小説「Holy Ground」

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4章 迷走-6



爆発音に、その場が一瞬凍りついた。

エレーナはわずかに、赤く濁った瞳を歪ませる。
よく磨かれた机上に向かい合うように座るのは、
オルドールの政務を司る高官達ばかりだ。
一拍の間のあと、部屋には動揺が走る。
何事だ、とざわめく高官達の間で、
エレーナは机に両肘をついて手を合わせるような格好のまま、無言で正面を見据えた。
その視線の先に、長い机のさらに向こうの末席で
上目遣いにエレーナを仰ぐサラム・マックホルツがいる。

「落ち着け!」
エレーナの右隣に座していたハンスが、場を制するように一喝した。
息を呑んだ高官達は、
長い机上の上座に位置するエレーナの表情を一様に伺う。

エレーナは無言のままだ。
睨んだ先に居るサラムもまた。

「ハンス殿の采配には疑問があります」
周囲の動揺をよそに、サラムは蛇のような目を真っ直ぐにエレーナに向けている。
「私は、ハンス殿にその職務は荷が重過ぎるかと」
「……では、お前が、ハンスに代わる、と?」
エレーナの言葉は静かだ。
周囲は息を呑みながら、二人のやり取りを見つめる。
「そうは言っておりません。しかし、ハンス殿の判断には疑問が残ります。
先ほどの、国家錬金術師に対する判断にしても……」
「お言葉ですが」
サラムの言葉をさえぎるように、ハンスが口を割る。

「エドワード・エルリックは仮にも国家錬金術師です。
そう無体は出来ない。彼の背後には、ロイ・マスタングと、軍が居る。」
今、軍との関係に表立って波を立てるようなことはできない、とハンスは続ける。
「それに、彼のあの力……あれは、利用価値がある」
何かに言い聞かせるように、ハンスは力強く断言した。
押し黙るような空気が、その場に膨らむ。
重い空気を破ったのは、部屋に押し入るようにして入って来た警備兵だった。

「何事だ」
ハンスは切るように鋭く言葉を投げる。
息を切らしながら入って来た警備兵は、額に流れる汗もそのままに、
にじり寄るようにハンスの元に走る。
耳打ちされた言葉に、ハンスは眉ひとつ動かさず、
黙ったままサラムを睨むエレーナを見た。

「脱走です」
エレーナは視線を動かさない。
真正面にサラムを睨んだまま、彼か、と問うた。
ハンスは言葉もなく、頷いた。






建物自体がひどい地響きに見舞われていた。
軋む牢の天井から、ぱらぱらと埃が断続的に落ちてくる。
エドワードが牢の鉄格子を錬金術で破壊したその時だった。
突然起こった、耳をつんざくような爆発音と、それを追いかけるようにして発生した激しい振動。
足元のさらにずっと下のほうから、突き上げるような揺れに翻弄される。
不安定な足元に、ウィンリィはおぼつかなげにエドワードにしがみつく。
右手に錬成した槍を握ったまま、エドワードはもう片方の手を背後のウィンリィに後ろでに突き出す。
「離れるな」
肩越しに、真剣な表情を投げてくる彼に、
ウィンリィは思わず息を呑む。
気がついたら、頷いていた。
気がついたら、手を握っていた。
気がついたら、手を握り返されていた。

それに動揺する間もなく、エドワードは走り出す。
引っ張られる形で、ウィンリィも走り出した。

放り込まれた場所が一体どこなのか、エドワードには分からなかった。
石畳の続くそこは、ひどく薄暗い。
点々と配された蝋燭の光がふらふらと不気味にゆれ、
それに合わせて二人分の影がゆらゆらとゆらめく。
行く手の両側には鉄格子をはめられた牢がいくつも続いている。
中身は空だ。
小さく間仕切りされた牢が真っ直ぐに続く廊下の両側にずらりと並んでいた。
自分達はその最奥に閉じ込められていたらしい。
槍を手にして走り出したエドワードだったが、
間近にはひとけはない。
しかし、少し離れたところから、若干の人間のものらしい喧騒が耳に届いている。
天井の低いその廊下は、二人分の足音がひどく大きく響いていて、
空気の湿り気具合や気温の低さから、なんとなくここがどこかの地下らしいという予想を
エドワードは無意識に立てる。

走る視線の先には少しばかり明るい光が漏れる戸口がある。
出口かもしれない、とエドワードは勢いついて木製のそのドアを蹴破った。
躍り出るようにドアをくぐれば、
視界に飛び込んでくるのは物音に何事かと振り返る赤い目の人間が数人。
出口じゃなかった、とエドワードはぎり、と唇を噛む。
しかし、一本道のように続いたあの廊下に、他に行く手は無かった。
「お前は…!」
オルドールの人間らしき男達が身構える。手に手に携えられている槍やら棍棒やらを見とめて、
エドワードもまた武器を構える。
ウィンリィの手首をぐいっと後ろにねじり、彼女を背後に庇う。

「脱走者だ……!」
男達が口々に叫ぶ。
「さっきの爆発、お前の仕業か……!?」
爆発?とエドワードは眉をしかめる。
武器を振りかざして襲い掛かってくる男を槍の柄の部分でなぎ倒した。
「爆発って、なんだ……!」
次々に繰り出される武器に応戦しながら、
答えるはずも無い男達に向かって、エドワードは叫ぶ。

正面から切りかかってくる男を槍でねじ伏せた。
間髪入れずに振り向きざまに側面から襲い掛かってくる男を足蹴にする。
「ぼさっとするな…!」
エドワードが怒鳴った相手はウィンリィだ。
ひっ、と息を呑んだウィンリィはぐいっと腕を引っ張られる。
そして、そのまま鉄格子のはまった牢の壁際に身体を寄せられた。
背中に庇われながら、ウィンリィはエドワードの赤いコートの端を左手で握る。
そして、右手には、彼の左手。
じりじりと壁際に身体を寄せるようにして、
ゆっくりとエドワードはウィンリィを連れたまま横歩きに進む。
最初は数人だった敵も、
話を聞きつけて、徐々に数が増えていっているようだった。
その証拠に、いくら倒しても終わりが見えない。
畜生、とエドワードは背後のウィンリィと行く手を阻む敵を交互に伺う。

エドワードはちらりと横目で行く手を確認する。
遥か左手に、扉が小さく見えた。
開かれたその扉のさらに奥に、上へと続く階段が伸びているのが分かる。
ここが地下なら、あれは地上へと続く道に違いない。
エドワードはウィンリィの手をぐいっと引っ張る。

「走れ!」
「え……どぉ…!?」
行く手を阻む敵をもうひとり、なぎ倒す。さらにもう一人。
「あの扉だ!!」
「………っ!」
息を切らしながらウィンリィはエドワードの示した方向に瞳を巡らせる。
「あそこまで、走れ……!」

自分の右手を強く強く握る彼の左手の力がわずかに緩む。
それを感じて、ウィンリィは、即座に息を呑んだ。

……置いて、逃げろっていうの?

瞬間的に、ウィンリィはエドワードの左手をさらに強く握り返す。

「!?」
なんで…とエドワードは一瞬目を見開いて背後の彼女をうかがう。

わずかに歯を鳴らしながら、潤んだ青い目が睨むように自分を見ている。
痛くなるほどに強く強く、左手を握られた。
知らないその感触に、動揺する。


「この……」
馬鹿!と怒鳴りそうになるのをエドワードは途中で辞める。

視界の先に、見慣れた人影を目に留めた。



「狙うはその女だけでいい」



暗い廊下に響く声はしかし、どこまでも凛として力強い。
エドワードは、その声の主が誰なのかを見留めて、唇を噛んだ。

「……ハンス…っ!」

怒気をこめてその姿を睨んだ。
しかし投げられるその強いまなざしに、ハンスは微動だにしない。


「鼠が、いるようだな」
君じゃないみたいだけど、とゆっくりとした口調でハンスはエドワードを見下ろす。
「鼠だ…?」
なんのことだ、とエドワードは身構える。
ハンスが右手を軽くあげると、
それを見た兵士達は一様に武器を下ろした。
ハンスの行く手を阻むまいと、ぱらぱらとばらけて道を作る。
またしても囲まれてしまったエドワードは、
それでも背後のウィンリィを庇うように壁際に寄せる。
一度は離そうとした左手を、ゆっくりと、しかし力強く握りなおした。

紅い瞳は、そんな彼の背後にいるウィンリィにゆっくりと舐めるように視線を這わせた。


「なぁ、エドワード」
睨むように見上げてくる金色の瞳に視線をめぐらせながら、ハンスはゆっくりと口を開く。

…羨ましいと思っていた。
自分には無い、その力を。

胸焼けするほどに身の内を焦がすその感情を、
ハンスはなんとか封じ込める。
冷静でなければならなかった。
これから起こることを、これから起こすことを、
全てを、うまく運ぶ為に。
その為なら、誰を犠牲したとしても、構わない。

なんだ、と身構えるその国家錬金術師に、
感情の篭らない声で、抑揚無く言葉を投げた。
感情を抑えながらも、ハンスは内心嬉々としていた。
知っているのだ、と、憎悪にも似た気持ちを秘めながら、
悪魔の囁きにも似たその言葉を口にする。


「賢者の石、欲しいと思わないか」







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