小説「Holy Ground」

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2章 憧憬-6



ホール内にウィンリィの姿はない。
エドワードは必死に瞳をめぐらせる。
「どうした?」
エドワードの切羽詰った表情に気づいたマスタングが眉をひそめる。
「いや……。」
まだ、何も確証は得ていない。
自分の思い過ごしかもしれない。
エドワードはウィンリィのことは伏せたほうがいいと判断する。
「……エレーナは部屋に運ばれたらしいな。様子を見にいけ。」
マスタングは、エドワードの表情に不審を抱きながらも
彼に命令を与える。
「……ああ。」
目だけは辺りを見回しながら、
エドワードは上の空で返事をする。

ホールを出て、混乱に蒼ざめた表情を浮かべる使用人に
エレーナの部屋はどこかと尋ねる。
示された場所は、
自分達の部屋がある建物の最上階。その最奥。
エドワードは聞き出すなり走り出す。
まだ何も確定はしていなかった。証拠もない。
ウィンリィは信じられない、と言っていた。
しかし、彼女にその疑いがあるのは確かなのだ。
走らずにはいられなかった。


ひとけの無い階段を一気に駆け上がり、
4階までたどり着く。
赤い敷布が敷かれた長い一直線の廊下を走り、
最奥の部屋へノックもせずに飛び込んだ。

弾む呼吸と動悸で揺れる視界の端に、
探していた後姿を捉える。
「……ウィンリィ…!」
くるりと振り向いた彼女は、エドワードに気づいてぽかんとした表情を浮かべる。
「…え、エド!?」
「お…前…っ!」
エドワードの思いつめたような形相にウィンリィは驚きの声を上げる。
肩で息をしながら、エドワードはつかつかと部屋に入る。
「………無礼だぞ。」
部屋の中に低く声が落ちた。
エドワードは声のした方を向く。
見れば、ウィンリィは部屋のさらに奥に続く寝室らしき部屋にいた。
彼女が立つその脇にはベッドに横たわる人物が一人。
遠目から見て、それがエレーナの身体だと分かる。
そして、その側には、頭に包帯を巻いたハンスの姿がある。
その包帯の巻き加減はいくらか崩れてしまっていて、
ゆるんだそれが彼の目の前に垂れてきていて、ひどく邪魔になっているようだった。
「……いくら国家錬金術師といえど、
勝手にずかずかエレーナ様の部屋に入っていいと思っているのか。」
そう言うハンスの声はひどく静かだったが、
その静かな響きには覇気があった。
エドワードは何もいわず、
つかつかとエレーナの寝室に足を踏み入れる。
そして、ハンスをその目でまっすぐに見据えながら静かに言う。
「……疑心、暗鬼を生ず、だ。」
ハンスは、ふ、と笑む。
「それはそれは。……では、その暗鬼とやらをお聞かせ願おうか。」
エドワードはそれに対して何も言わず、
ウィンリィに目をやる。
「…あそこから離れるなって言ったのに。」
ウィンリィは目を伏せ、だってさ…と口ごもる。
「エレーナさんが倒れて…それで。」
いてもたってもいられず、身体は動いた。
倒れた彼女を介抱しようとした。
エドワードだって働いている。
この状況で何もせずに待っているなんて、出来なかった。
「ウィンリィのおかげで、エレーナ様もなんとかご無事だ。」
ハンスがウィンリィの言葉を遮るように言った。
エドワードはベッド上に横たわるエレーナに目を移す。
瞳を硬く閉じたエレーナは寝ているようだ。
その顔色はひどく悪い。
「……この人、何かの病気なのか。」
「いや。ただ単に気分を悪くされただけだ。
今は落ち着いて眠っているだけ。」
本当にそうか?とエドワードは疑う。
その顔色はただ単に悪いという形容詞だけでは足りない。
蒼ざめた、を通り越して、土気色をしている。
閉じた瞳の辺りに濃い陰が落ちているような気がした。
先ほど、ホールで会話を交わした時は、非常に綺麗な人だと思ったのに。
「こうしてお倒れになるのは初めてじゃない。
だから、私がこうしてお側に付いている。」
「…? あんたは宰相代理なんだろ?」
ハンスは少しばかり首を傾けながらゆっくりと言った。
「それはそうだけれど。……彼女の体調管理も私の仕事だから。」
エドワードは眉をひそめる。
そして、息をひとつついてから、ウィンリィに目をやる。
「……帰るぞ。」
「ここで、エレーナさんについてあげたい。」
ウィンリィはきっぱりと言った。
「ウィンリィ!」
あー、またコイツは!とエドワードは苛々しはじめる。
「お願い!エド。あたし、心配なの。」
見つめてくるその目があまりにも真剣でまっすぐなものだったので、
エドワードは思わず息をついた。
言い出したら、きかないのだ。
昔から、そういうやつだった。
「……あとで、迎えにくる。」
ぽつんと言い残して、エドワードはくるりと背を向ける。
すたすたと部屋を退室するエドワードを、じっと見つめるハンスの目は冷たい。
それを見たウィンリィは、困ったようにうなだれ、
硬い表情のまま眠りにつくエレーナに目をやった。


「鋼の、どうした。エレーナの様子は?」
ホールに戻ると、そこにいたはずの大勢の人間の姿はもう無く、
軍や憲兵、そしていそいそと片付けに奔走する使用人の姿が見えるだけだった。
「…臥せっている。側にウィンリィと、ハンス・グリーレーが付いてる。」
エドワードはぼそりとそれだけ言った。
マスタングの表情がわずかに曇る。
「鋼の……」
「分かってるよ。」
マスタングの言葉の続きを、エドワードは遮った。

何も確証が無いのだ。
それなのに、何かがちらついている。
何かちらついて、離れない。しかし、それが何なのか判らない。
だから、疑問と疑心だけが膨らむばかりだ。
……苛々する。
エドワードは唇を噛んだ。

ふと顔を上げれば、あの絵がある。
涙を流しながら梯子に手を伸ばす少女の絵。
それを語ったエレーナとハンスの言葉が腑に落ちない。
何の変哲もないはずの言い伝えなのに、不安がちらつく。
あの絵を語るときのエレーナの表情の暗さに、
伝わってくる必死さに、疑問が膨らむ。
たかが言い伝えなのに。

あわただしく動き回る使用人に指示を出しているのは
サラム・マックホルツだ。
時折怒鳴りちらしながら、使用人を使っている。
なんとなくその怒鳴り声にいやなものを感じて、
エドワードはテラスに出た。
割れたグラスは綺麗に片付けられていた。
誰もいないテラスに足を踏み入れる。
闇だけが静かに落ちるその場所から、
眼下を見下ろせばたくさんの光が見える。
それは、オルドールの街の光だった。

「……綺麗だろう?」
背後の声に、エドワードは振り向かない。
「…どうだろうな。」
「ウィンリィは素直な子だね。…君とは大違いだ。」
はん、とエドワードは鼻で哂う。
そして、くるりと振り向いて、背を壁にもたれながら立つハンスを睨む。
「……あんた、包帯、外れかけてるぜ?」
「…ああ、これ?」
ハンスは頭に手をやる。
「巻きなおそうと思っていたんだ。」
「……怪我はもう治ってるのに?」
エドワードのその言葉に、ハンスはぴくりと動きをわずかに鈍らせた。
「さっき、見えたよ。あの人の部屋で。
暗がりだからって油断したのかもしれないけど。」
あの怪我は相当に酷かったはずだ。
エドワードは倒壊しかけた列車の中で、
ハンスが流した血の海を目の当たりにしている。
だから、エレーナの部屋で、外れかけた包帯の下に
見えるはずの怪我を確認できなかったのには内心驚いていた。
「あの怪我は今日の昼に負ったもののはずだよな?」
……なぜ、もう治っている?
ハンスはにこりと哂う。
「目敏いね。」
「疑心、暗鬼を生ず、だからな。」
注意深くならざるを得ない。
「なぜだ?どうやって…」
さぁ?とハンスは首を傾げる。
「……君たち軍の人間が何を考えているかなんて、とっくの昔にお見通しだよ。」
さらりとハンスは言った。
気づいていたのか、とエドワードは心の中で呟く。
「なにやら色々嗅ぎまわっているみたいだけれど。
無駄だよ。エレーナ様は何も知らないし、関係もない。」
「…それを信じろと言うのか?」
「ああ、そうだよ。」
何か証拠でもあったのかい?とハンスはなおも哂う。

ハンスは壁から離れ、エドワードに近づく。
そしてテラスの桟に手をかけ、
エドワードと並ぶように、眼下に広がる街を見た。
「…綺麗だろう?」
「……。」
「ここまで成るのに、何年もかかったんだ。」
「あんた達は、本当にいい待遇をしてもらってるんだな。」
オルドールの人間は、豊かだった。
光溢れる街を見れば分かる。
彼らは他のイシュヴァール人とは違う。
「…まぁね。裏切り者の街だから。」
自嘲するようにハンスは言った。
まっすぐに街を見下ろすハンスの目の色は、しかしどこまでも暗い。
「なぁ、エドワード。」
一心に街を見つめながら、ハンスは口を開いた。
「私はね、一度だけ、あの女性をみたことがあるんだよ。」
「は?」
「あの絵の中の女性を、だ。
月明かりの夜に、壮絶に美しい彼女が、寝ている私の横に立っていた。」
「……」
「月明かりに透き通る金の髪を撫でて、青い瞳からこぼれる涙に触れたよ。
一度だけ、ね。」
今でも信じている、あれは夢ではなかった、と。
ハンスの言葉にエドワードは眉をひそめる。
「だから、あの伝説を信じてる、と?」
まぁね、とハンスは笑った。
しかし、その笑いはひどく乾いたものだった。
馬鹿馬鹿しい話だ、とエドワードは思う。
あの話は言い伝えのはずだ。
夢と現実を交錯させて、彼は何を言いたいのだろう。
「本当に、本当に、綺麗な人だった。」
ぽつんとハンスは呟いた。

付き合ってられねぇよ、とエドワードは再び眼下の街に目をうつす。
夜の帳にちりばめられたあふれるような街の光は、
逆にエドワードの心に暗く暗くかげを落とした。
なぜそんな気持ちになるのか、エドワードはやはり分からなかった。
闇はさらにどす黒い闇をはらんで、
エドワードの中に降り積もる。
そう、感じずにはいられなかった。





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