エドワードの行方を喪失したという報がマスタングの元へと入ってきたのはそれからすぐだった。
「動いたな」
慌てた様子も無く、マスタングはホークアイの報告に耳を傾ける。
「で。上はなんと?」
ホークアイは、マスタングの言葉に目をわずかにきつくした。
「それが……」
わずかに言葉を濁すように、ホークアイは言いよどむ。
「どうした」
ホークアイの言葉を聞いたマスタングは、さてどうしたものか、と開いていた本に目を落とす。
「まぁ……鋼のは彼に任せるとして…」
問題はロックベル嬢だな、とマスタングは息をついた。
そうして、おもむろに椅子から立ち上がる。
「そろそろ、出るとしようか」
側に控えていたホークアイが、すかさずマスタングにコートを差し出す。それを受け取り、マスタングはポケットから手を出す。その手には白い手袋がはめられている。そして刻まれているのは錬成陣だった。
「行くぞ」
は、と短くホークアイが返答をして、二人を飲み込んだドアはゆっくりと音を立てて閉まった。
呼ぶ声がする。
エドワードは、彷徨うように手をのべた。
声はどんどん大きくなり、それとともに、身体を打つような痛みを伴う。
どこだ。誰が呼んでいる…?
「エド!」
はたと目を開けると、同時に激痛が襲った。
しかし、目の前に、ウィンリィがいるのを見てとって、エドワードは痛みよりも先に全てを思い出していた。
……先ほどまで、確か、エレーナと喋っていて、そして。
思わず身体が動いていた。がばっと上体を起こすと、さらに頭のほうに激痛が走る。
「馬鹿!無理しないで!」
傍らに膝をついたウィンリィが半分泣き顔で、エドワードの身体を押さえる。身体の下に感じるのは、固く冷えた石畳の床だ。そして、身体を起こした視線の先には、鉄の格子がある。視線を彷徨わせて、自分達が檻のようなところに入れられているのだとようやく理解した。そして、自分の両手が前に硬く縛られていることに、エドワードは気づく。
「ここ、どこだ…?」
「わかんない」
檻の中はひどく冷えた。灯されているのは短い蝋燭が一本のみだ。格子の向こうには同じような石畳の廊下が続いているようだったが、廊下を挟んで向かい側にも同じような檻がある。その檻は、もちろん空だった。
空気の湿った匂いがする。エドワードはぺろりと自分の下唇を舐めて、そう思った。
後頭部が、ズキズキと軋んだ。殴られたんだ、とようやく思い出した。それからの記憶はさっぱり無い。気を失っていたのだ。
「良かったぁ…〜」
ウィンリィは、心底安心したというような表情を見せて、ぺたりと地面に座り込んだ。
「ぴくりともしないんだもん…。もしかして死んじゃったのかって……」
エドワードは頭の後ろをさすりながら、阿呆か、と言い捨てた。
「人を勝手に殺すんじゃねぇよ。……つか、お前、仮にも医者だろうが」
だって!とウィンリィは眉を吊り上げる。
「あんまり恐かったんだもん!銃つきつけられて……」
思い出したように、ウィンリィの体が唐突に震えだす。
「あれ…あれ…」
座り込んだウィンリィの膝や肩が、ガクガクと痙攣をはじめる。
困ったように、ウィンリィは自分の体を抱えるようにして腕を回した。しかし、震えは止まらない。ガクガクと小刻みに、ウィンリィの意思とは関係なく震え続ける。
「あれぇ…?」
困ったなぁ…と笑おうとした彼女の顔が、硬く強張っていることに気づいて、エドワードは思わず、自分の頭をさすっていた腕を彼女に延べた。
「あ」
強い力で引き寄せられて、ウィンリィの頭はエドワードの肩の辺りにこつんと当たった。
「お前こそ。…無理すんな」
そんなんじゃないよ…といおうとしたウィンリィの目に、唐突に涙が溢れ出す。エドワードはそれをみてとり、思わず目をそらした。こいつが泣くのは、苦手だ。だけど、それくらいに、恐い思いをさせた自分がとてつもなく悔しい。
「ごめ…」
ウィンリィは慌てて涙を拭う。しかし、払っても払っても涙は勝手に溢れてくる。
「無理すんな」
少しだけ、つっけんどんに今度は言ってみた。でないと、自分が自分じゃなくなるような、こそばゆい感情が波立ちそうで、エドワードは内心はらはらした。
「泣き終わるまで、待ってやるから」
だから、とっとと泣き止め、とエドワードはぶっきらぼうに付け加える。
ぐす、とウィンリィは鼻をすすりながら、今度は何も言わずに、顔を伏せるようにしてエドワードにしがみついた。蝋燭がほのかに揺れる狭い檻の中に、すすり声はしばらく続いた。
ウィンリィはショックだった。
エドワードの忠告は正しかったのだ。エレーナに裏切られた気分だった。しかし、それ以上に、エレーナのあの哀しげな顔が焼きついて、脳裡から離れなかった。ぐちゃぐちゃと混乱する思考を整理しようと躍起になっているうちに、涙は自然と引いていく。しがみついた腕は、全然動こうとしない。黙って自分を待ってくれていた。それがなんだか安心できた。
「これから、どうなるの」
「さぁな」
エドワードはぐりぐりと縛られた手をねじってみる。手が自由なら鎌成も簡単に出来るのだが、見た限り、それはなんだか無理そうだった。自分の手首からは、鉄状の鎖が、長々と檻の外まで繋がっている。
「手が自由なら、なんとかなりそうなんだけど」
ちらりと目の前の鉄格子を睨みつける。
すると、ウィンリィが言った。
ウィンリィは、そっとエドワードの縛られた腕に手を伸ばした。
「な、なんだよ……」
思わず、エドワードは身を引く。
ウィンリィが側にいると、なんだか落ち着かない。どぎまぎするのだ。
何をする気だ、とあたふた身構えるエドワードに対して、ウィンリィは、解けるかも、とぽつんと言った。
「は?」
エドワードはぽかんとする。
ちょっと待ってて、とウィンリィが言うやいなや、彼女の手にはドライバーが握られている。
「………なんで、そんなもんがあるんだ?」
聞いてもいいのか、と思いつつ、エドワードは半ば呆れながら口を開いた。
「そりゃあ…」
ウィンリィは、ガチャガチャとエドワードの腕を拘束するその鉄の手錠をいじりまわしながら言葉を継いだ。
「あたしの機械鎧をやたらめったら壊してくれる馬鹿に喝を入れるために決まってるじゃない」
……オレかよ!と、思ってしまってから、エドワードは情けなくなる。自分を殴るために用意されたものに助けられている格好だったからだ。
「ほどけた」
ウィンリィは勝ち誇ったようにじゃらりと鎖を床に落とす。
エドワードは複雑な心境に陥りながらも、縛られた手首をぐりぐりとねじってならした。
「はい、お礼は?」
「………どうもアリガトウゴザイマス」
複雑だ!と思いつつも、口を尖らせて言うと、何よその不服そうな顔は〜!とウィンリィは眉を吊り上げる。
「まぁ、エドのために用意してたし。役に立ってよかったわ」
オレを殴るためだろ!と思ったが、エドワードは何も言わなかった。
手を合わせて、床の上から槍を鎌成する。
おお〜!とウィンリィは小さく手を叩いた。
「あんた、錬金術師だったのねぇ」
あのな…とエドワードは思わずがくっと力が抜けそうになる。
「……暢気だな、お前」
さっきはあんなに泣いてたくせに。心配して馬鹿みたいだ。
「そう?」
暢気かしら?と首を傾げるウィンリィを尻目に、
エドワードは目の前の鉄格子に、合わせた両手をひたりと当てる。
格子はからんからんと音を立てて分解した。
「だって」
ウィンリィはぽつりと言った。
「あんたがいるもん」
だから、恐くないって思える。これ、ホントよ?
エドワードは、「え…」と格子のあった場所に未だ手をかざしたまま、ぽかんと後ろを振り向いた。何、言ってんの?お前…?
振り向いた先に、淡々とした表情で自分を見返すウィンリィがいる。
それはいつもの弾けたような表情ではなくて、どこまでも真剣な色をしている。
今聞いたことがなんだか意味が分からなくて、
自分に向けられた彼女のその表情の真意を計りかねて、
エドワードは口を開こうとした。
それって、さ…と。
しかし、悠長に会話をしている暇は無かった。
「何の音だ!」
一拍の間を置いて、怒声が辺りに響き渡った。
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