「す、すご……」
車を降り立ったウィンリィは、呆然と目の前の建物を見上げた。
どうやら、自分の意識の中にあるイシュヴァール人と、実際のものは違うらしい、と
ウィンリィは考えを新たにする。
「あんま、口開けて眺めてるとアホ丸出しだぞ、お前。」
その声にむっとしてウィンリィは向き直る。
「うるさいわね!すごいものはすごいって素直に褒めたっていいじゃない!」
「…お前に褒められてもなぁ…。」
またしても言い合いを始めそうになる二人を、
まぁまぁとおさめるのはアルフォンスだ。
先触れが伝わったのか、
現れたのは、ハイゼンベルクに仕える使用人たちだ。
一様に頭を下げられ、またもエドワード達三人はいたたまれないような
そんな気持ちになる。
いくつもの門をくぐりぬけ、
エドワード達三人と、マスタング、ホークアイら軍人数人は
さらに建物の奥へと導かれる。
レンガ敷きの廊下を進みながら、
エドワードは何か、甘ったるい匂いが鼻につくのを覚える。
「…アル…。」
言いかけて、弟には嗅覚はおろか、身体の身体器官の全てが無いことを思いだす。
「何?」
「あ……いや。」
エドワードは言葉を濁し、
さらに嗅覚を集中させようとしたがそれは途中で阻まれる。
「ようこそ、おいでくださいました。」
頭を下げて現れたのは、
列車の中でエドワードを舐めるように睨み付けたあの男だ。
「サラム・マックホルツ、と申します。」
以後、お見知りおきを、という口上を口にするその男の目は、やはり冷たい蛇の双眸をしている。赤い目は、そのほかのオルドールの人間にくらべても、濁ったワインのように深い紅蓮の色を燃やしている。
「宰相代理の復代理人として、お客様をもてなすようにと、
エレーナ様から言われました。どうぞなんなりと。」
馬鹿丁寧なその口上に、丁寧さを通り越して不快感さえ覚えたのは
エドワード一人だけではなかったはずだ。
「お気遣い、有難うございます。」
マスタングはその口上にわざとらしいほどの笑みを浮かべて答えている。
この猫かぶりなところが、エドワードはいちいち鼻につく。
サラムは先頭を進みながら、建物の案内役を買って出たようだ。
とてつもなく高い天井に、複数の足音とサラムの声だけが響く。
「建物は4階に屋上までございます。屋上は月が綺麗な晩には最高ですよ。」
と、どうでもいいような話までサラムは延々と続けながら歩く。
「……なぁ。あの塔にはどうやったら行けるの?」
エドワードは不意に疑問に思って口に出した。
特に意味も無い、ただの好奇心からの質問だったが、
サラムは足を止め、エドワードのほうへ向き直る。
蛇のような目が舐めるようにエドワードを見る。
「…あそこへは、誰も足を踏み入れることは禁じられております。」
「ふぅん?…なんで?」
その質問に、サラムは感じた不快感を顔から隠そうとはしなかった。
飄々とした態度で質問を投げてくる目の前の子どもが、国家錬金術師でなければもっとその表情は険しくなっていたのかもしれない。言葉だけは丁寧な口調で、サラムはその質問に応えた。
「昔からの、しきたりでございます。あそこへ近づけるのは
オルドールの族長とその近親者のみ。」
…ということは、エレーナか、とエドワードは臍を噛む。
不穏な空気を察知したマスタングは、やれやれ、という心の呟きを微塵も顔には出さずに、サラムに向かって、部屋への案内を頼む。
ようやく通された部屋へたどり着いた時には、
とんでもなく広い屋敷に対する一行の関心は薄れ、
はやく休みたい、という気持ちが心の大半を占めるようになっていた。
しかし、ここでもサラムは意地悪く付け加える。
「これから、エレーナ様が皆様を夕食へ誘いたいと申しておられましたが…。」
もちろん、喜んで、と答えたのは満面の笑顔を浮かべるマスタングだ。
「では、色々と準備がございますので、これにて。」
また迎えに上がります、と言ってサラムは部屋から引き下がる。
ぱたん、と音を立てて扉が閉まったとたん、ウィンリィがへたりこむように床に崩れ落ちた。
「……つ、疲れたわ…。」
「へ。さっきはあんなに無駄に元気だったくせに。」
エドワードの憎まれ口に答える余裕さえもウィンリィは無いらしい。
むっつりと黙ってエドワードを横目に睨む。
「あたしは、あんたのような体力馬鹿と違ってかよわいんだから。」
なんだってぇ?と聞き返そうとする兄をはいはい、とおさめるのは弟だ。
「今から夕食なんて…そんな元気ないわよ…。」
まぁまぁ、とマスタングは言ってから、側に控える兵に下がるように命じる。
「とりあえず、夕食まではゆっくりと休むがいいさ。
風呂にでも入って体を綺麗にして。」
風呂ぉ〜?とエドワードが面倒くさそうな声を上げる。
「今から食事だ。そんな小汚い格好で出られると思ってるのかね、鋼の?」
小汚いとはなんだ!とエドワードが言い返そうとするのをマスタングはさらりと制して、
「とにかく、君達の部屋はあの奥の一部屋だ。ゆっくり休め」
と言い渡し、エドワード達を廊下へ追いやる。
「ちくしょう。なんだよ、大佐のやつ。」
ぶつぶつ言いながら、エドワードとアルフォンスとウィンリィはあてがわれた部屋へと入る。
「うわぁ。」
さっきのへこたれたような様子はどこへいったのか、
部屋へ足を踏み入れたウィンリィは歓声を上げる。
「ね、ね、見て見て。すっごく綺麗!」
「え。あ、おい、ちょっ…」
遅れて入ったエドワードの手を引いて、
ウィンリィは部屋の奥のバルコニーへと進む。
「外の景色が見えるよ。」
「わ、分かったから…っ。」
機械鎧の右腕をがっしり胸のところでつかまれたまま引きずられるエドワードは慌ててウィンリィから身体を離そうとするが、外の景色に夢中のウィンリィは気がついてない。
……手が、手が…!
火照りだすエドワードの顔を、ふわっと夜風が撫でた。
「!」
はっとして、エドワードは逆にウィンリィをひきずって外へと飛び出す。
「ちょ…と、いきなり、何?」
足をもつれさせながらエドワードに続いて外へ出たウィンリィは
眼下に広がる夜景に目を輝かせる。
「わぁ…キレイっ!ね、エド!」
しかし、エドワードは見ていたのは違うところだった。
「アル…!」
「何?」
鎧の足音を響かせて、アルフォンスは兄の呼ぶ声に応じる。
「見ろ。……塔だ。」
エドワードは左腕をあげ、その方向へ指をさす。
その先に、月明かりに浮かぶ円筒のシルエットがある。
「1、2、…4本くらいかな?」
アルフォンスの声に、エドワードは、ああ、そうみたいだ、とこたえる。
「この建物にも確か塔があった。それ以外にもこんなにあるのか…?」
「やけに塔を気にしてるね。」
兄がさっきもサラムに噛み付くように塔の話をしていたのを
アルフォンスは思い出す。
「まーな。」
エドワードは特に根拠もなく気になっていた。マスタングが言うこの地に伝わる伝承を聞いてから、どうも胸騒ぎがしてならないのだ。
「ウィンリィ…」
お前、気をつけろよ、と言おうとしたエドワードだが、ウィンリィが自分をとんでもない形相で睨んでいるのに気づいてあたふたする。
「な…んだよ…。」
「エドの馬鹿!人の話、全然聞いてないじゃないっ!」
「………はぁ?」
ウィンリィは乱暴にエドワードの腕をほどき、部屋へと戻る。荷物を持って出て行こうとするので、慌ててエドワードは追った。
「どこ行くんだよっ!」
「…部屋。変わるの。」
「勝手に行動すんな!」
きっ、とウィンリィはエドワードを睨みつけ、
「あんたと同じ部屋で寝るのなんて、絶対にイヤなんだから!」
噛み付かれたような言い方をされるとつい反論してしまうのはエドワードの悪い癖だった。
「あーそーかい。勝手にしろ!」
音を立てて部屋の扉が閉まる。
「なんなんだ?あいつ。いきなり怒ったかと思えば…」
横で一部始終を見守るアルフォンスはまたしてもため息をつく。
……二人して同じことを言ってるよ。
「兄さん。僕、ウィンリィを探してくる。」
兄は何も言わない。そのままごろん、とベッドの上に仰向けに倒れる。
「兄さん?………顔、赤いよ?」
「……なんでも、ねーよ。」
右腕に感覚がなくて、本当によかった、といまさらながらエドワードは思い返してしまったのだ。
そして、感覚がなくて、勿体無いことしたな…とも。
まったく、世話がやけるなーと心の中で呟くのはアルフォンスだ。
「ウィンリィ、探してくるから。」
靴を履いたまま寝転がった兄の口から、今度は「勝手にしろ」という答えが小さく返ってきた。
Copyright(c) 2005 karuna all rights reserved.