突き上げるような地響きが走った。
か細い悲鳴を上げて、ウィンリィがよろける。
慌てて彼女の両腕を支えながら、
エドワードは即座にホールのほうへ目線を走らせた。
切り裂くような悲鳴が上がり始める。
ウィンリィが立てておいたグラスが音を立てて割れ、
二人の足元を濡らす。
「爆発か……っ?」
地響きがわずかに落ち着き、
エドワードはテラスの外、そしてホールを交互に見る。
かすかに風にのって、火薬の匂いが鼻をかすめた。
「立てるか…?」
エドワードは顔を伏せながら目をつぶったままのウィンリィに問う。
ウィンリィはゆっくりと何かを確かめるように目を開けて、
エドワードの顔を見、ゆっくりとうなずく。
よし、とエドワードは頷いてから、
「そこにいろ。動くな。」
とウィンリィにいい置く。
衝撃はもっと遠くから伝わった気がする。
どちらかというと建物の内部からだ。
「う、うん…」
不安そうにウィンリィの瞳が揺れた。
それを見てとって、少しだけためらいを覚えたが、
エドワードは振り切るように走り出す。
ホール内は混乱の声で揺れていた。
マスタングやその周りの兵が、
声を張り上げて落ち着け、と怒鳴っているのが見える。
マスタングの元に走りながら、
エドワードは瞳をめぐらせ、エレーナの姿を確認する。
その横に寄り添うように立つのはサラムだ。
そしてその周りを固めるように、
どこから出てきたのか武装したオルドールの人間が団をなしている。
「大佐!」
混乱渦巻く場でエドワードは声を張り上げた。
マスタングは首元のネクタイを緩めながら、声に振り向く。
「何があったんだ…っ?」
それはこちらが聞きたいよ、と言う風にマスタングは眉をしかめた。
「爆発です。屋敷の内部から…!」
と、銃を構えながらホークアイが応えた。
その答えに、エドワードはくるりと方向を転換する。
「鋼の!…どこへ行く!」
勝手に動くな!というマスタングの声など聞く耳を持たず、
エドワードはホールの入り口へと向かう。
頭を抱え、悲鳴の声を漏らしながら床へうずくまる人々の間を抜けて
走りながら、エドワードはある人物を探す。
……あいつはどこだ?
エドワードが探していたのは、ハンス・グリーレーだった。
宰相代理というのなら、真っ先にエレーナの側にはしりそうなものだが、
その姿は、エドワードが見る限りどこにもない。
ホールを抜け、廊下を駆け抜ける。
屋敷の使用人らしき人間が何人も、
エドワードにぶつかるように逃げ出してきていた。
人の波に逆らうように進むと、
火薬の臭いがどんどん濃く鼻につき始める。
廊下の突き当たりをくるりと曲がり、
階段を降り、
火薬の臭いを頼りにエドワードは走る。
そして、前方に、黒い人だかりを発見する。
「何があった……っ!」
立ちはだかる人影をかきわけるようにして進もうとするのを阻まれる。
「子どもには関係ない!あっち行ってろ!」
むっとして見上げれば黒の制服に身を固めた憲兵だった。
それをいさめるように近づいてきたのは、
駅で会ったボルティモアという憲兵だ。
エドワードを追い払おうとした憲兵を軽く叱責し、
ボルティモアは敬礼の格好をとる。
そういえば自分も軍属だった…とエドワードははたと思い出す。
「……何があったんですか?」
灰色の目を見上げて問えば、無感動な答えが返ってくる。
「何者かが爆弾を仕掛けた模様です。けが人はいません。」
そういいながら、ボルティモアはエドワードにそれを指し示す。
「なぜかは分かりませんが……ここに、仕掛けられたらしく。」
エドワードは考え込むように腕を組む。
仕掛けられた場所は何の変哲もないただの壁だ。
しかし、爆弾を仕掛けられたというのに、
その壁は黒く煤けただけで、どこも壊れていない。
エドワードはそろそろと近づいて壁に触れようとする。
ざらついた感触を左手で確認し、さするようにその黒こげた
レンガ造りの壁を撫で、叩いてみる。
「?」
エドワードは首をかしげ、
「わかんねーな…。ここには最初から何も無かったのか?」
「さぁ…そこまでは。我々が駆けつけたときはこの状態で。」
エドワードは足元に散乱する金属片に手を取る。
それは爆弾の一部だった。
しゃがんでそれを手にしたときに、ふわりと何かが匂った。
…まただ。
エドワードは顔をあげ、辺りを見回す。
腑に落ちない表情を浮かべながらきょろきょろ視線を彷徨わせる国家錬金術師に、
側の憲兵が落ち着かない表情を浮かべる。
「どうか…されましたか?」
「……匂いだ。」
「は?」
「感じないか?…何か、匂いがするんだ。」
甘ったるいような、眠くなるような、そういった形容が似合う、香り。
「いえ…別に。」
エドワードが立ち上がると、
マスタングらが駆けつけてくるのが見えた。
「鋼の!勝手に行動するなと……っ!」
マスタングの声は、敬礼して立つボルティモアに途中で邪魔される。
「爆発物が仕掛けられたようです。」
マスタングの額に深い皺が刻まれる。
「……またか。憲兵は何をしていた。ここの監察はそちらの職権だろう。」
ボルティモアは敬礼の姿勢を崩さずに言葉を続ける。
「外部からの不審者があればすぐに分かったはずです。
警備体制に問題は無かったと判断しています。」
「……では、これはどう説明する?」
「………。」
ボルティモアはマスタングの問いには答えない。
じっと、睨むように灰色の目がマスタングを見上げる。
「…落ち度はない。では、内部の者の犯行だと、
君はそう言いたいのかね?」
ボルティモアは微動だにせず、口だけを開く。
「……その通りであります。」
眉をひそめたまま、マスタングはエドワードに目をやる。
エドワードは、分からない、という風に肩をすくめる。
「…警備体制を、見直せ。大尉。
たとえ内部の人間の犯行だとしても、
警備体制に関しては一考の余地があるのではないか。」
ボルティモアはさらに背筋を伸ばし、はっ、と答える。
「大佐。」
エドワードはマスタングを見上げる。
「…なんか、匂わないか?」
「ああ。充分にきな臭いが。」
マスタングの視線は、指示を出すボルティモアに向けられている。
「……くだらん話だ。」
「違うって。」
マスタングの言わんとするところをエドワードは否定する。
「なんか、匂うんだ…。甘いようなすっぱいような、変なにおい。」
マスタングは首をかしげた。
「別になにも感じないが。」
自分の気のせいか?とエドワードも首をひねる。
先ほど確かに感じたにおいは、とてつもなく頼りなく、
今となっては確かなものとして記憶に呼び起こせるものではなくなっていた。
それほどに曖昧で、不確かな、でも確かに感じたあのにおい。
足音を立ててやってきたのはホークアイだった。
「大佐。…エレーナ・ハイゼンベルクが倒れました。」
マスタングの目がわずかに見開く。
「負傷したのか。」
「いえ。おそらく混乱の中で気を失ったのかと。」
マスタングは来た道を引き返す。
エドワードは爆発現場を振り返り、そして、マスタングの後を追った。
「鋼の。」
「あん?」
「…さきほど、エレーナには会ったのか。」
先ほどがいつなのか分からずにエドワードは首をひねる。
歩きながら話を進めるマスタングの顔はまっすぐに前方を見ている。
しかし、その表情はいつになく険しい。
「ロックベル嬢を迎えに行ったときだ。」
ああ、あのときね、とエドワードはうなずく。
「なら、いい。……彼女を監視しろ。」
歩を進めながらマスタングは囁くように小さな声で行った。
わずかに遅れて歩いたエドワードの眉がわずかに吊り上がる。
「内部の犯行って疑っているのか?」
「彼女が行く先で爆発物が置かれている。
お前は彼女と年も近いし、側で監視するにはちょうどいい立場だろう。」
どうだか、とエドワードは首をすくめる。
「爆破の犯人が誰にしろ、エレーナの側にいると何かと好都合だ。
こちらの狙いも叶うし、犯人と接触できるかもしれん。」
犯人がエレーナだった場合も同様だ、とマスタングは囁くように言う。
「彼女を守れ。なおかつ、監視しろ。」
「………それは、命令?」
歩を緩めることなくマスタングはホールへと入る。
きっぱりと言い捨てるマスタングのその目はまっすぐにただ前を見据えていた。
「命令だ。」
エドワードはため息をついた。
腰に下げている銀時計が、わずかに音をたててかしいだような気がする。
ホール内は、エレーナ昏倒の報に
動揺と混乱が冷めていない。
マスタングが静かにしてください、と声を張り上げるのを聞きながら、
エドワードはエレーナを探す。
しかし、先ほど彼女を護衛していたあの集団も消え、
サラムも、そして、やはりハンスも姿が見えない。
昏倒したエレーナに付き添っているのかも、と
エドワードはエレーナの居所を聞こうと使用人を探す。
「ごめん。…あの、エレーナさんは…」
ようやくつかまえた使用人の一人に聞こうと口を開きかけて、
エドワードははたと動きを止めた。
「あ、あの…?な、なにか…?」
呼び止められた使用人は、エドワードの口が止まったことに対して
不安げに眉をひそめた。
……何か、忘れていないか?
大事な、大事な、コト。
エドワードの目がわずかに見開かれ、
ばっと会場を一円するように見回す。
「…………ウィンリィっ!?」
エドワードはホールの真ん中で叫んだ。
見渡せど、彼女の姿はない。
待つようにと言ったテラスに走る。
しかし、月が沈んで暗闇だけが落ちるそこにあるのは、
割れて粉々になった彼女のグラスのみ。
動悸が一気に跳ね上がるのを、エドワードは途方にくれながら感じていた。
眩暈がする。
マスタングは言っていなかったか?
彼女をしっかりと守るように、と。
「ウィンリィ…っ。」
エドワードは彼女の名前をただすがるように呼びながら、
ホールを見回した。
しかし、パールホワイトのドレスに揺れるハニィブロンドは、
どこにも見えなかった。
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