、あの子の顔色はだいぶよくなったんだよ」
「馬鹿言わないでくれよ、おばさん」
 エドワードは、ピナコに、というよりも、半分以上は自分に対して言っていた。
「オレは、あのひとの恋人じゃないんだ。……別人、なんだよ」
「別に、恋人になれってんじゃない。もうしばらくここにいて、あの子が落ち着くまで様子をみてやってくれ、ってことだよ」
「身代わりってか」
 ハ、とエドワードは笑おうとした。しかし、笑えなかった。テーブルについた指先のすぐ傍に、白い手紙がある。
 エドワードは金色の瞳を小さく歪ませた。なぜ、受け取ってしまったのだろう。
(救いが、ねぇよ)
 彼女にとっての恋人が自分によく似ているのだとしたら、余計にまずい。だって、彼女は「彼女」に似ているのだから。
(まずいだろ)
 エドワードはコーヒーカップを置く。中身は半分以上残っていた。まずくはないが、ひどく苦かった。ゆるゆると、足元から身体の全部が罪悪色に呑まれていく。なぜ、こうまで罪悪感に苛まれるのか、エドワードは考えようとしなかった。考えたくなかった。知りたくなかった。見たくなかったのに。
 手紙は、受け取ってはいけなかったのだ。
 くそったれ、とエドワードは腹の中で悪態をついた。ガタン、と乱暴に音を立てて椅子から立つと、コインを叩きつけるようにテーブルに置いて店を出る。
 ピナコは、何も言わなかった。顔色を変えたエドワードを、黙って見送る。
 ピナコの視線を背中に痛いほど感じながら、エドワードは店の扉を閉めた。カランカランと鳴るベルの音がひどく大きく、重たく聞こえた。
 まずい、と思い始めていた。踏み込みすぎている。この店に、これ以上来てはいけない。彼女に、これ以上、踏み込んではいけない。手紙を、受け取ってはいけない。

 しかし、もう既に、遅かった。






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■シュレディンガーの猫は泣く-改訂バージョン-
劇場版鋼の錬金術師シャンバラを征く者 エドワード&ウィンリィ&ロイ
初出:2006.03.18

presented by 砂のしろ
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