小説:「シ ュ レ デ ィ ン ガ ー の 猫 は 泣 く」
それは、たった2週間の出会いと別れでした。

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04.木曜日
-The day of 4th on Thursday-




■木曜日■

 
 彼女と男が喋っている。声高ではないが、エドワードの耳に二人の会話は否応なしに入ってくる。
「昨日は来なかったから、マスタングさんに何かあったんじゃないかって心配してたのよ」
 カフェの入り口で、男は馬鹿言わないでくださいよ、と笑う。
「昨日はたまたま郵便が無かったんですよ。今日はかなりあるので、……大丈夫ですか?」
「本当に、いつもありがとう」
「いえいえ。こちらこそ、本当は私が持っていかなければいけないのに」
「あたしのわがままですから。気にしないでください」
 配達員は軽く会釈の仕草をして、カランカランと鐘を鳴らせながらカフェを出て行く。
コーヒー片手に本を読んでいたエドワードの隣に、彼女は手紙を抱えて陣取る。
「司書じゃなくて、郵便屋にでもなればいいじゃないか」
 揶揄うようにそう言うと、彼女は軽く笑う。それもいいわね、と。
 しかし、宛名ごとに手紙を並べ終わるころには、彼女の顔は暗澹とした影が宿り始めている。本を読むふりをしながら、エドワードは彼女の手元を見ていた。見ていたから分かる。……彼女宛の手紙は、ない。
 誰からの手紙を待っている?
 胸をつくその疑問を、エドワードは消そうとする。しかし、ことんと落ちたその空気を、敏感に彼女は悟ったらしい。ねぇ、とどこか懇願するような口調で言った。
「あなた、恋人はいる?」
 一拍の間が落ちた。
「……いない」
 じゃあ、と彼女は続けた。
「すきなひとは?」
「……―」
「いるの?」
「…………忘れた」
「……いるのね」
 エドワードは彼女の言葉に頷かなかった。すきなひと? そういう言葉で括れるような存在だっただろうか、あいつは。
「あんたは?」
 隣の彼女の顔ではなく、窓の向こうの古びたポストをひたりと睨みつけながら、質問をし返してみた。こういうときは、質問をする番がいい。
「いるわよ」
「ふうん」
 興味がないといえば嘘だった。彼女と同じ顔をした彼女の「恋人」。
「どんな、ひと?」
 そうね、とひと息間を置いた彼女の顔が、窓ガラスにうっすらと映っている。彼女の顔はどこか高揚したように朱がさしていた。
「無茶ばっかりしてね、危なっかしくて、勉強は全然出来ないし、でも機械にすっごく興味があって、自動車分解して怒られたりして―」
 おいおい、とエドワードは軽く苦笑いを漏らした。まるで彼女だ。
 でもね、と言葉を継いだ彼女はふわりと柔らかな笑みを浮かべた。ガラスに映った彼女の顔は、ひどく白い。
「でも、すごく、やさしいひと」
 エドワードはコーヒーを、ず、と啜った。苦い味がした。
(そんな顔して、語るなよ)
 どこか嫉妬めいた感情が渦巻いていることに気づいて、エドワードは慌てた。彼女は「彼女」じゃない。分かっているのに、時々忘れそうになる。
「……この辺に、住んでるのか?」
 途端に、彼女の笑顔が消える。聞いてはいけないことだったと、エドワードは即座に悟るが既に遅い。
「わからない、の」
 言いながら、彼女は手紙の束をきゅっと握った。憂いをはらんだ瞳をゆらゆらと瞬かせながら、彼女はぽつんと言った。
「だから、待っているの、あたし」






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■シュレディンガーの猫は泣く-改訂バージョン-
劇場版鋼の錬金術師シャンバラを征く者 エドワード&ウィンリィ&ロイ
初出:2006.03.18

presented by 砂のしろ
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