何度目か分からないため息は、落ちる闇に虚しく溶ける。
一日に色んなことがありすぎて、身体は疲れているはずなのに、
エドワードは眠りにつくことができなかった。
何度となく寝返りをうつ。
いつもは同じ部屋に居るはずのアルフォンスは、今日は居ない。
食事にも参加出来なかったアルフォンスは、
部屋で留守番をしているはずだった。
しかし、突然襲った爆破事件のために、
マスタングから頼まれてオルドールの軍の詰め所へと行ってしまったという。
それをホークアイから聞いたエドワードは相当腹が立ったわけだけれども、
マスタングは意に介した風はなく、
エドワードの苦情は一切受け付けられなかった。
そういえば、とエドワードは苦虫を潰したように顔をしかめながら思い返す。
食事へ出る前にアルフォンスが何やらマスタングと話しをしていたのを
なんとなく思い出したのだ。
あの時、何かを託っていたのかもしれない。
詰め所へ使いに行ったきり、アルフォンスは戻ってくる気配が無かった。
眠れない時間ばかりがひたすらに流れていく。
カーテンを閉めていない窓からは、
瞬く星がわずかに見えるばかりで、
月の沈んだ夜の空はどこまでも沈黙ばかりが落ちる。
眠れないなぁ、とエドワードは今日あったことをふと思い返してみる。
とんでもなく色々なことが一度にありすぎて、
考えるだけでウンザリしてきた。
エドワードがもう一つ、ため息をついた時だった。
きぃっと、扉がかしぐ音がひどく大きく聴こえて、
エドワードは思わず身体を起こす。
「……アル?」
アルフォンスが戻ってきたのかと、
エドワードは闇夜に目を凝らす。
しかし、自分の目の前に現れた人影が誰かをようやく判別して、
ぎょっと心臓が跳ね上がるを感じる。
「う、ウィンリィ…っ?」
見れば、髪を下ろしてたたずむ彼女の姿がぼんやりと浮かぶ。
「な、な、何やって…っ。」
思わずベッドの上でエドワードはあとずさるように身をひく。
しかし、ウィンリィはそうしたエドワードの動揺など気にした風もなく、
むしろ別のことに気をとられているようだった。
「え、エドぉ……。」
今にも泣き出しそうな、弱りきった声が落ちてくる。
「こ、怖くて、眠れない……」
「……………は?」
「なんか、変な音がするのよぅ……」
ウィンリィとはエレーナの部屋へ迎えに行ったあと、
それぞれ別々の部屋へ別れた。
それは彼女の特別強い要望で叶ったことだ。
エドワードはまだきちんと記憶している。
さっさと出て行ったのは彼女のほうからだった。
「………お前、自分から出てったじゃんか。」
「しょうがないでしょっ!眠ろうとしたら
変な水音がずっとするのよっ!」
ウィンリィは噛み付くように、しかし、小声で叫ぶ。
「水音って…何が怖いんだよ。」
「どこからともなく聞こえてくるのっ。
部屋のシャワーの音かと思ったけれど、ちゃんと水道栓は閉まってるし。
眠れないでいたら、どんどんどんどん気になってきて……!」
ちょっと調べてよぅ〜とウィンリィは泣きつく。
エドワードはもう一度大きくため息をついた。
「はあ…。まったく、自分から出てったくせに。
なんだよ、幽霊でもいるって言いたいのかよ。」
「いや〜っ!!い、言わないで!!」
耳を両手で塞いで、ウィンリィはその場にうずくまる。
マジかよ…とエドワードは呆れながら、
ベッドから抜け出す。
「ほら、立てよ。……とにかく、部屋まで送ってやるから。」
「変な音がするんだってば!アンタ、信じていないでしょっ!」
「あ〜はいはい。分かった分かった。ほら、立てって。」
エドワードはうずくまるウィンリィの腕を取る。
嫌がるウィンリィの腕をひっぱりながら、
物音を立てないように慎重に廊下に出る。
ひとけの無い廊下には、灯された明かりが音もなく揺れていた。
レンガ敷きの廊下に二人分の影が浮かび上がる。
ウィンリィの部屋はエドワードとアルフォンスの部屋のちょうど向かい側だった。
息を潜めるようにして
エドワードはゆっくりと部屋の扉を押し開ける。
「……別に、何の音もしねぇけど。」
「うそ! 聴こえるじゃない。」
う〜ん?とエドワードは耳をすませる。
部屋のシャワー室の扉を開けて、中を確認する。
水道栓もきちんと締められているし、
そのほかに水のある場所はない。
探るようにゆっくりと部屋のさらに奥へと足を踏み入れ、
ベッドルームへと行く。
閉じたカーテンを音を立てて開けてみる。
「あ。ここ、中庭に面してるのか。」
窓の下に広がるのは、
この建物の中央に位置する池だった。
「そうだよな。オレ達の部屋の向かい側だし。……ん?」
エドワードは視線を中庭に向けたまま身を乗り出す。
「なんだ…あれ……?」
「な、なに……?」
ウィンリィが恐る恐るエドワードの視線の先をたどる。
「あれだよ…人?…いや、違う……?」
「え?…わかんないよ…?」
「あれだよ。ほら、みえねぇか?」
「なに……?」
ウィンリィは闇の中を目を凝らすようにして中庭を食い入るように見ている。
そんな彼女の様子を横目で見てから、
エドワードは突然、「わ!」と耳元で叫んでみた。
「やっ!!」
ウィンリィは思わず目を閉じ、顔を伏せるように身をすくめる。
しかし、その隣のエドワードが、小刻みに身体を震わせながら
笑いを堪えているのが分かって、我に返る。
「エ〜ド〜……っ!!!」
「いてっ!……なんだよ!ちょっとした軽〜い冗談だろがっ!」
どこからともなく出てきたスパナにぎょっとしつつ、
エドワードはなおも殴りかかってくるウィンリィを抑える。
「冗談ですって!? 人が本気で怖がってるのに、アンタはっ!!」
「分かった!分かったから!そんなもん、振り回すな!」
しかし、もう一発殴られて、ようやくウィンリィはスパナを下ろす。
「………はは。怖くなくなったか?」
頭をさすりながらエドワードはウィンリィに向き直る。
はたとウィンリィは再び我に返る。
「……も、だいじょうぶだろ?」
気がつけば、先ほどまでそぞろに感じていた恐怖が消えている。
ほとんど同じ高さにあるエドワードの顔をゆっくりと見つめた。
辺りが真っ暗で本当に良かった、とウィンリィは胸をなでおろす。
でなければ、一瞬でも自分の顔に朱が昇ったことを
目の前の幼馴染に気取られていたかもしれない。
「特に妙な音もしねぇみたいだし……」
と言いつつ、エドワードの視線は、もう一度中庭へと向けられる。
……あれは、なんだ?
ウィンリィの手前、冗談にしてしまったけれども、
エドワードの目は確かに何かの陰を捉えていた。
人影のような気もしたが、そうでないような気もする。
目を凝らそうとしているうちに、その陰は闇に姿を消してしまった。
「……だいじょうぶだろ。もう寝ろよ。」
下へ行って、ちょっと調べてくるか、と思い、
エドワードは握っていたウィンリィの手を離そうとする。
しかし、離れない。
「………なんだよ。まだ問題あるのか?」
ウィンリィが逆に腕を握り返していて、ほどけない。
「……もうちょっと居て。」
「は?」
「ま、またあの音がしたら嫌なの!
アンタ、聞いてないからわかんないかもしれないけれど、
ホント、気持ち悪いんだから……っ」
「……あのなぁ…。」
…コイツ、何を言ってるのか分かってんのか…?
「じゃ、せめて、眠るまで!ここに居て!」
「……オレだって眠りたいんだケド。」
「じゃ、ここで眠ればいいじゃない。」
「ここで眠ればって……ってオイオイ…!」
ぐいっと腕をひっぱられて、エドワードは足をもつれさせる。
「ちょ、ちょ、ちょっと待てっ!!」
しかし、ウィンリィは待たない。
そのままエドワードをベッドの端まで連れて行く。
「はい。ちゃんと靴脱いで!」
「ま、待てってば!」
なんでこーなってる?と思いつつエドワードは振り切ることができない。
そのままベッドになだれ込むようにして身体を横たえさせられた。
「………お前な」
「何」
ほど近いところから声が落ちてきて、ぎくりとする。
ふわふわと花のような匂いが漂ってくる。
ああ、ウィンリィの匂いか…?と思い至りながら、
こいつはいつの間にかこんな匂いをさせるようになったんだろう?
と考え、なんだかどんどん落ち着かなくなってくる。
「オレ、一応、男なんだケド。」
「うん。」
「分かってる?」
「分かってる。」
エドワードはそこまで聞いて、盛大にため息を落とした。
「……女に襲われた…。」
むっとして、ウィンリィは上体を起こす。
「人聞き悪いこと言わないでよっ!!
それを言うならアンタでしょっ!」
「な!……オレがいつ襲ったよ!」
「なんでそういう話になってるのよ!」
「それはお前が……っ!」
と、言いかけて、エドワードははたと口を閉ざす。
「あ〜……なんか、バカみてぇ……。」
「何がよ。」
……気づけよ、このバカ!
と思いつつ、エドワードはそこまでは口に出さない。
「一緒に眠るくらいなら、小さい頃してたじゃない。」
「小さい頃、はな。」
それっていつの話だよ!とエドワードは小さく心の中で呟く。
無駄に高い天井は墨でも流したように真っ黒だった。
そこから視線をはずして、
エドワードは不意に身体をウィンリィのほうへと向ける。
「なぁ……お前のソレって、天然?」
「何が?」
もしかして、コイツは分かってて自分をおちょくっているんじゃなかろうか、と
エドワードは探るようにウィンリィの顔をじっと見つめた。
しかし、暗闇の下できっと自分をまっすぐに見返してきているに違いない
そのそぶりを見て、エドワードは、あ〜あ、と心の中で肩を落とす。
…これが分かっててやってるんだったら、オレ、もう遠慮しねぇ。
そう思ってしまったからだ。
ウィンリィは、というと、
ただひたすら、月明かりさえないこの闇に感謝していた。
これで、エドワードの顔が見えてしまったら、きっと自分は
恥ずかしくて死んでしまうかも、と本気で思っていたからだ。
その証拠に、こんなに心臓のドキドキが止まらない。
変な音は怖くなくなったけれど、これではもう眠れない気がした。
体中を駆け巡る動悸で眩暈がする。
「エド。」
「ん〜?」
やる気の無いような、生返事をエドワードはする。
そうでもしないと、自分の感覚に曖昧に向き合っていないと、
妙な気を起こしてしまいそうで不安だった。
油断すれば、間違いを起こしてしまいそうだ。
微妙な感覚の平衡を取ろうとエドワードは集中したかった。
そうでもしないと、本当にヤバイ。
「あのね。ハンスさん…。」
こんな時にあの男の話かよ、とエドワードはため息をつく。
「あの人、錬金術師みたいだった。」
「はぁ?」
エドワードの返答があまりにバカにしたようなそんな類の反応だったので、
ウィンリィは思わずむっとする。
「錬金術師って…。お前な、知らないのか?
イシュヴァールの人間は錬金術を禁じてるんだぜ。」
「それくらい、あたしだって知ってるわよ。
でも、……あの人、倒れたエレーナさんに錬金術みたいなことしてたの。」
「お前に錬金術が分かるってか?」
「だって!なんだか腕をエレーナさんの頭にかざしたとたん、
ぱぁって光が光って!そしたら、エレーナさんが目を少しだけ覚まして…」
それから……とウィンリィの語気は小さくなっていく。
「それから?」
エドワードはまっすぐにウィンリィを見つめる。
ウィンリィが嘘を言っているとは思わない。
しかし、その内容はとてつもなく突拍子もないことだった。
「それから…『もう、やめてくれ』って言ってた。」
うわごとみたいだったけれど、とウィンリィは付け加える。
闇のしたで、エドワードは金の両目を鋭く細める。
「……分かった。ありがとな、ウィンリィ。」
だから、もう寝てくれ、とエドワードはぽつりと言う。
……今夜は眠れないなぁ、という諦め半分にもう一度ため息をついた。
考えることが多すぎて、眠れるわけがない。それに加えて…。
しばらくの沈黙の後、
ウィンリィが途切れ途切れに口を開く。
「さっきは……ごめんね。」
「……何が。」
「なんか、あたし、エドに無理ばっか言って。」
「なんだ。自覚してたわけ?」
うるさいわねーとウィンリィは小さく呟く。
そして、唐突にエドワードの右手に手を伸ばした。
かしゃりと機械鎧が軋んで、
ウィンリィの細く長い指が機械の指に絡まる。
「調子は、どう?」
「……ん。…上々?」
そ、良かった……とウィンリィは囁くように言って、その声は途中で途切れる。
ぽつんと沈黙が落ちてきた。
眠ったのか?とエドワードは首をかしげ、
ウィンリィの顔に顔を近づける。
「寝たのか…?」
彼女の唇から浅い息が規則正しくこぼれているのを感じた。
「……ったく。」
エドワードは大きく息をついた。
そこでようやく、自分の身体がとてつもなく緊張していたことを自覚する。
ついた息と一緒に、身体から力が抜けるのを感じた。
見えない天井を睨むように身体をむきなおし、
かしゃりとひっかかるように音を立てる自分の右手に気づく。
繋がれているのは、彼女の手。
勿体無いことをしたよなぁ、とエドワードは思いながら、
顔を横に向けて身動きひとつしなくなったウィンリィの陰を見る。
繋がれた手から温度は伝わらない。
きっととてつもなく暖かいに違いない彼女を感じたいけれど、
それはこの機械が許さなかった。
生身のほうの左手をそっと伸ばそうとして、やはり途中でやめた。
これは、きっと、罰に違いない。
「生殺しだぞ、…ちくしょー。」
ぽつんと呟いた言葉に、返答は無い。
……今夜は眠れないなぁ、という諦めでまたしてもため息をついた。
考えることが多すぎて、眠れるわけがない。
それに加えて、隣の彼女のせいで、絶対に眠れるわけがない。
頭をちらつくのは、か細い彼女の寝息。
エドワードはもう一度、やるせないため息を苦く吐いた。
眠れぬ夜はただひたすらに更けていく。
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