小説「Holy Ground」

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2章 憧憬-4



お時間です、と迎えにやって来たのはサラムだった。
ウィンリィは結局、エレーナらと先に食堂へと向かったと聞いて、
エドワードはもうひとつ、深いため息をつく。
「アル、留守番してろよ。」
部屋を出る間際、扉を閉めながらそういうと、
分かったよ、という返事が返ってくる。

こういう時が、実は一番居心地が悪い。
ドアノブから手を離しながら、エドワードは目を伏せる。
弟には身体が無いのだという現実を見せ付けられる、一場面だ。
馴れたつもりでいても、時々ふっと落ちてくるのは、
少しばかり苦い罪悪感だった。

「鋼の。何してる。」
ぼんやりと手袋をはめた右手を見つめたままドアの前に立ち尽くすエドワードに
マスタングはいぶかしげに声をかける。
「……なんでも。」
エドワードはぽつりと呟いて、
先を歩き始めたサラムやマスタング、ホークアイの後を追った。

案内された場所には意外にも多くの人がいた。
内輪だけの食事を勝手に想像していたエドワードは少しばかり面食らう。
「こいつら…誰?」
横を歩いていたホークアイにこっそり聞くと、
「オルドールの有力者たち…とでも言いましょうか。」
と簡単な答えが返ってきた。
そういえば、オルドールがなぜ他のイシュヴァール人と区別されているのか、
それを聞いていなかったな、とエドワードは思い出す。
そして、大佐が言う「裏切りの街」という言葉に思い至り、
慌てて辺りを見回した。
そして、食堂の奥まったところで
ハンスとはれやかに笑い合いながら談笑しているウィンリィを見つける。
マスタングも目敏くそれを見つけたらしい、
後ろを歩くエドワードに目をやる。
「鋼の。彼女がいるぞ。いいのか?」
「何がだよ。」
勝手にしやがれ、とでも言いたげにエドワードはそっぽを向く。

食事の形式は立食だった。
テーブルに並べられた料理のいくつかは、
エドワードが見たことのないものも含まれている。
磨き上げられた床は曇りひとつなく、
高い天井に響いているのは優雅な音楽だ。

何もかも、エドワードが抱いていたイメージとだいぶ違っていた。
エドワードはイシュヴァール人を直接見たことは数えるほどしかなかったけれども、
どのイシュヴァール人も、
軍のイシュヴァール政策に苦しんでいるというイメージがあったからだ。
ホールに居る人間達はそのほとんどが赤い目をしていたけれども、
エドワードがそれまで見たことがあるイシュヴァール人とは違い、
肌の血色もよく、身なりも言葉遣いもなにもかもが普通のイシュヴァール人と違っていた。

ぼんやりと考え込んでいると、
いつの間にか人の波に呑まれていることに気づく。
軍属の人間の来訪に、人々は興味津々のようだった。
サラムがいちいち紹介して回るからこれがまた煩わしい。
マスタングは会場の女性の群れの真ん中にいて、
にこやかに一人一人の相手をして回っている。
ほんの少しばかり離れたところでそれを見守っているのはホークアイだ。
……任務だと言ったのは大佐のはずなのに、
何をやってるんだ。
エドワードは半ば呆れて、人ごみに辟易するように
部屋の隅へと逃げ出す。
エドワードの銀時計に気づいた何人かが何かを話しかけようとよってくるのが分かったが、
エドワードはなんとなくそれがいやだった。
自分は確かに国家錬金術師だったけれども、
別にとりたてて軍属として何かをしているわけでもなかったし、
何かを彼らに約束してやれるわけでもなかった。
見ていてすぐに分かるのだ。
マスタングに集まる彼らは佐官である彼に追従しようと必死だった。


部屋の片隅の壁に、一人寄りかかるようにして立つエドワードの目に
真正面の壁を飾る何面もの絵画が映る。
その中の一枚にエドワードは注目する。
それはいたって目立たない、比較的小さなサイズの絵画だったが、
じっと見つめたエドワードの心を波立たせた。
「……赤い、月……?」
血のように赤い涙を流す裸の女の絵がある。
波打つその女の髪は亜麻色がかった金色で、
彼女が立つ水面には揺れるように輝く赤い月が写っている。
天に向かって延ばされた女の手の先には、銀色の梯子。

「……あの絵が気になりますか?」
不意に声をかけられ、エドワードは振り向く。
見れば、グラスを片手に持つエレーナが、
その漆黒の黒髪をたゆらせながら近づいてくる。
「……ええ。少しだけ。」
エドワードは警戒しながらも、正直に答えた。
オルドールの人間は面白いな、と思う。
みな、同じような赤い瞳を持っているくせに、
どれもその印象が違う。
エレーナのそれは、切れ長で、非常に涼やかな目元が印象に残る。
そのくせ、何を写しているのか少し分かりにくい、深い深いワインレッドの色をしていた。
「彼女は迷える者よ。」
「迷える?」
エレーナは目を伏せながらゆっくりとうなずく。
「オレが聞いた話じゃ、あの女が天から降りてきて……」
「いいえ。違うわ。」
きっぱりとエレーナはエドワードの言葉を途中で遮る。
「彼女は救世主なんかじゃない。
大いなる力なんて存在しないわ。」
はき捨てるようにエレーナは呟いた。
「……オルドールでは信じられてるんじゃないんですか?」
エドワードは頭の中で疑問符が飛び交うのを感じながら、
慎重に質問する。
エレーナの表情は苦いものでも呑んだように少しばかり苦しげだった。
たかが伝説になぜこんなにムキになる?
「…ええ、そうね。確かに。」
確かに、信じられている……と彼女は力なく呟いた。
二人の間に沈黙が落ちた。
エドワードは横のエレーナを伺いながらも、頭の中を整理しようとする。
しかし、一つだけため息を落としたエレーナが、それを阻むように口を開いた。
「君は、いくつ?」
「……十五、だけど。」
「へぇ、私と一つしか違わないのね。」
私は十六才よ、と彼女はぽつりと言う。
「その歳でなぜ国家錬金術師なんかに?」
なんかに、という言い方には少しばかり棘が感じられたが、
エドワードはなんでもないという風に応える。
「やらなければいけないことがあるんで。」
「…軍の狗になっても?」
やけにつっかかるな、とエドワードはエレーナを見つめる。
「ええ。…オレがやらないといけないことはそんなことくらいでは
とてもじゃないけど購えないくらいのものだから。」
だから、それくらい、なんとも無い。
「……なぜ、笑うんです?」
エドワードはむっとした。
隣のエレーナは少しばかり口元を緩ませて笑みを浮かべていたからだ。
こんな笑顔は初めて見るなぁ、とエドワードは少しビックリする。
列車の中ではずっと厳しい顔をしていたし、
笑って自分達をここに招待したときも、張り付いたような硬い笑顔だった。
「いいえ。なんでも。
……ところで、ウィンリィの相手はしないでいいの?」
エドワードは瞳を巡らせて
ホールの真ん中でハンスと談笑を交わしているウィンリィを見る。
エレーナとの会話の中でも
目はウィンリィをじっと見つめていたエドワードをエレーナは悟っていた。
「別に。グリーレーさんがうまく相手してるみたいですし。」
オレの役目はありませんよ、とエドワードはきっぱりと言う。
「それに、オレとあいつはただの幼馴染で、
いまさらこんなトコで喋って食事なんて…」
やはりエレーナが笑うので、エドワードはさらにむっとした。
「笑うとこじゃないハズなんですけど。」
「いや。……ウィンリィの言うとおりだと思って。」
何を言ったんだ!あいつは!とエドワードは腹の中に力を込める。
その時、遠目にウィンリィがこちらに気づいたのがエドワードには分かった。
ウィンリィが手を振るのが見えたが、
エドワードはぷいと目をそらす。
その様子を見ながら、やはりエレーナは笑った。
「あんまり愛想ないと、逆にあの子に愛想つかされるわよ。」
「な……」
反論する間も与えずに、エレーナは離れていく。
エドワードはもう一つため息をついた。
……なんか、オレ、ため息ばかりついてるな。
はたとそう気づいて、エドワードはつい、もうひとつため息を落としてしまった。
そんな自分に、自分で呆れてしまった。


「また無視したわ。
あいつ、さっきのことをまだ根にもってるわね!」
ウィンリィは憤慨したように、手にもっていたグラスを空ける。
「さっきのこと?」
隣のハンスが聞いてくる。
ハンスの頭には白い包帯が巻かれていて、見た目は痛々しいが、
本人はなんともないというふうに平気そうな顔をしていた。
聞き返されたウィンリィは、さすがに、自分がいままずいことを口にしたと悟る。
エドワード達の任務についてさすがに口外は出来ない。
「あ…いや…」
急にしどろもどろになるウィンリィにハンスは笑う。
「外に行かない?テラスから月が見えるんだ。」
手をひかれるようにそろそろとウィンリィはハンスの後をついていく。
「見て」
テラスに出たウィンリィは眼下に星をちりばめたように光る街の光を見る。
そして、それを照らす淡い月。
「月が沈むよ。」
そう言いながら、ハンスはオルドールに伝わる伝説をウィンリィに話す。
「大いなる、力?」
ウィンリィの問いにハンスはうなづく。
「月から来る少女は私たちの救世主だ。」
ウィンリィは少し考え込み、言葉を選ぶように口を開く。
「あなた達は……救われたいの?」
ウィンリィは不思議だった。
自分が抱いていたイシュヴァール人とはまるで何もかも違う
このオルドールの人たち。
ウィンリィの目から見ても非常に恵まれているように見えたのだ。
ウィンリィが何を言いたいのか、ハンスは即座に悟ったらしい。
「幸せの基準なんて、曖昧なものなんだよ。
手に入れたらまたほしくなる。もっと、もっと、ってね。」
ウィンリィは、分からないわ、と首を傾げる。
ハンスは軽く笑いながら、
「きっとそうだと思うよ。あなたも。そしてエドワードさんも。
…そう、思いませんか?」
最後の言葉を、くるりと背後を向きながらハンスは投げるように言った。
「そこにいるんでしょう?」
一拍の間を置いて、
テラスの出入り口からエドワードが姿を現す。
「……救世主なんかじゃない、とエレーナさんは言ってたケド?」
ふっ、とハンスは月明かりのしたで笑った。
それは、今までの笑顔とは違い、どこか冷たく、寂しげな色をしていた。
「エレーナ様がそう言うなら、そうなのでしょうね。」
「…………塔が」
エドワードはぽつんと口を開く。
「塔が、7本あった。」
この屋敷の分も含めれば、八本だ、
とエドワードは目の前のハンスを探るような目で見ながら言う。
「あれは、何ですか?」
「どうして?」
「ただの好奇心だけど。」
「ただの好奇心だけじゃ、教えられないな。」
エドワードが見上げるようにハンスを睨む。
「……冗談だよ。あそこはイシュヴァラの神を祈るための祭壇がある場所だ。」
「7箇所も?」
「そうだよ。7箇所。一日に一箇所、エレーナ様が順番に祭壇を回って、
そこで祈りを捧げる。それが、オルドールの慣わし。」
「じゃあ、この屋敷の塔は?」
ハンスはウィンリィから離れ、エドワードにゆっくりと近づく。
「あそこは、行ったらいけない。」
「族長の近親者なら近づけるって聞いたけど」
ゆらりとハンスの身体が揺れたような感じがした。
見上げるエドワードは、ただごとではない雰囲気を感じる。
威圧するような覇気が、彼から漂っていた。
「あそこは禁じられた場所だ。私も近づけない。」
穏やかな笑みをたたえていたハンスの顔から一切の笑みが消えていた。
「ウィンリィを独り占めして悪かったね。」
そう言い置いて、ハンスはテラスから出て行く。
「…な…ち、ちが…」
言われたことをようやく頭で理解して、慌ててエドワードは反論しようとしたが、
ハンスの姿は既に遠い。

またしても盛大なため息をついて、顔を上げれば、
テラスの淵にウィンリィが立っている。
「……あんま、喧嘩しないでよ。」
ぽつんとウィンリィが言った。
ああ?喧嘩? とエドワードは首をかしげながら
ウィンリィの側に寄る。
「ハンスさん。…なんか、さっき、すごく怖かった。」
ああ、アレね、とエドワードは首をひねる。
「なんか、やましいことでもあるんじゃねぇの。」
そんなことないよ、と反論しそうになるウィンリィをエドワードは手で制止する。
「聞きたくねぇ。」
「エドの、分からず屋!」
「それは、お前だっつーの!」
言い終わってから、はたとエドワードは気づく。
これではさっきの喧嘩の続きではないか。
「エド」
「あん?」
「ネクタイ。曲がってる。」
持っていたグラスをことんと桟において、
ウィンリィはエドワードに向き直る。
「いいよ、キツイし。」
「だめ。」
山の端に沈みかける月は、沈む直前に尚一層その光を増すのだろうか。
白い光の下で、エドワードに手を伸ばしてくるウィンリィは、壮絶に綺麗だった。
こいつ、誰だろう?とエドワードは心の中で首をかしげた。
思えばここ最近、
この幼馴染をこうやってマジマジと見つめたことは無かったような気がする。
自分よりも少しだけ背が高い彼女に、
なんだか妙にむかつくなぁと思っていたら、
「楽しかった…?」
「は?」
ネクタイに一心に目を落としながら、ウィンリィは言った。
「エレーナさんとおしゃべり。」
……ずっと、見てたんだから、なんてウィンリィは言わない。
その言葉は飲み込んだ。
「……別に。」
言いながら、エドワードは落ち着かなくなってくる。
二人の間に沈黙が落ちた。
部屋から流れてくるのは雰囲気ある上品な音楽。
そして低く流れてくるのは人々の喧騒だ。
ざわざわしたその喧騒から一歩はなれたところに二人でいて、
降り注ぐ月の光の下で
その睫が落とす影の一つ一つさえもが見えてしまいそうなほど、
すぐ側にウィンリィが居る。
身体を、妙な高揚感がくすぐるのをエドワードは自覚した。
まずいな、と思った。
今夜の彼女は、綺麗すぎる、と思った。
「ウィンリィ……」
お願いだから、心配かけさせないでくれ、分かってくれ。
言いたいけど、なんとなく言うのが恥ずかしい。
うまくいえない。
「何?エド?」
まっすぐにウィンリィがエドワードを見た。
とんでもなく近いところで、二人の視線がぴたりと合った。

その時だった。





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