小説「Holy Ground」

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4章 迷走-3



エレーナの横に不意に存在感を現したその男は、
昼間、オルドールの街中で、エドワード達を襲った男だった。

エレーナは哀しげに、わずかに瞳を伏せた。
そんな仕種にさえ影が落ち、どうしてこの人はいつもこんなに泣きそうな顔ばかり見せるのかと、ウィンリィはこんな状況にも関わらず思わずエレーナの顔を見入ってしまう。青い瞳は、わずかに濁った色をたたえながら、ウィンリィと、そしてエドワードを戸惑うように捉える。
だから、とエレーナは口を開いた。
「あなた達に出会わなければ良かった」

そう言いながら、立ち尽くすウィンリィに目をやる。
羨ましいと思った。それは素直な気持ちだ。何度か言葉を交わして、思わず自分と彼女を投影して比べてしまったことがある。…だが、全てはもう意味を成さない。父の目に留まってしまったからには。

「ご命令を」
側に立つ男が、静かに言った。エレーナの方には一瞥もくれずに、ただひたすら、その男の赤い目は、一心にウィンリィだけを捕らえている。…いつもそうだった、とエレーナは内心、自嘲する。誰も自分自身に対しては関心は無い。実の父さえも、エレーナを通してずっと母の姿を追いかけていたのだから。

エレーナは次の言葉を言えずにいた。
まだ迷っている。覚悟を決めたはずなのに、それでも迷っている。

「ウィンリィ!」
下がれ、とエドワードは声を上げる。しかし、ウィンリィは動かなかった。動けずにいた。手を伸ばせば届くか届かないかというすぐ側に、エレーナがいる。そして、その脇には、赤い目をした大男が、獲物を狙うような鋭い眼光で自分を捉えて離さない。
動こうとしないウィンリィの後姿を、エドワードは苦い思いで見据えた。昼間彼らは言っていたではないか。狙いはウィンリィだと。そして、エドワード自身には、殺せという命令が出ていると。
その命令を下しているのは……。
エドワードは、苦いものを呑んだように顔を顰めながら、エレーナをにらみつけた。
別に信用をしていたわけではない。マスタングは言っていた。気をつけろと。上官の忠告は正しすぎたのだ。それを、今まざまざと思い知らされている。

「なぜ、ウィンリィを…」
エドワードは、どうすればこのピンチを切り抜けられるか、頭の中ではめまぐるしく思考を重ねていた。時間を稼ぐために、エレーナを睨みつけながら、ゆっくりとなぞるように問う。
「別に。誰でも良いのだ。…条件に合いさえすれば」
淡々とした口調で、エレーナは答えた。その姿は、もうどうにでもなれ、というような気だるさがどことなく強い印象だった。
「条件、だと?」
「そう」
エレーナは、ウィンリィを真っ直ぐに見据える。
「父が提示した条件だ。……ウィンリィ・ロックベルは、ぴったりだった。それを、父に見留められてしまった。…それが、全てだ」
父は、伝説に妄執しているからな、とエレーナは哂う。力ない笑顔だった。全てを諦めたような、そんな種類の笑みだった。
「あの伝説が、本当だと。真実だと信じて止まない」

エレーナ様、と野太く低い声が落ちた。それは、命令を催促する、男の声だ。ああそうだった、とエレーナはまたも諦めたように哂う。ここに自分の味方はいない。あるのは、父の息のかかった側近ばかりだ。
「ウィンリィ…!」
エドワードは思わず足を踏み出す。
自分達を囲んでいる人数は計れない。しかし、このまま突っ立って、彼らのされるがままになるわけにはいかなかった。
「動くな」
それは、あっけなかった。
エレーナの横に立つ男は、音も風も立てず、空気に紛れるように動いた。
ぴたりとウィンリィの喉元に、黒金の銃口があてられている。
それは、月光を鈍く反射して、その圧倒的な存在感を主張する。

「大丈夫。殺しはしない」

エレーナは静かに言った。
「ただ、少し、頂くだけだから」
その言い方に、エドワードはひやりとしたものを覚える。

昼間、エレーナに同行した先で見たものが、脳裡に蘇った。
塔の中で、何かを鎌成していたエレーナ。
何を鎌成したのか、それまでは分からなかった。
しかし、塔の頂上で見たのは確かに血痕だった。
不吉な予感は、ざわざわと音を立てて、エドワードの総身を粟立たせる。

両の手を合わせようとする仕種を見せたエドワードに、男はすかさず口を開く。
「錬金術を使おうとすれば、この娘を殺す」
ぴた、とエドワードの動きが止まった。
ウィンリィの喉元に銃口をつきつける男を、エドワードは凄まじい形相でにらみつけた。その額から、わずかに冷や汗が滲んでいる。それを見つめながら、エレーナもひとりごちるように小さく言葉を継いだ。私にも、守りたいものがある、と。
「昨日、言っていたね。やらなければならないことがある、と」
エドワードは、視線をエレーナへとうつす。
金色の両目が、刺すようにエレーナを凝視した。
それを感じながら、エレーナは言葉を続ける。
「私にもあるよ。」
「……これが、そうって言うのか」
一緒にするな…とエドワードは震えるように言葉を返す。
それに対して、エレーナの声はひどく淡々と乾いたものだった。
ただ、願っているだけ。ただ、探しているだけなんだ、と。

…幼い頃、約束を交わした。
その約束は、今も有効なのか?
屈託なく笑う幼馴染の顔が、脳裡に浮かんでは消えた。
昔は、信じていた。
地平線の向こうには、魔法使いが沢山いる神聖な大地があると。
それを信じていた自分は、もうとうの昔に死んだのだ。

エレーナは自嘲するように、どこまでも乾いた言葉で言った。
「いつだって私は手探りで探し続けている。
平穏無事に暮らせる日がいつか来ると信じてね。
そのためなら悪魔に命を売っても構わないよ。
たとえ、錬金術を神が禁じたとしても。
私の両肩にはどれだけの代価を支払ってもあがなえ切れない命がある」

選択は、難しい。
エレーナは、自分の両の手のひらを拳に固める。
守りたいもの、守らなければならないもの。
それを取捨選択して、選び取って、生きていかなければならないのだから。
だから、大いなる力の、その法則は魅力的だった。
はじめて学んだ時、これさえあれば何でも出来ると思った。
「力」を完成させれば、解放される。きっと。

「ただ、幸せになりたいだけなんだ」

それに対して、
わかんねぇよ、とエドワードは震えるように言った。

「分からないはずは、ないよ」
君も魔法使いなのだろう?とエレーナは哂うように言った。

「だから、その力を使うのだろう?」

じりじりと、包囲の輪が小さくなっていく。
錬金術を使えば、ウィンリィを殺すという。
エドワードは、銃を突きつける男の指を凝視した。
引き金に掛けられたその指を。
奴らの狙いはウィンリィだ。殺すはずはない。だが、動けない。
万が一、引き金が引かれてしまったら?
そんな賭けのようなこと、出来るはずが、無い。

エドワードの迷いを知ってか知らずか、
男は冷酷無比に言い渡した。

「殺せ」





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