小説「Holy Ground」

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3章 暗転-6



「何の用だい。本の検閲なら先週済んだばかりだよ。」

ボルティモアの部下に案内された場所は、
街なかにあるさびれた本屋だった。
店の前にかけられた「open」の看板がキィキィと音を立てながら揺れている。
かららん、と掛けられた鈴の音を立てて扉を押し開ければ、
店主らしき中年の女が、無愛想に応対に出た。

「こちらの国家錬金術師殿が資料をお探しとのことだ。」
ボルティモアの部下は横柄に、下命だ、と女に言い渡した。
女は、入ってきたエドワードに不躾な視線を寄越し、
勝手にしな、と言い捨てて、自分の手元に置かれた本に視線を戻す。
ボルティモアの部下は、さ、どうぞ、と
エドワードに店内を示した。
参ったな、とエドワードは頭を掻く。
図書館は無いと言われたから分かっていたが、
まさか普通の本屋に案内されるとは思わなかったのだ。

まあ、何も無いよりはマシだろうと、
エドワードは店内を物色し始める。
店の中はさほど広くはない。
エドワードのほかに、客らしき人影は見当たらない。
通路も人が一人通れるかどうかという幅で、
両脇にはびっしりと本が並べられた棚が軒を連ねている。
背表紙の文字を目で追いながらエドワードが奥へ奥へと進むと、
足元の木造の床がぎしり、ぎしり、とかしぐ。
静かな店内に、その音はひどく大きく響いた。

背表紙に視線を走らせるエドワードの鼻に、古びた本の匂いがかすめる。
さすがに錬金術の本は無いなぁとエドワードは苦笑しながら、
歴史に関する本はないかと視線をめぐらせるが、
それらしきものは見当たらない。
あるのは、宗教系の教義書ばかりだ。

「先週検閲を済ませたばかりだ。
妙なものは置いてないよ。」
入り口付近のカウンターで本を読んでいるだろう女の声が飛んできた。
妙なもの?とエドワードは首をひねる。
本を物色しながら、
一通り、店内をぐるりと一周して、女の所へ行く。

「聞きたいコトあるんだけど。オバサン。」
「………誰がオバサンだい。
人にモノを聞くときには聞き方ってもんがあるだろ」
エドワードが苦笑いを浮かべようとする前に、
後ろから怒声が飛んでくる。
「なんだその言い草は。国家錬金術師殿に失礼だろう!」
ボルティモアの部下が息巻くのをエドワードはまぁまぁと押さえた。
読んでいる本から目を離そうとせずに頁を繰る女をまじまじと見る。
「……聞きたいことあるんですけど、おねーさん?」
女の手が止まり、
ゆっくりと顔を上げて、エドワードを見上げてくる。
黒髪を揺らせながら見上げてくる瞳は、
エレーナのそれよりもはるかに鮮やかな赤色をしている。
「なんだい?」
しかし女の口のきき方はつっけんどんだ。
エドワードは苦笑いを浮かべながら、
オルドールの歴史に関する資料は無いかと聞く。
しかし、女の応答は明瞭だった。
「そんなもん、無いよ。」
「無い?」
「ああ、無いね。エレーナ様が政務に就くようになってから、
その類の本は回収されて焼かれたよ。
……そちらの憲兵が知ってるんじゃないのかい。」
女の視線は真っ直ぐにボルティモアの部下に向けられる。
「…そーなのか?」
エドワードの問いに、
女と同じ歳ぐらいのその部下は、短く存じませんな、と答える。
しかし、その店主は即座にその言葉を否定する。
「そいつは嘘を言ってるよ。」
黙れ!と一喝する憲兵に対して、女は続ける。
「検閲だってお前達がやっていたことじゃないか!
反対するうちの人を逮捕して薬漬けにして!」
それ以上言ったら逮捕するぞ!と息巻く憲兵を
エドワードは制止する。
憲兵をゆっくりと見上げながら、
エドワードはもう一度聞く、と口を開く。
「…ボルティモアは、ここにオレが求める本が無いって知っていて
あんたにオレを案内させたのか?」
「……存じません。」
エドワードは直立するその憲兵をじっと見詰める。
男もまた、エドワードを真っ直ぐに見返した。
「…分かった。
………アンタは外に出て待っていてくれないか。
先に帰っていても構わないけれど。」
しかし、と反論する男の言葉を、エドワードは遮る。
「……あんたがいると話が出来ない。外に出て居てくれ。」
エドワードは言いながら、ポケットに入れていた銀時計を軽く示す。
これは命令だ、と暗にほのめかされて、男はそれ以上何もいえない。
目の前の子どもは、それだけの地位があるのだ。

ボルティモアの部下が店から出て行くのを確認してから、
エドワードは女の方に向き直った。
「聞かせてくれ。
検閲って何のことだ?薬漬けって?」
「憲兵がやって来て、本を焼いたんだよ。
検閲も今でも月に二回は必ずある。
……置いてる本の内容を調べるんだよ。
他の本屋はそれで店じまい。
うちの人は最後まで抵抗して、憲兵につかまっちまった。」
まくしたてるように吐き出される女の言葉にエドワードは思考をめぐらせる。
「……なぜ、そんなことを?」
「知るもんか!エレーナ様が代理で政務をとられるようになってからだよ。
子どもに読ませるような童話や昔話の本までごっそり回収して。」
昔話……とエドワードは呟いて、はっと目を見開く。
「…それって、あれか?
赤い月が昇る夜、天から金髪の蒼い目をした女が降りてくる…ていう。」
しかし女は曖昧に首をかしげた。
「赤い月が昇る夜に、女が降りてくる話だよ。
……金髪に蒼い目っていうのはわからないけれども。」
「…そうなのか?そういう絵を見たけど。」
ああ、と女は首をすくめた。
「それはあれだ。アイーダ様だ。」
「は?」
「知らないかい?……今臥せっていらっしゃるフェイ様の愛人だった女だよ。」
「……は?」
エドワードはぽかんとして、しゃべりまくる女を見返した。
「ちょ、ちょっと…待ってくれよ。」
エドワードはごちゃごちゃとしてくる自分の思考を整理しようと頭をめぐらせる。
しかし、女のおしゃべりは止まらない。
「フェイ様はよく出来たお人だけれど…」
そこで、少しだけ女の声のトーンが低くなる。
「正直、あんなアメストリス人にいれこむのはいけ好かなかったね。」
なんだか話が違う方向にいってないか…?とエドワードは頭を抱える。
この女は何か別の話と勘違いしているようだ。
女の井戸端会議に付き合っている暇は無かった。
「お、オバサン…」
「なんだって?」
エドワードはやれやれ、と思いながらオネーサンと言い直す。
「薬漬けって何の話だ?」
それも知らないかい、というような馬鹿にした表情を女は浮かべた。
エドワードの問いに女は答えず、逆に聞き返してくる。
「あんた、国家錬金術師って言ったっけ?」
「……そーだけど。」
それじゃあ、と女はにんまり笑った。
「こっから先の話は有料だ。」
「は?」
一拍の間を置いてから、エドワードは女が言いたいことを理解する。
「……タダで教えてくれない?」
「ヤバイ話だからね。」
生活が苦しいのよ、と女はあっけらかんと笑う。
エドワードはため息をついた。
「…それは別にかまわないけど。
今すぐには無理だ。手持ちがねぇ。」
「今すぐ、だよ。」
やれやれ、とエドワードはもう一つため息をついた。
用意するよ、と言いながら、店の出口に足を向けようとする。
どこか別に本屋は無いかと思案しながら。
女の世間話を聞く暇は無いのだ。
しかし、出ようとしたエドワードの背後から声が飛んできた。
「気をつけな。」
エドワードは、何を、と振り向く。
真っ直ぐに自分を見つめる店主を見返す。
女の顔は、いつになく真剣な表情だった。
「何も知らない子どもらしいけれど…」
女の赤い目がきつく細められる。
女は一言言った。

「ボルティモアはただの飼い犬だよ。」

飼い犬?とエドワードは眉をひそめる。
女はそれだけを言って、口をつぐんだ。
女の視線の先に、外に追い出したボルティモアの部下がいる。

エドワードは表情を一瞬険しくさせてから、
ありがとう、と言った。
そして、かららん、と音を立てて、扉を押し開け、
店の外に出た。





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