Chapter2 目が醒めたら、外一面、雪化粧だった。 きちんと閉めなかったカーテンから漏れる日の光が、いつもより白いように見えて、エドワードはベッドから起き上がる。いつも以上に底冷えた朝だった。ベッドから抜け出さずに、そのまま毛布にくるまってしまいたくなる。 カーテンを一気に押し開けると、小さな出窓がある。凍りつくように冷えたガラス窓の向こうに、純白の世界が出来上がっていた。アパートの三階であるその部屋から見えるのは、ドイツ・ベルリンの街並みである。 「……っさっ…みぃ……」 ぶるっと身をひとつ震わせて、エドワードは自分の身体を抱えるように、両腕を組む。キチっと、金属音が冷たさに悲鳴をあげるように軋んだ。うお冷て! とエドワードは思わず右腕を離す。彼の右腕と左足は、金属製の機械で出来ているのだ。 右手の掌を見つめながら、握ったり広げたりする。寒さにめげずにきちんと動くその機械鎧の整備を受けなくなって、……受けることが出来なくなって、もう二年が経ったのだ。 「にいさぁあん? 起きてるぅう?」 ふと呼ぶ声に、ハ、とエドワードは顔をあげた。ぎょっとして、ヘッドボードに置いてある目覚まし時計に目をやる。 「あああああああああ!」 轟く悲鳴に、床を噛むドスンという鈍い音。 隣室からその物音を聞いているのは、アルフォンスだ。狭いシンクに向かって洗い物をしていた彼は、ヤレヤレと肩をすくめた。 ほどなくしてドタバタとダイニングルームに駆け込んでくる兄に、アルフォンスは呆れたように声をかける。 「おはよー、兄さん」 「遅刻だ!」 自室から飛び出してきたエドワードときたら、ポニーテールに括った髪はぐしゃぐしゃで前髪には寝癖すら残っている。既に片手は黒い鞄を持ち、コートも着た状態の彼は、無造作にテーブルに作り置かれた朝食のスープカップに手をのばすと、エドワードはそれを一気に飲み干す。 「食事当番、今日は兄さんの番だったろ。守ったためしがないんだから」 水道を勢いよく出しながら、アルフォンスは大慌てで腹ごしらえをする兄を咎める。 「わりぃ! てか、なんで起こしてくれないんだよ!」 えー、とアルフォンスは困ったように兄を振り返って見上げた。二人の兄弟の年齢差は元々は二歳だったが、色々とわけあって、肉体的な年齢は四つ離れてしまっている。十六になるアルフォンスはギムナジウムに編入し、二十になるエドワードはベルリン大学に編入してそれぞれ学生になっていた。 「起こしたよ! 何回も。だけど兄さんあと五分、あと五分って言ってすぐベッドにもぐりこむんだもの」 なに言ってるんだよ、と言いながら、アルフォンスはじゃぶじゃぶと音を立てながら使った食器を洗っている。 「あー……そうだったっけ?」 エドワードはきょとんとする。 「そうだよ」 弟が頷くのを見ながら、ごくんと最後までスープを飲み干す。 ふっと何かが頭の中を白く掠めたような気がして、エドワードの挙動が一瞬止まる。 (あれ?) 何か、夢を見ていなかっただろうか。寝ている時に。だから起きるのが辛かったのだ。だが、なぜだか、夢の内容が全く思い出せなかった。 「兄さん?」 ボーっとしだした兄の顔を、おーい、とアルフォンスは呼ぶ。洗い物をしていた手をぶんぶんと兄の顔の前で振ってみた。ぴちゃ、と冷たい水がはねてエドワードの頬にはりつく。 「つめてぇ!」 なにすんだアル、とこの二年ほどの間にすっかり背丈が伸びて自分と同じ位に並んでしまった弟を咎めるようにエドワードは見返す。 アルフォンスはニコっと笑ってみせた。嫌味すら込めて、兄に告げてあげる。 「時計見て。九時過ぎてるよ」 「……ッ!!」 ぎょっと目を見開いたエドワードは、ぐるりと首を回すと、アルフォンスが指し示した壁に掛けられている時計を自分でも確かめる。カッチリと音を立てて、時計の針はさらに一分進んで九時三分だ。 「かんっぜんっに、ちこくだぁああ!」 悲鳴をあげてエドワードは片付けもろくにせずにドアに走り出す兄の背を、やれやれとアルフォンスは見送った。アルフォンスの学校は、今日は休日のために休みだった。兄も本当なら休みのはずだったが、どうやら課外講義に出る腹づもりらしい。前日にその話を聞いたアルフォンスだったが、それを話した当の本人が寝坊とは呆れる。 「あ」 洗い物の続きをしようとシンクに向き直ったアルフォンスだったが、ハタと思い出して部屋の出口を振り返る。 「兄さん、そういえば手紙……」 もちろん、猛ダッシュで出かけていった兄がいるはずはない。はぁ、とアルフォンスはため息をついた。兄の大学から手紙が届いていたのに、渡しそびれてしまった。 「まー、いっか」 兄が帰宅してから渡しても問題はなかろう、とアルフォンスは思い直し、再度流しに向かう。 雪が降り積もるほどに寒い朝。水は身を切るように冷たい。シンクのすぐ傍にある窓から、白い雪に彩られたドイツ・ベルリンの街が見渡せる。軒を連ねる建物も、遠くに見える教会の鐘も、真下のストリートも、白く塗り換わっていた。 (この世界に来て) ふと、アルフォンスの胸の内にコトンと音を立てて落ちてくる物がある。 (二度目の冬だ) 季節が巡れば巡るほど、向こう側の世界が夢だったのではないかという思いが強くなる。アルフォンスは首をふるふると振った。違う。夢なんかじゃない。 夢ではない。現実だった。いつの間にかそれを証明するために、生きているような気がする。だから、ある物の行方を追っている。最初はそうではなかった。持ち込まれたあの爆弾が、この世界にもあの世界のためにもならないから、探そうとしていたはずだった。それなのに、いつの間にか、アルフォンスの中で、その目的の目的たる理由がすり替わっているように思えてならなかったのだ。 あの世界は夢ではなかったと。まるでそれの証をたてたくて、勉強している気がする。兄はどうだか知らないが。 ん、とアルフォンスは目を凝らす。白い街の通りの向こうに見慣れた人影が背中を向けて走っていく。兄さんだ、とアルフォンスはその影を見つめた。しかし雪の積もった通りに足を取られて、人影はずるっと滑って転んでしまう。一体いくつになったらあの人は落ち着くんだろう。はぁ、とアルフォンスは深いため息をついた。 「急がば回れ、ってことわざ、信じたくなるよなぁ」 ポツンと落ちたアルフォンスの言葉に、答えるものはいない。 |