小説「Holy Ground」

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3章 暗転-3



オルドールの街並みは、セントラルのそれと大して変らない、
とエドワードは車窓に目をやりながらとりとめもなくそう思う。
人だかりの間を縫うようにして
車列はゆっくりと進んでいく。
「毎日こんな感じなの?」
ウィンリィは少しばかり目を見張りながら、
車窓の外の人だかりをまじまじと見つめた。
「さぁな……。」
ウィンリィの隣に座るエドワードは、
気の無い返事を返して、彼女とは正反対の車窓に肘をつきながら、
視界にとめどなく溢れる人ごみに目をやる。
「曲りなりにも、エレーナは族長の娘ということだ。
今の族長に対するオルドールの人間の信望も厚いと聞くしな。」
そう答えたのは、前の席に座るマスタングだった。
その目はまっすぐに前方の車両を見据えている。
「族長、ねぇ……」
エドワードはぼんやりと外を眺めながら呟く。
車列をはさむようにして溢れる人の波はどこを見ても
赤い瞳の人間ばかりだ。
「オレ、こんなにイシュヴァール人を見たの、初めてかもな。」
なんとなくそう呟くと、あたしも、とウィンリィもうなずく。
「なんだか、イメージと違うのよね。」
「……それは、彼らがあまりにも豊かすぎると言いたいのかな?
ロックベル嬢?」
ウィンリィの言葉にマスタングが反応する。
「あ、…いえっ…そういう意味じゃ………。」
ウィンリィは慌てて首を横に振る。
「大佐、わかんねぇことがある。」
それには構わず、エドワードは口を開いた。
「なんでエレーナ達は、ほかのイシュヴァール人を裏切るようなことをしたんだ?」
オルドールの人間は、他のイシュヴァールの人間とは違う。
エドワード達が見聞きしていたイシュヴァールの人間とは
あまりにイメージがかけ離れていたのだ。
「まぁ、彼らが豊かなのは一目瞭然だな。」
言葉を選ぶように、マスタングはゆっくりと口を開く。
バックミラーからマスタングの顔をうかがえば、
彼の目は、車窓の外を取り巻く人々の様子を映している。
「離反の判断をしたのは、今の族長だそうだ。
私も詳しいことは知らないが、彼の独断で決められて、
一時期はオルドールの人間からも反感を買っていたらしい。
しかし、今は、まぁ見てのとおりだ。」
「その族長って人は、今は病に臥せってるんだっけ?」
「そうだ。今は宰相の息子のハンス・グリーレーの補佐で
エレーナが実質的な政治力を行使してるというのが現在の状況だな。」
ふぅん?とエドワードは首を傾げる。
「あれ? …あのエレーナは族長にはなれないのか?」
その問いに対して、マスタングは間をおかずに首を横に振る。
「どうやら、彼女にはその資格がないらしい。」
エドワードはさらに首を傾げる。
宰相の息子のハンスが家督を継ぐような形で宰相代理におさまるのなら、
族長の血をひくエレーナも家督を継ぐのではないのか。
「なれないって、どういうことだよ?」
「………女性だからですよ。」
エドワードの問いを継ぐように答えたのは、
先ほどから無言で車の運転を続けていたホークアイだった。
「は?」
「………家督は男性が継がなければならない、という慣習があるようです。」
ホークアイは、視線はまっすぐに前を向いたまま、きっぱりとした口調でそう答えた。
「そんなの……」
眉根を寄せて不信感を露わにしたのはウィンリィだ。
「そんなの、なんか、変だよ。」
女だからって……とウィンリィは消え入るような声で呟いた。
「ウィンリィ……」
エドワードは困ったように彼女を見つめた。
俯いて呟くウィンリィは、その視線の先で、右手を拳にして強く握り締める。
「世の中には、
どうしようもなく理不尽なことがまかり通るということだ。」
そう低く呟くマスタングの目は、とてつもなく暗かった。
車内を、重い沈黙が垂れ込める。
沈黙をそのままに、
車は静かに、街の郊外へとひた走る。
そして、車列は、建物の陰からにょっきりとそびえる一本の塔へと
まっすぐに向かっていた。
見上げる空の景色を遮断するようにそびえる黒い塔は、
広がる青い空にはどことなく不釣合いで不穏な印象を与えた。

塔を囲むようにしてそびえる門の前に、
車列は次々と止まる。
ぞろぞろと降り立ったのは憲兵隊で、
ボルティモア大尉が指揮しているのが車上からでも確認できる。
その横に立つのは、あの蛇のような鋭い眼光をたたえる
サラム・マックホルツだった。
ボルティモアの横から何かと憲兵に口を挟んでいる。
時折、耳を打ち合う二人を、エドワードは気分悪く見ていた。
どうも、サラムの印象が悪いのだ。
初対面から睨まれたせいだろうか。
「なぁ、大佐。あのサラムとかいうやつ、
結局何者なんだ?」
ハンスが倒れた時は、宰相代理の復代理として紹介されていたが、
いまいちサラムの役どころが判別つかない。
マスタングは首をひねりながら、興味無さそうに答える。
「表向きは宰相補佐官。ハンス・グリーレーよりも一階級下だな。」
ふぅん、とエドワードは適当な相槌をうつ。
その金色の眼は、真っ直ぐにサラムに向けられたままだ。
「奴には注意しろ、鋼の。」
「なんで?」
「表向きはなんでもないように見えるが、
オルドールの政治機構にも色々と裏があるということだ。」
「はぁ?」
マスタングは面倒くさそうに続ける。
「そうだな……。エレーナが平和主義者と仮定するなら、
やつはその真逆の立場だ。」
「……戦争肯定ってことか?」
エドワードの問いに、マスタングは言葉もなくうなずく。
戦争なんてどことやるんだよ…と言いかけて、エドワードは言葉を飲み込んだ。
考えられるとしたら、ひとつしかないではないか。
エドワードの思考を読み取ったのか、
マスタングは彼の顔色を一瞥したのみで何も言わない。

警備の準備も一通り整ったらしく、
部下の知らせを受けたマスタングは、車を降りる。
続いてエドワードとウィンリィも車を降りれば、
白い衣に正装したエレーナは既に塔の中へ入ろうとしていた。

塔の造りは古びた黒いレンガで、
ところどころコケが蒸し始めており、それがまた一層陰鬱とした印象を強くする。
郊外にそびえる塔の周りに人家はなく、
まばらに点在する林に取り囲まれたそこは、
とてつもなく底冷えた静寂に支配されている。

ボルティモアの報告に耳を傾けるマスタングの横をすり抜けて、
エドワードはエレーナの消えた塔の入り口に向かって歩を進めた。
しかし、それは途中で阻まれる。
「ここは、関係者以外の立ち入りは遠慮願います。」
そう言ってエドワードを制止する手を上げるのは、
サラム・マックホルツだった。
蛇のようなねっとりとした赤い視線が鋭くエドワードに向かっておろされる。
それを見上げるようにエドワードもにらみ返した。
とにかくサラムの印象がどうしても悪いのだ。
不信感を微塵も隠さずにエドワードはサラムの赤い目を探るように見上げる。

「……いいですよ、通して差し上げなさい。」
唐突に声が降ってきて、
サラムの肩のさらに上のほうに視線をやれば、
塔の窓からハンスがこちらを冷ややかに見下ろしている。
「しかし…ハンス殿。」
承服出来ない、というサラムの声を遮るように
ハンスは続ける。
「どうやらエレーナ様を狙っている輩がいるという情報もあることだし。
彼は国家錬金術師でいらっしゃる。
厳重な警戒をしてもらってはいるが、やはり備えはあって損はない。
エレーナ様の護衛をお頼みできないかと思っていたところなのですよ。」
優しい物腰とその言葉遣いからは連想できないその冷たい視線に、
エドワードはひやりとしたものを覚えた。
「お願い、出来ますか。」
それはお願いというよりも、力強い無言の圧力だった。
上等だ、とエドワードはハンスを睨みつけながら、不敵な笑みを浮かべて見せる。

そこまでハンスが言うなら、とばかりに、
サラムは遮っていた手を下ろす。
ふと背後を振り向いて、エドワードは視線を彷徨わせた。
視線の先にウィンリィの金髪が揺れるのを確認する。
その隣で、ホークアイが、大丈夫だから、と目線で促すように
こちらを見ている。
ウィンリィの青い瞳が不安そうに揺れているように感じたが、
思い違いかもしれなかった。
エドワードは何かの合図でも送るように、金色の眼を瞬かせる。
それにたいして、ウィンリィは大丈夫、という風に手を振ってみせた。

「じゃあ、お邪魔させて頂きます。」
言葉尻は丁寧に、しかし、視線は鋭くサラムを見上げたまま
エドワードは確かめるように言う。
どうぞ、と入り口を示したサラムの顔はしかし、
苦いものでも飲んだようにあからさまに歪んでいる。

塔の中に導かれて入れば、
そこは想像していたよりもひどく狭かった。
護衛のためなのか、
まばらに立つ人の影はみな、オルドールの人間特有の赤い目をこちらに向ける。
「こちらへ。エドワード。」
ひどく近いところから声が落ちてきて、
エドワードが視線を移せば、
螺旋階段の入り口のところに、ハンスが立っている。
ハンスの頭にはやはり包帯が巻かれていた。
それを見たエドワードは、はん、と哂いを浮かべる。
「傷のほうは大丈夫なのかよ。」
おかげさまでね、とハンスは笑顔を浮かべる。
しかし、その笑顔は張り付いたような抑揚のないものだった。
蝋人形のような、色味のない白い笑顔に、エドワードは息を呑む。
しかし、怖気づいた風を見せないように、
ゆっくりと足を踏み出してハンスに近づく。
塔の中は、まだ昼日中だというのに、ひどく薄暗く、
ぽつぽつと灯された光が陰影を揺らせている。

二人分の足音だけが、螺旋階段にこだましていた。
エレーナは、というエドワードの問いに対して、
ハンスは先に行っている、とだけ答える。
そして、
「先ほどはサラムが失礼なことをしたね。」
と、感情の篭らない声で言う。
「別に。あんた達からしたら、オレが部外者なのは確かだし。」
「へぇ。意外に物分りがいいんだな。」
「意外に、は余計だ。」
はは、とハンスは乾いた笑いを響かせた。
「君は口は悪いけど、何より利口そうだし。」
後ろをついてくるエドワードの方は一切に見ずに、
ハンスは言葉を続ける。
「…国家錬金術師というところが気に入ったよ。歳も近いし。」
「あんた、いくつだよ。」
エドワードはなんとなく聞く。
「十七だよ。君とは二歳違いか。」
げ、とエドワードは妙な声を出してしまう。
「オレ、……あんたは二十歳越えてると思ってた。」
それほど、ハンスの風貌は非常に大人びていたからだ。
「それはどうも。」
何の感慨も湧かないという風にハンスは答える。
「……て、ことは、エレーナさんとは一つしか違わねぇってことか…?」
まぁね、と返ってきた答えは、どことなく沈んでいる。

螺旋階段は果てが無いのではないか、と思いたくなってくるほどに長い。
同じような造りの壁がどこまでも続いていて、
エドワードはいい加減辟易してきた。
「あんたらって仲悪いの?」
なんとなく会話をしないとやっていられない気分だった。
思いつくことを言葉にしてみる。
「誰と、誰のことだい?」
ハンスは嫌がる風もなく、エドワードの問いに聞き返す。
しかし、前を進む彼の表情をうかがい知ることは出来ない。
「あんたと、サラムとかいう奴だよ。」
「……さぁ。どうだろうね。」
その言葉にはそれとわかるほどに含みがある。
エドワードは眉根をひそめる。
「あの人、あんたの補佐官だって聞いたけど。」
「正確には父の補佐官だ。父は今、病に倒れているからね。」
「エレーナさんの父親も確か……」
「ああ。同じ流行病でね。………さぁ、ここだ。」
話題を打ち切るように、ハンスはエドワードを振り返り、
現れた扉を示す。
やっと着いたのかぁ、とうんざりしながら、
ハンスに続いて扉の中へ入るエドワードは、
またしても現れた階段にさらにうんざりとする。
エドワードが感じたことをハンスも察知したのか、
私も最初の頃は辟易したよ、と柔らかな物腰でそれだけ言う。
「でも、大丈夫。
この階段は斎場へと続くものだから、君は昇る必要はない。」
……てぇことは、オレはここまでかよ、とエドワードはハンスを睨みつける。
「仕方ないだろう。ここは関係者以外立ち入り禁止なんだから。」
「それは下で聞いた台詞だ。
オレをここまで連れてきた理由はなんだよ。」
「だから、エレーナ様の護衛のために。」
「そのエレーナ様の近くにいなきゃ守れないだろが。」
ふっとハンスは目を細めて、そこで待っていれば分かるよ、と小さく言う。
階段に足をかけながら、
ハンスは哂うように言った。
「いいかい?何があろうと絶対にこの階段を上ってきてはいけない。」
「………」
そう言うハンスの顔は、能面のような白い顔に笑顔だけが張り付いている、
という形容がひどく似合っていた。
額に巻かれた包帯が寒々しい印象をさらに強くさせる。
「絶対に、だ。」
エドワードはそう言うハンスの顔を探るように睨み付けた。
……何を企んでいる?
しかし、エドワードの言外の言葉には、
ハンスは一笑するように目を細めてるだけで何も答えようとはしなかった。

階段のさらに上へとハンスの姿は消えて、
エドワードは手狭な踊り場に一人立ち尽くす。
ところどころに灯された光のせいで陰影をくっきりと際立たせているそこは、
音もなくただ静寂のみが横たわる。

ハンスが何を考えているのかエドワードには理解できなかった。
ハンスは、エドワード達軍部の人間の狙いを知っている。
それはつまり、
エレーナに、人身誘拐の嫌疑がかかっているということを承知しているということだ。
彼はそれを否定したが疑いは払拭するどころか深まるばかりだ。
思い返せば、とエドワードは反芻するように頭をめぐらせる。
エドワードに対する彼の言動はいつも挑発的で、
抽象的で、腑に落ちないことばかりだ。
あの奇妙な伝説に対するハンスの反応も、
エレーナとは大きな温度差を感じた。
そして、何よりも、
負ったばかりの傷がもう既に完治しかけているという事実も
看過できない。
それをエドワードには隠そうともせずに、しかし、やはり何も語ろうとせずに、
ただ哂うだけのハンス。

……何を企んでいる…?

相手が何を考えているかは分からない。
しかし、何かを企んでいる。
それに、のせられるのは御免だった。
エドワードが考えをさらに巡らせようとしたその時、
はっとエドワードの耳は何かを捕らえる。

静寂の落ちる踊り場に、それはかすかに、しかし
ハッキリと響いた。
一人することもなく踊り場の真ん中に立ち尽くしていたエドワードは
かすかに聞こえたそれに、探るように視線を走らせる。
…気のせいか?いや、そうじゃない。
そう思った次の瞬間、
辺りの静寂を切り裂くように痛烈な鋭さをもってまた、エドワードの脳に届く。

走らせていた視線を、エドワードはぴたりと止めた。
その先には、ハンスの消えた斎場へと続く階段がある。

何かを言い含めるように、絶対に来るな、と言ったハンス。
自分が彼の手の中で踊らされているのかもしれない、と
エドワードは一瞬だけ思ったが、体は言うことを聞かなかった。
足音を響かせて、階段を一気に駆け上る。
目に飛び込んできたのは一枚の大きな扉だ。
それに手をかける。
巡る視界の中で、エドワードはその扉の紋様を確かに捉える。

青い瞳の金髪の女が涙を流しながら天を仰ぐあの絵だ。
それが、扉の壁面いっぱいに描かれている。
その女の絵のさらに向こう側から、確かにまたか細い悲鳴が聞こえた。
エドワードは目を見開く。
一抹の不安は、一気に増幅して噴出した。
力任せに、エドワードはその扉を押し開けて、
転がるように中へなだれ込んだ。





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