■金曜日■ エドワードはカフェに入り浸っていた。大学からの帰りには必ずピナコの店に行く。そんなエドワードに、同居のアルフォンスは不思議そうな目を向ける。 「兄さん、そんなにコーヒー好きだったっけ?」 「んー……―別に。通りすがりに、ちょっと寄っているだけだ」 ふぅん、と、朝食の場でアルフォンスはさして気に留めた様子もなく、じゃあボクも今度行ってみようかなぁなどと呟く。「彼女」に似た少女がいると、エドワードはまだ言っていなかった。隠す必要は無いはずなのだが、とりたてて言う必要もない気がした。この世界には、時折そうしたことがあるのだ。向こう側に住んでいる人間とそっくりな顔をした人間が普通に暮らしている。彼女しかり、店主しかり、そして、あの郵便配達員しかり、だ。 しかし、その日、彼女はカフェにいなかった。 「あれ。ウィンリィさん、いないんですか」 扉に吊るされた鐘を鳴らしながら入ってきた配達員は、ピナコにいくつかの手紙を手渡しながら訝しげに問う。 「ちょっとね、具合が良くないらしい」 ピナコと彼の会話を、コーヒーを啜りながらエドワードはなんとなく耳で聞いている。 彼女は来ない。 まだ熱いコーヒーを一気に飲み干すと、読みかけの本を閉じて、エドワードはお金を取り出す。 「おばさん。お勘定」 カウンタにコインを置くと、エドワードは配達員の横をすり抜けて出て行く。カランカランと扉がうるさく鳴った。毎度、と言うピナコの声を背中に聞きながら、エドワードは表に出る。 石畳の道路を歩きかけて、エドワードは思わずカフェのある建物を仰いだ。古びたレンガの壁面には緑色の蔦が巻きついている。並んだ窓のどこかに、彼女の部屋があるはずだった。 「おい」 不意に呼び止められて、エドワードは振り向く。見れば、郵便配達の男が立っている。 「彼女なら、君には無理だよ」 「は?」 紺色の制服に身を包んだ男は、肩から提げた黒のカバンから新しい手紙を取り出しながら、ゆっくりと言う。 まだ夕方にもなっていないベルリンの町で、あの世界のマスタング似の男がおかしなことを言っている、とエドワードは心底おかしな気分になってきた。 「なに、言ってんの? あんた」 「お前は知らないだろうが、彼女には恋人がいる」 音信不通だがな、と、マスタングは冷ややかに付け足した。 「この五年、彼女は手紙を待っている。恋人からの手紙をな」 「……」 紺色の制帽の端から、射抜くような瑪瑙色の眼差しが刺さる。エドワードは睨み返すようにその眼差しを受け止めた。 そう、とエドワードは静かに頷いた。 「心配しないでよ、おじさん。……オレとあのひと、そういう関係じゃないから」 「……」 マスタングは冷ややかな眼差しをエドワードに向けた。 「お前、名前は?」 「エドワードだけど」 マスタングはわざとらしいため息をついた。 「顔が似てるだけだと思ったら、名前もか。最悪、だな」 む、とエドワードは彼を睨みあげた。 「アンタなぁ、随分失礼な言い草だな。人の名前きいておいて、最悪、かよ」 喧嘩売ってんのか、とエドワードが口をへの字に曲げても、マスタングの表情は変わらなかった。彼はおもむろに、制服の胸ポケットからそれを取り出す。 「?」 差し出されたのは封筒だった。エドワードは、なんだ? と手を伸ばす。 「あのポスト」 「え」 マスタングはそろりと視線を横に走らせる。つられるように、エドワードもその視線の先に目を向けた。 通りを行き交う車の向こうに、古びた赤い郵便ポストがあった。カフェの窓際から、いつも見えていた、忘れられていたポスト。彼女と一番最初に出会った場所だ。 「……手紙を入れたら、必ず相手に届くポストなんだそうだ」 「は?」 男が何を言い出したのか、エドワードには分からなかった。 「住所を書かなくても、どこにいても、必ず相手に届くんだそうだ。……全く、誰が言い出したんだろうな」 もう使われていないのに、と自嘲的に彼はそう言って、手紙を押し付ける。 「これは」 エドワードは手紙を受け取る。くたびれた白い封筒には住所はなく、名前しか書かれていない。 「宛名が本当にお前だったら良かったのにと思うよ」 手紙に書かれたそのファーストネームに、エドワードは目が釘付けになる。 マスタングは暗澹とした表情で、冷ややかに告げた。 「手紙だ。……彼女からの」 |