小説「Holy Ground」

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3章 暗転-7



「お目覚めですか。」

低く静かに声だけが部屋に落ち、
エレーナは目を開ける。
しかし、どれだけ瞳をめぐらせても、
声の主を視界に確認出来ない。

…これは罰だ。だから、甘んじて受けるしか無い。

エレーナは諦めて目を閉じる。

「………ハンス。」
「お側に。」
「…私は、……失敗したのか?」

返答は、一拍遅れた。

「いいえ。」
「……嘘は、嫌いだ。」
「………」
ハンスは眉をわずかにひそめて、小さく、申し訳ありません、と呟いた。
「…まぁ、私が言えたことでは無いな。」
私のほうが、嘘だらけなのだから、とエレーナも小さく呟く。
そして、ゆっくりと瞳を開く。
エレーナの横たわるベッド脇でその様子を見ていたハンスは
身を乗り出す。
「術を。」
「必要ない。」
「しかし。」
エレーナはハンスに向かって、僅かに笑む。
「…消耗するな。私は大丈夫だから。」

そういい終わるか言い終わらないかという時に、先触れが伝わる。
「エレーナ様」
寝台の上で身体を起こしたエレーナの前に現れたのはサラムだった。
「お体の方は」
「問題ない。」
サラムは部屋に控えている侍従に手で示しながら、
人払いをする。

「どうした?」
エレーナは訝しげに首を傾げる。
「……中央の人間の動きがどうも……」
サラムはハッキリとは言わない。
エレーナは眉をしかめた。
「放っておけ。…今、表立って中央との関係は壊したくない。」
せっかくここまでに成ってきたのだから、とエレーナは低く言う。
しかし、サラムは尚も続ける。
「マスタングは予想以上の策士です。
あの爆破事件も……。
中央はこれを機に政策転換する腹づもりなのかもしれません。」
サラムの赤い目がきつく細められる。
「……これはある意味、好機です。」
エレーナは、しかし力なく首を振る。
「ダメだ。」
「なぜ。」
エレーナは震えるように息を吐き出した。
眩暈がしていたのだ。
何かに怯えるように思考が虚しく巡る。
自分は何に怯えているのだろうか。
もう、心に決めたはずなのに、今更何を怯える?

「サラム殿。貴方はエレーナ様の内交策に不満があると?」
代わりに応えたのは、横に控えるハンスだ。
「そうは言っていません。」
サラムは、自分より一回りは若いハンスを睨みつける。
「こういう選択肢もある、ということを提示したまでです。
……それに、フェイ様も早く結果を、とお急ぎになられています。」
それを、一言付け加えておきます、と言いながら、サラムはエレーナの反応を見る。
父上が…とエレーナは苦渋に顔をゆがめた。
しかし、エレーナは答えを曲げない。

「………ダメだ。今、そんなことをしても無益に命を失うだけだ。」
それだけは、避けたい。
エレーナは吐き出すように言葉を継いだ。
「二人とも、出て行ってくれ。…一人にさせてくれ。」


二人の足音が、部屋の向こうに消えるのを感じ取りながら、
エレーナはベッドに身体を沈めた。
手首に掛けられている銀のブレスレッドを
目の前に掲げた。
しかし、視界はぼやけている。
……あと、どれだけ代価を支払えばいい?どれだけ、払えば。


二人してエレーナの部屋を出たハンスとサラムは、
扉の外の廊下で相対する。
「ハンス殿。……どういうおつもりですか。」
口上だけは丁寧なサラムは、じっとハンスを見返す。
「どういうつもり、とは?」
「あの国家錬金術師。どうして、あれを斎場に入れたのです。」
ああ、とハンスは思慮するように瞳をめぐらせる。
「………貴方には関係ない。」
関係ない?とサラムは言葉を返す。
「この事態において、関係ない、は無いでしょう。
一番の側近である貴方様がそんなことを仰っておられるようでは、
ますますエレーナ様の立場は悪くなる。」
は、とハンスは哂う。
「貴方に、何が分かる。」
失礼する、と言い捨てて、ハンスは踵を返す。
廊下の真ん中にたたずみながら、サラムはその後姿をじっと睨みつけていた。

「誰か。」
サラムは側に控える侍従に声をかける。
「……ボルティモア殿を呼んでくれ。すぐに会いたいと、伝えるように。」
視線はハンスの背中に注いだまま、
頷く侍従にサラムは言い捨てるように命令する。
「すぐに、とな。」
何かを強調するように、サラムは繰り返し、
ハンスとは逆方向に踵を返した。





その頃、エドワードは、ボルティモアの部下と共に街を散策していた。
「なぁ、ホントにもう、他に本とか置いてあるところ無いのか?」
エドワードの問いには、さきほどから全く同じ答えが返ってきている。
「ございません。」
エドワードは盛大にため息をつき、
人のいない閑散としたとおりを見渡した。
「…んじゃ、軍の詰め所に寄るから、そこに案内してよ。」
「軍の…ですか?」
「そ。弟がそこにいるはずなんでね。迎えに行こうかと。」
ボルティモアの部下は眉をひそめて、分かりました、と応える。

憲兵の運転する車の後部座席に乗り込むと、
車は静かに発進した。
人通りの少ない閑散としたその通りを車窓から眺めながら、
エドワードは物思いに耽る。
本屋の女が言った言葉をゆっくりと反芻していた。
どうしても引っかかるのは、あの妙な「伝説」だった。
街の人間が信じている話と、ハンスやエレーナから聞いた話に食い違いがあるのだ。
何かあるな、これは。
エドワードは通りに瞳をめぐらせながら、臍を噛む。
しかし、それを調べる手が思いつかない。

その時だった。
通りの向こうに、揺れる金髪が流れるように見えたのだ。
おいおいおい…と思考が巡る前に、
エドワードは声を上げていた。
「止めてくれ!」
は?と憲兵は首を傾げる。
「いーから!車を止めろって!」
憲兵は訝しげな表情を浮かべながらも、車を道の脇に寄せる。
エドワードは車が止まるのをろくに確認もせずに、
後部座席のドアを押し開け、道に下りた。
なぁんでこんなトコにいるんだよ!と怒り心頭だった。
「……ウィンリィ…!」





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