外の光が、目に刺さる。
夢を見たような、ふわふわとした感覚をさまような気持ちになりながら、
エドワードは塔の外へ出た。
出る時は、誰も文句を言う人間はいない。
ただひとり、サラム・マックホルツは、
力ない足取りで塔の出入り口へと向かうエドワードを呼び止めた。
「……なんデスカ。」
気だるく感じながらも、エドワードは呼び止める声に足を止める。
振り返れば、あの冷たい蛇の目がこちらをきつく射る。
「……ここで見たことは、内密にお願いできますか。」
エドワードは眉をしかめる。
ふと見れば、サラムが立っているところのさらに奥のほうに、
薄く開かれた扉があるのが目に見えた。
その扉の向こう側にも、うっすらとだが、階段があるのが見える。
しかし、それは、上へと続くものではなく、
地下へと下りるものらしかった。
エドワードは首をかしげて、
「……この建物、地下もあるのか?」
サラムは眉ひとつ動かさず、硬い表情で、
エドワードの視線の先にある扉を後ろ手に閉める。
ぱたり、と音を立てて扉が閉められた時、
ふと、エドワードの鼻をまたしてもあの甘い香りがくすぐった。
なんだ……?と思う暇もなく、
その匂いは儚く消えてしまう。
「…内密に、お願いしたい。」
そう言うサラムの腕を、何気なエドワードは見た。
後ろでに扉を閉めたサラムのその手は、
役目を終えた、とでも言うように、サラムの身体の横へとぴたりと戻される。
サラムは少し姿勢が悪かったが、
直立不動の姿勢を保とうと、ぴたりと両の手を身体の横につける。
その、片方の腕に、エドワードは見覚えのある銀色の装飾を見てとる。
わずかに首をかしげたエドワードは、
一拍の間を置いてから、わずかに目を見開いた。
どこかで見たことがあると思ったのだ。
それが、ハンスと、エレーナの腕にはめられていたものに似ている、と
エドワードはようやく気が付いた。
口を開こうとして、エドワードはすぐにやめる。
目の前のサラムは、自分を侮蔑の表情で見下ろしていた。
実際、エドワードの何気ない質問にも答えようともしない。
それは、自分の口や態度の悪さに起因しているのかもしれなかったが、
それだけではないような気もしてきた。
何かを言っても、聞いても、いい答えが得られるような気が全くしない。
サラムの周りには何人か、オルドールの人間が居て、
サラムと同じような目をしてこちらを見ている。
おそらく、ハイゼンベルクの屋敷の人間なのだろうが、
いつもと違う気配を感じて、エドワードは腑に落ちない気持ちになる。
どうして、こうも皆殺気だっているのか。
エドワードは悟られないように、わずかに息をひとつ落として、
くるりと出入り口のほうへ方向転換する。
そして、外へ足を踏み出しながら、
振り返りざまに言い捨てた。
「あんた達が何を企んでいるか知らねーし、興味も無い。
だけど……」
…もし、アレが、禁忌と呼ばれるものだとしたら、
黙って見過ごすわけにはいかない。見過ごせるはずが、無い。
エドワードは言葉を継ごうとして、しかし、止める。
立ちはだかるようにしてこちらを睨むサラムに、
何を言っても無駄だと思ったからだ。
頑なにその場を動こうとせずに、
ただ離れたところからエドワードを見るサラムの後ろに、何があるのか。
調べる必要があるかもしれない、とエドワードはひとり胸の中で呟く。
しかし、それ以上は口をつぐみ、
エドワードは踵を返した。
「どうした、鋼の。何があった。」
外の眩しさに目を細めていると、
マスタングが寄ってくる。
見れば、ここに来た時とは違い、
憲兵達もほとんどが引き上げている。
エレーナが運ばれたのに、憲兵もついていったのだろう。
エドワードは、マスタングの質問には答えようとせず、
探るような目で彼を見上げる。
「軍の人間は、オルドールの人間がイシュヴァールを離反した理由を知っているのか?」マスタングは鋭い視線を向けるエドワードを首をかしげながら見やる。
「理由……?どういうことだ。
彼らは軍の勧告に従って、他のイシュヴァール人と袂を別ったと聞いているが。」
その応答を聞いても、エドワードはマスタングを探るように見上げるのを止めなかった。マスタングが嘘をついているのではないかと、
その瞳の色を探ろうとエドワードは睨みつける。
マスタングにはある意味、どこか喰えないところがあったのだ。
もしかして、何か隠されているのかも知れない、とエドワードは疑う。
いつまで経っても帰ってこない弟にしろ、
マスタングがエレーナの側にいることにしろ、
偶然列車で鉢合わせになったことにしろ、
とにかく全てが疑わしくなってしまうのだ。
塔の最上で見たのは確かに血だった。
そして、エレーナには集団誘拐の疑いがあって、
そのエレーナの側付きの宰相代理は錬金術師だった……。
さらに、エレーナの周りでは不可解な爆破事故が何度も起こっているという。
頭の中で、ぐちゃぐちゃに思考が絡まってくるのを、
エドワードはなすすべもなく自覚していた。
「あれ、……ウィンリィは?」
ふと気がついて、エドワードは辺りをきょろきょろと見回す。
エドワードが塔に入る前には確かにホークアイの隣にいたはずの彼女は、
どこを見回しても姿が見えない。
「ああ、ロックベル嬢なら、先に返したが。」
エドワードの表情をちらりと見ながら、
マスタングは、何かまずかったかね? と言葉を継ぐ。
いーや、別に、とエドワードは言ったが、
内心穏やかではない。
特に根拠も何も無いのに、どうしてこんなに不安になるのか、
自分でも不可解だった。
「大佐。」
「なんだね。」
エドワードの視線の先には、
従者を連れて塔の出入り口から出てくるサラムの姿がある。
そして、サラムに何か耳打ちをしているあの黒服の憲兵は、
ボルティモアだった。
「……色々調べたいことがあるんだ。
資料集めにもってこいのところとか、この辺りに知らないか?」
ほう、とマスタングは目を細める。
「何について調べるのかね?」
「……オルドールの人間と、錬金術の関係だ。」
「錬金術?」
マスタングの漆黒の瞳がいぶかしげに揺れる。
やはり知らないのか?とエドワードは内心呟く。
「なぜに、錬金術なんだね。」
「………ハンスは、錬金術師…だと、思う。」
車に乗り込もうとしているサラムを睨みつけながら、
エドワードはさらっと言った。
このエドワードの言葉に、さすがのマスタングも驚きを隠せない。
「それは、確かなのか?」
エドワードはこっくりとうなずく。
「ウィンリィも言っていたし、オレもこの目で見た。
それに、あいつが錬金術師なら、つじつまの合うこともいくつかあるんだ。」
例えば、ハンスの額の傷だ。
怪我をしたその日であそこまで治癒するなど、現実にはありえない。
しかし、ハンスが錬金術師ならば、話は別だ。
「しかし……」
と、マスタングは言いよどんだが、
不意に口をつぐみ、表情を引き締める。
見れば、話し込んでいるエドワードとマスタングの前に、
ボルティモアがやってきた。
敬礼をして、ボルティモアは淡々と当たり障りの無い報告をする。
エレーナはハイゼンベルクの屋敷に戻ったと聞いて、
エドワードの表情はわずかに曇る。
分からないことはまだたくさんあった。
例えば、この斎場周りだ。
一日に一回、エレーナは人目をはばかりながら何かをやっているのだ。
そして、今日は倒れた。
その祈りの祭壇には、人間のものと思しき血痕に錬成陣。
ハンスはエレーナの斎場周りにつき従うというなら、
エレーナは何かを知っているはずだ。
いや、違う、とエドワードは金の瞳をきつく細める。
もしかしたら、エレーナこそが全ての元凶なのかもしれない。
エドワードは頭をかきむしった。
彼女は多すぎる。疑いが多すぎるのだ。
疑心暗鬼を生ず、とハンスに言ったのは自分のはずなのに、
その暗鬼に自分自身が飲まれてしまいそうになっているような気がしてきた。
「どうか、……しましたか?」
気がつけば、ボルティモアが、不審そうに
苦悩する国家錬金術師を見下ろしている。
「い、いや……なんでも、ない。」
エドワードは慌てて取り繕った。
それを見ていたマスタングは、不意にボルティモアを呼ぶ。
「大尉。…この辺に、図書館か何かは無いだろうか。
鋼の錬金術師が、オルドールの歴史など、色々調べたいと言っているのだが。」
「歴史……ですか?」
ボルティモアの眼光が、わずかに鋭さを増した。
しばらく考えこむ風を見せたボルティモアは、
おもむろに、いいでしょう、と言葉を継ぐ。
「部下に案内させます。
図書館、などという大層なものではありませんが、
そうした類の書物が揃っている場所がありますので。」
よろしく頼む、というマスタングの言葉に、ボルティモアは敬礼して
ひとまず準備のほうを、と去っていった。
マスタングは、何かを考え込むように腕を組んで立つエドワードを
ちらりと見下ろす。
「浮かない顔だな。」
何があった、とマスタングは囁くように、だが、きっぱりとした口調で、
再度尋ねた。
エドワードは、わずかに瞳を暗く伏せる。
「……まだ、全然、わかんねぇ。」
本当のことを言えば、エドワードはどこかで、
ハンスやエレーナのことを疑っていなかったのかもしれない、とふと思う。
昨夜交わした会話のいくつかを思い出してみても、
ウィンリィに対して気をつけろとは言っていたくせに、
実際には、どこか真剣に考えてはいなかったのかもしれない。
だから、今、ふつふつと湧き出している疑心が、
エドワードの心の中に黒い染みとなって落ちてくる。
「……ヤバイ、ことになりそうな気がする。」
エドワードは空を仰いだ。
街はずれのその場所は、人家からも離れていて非常に静かだった。
しかし、その静けさが、今はひたすらに不気味だったのだ。
その静謐の奥に、何かがうごめいている。
もうやめて、というエレーナの悲痛な呻きが、
エドワードの頭の中でこだましていた。
「大佐。あいつには、黙っておいて。」
あいつ、とマスタングは思考をめぐらせた。
ああ、と一拍の間を置いてから、マスタングは1人合点する。
「…ロックベル嬢か。」
エドワードはうなずかない。しかし、否定もしなかった。
ウィンリィは、ただでさえエレーナに親近感を持っている。
なんだか、言いたくなかった。
あの禁忌の匂いがすることを、ウィンリィには。
それだけは、いやだ。
そう、エドワードが心の中で呟いたとき、
目の前を一台の車が去っていく。
それは、サラムを乗せた車だった。
エドワードはそれを黙って睨む。
走り去る瞬間、車窓の奥から射るような眼光が降ってくる。
何かを狙うような、蛇のような冷たく赤い目が、
走り去る一瞬、エドワードの視線とぶつかり、火花を散らせた。
小さくなる車を、睨むように一瞥して、
エドワードはくるりと背を向けた。
その背には、十字に絡まる蛇がいる。
「調べることが、ある。
話は、それからだ。大佐。」
ボルティモアの示す車へと、エドワードは歩みだす。
マスタングはそんなエドワードを一瞥してから、
何かを思慮するように、
発火布をつけた手袋を顎へと持っていった。
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