■Chapter:5 運転手の男は、眠そうな目でブルーノとウィンリィを見比べる。 「どうしたんだぁ? パウルはお前が具合わりぃって心配しちまってたぞぉ?」 俺なら大丈夫だよ、とブルーノは言って、ウィンリィの手を引く。 「どうしたんだい? その別嬪さんは」 「お願い、黙ってて欲しいんだ」 ブルーノは手を合わせて、運転手に頼み込んだ。ハンドルにくたびれたように寄りかかる運転手は、歳は六十くらいだろうか。しょぼしょぼとした瞳をウィンリィに向けたあと、しょーがねーな、とポツンと言った。 「なにしでかすか知らねぇけどな、社長に怒られないように気をつけろよ。……箱に入れられちまうぞ」 運転手は黄色い歯をむき出しにしてヒヒヒと脅すようにブルーノに笑った。 「分かってるって」 ブルーノは気にした風もなく、バスに乗り込む。ウィンリィの手をひいたままだ。 ウィンリィは息を呑んで、運転手の男に軽く会釈した。あいよ、と運転手は目だけで挨拶を返す。 バスの中は狭かったが、空いていた。二人がけの椅子が窓際に沿って二列に並んでいる。ブルーノはてくてくと進んで、一番奥の座席に陣取る。ウィンリィもそれに続いた。彼らの着席を待って、バスは再びヘッドライトで闇を切り裂きながら発進し始める。 「これに乗って工場まで行く」 ブルーノはこっそりとウィンリィに耳打ちした。ガタガタと揺れる車内は暗い。人は少なかったが、なんとなく大声を出すのははばかられた。 「でも工場内にまで入っちゃうと、エドワードのいる技術棟にはいけないんだ。工場の中から柵は越えられない。だから、工場の手前で降りて、そこから歩く」 わかったわ、とウィンリィは頷く。しかし、ふと不安になる。 「ブルーノ……あなた、身体は本当に大丈夫?」 まだ明るい夜の街の光を抜けて、バスはひた走る。幾筋もの光の線がウィンリィとブルーノの顔を走っては消えていった。走る光の筋に見え隠れするブルーノの顔色は、暗がりの下でもひどく悪いように見えた。 「だいじょうぶさ」 ブルーノは気丈にも笑ってみせた。 「俺、いつもエドワードの実験を見ているんだ」 「実験…」 「そう。箱の中にな、猫を入れるんだよ」 「猫?」 うん、とブルーノは頷く。 「夢の国に行く実験なんだ。その箱はエドワードが造った装置で、エドワードはそれを使って夢の国へ行く方法を探してる。……すごいんだぜ、あそこの国から色んなものをとってきたりするんだ。たいていは、赤い宝石なんだけれど」 ウィンリィは緩やかに不穏なものが身体をぞろりと這う感覚を確かめていた。ブルーノの言う「エドワード」が彼ではないと、ウィンリィはもちろん確信はしている。しかし百パーセントではない。だから、確かめにいくのだ。だが、ブルーノの話をきいていると、胸に落ちる不安を消せない。 彼の言う「エドワード」は何をやっているのだろう。ひどく不吉な予感がした。 「箱に入れた猫って」 ガタガタとバスは激しく軋んだ。それに舌を噛みそうになりながらも、ウィンリィは言葉を続けた。 「どうなるの?」 「さぁ?」 ブルーノの答えはあっさりとしていた。 「実験が終わったあと、猫はいなくなってる。エドワードは、向こう側の世界に行ったんだよ、って言ってる。で、いつかは人間を連れて行きたいんだって」 「……」 ウィンリィは息を呑んだ。目の前の少年は、夢の国、などと言っているが、ウィンリィはそういうイメージを持ったことがなかった。少なくとも、エドワードが消えた世界は、夢のような世界ではないだろうと思った。あの惨状をもたらした世界が、夢に満ち満ちた世界だとは思えない。 「人間を連れていったことは、ないんだ?」 「うん……」 ウィンリィの問いに、ブルーノの声のトーンはふつりと低くなる。 「……猫みたいに小さければいいんだけれど、人間はデカイから、入り口が狭すぎるんだって言ってた」 だけどな、と思いなおしたように、ブルーノは声を明るく張り上げた。 「いつかきっと人間が通れる位の出入り口を造れるようになったら、俺を連れてってくれるって言ってくれたんだ」 彼の声は心底嬉しそうだった。そのエドワードの言葉を信じきっていて、一欠けらすらも疑っていない。 そう、とウィンリィは低く相槌を打った。ブルーノが明るい声で未来を語れば語るほど、エドワードを語れば語るほど、暗鬱とした気持ちに堕ちていくのは、なぜだろう。 |