「いー加減にしろっ!!」
エドワードは頭をさすりながら浴室から出てきた。
視線の先には、むくれたように頬を赤くふくらませ、涙目で自分をにらみ返すウィンリィがいる。
「しょーがないでしょ……!あんまり怖かったんだもん!お化けか何かと……」
「そんなもんは存在しねぇ!」
エドワードはウィンリィの言葉を力一杯否定する。
それに対して、ウィンリィはやはりむくれる。
「オレはなぁ!お前が………」
エドワードは言い掛けた言葉を途中で切る。思わず、さっきの出来事を思い出して顔がまた赤くなるのを自覚した。
「あたしが何よ?」
それに対して、ウィンリィはきょとんと聞き返してくる。
………なんでそんな平気そうな顔するんだよっ。
さっきはあんな盛大な悲鳴をかましておきながら、
ウィンリィはもうケロリとしている。のど元すぎれば……という表現がぴったりだった。
……やっぱり、こいつ分かっててやってるんじゃないだろうな…。
ついついそう思わずにはおられない。…試したくなる。
「エド?」
不意にだまりこくったエドワードに対して、ウィンリィはどうしたのかと首をかしげた。
エドワードは押し黙ったまま、椅子に座るウィンリィのほうへと近づく。濡れた髪の毛が首に張り付いて、それがなんだか気持ち悪い。部屋に掛けられたカーテンがふわりと揺れて、窓の外から外気が流れ込んでいるのを感じた。
「どうしたの?」
すぐ傍まで寄ったエドワードを、ウィンリィは下からきょとんと見上げた。
「お、前………」
「何よ?」
エドワードはウィンリィの方へ手を伸ばそうとして、しかし、それを思いとどまる。
………何やっているんだ、自分は。
自分の視界で、彼女の青い瞳が揺れている。それがまっすぐに、自分の視線を辿るようにして返されてくる。それを見てとり、エドワードは何も言えなくなる。
「何?」
ウィンリィはもう一度根気よく訊いた。
「いや、その………」
エドワードは慌てて頭を巡らせる。そして、話題を逸らすことに決めた。
「昼間のことだけど。……お前、街を歩いてなんかいなかったんだよな。」
ウィンリィはため息をつく。……正確には、緊張で詰めていた息を吐き出すように肩の力を抜いた。
……期待、させないでよ。
しかし、ウィンリィはそうした感情は微塵も面には出さずに、
何回言ったら分かるの?と眉をしかめた。
「だから、そんな記憶無いんだってば。」
同じ質問を、エドワードはすでに2回していた。そして、得られた彼女からの回答はすべて同じ。……ウィンリィは、襲われたことを全く知らなかったのだ。
じゃあ、オレと行動して、一緒に逃げたあれは誰だったんだ?
自分の思い違いか?見間違いか?錯覚でも見たのか?
しかし、そんなはずはない、とエドワードはもう何度も頭の中で自分の思考を打ち消していた。だが、言えることは、あのときのウィンリィは「何か違う」と自分の中で感じることがあったのだ。違和感とも呼ぶべきその感触を、エドワードは自分の内面で確かなものとして掴むのには失敗していた。その感情、その感触がどうして自分の中に生まれたのか、エドワードはその起因をまだ自覚はしていない。
「もう、いい。」
エドワードはため息をひとつ吐いて、ウィンリィに、部屋へ戻れ、と言う。
「だから、変な音がするんだってば。」
いったい、何度こうして話がループしただろうか。うんざりして、エドワードはわかったわかった!と投げやりな返事をする。
「オレが見てくるから、そこにいろ。」
一度言い出したらこいつは聞かない。それは、今までの経験則から実証済みだ。
そうしたら、今度はウィンリィが言い出した。
「あたしも行く」
はぁ?とエドワードは眉をひそめる。
「怖いんだろ。無理すんじゃねぇよ。」
「エドは怖くないわけ?」
「……オレは幽霊なんて非科学的な事は信じないんでね。」
だから怖がる理由がねぇよ、と、エドワードは半ばウィンリィをからかうように軽く笑って付け加えた。その意地悪な笑みに、ウィンリィはさらに頬をふくらます。
「なんか、……ムカツクわね……」
「ご自由に?」
じゃあいいわ、とウィンリィは椅子から立ち上がる。
「じゃあ、こうしましょ。……ホントに幽霊だったら、エドはあたしの言うことをなんでも聞くの!」
「…………は?」
なんでそーなるんだ、とエドワードはぽかんとする。
「非科学的だなんだってバカにして!!こうなったらあたしだって一緒に行って、幽霊はいるって確かめるんだから!」
「…………あの〜……ウィンリィサン?」
なによ、自信が無いの?といわんばかりに、ウィンリィはエドワードをにらみ返す。
「幽霊なんていないんでしょ?……それとも何?自信ない?」
やっぱ怖いんじゃないの?とウィンリィはにやりと笑う。
むっとして、エドワードは上等だ、と言い返す。
「じゃ、オレが正しかったらお前は何するわけ?」
そりゃあ交換条件よ、とウィンリィは続ける。
「あんたの言うこと、なんでも聞いてやるわよ。」
へぇ、なんでもね、とエドワードはにやりと笑う。
「その言葉、よぅく覚えておけよ?」
そう言って、エドワードは垂らしていた自分の髪に手をやる。
まだ乾ききっていなかったが、かまわずにそれを束ね、三つ編みに結う。
そして手早くコートを羽織った。
てきぱきと身支度するエドワードを横目で見ていたウィンリィは、うさんくさそうに顔をしかめる。
「……なによ。いきなり、やたらにはりきってるわね」
「そりゃあな。」
足を忍ばせて、そろりと部屋を後にするエドワードは、
ウィンリィがきちんと自分の後をついてきているか確かめつつ、
屋敷の廊下を滑るように進む。
廊下は静まりかえっていて、息ひとつするのでさえ気を遣ってしまいそうなほどの静寂に満ちていた。明かりをとるために廊下の両側に配された蝋燭だけが、音もなく陰影を揺らせている。
「どこ、行くのよ?」
ウィンリィは低い声でささやきながら、エドワードのコートを引っ張る。
「そっちはあたしの部屋じゃないわよ。」
わかってるよ、とエドワードは落ち着いた声でウィンリィに返す。
「わかってるって………」
見れば、ウィンリィは不安そうに眉を寄せている。
エドワードはわずかに息をついて、言葉を加えた。
「……昨日の番、見たんだよ」
「見たって、何を……?」
廊下を小走りに抜け、さらに階下へと続く階段を、
足音をたてないようにしながら、駆け下りる。
エドワードが、屋敷の中庭を目指していると気づいて、ウィンリィの足は自然に重くなる。
「や、だ………」
怖い、とでもいわんばかりに、ウィンリィは尚いっそう、エドワードのコートの端を強く握りしめ、離さない。その手を解くわけでも、手をとるわけもなく、エドワードは言葉を継いだ。
「見たんだ。昨日の夜。……中庭の池の辺りに人影がいたのを、な。」
だから、幽霊なわけねぇんだよ、とエドワードは付け加えた。
エドワードの視線の先には、夜の闇に沈む中庭が広がっている。
エレーナの屋敷は、一階の廊下がすぐ中庭に面していた。
さまざまな植物が生い茂るその庭園の中央には、泉があったのをエドワードは記憶していた。
「……な!!………ずるい!それ、知ってて黙ってるなん……」
「しっ!……静かにしろって!」
思わず声を張り上げようとするウィンリィを、
エドワードは慌てて押さえる。
後ろからついてきていた彼女の方を向き、思わず彼女の口を手でふさぐ。
「ん・……っ!!」
押さえやすいように彼女の身体を寄せて、エドワードはもがもごと自分の手のひらの中で動く彼女の口をぴたりとふさぐ。
………ちょ、ちょっと……!!
ウィンリィは思わず全身が火照るのを感じた。
視線をちょっと斜めに上げれば、エドワードの顔がある。
彼の手に口は押さえられていて、身体も抱きかかえられるようにされている。
彼のもう一方の手が自分の腹部の辺りに回っていると自覚して、
なおさらウィンリィは慌てた。
エドワードの力は想像以上に力強く、ウィンリィが少しもがいたくらいではびくともしない。肝心の彼は、目の前の中庭の気配を伺うのに集中していて、自分が慌てふためいていることに気づきもしていないようだった。
「見ろ………出てくる」
エドワードは低く囁いた。
ウィンリィは示された先に視線を走らせる。
その先はどこまでも深い闇が落ちているばかりだ。
生い茂る植物の形を切り抜いたような陰と陰の狭間に、わずかに何かが動く気配がした。なんだろう……?ウィンリィは息をするのも忘れて、それを見極めようと目をこらした。
その時だった。それは、偶然か、必然か。
その瞬間、エドワードは、唐突に思い出していた。
そう、あの伝説は、赤い月が昇る日ではなかったか………?と。
さぁっと洗われるようにして、中庭に光りがさした。
一拍の間を置いて、それが、雲間に隠れていた月が現れたせいなのだと、エドワードとウィンリィは理解する。
影絵のように切り抜かれていた木々の合間を、光が照らす。
そして、その真ん中にたたずむ、一人の人間。
それは、確かに、人間だった。
こんこんと湧く泉が、きらきらと光を反射している。
そして、それ以上に、月の光をいっしんにはじくのは、
その人影の、目の覚めるような金色の髪だった。
息を詰めてその光景を見ていたエドワードとウィンリィは、
オルドールに伝わるあの話を思い出していた。
赤い月が昇る夜。
空から金色の髪と青い目をした女が降りてくる、と。
ふわりとその人影はみじろきして、
髪をたなびかせながら、ふわりと身動きする。
そして、その人影は、何の啓示か予感か、
声もなく己を見つめるエドワードとウィンリィに、その双眸をあわせたのだ。
三人の視線が、音もなく交錯した。
「あんたは……」
呆然としたように、エドワードは口を開こうとする。
しかし、あまりの衝撃に、声がかすれ、音にならなかった。
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