いくら待ってもアルフォンスが戻ってこない。
大佐の命令を面倒くさいながらも守って風呂に入ったエドワードだったが、
部屋に戻ってからいくら待ってもアルフォンスは戻らなかった。
「ちくしょー。世話が焼けるぜ。」
アルフォンスが聞いたら、それは兄さんだろ!という反論をもらってしまいそうな
独り言を漏らしながら、エドワードは部屋を出ようとすると
扉のノック音が響く。
「アル?いちいちノックなんて……」
と言いながら扉を開ければ、そこにホークアイがいる。
「これに着替えるようにと、大佐からの指示です。」
紙袋を差し出されてエドワードは受け取る。
「へぇ……なんか、用意がいいな。……でも、軍服はイヤだぜ。」
ごそごそと紙袋の中を探りながらエドワードは独り言のように言う。
「大丈夫です。階級章の調整が間に合わなかったので、
これに銀時計を携帯しろ、という大佐の指示です。」
中に入っていたのは黒いスーツ一式だった。
「へーい…」
と、エドワードは気のない返事をしてから、
あ、ちょっと待って、と立ち去るホークアイを呼び止める。
「ウィンリィ、知らない?アルも戻ってこなくて。」
ホークアイは首をかしげて
「ウィンリィちゃんならさっき着替えの手伝いをしたんだけれど…。
アルフォンス君は知らないわ。」
ホークアイに礼を言ってから
エドワードは部屋に戻る。
どこに行ったんだ?と首をかしげながら、渡された服の袖を通す。
服のサイズはぴったりだった。
エドワードは部屋に備え付けられた鏡の前に立ちながら、
なんだかふっと不安がよぎる。
……なぁんか…うまく行きすぎてねぇか?
そんな不安とも呼べないひっかかりを頭から振り払い、
エドワードは部屋から出る。
アルフォンスがいつまでたっても戻ってこないのだ。
隣室の部屋をノックする。
「大佐、アルとウィンリィ、知らない……」
「あ、兄さん。」
アルフォンスがこちらをくるりと向く。
「…というわけだ。よろしく頼むぞ、アルフォンス。」
「あ、ハイ。分かりました。」
マスタングの言葉に、アルフォンスはうなずきながら、
ずかずかと入って来る兄の方を見やる。
「なぁにやってんだよ。ウィンリィは?」
「ロックベル嬢なら、エレーナ・ハイゼンベルクの所だが」
アルフォンスの代わりに答えたマスタングの言葉に、
エドワードの動きがぴたりと止まる。
それを面白そうに見やりながら、マスタングは続ける。
「彼女と喧嘩したそうだってな、鋼の。」
「喧嘩じゃねぇよ。あいつが勝手に怒って出てっただけだ。」
エドワードはそう言い捨てて部屋を出て行こうとする。
「どこへ行く。」
「探しに行くんだよ。あいつを。」
「あ、兄さん。」
出て行く兄をアルフォンスは呼び止める。
「僕、今夜の夕食会、出ないから。」
アルフォンスは物を食べられない。
それは仕方ないことだ。
アルフォンスの言葉にああ、その方がいいかもな、
とエドワードは上の空でうなずく。
扉が音を立ててしまり、
アルフォンスは小さくため息を落とした。
「大佐、あんまりからかわないで下さいね。」
アルフォンスの言葉に
何をだ、とマスタングは聞かないが、その顔は意地悪い笑みが浮かんでいる。
「兄さん、ああ見えてもかなり気にするんですから。」
「…そんなことより、さっき言ったこと、頼むぞ。」
「それは構いませんけど。」
返事をしながら、なんだか兄をだましているような気がして
アルフォンスはもう一つ、ため息をついた。
無駄に広い屋敷だ、と歩きながらエドワードは苛々してくる。
ただ、構造は非常に分かりやすい。
中央にある池を箱で囲むように
建物はぐるりと四方に広がっている。
エドワード達が通された建物はかなり奥まったところにあるらしく、
この建物をさらにぐるりと囲むようにいくつもの建物が
放射状に広がっている。
サラムに建物を案内されながら、エドワードはそこまで把握できていた。
沈む月との位置関係から見て、
南の方向に、あのそびえ立つ巨大な塔があった。
ようやくつかまえた使用人にウィンリィの所在を聞くと、
エドワードがこの屋敷の招待客だと承知しているその使用人は
あっさりとエドワードに案内役を買って出た。
通された部屋は3階の奥まったところにあり、
使用人のノックに応える声は男の声だった。
部屋に入れば、そこにウィンリィがいた。
「お前なあ……」
と言いかけて、エドワードは言葉を失くす。
振り向いた彼女の姿に、思わず言葉を忘れてしまった。
「エレーナさんから借りたの。」
腰掛けていた椅子から立ち上がったウィンリィは真っ直ぐにエドワードの所へやってくる。
ひらひらしたパールホワイトのドレスに身を包んだ彼女に近づかれて、
エドワードは思わず後ずさりする。
「な…」
「エド、襟が曲がってる。」
白い手が伸びてきて、自分の首元にふわりと触れた。
……これ、本当にウィンリィか?
そう思うとウィンリィを正視できず、エドワードは思わず目をそらす。
そして、ようやく部屋の奥に座る人影に目を留めた。
「……どーも。」
目だけで挨拶するエドワードにウィンリィが
「無愛想ね、何よ、それ」
とエドワードをたしなめるように言った。
部屋の奥に、ベッドの上に座る男が一人いる。
そしてその側には、ウィンリィと同じようにふわふわしたすみれ色のドレスに身を包んだ
エレーナが座っていた。
「君が、ウィンリィの……」
「…幼馴染です。名前はエドワード。」
エドワードは慇懃無礼に男の言葉を継いだ。
列車の中で血を流して倒れていた男だ。名前は確かハンスとかいった。
それよりもエドワードが気に入らなかったのは、
その男が親しげにウィンリィのことを「ウィンリィ」と呼んでいることだった。
「ハンス、エドワード殿はこの歳で国家錬金術師を拝命しているそうだ。」
ハンスの赤い目がわずかに揺れたのをエドワードは見逃さなかった。
「……それはそれは。」
「…まぁ、あなた達イシュヴァールの人間には関係ない話でしょうけれど。」
エドワードは無愛想に付け加えた。
イシュヴァールはその宗教上の教えから錬金術の使用を禁じている、
ということくらいは、エドワードも知っている。
「そんなことありませんよ。
ここアメストリスの地に足を置く人間としては、錬金術の恩恵を無視できません。」
ハンスはそう言って、ああ、挨拶を忘れていました、と
身体をしゃんと起こして名前を名乗る。
「ハンス・グリーレーです。ここオルドールの宰相の息子で
今はその代理を拝命しています。」
涼やかに通る声は印象的だった。
エドワードは、その透き通るような赤い瞳をじっと見ながら、
改めて名前を名乗る。
「…それにしても、ウィンリィには本当に、何度お礼を言っても足りないくらいです。」
にこりと笑いかけられたウィンリィはそんな、と笑みを返している。
なんとなくそれがエドワードには面白くない。
「本当なら私が応対に出ないといけないところを、
サラム殿にまかせっきりにしてしまった。本当に申し訳ないです。」
「その怪我じゃ、仕方ありませんよ。」
エドワードは出来るだけ無愛想にそう言った。
「ええ。でも、もう大丈夫です。夕食にはご一緒させてください。」
ハンスはエドワードにもにこりと笑み、
色々とお話をしたいですね、と続けた。
エドワードはそれにはにこりともせずに、ただ、ええ、そうですね、と返し、
もう失礼させて頂きます、と短く言った。
「え…ちょ…エド!?」
エドワードの手はしっかりウィンリィの右腕を掴んでいる。
廊下へと出たエドワードに引きずられるようにウィンリィも部屋から出る。
「ちょ…っと!痛い…。痛いってば、エド!」
それでもエドワードは離さずにつかつかと広い廊下をつっきり、
つきあたりの階段を降り始める。
「大佐が言ったろ!…あの人には…」
しかし、エドワードの言葉をウィンリィは途中で遮る。
「信じられないわ。」
ぴたりと足を止めてエドワードはウィンリィを振り向く。
「信じられないよ…。喋ってみたけど、とてもじゃないけど、」
そんなことする人には見えない、とウィンリィはぽつりと言った。
「そんなの、分からないだろ。」
「分かるもん。…ぴりぴりしすぎよ。エドも、マスタングさんも。」
むっとして、エドワードは口をへの字に曲げる。
心配してるのに、逆にこんなことを言われるのは心外だった。
「とにかくだ。あんまり近づくな。」
「あたしはエドと違って任務なんて無いもの。
あたしがどうしようと勝手じゃない。」
あーもう!とエドワードは苛々しはじめる。
気になることはいっぱいあったのだ。
ウィンリィの言うとおり、疑心暗鬼なのかもしれない。
が、なんとなく、自分の本能が敏感に何かを感じている。
なんとなく、不安だった。
若い女が連れ去られているという事件の嫌疑が、
あのエレーナという女にかかっているというのなら、
心配して何が悪い、という気分だった。
それなのに、目の前の彼女はそんな心配をよそに、
ハンスやエレーナとへらへら笑いながらいい気なもんだ。
「いいから!言うこと聞けって!」
ウィンリィは掴まれていた腕を無理矢理ほどく。
「エドの分からず屋!」
それはお前だ!とエドワードが怒鳴る前に
すたすたとウィンリィは元来た道を引き返す。
「あたし、夕食にはエレーナさんと一緒に行くから。」
「はぁ?」
約束したんだから、と投げ捨てるように言って立ち去るウィンリィを、
呆然とエドワードは見送った。
階段に一人取り残されたエドワードは、
あ〜あ、と壁に背を預けてため息を一つつく。
なんだか、色々やりにくい、と心の中で呟いた。
ふわふわした感触が身体の中でざわざわと巡っている。
ウィンリィがウィンリィじゃないみたいで、
なんだか弱い。
エドワードはウィンリィが消えた廊下をちらりと見て、
またもう一つ、ため息を落とした。
Copyright(c) 2005 karuna all rights reserved.