ヤサシイ方程式-2
あたしはあいつの、それに弱い。
雨だと分かっていても用事を頼んだのはあたしだった。
そして、あいつは風邪をひいた。
自分のせいだと思った。
でも、同時に、ちょっとだけそれを喜んでいる自分も自覚していた。
エドが風邪をひいたら、それだけあいつが出発する日が延びる。
……そう思ってから、自己嫌悪だけが残った。
だから「責任とれよ」とあいつが言った時、
見透かされたと思った。
熱のせいで潤んだあいつの目が、あたしをかっちりと掴んだ時、
逃げられないと思った。ごまかせない。
ううん、そこまであいつが分かっていたかどうか、
本当の所は分からない。
でも、そのタイミングが、本当に怖かった。
風邪を人にうつせば、治る。
そんな半分は冗談ような話が本当になって、
あいつは翌日には全快して、今度はあたしが風邪をひいた。
……それはもっと最悪だった。
メンテナンスが出来なくなった。
また、あいつの出発の日が遅れた。
ごめんね、と言いたかったのに、
朝から不機嫌なあいつに謝ることが出来なかった。
そうしてぐずぐずしていたら、あいつに先を越された。
「ごめん」てやけに素直にあいつが謝ってきて、
それが昨日の晩のことを言ってるんだって分かって情けなくなった。
謝りたいのはあたしの方なのに。
なんであんたが謝るのよ。
いつもは強引で、人の都合なんか考えなしに帰ってきて、
一見するとワガママで、人を振り回すくせに、
肝心なところで…………。
謝るタイミングさえも逃してしまって、
奪われて、なんて非道い奴、と思った。
「アンタのワガママに、付き合ったのよ」
って、嘘を言った。
本当は違うのに。そんなことを言いたいんじゃないのに。
あたしがしたかっただけ。あんたの側にいたかっただけなのに。
そうしたら、あいつは言った。
ハッキリ言え、だって。
嫌なら嫌ってハッキリ言えだって。
ハッキリ、言っていいの?言ったら困るでしょ。
きっと「何いってんだよ、バカ」て言うに決まってる。
それで、扉を開けて出て行くの。
出て行く朝のように、背を向けて。
熱にうかされて、自分はおかしい。そう思うことにした。
ワガママついでに、言ってやった。
あんたが言えって言ったんだから。
あんたのせいなんだから。
だから、あいつが踵を返して戻ってきたとき、
予想もしなかったことに動転した。
「なに、変な顔してんだよ」
目をみはって、薄い闇に溶けるあいつの顔を探ろうとする。
どんな顔してる?怒ってる?呆れてる?
戻ってくるなんて思わなくて、
だからどうしたらいいか分からなかった。
瞳だけを巡らせて、見上げた先にあるあいつの顔には、
これと言った感情の籠もらない、淡々とした表情があって、
少し尖ったような鋭い眼差しが音もなく落ちてくる。
「で、どうすりゃいいんだ?」
横たわっていたベッドがギシリと揺れて、
あいつがシーツの上に腰掛ける。
……どうすればいいかって?
あたしは泣きたくなってきた。
なんで来るのよ。こんなの、予想外よ。反則よ。
どうしたらいいかって、聞きたいのはあたしの方よ。
質問を投げてきたのはあいつの方なのに、
あいつはあたしの回答など待つ気配も無く、
額に乗せられたタオルを手にとる。
「うお。ぬるい」
そう呟きながら、側に置いてあった洗面器にそれをつっこむ。
水の張られた洗面器の中でタオルをすすいで絞る音だけが、闇に沈む部屋に耳障りに響いた。
……なによ。疑問をよこしたくせに、人の答えも待たずに勝手に……。
何度か水を絞る音を耳にしながら、
あたしはムカムカしていた。
いっつもそう。自分で勝手に決めて、勝手に進んでいく。人に何の相談もなし。
あたしは、どうかしてる。熱のせい。全部、熱のせいにする。
「いらない」
額にタオルをかけようとする彼の手を遮る。
「もう、いいから。下に行ってていーよ。あたしは、大丈夫だから」
はぁ?とエドは、
お前、さっきから何いってんの?と首をかしげる。
「側にいろだろ、あっちいけだの。………どっちなんだよ」
意味わかんねーよ、とエドはぽつんと言う。
「忘れて」
あたしは、かすれそうになる声を振り絞りながら、はき出した
「さっきの、忘れて」
「さっきのって?」
「……さっき、言ったこと」
側にいて、って言ったこと。
しかし、エドはさらりと嫌だね、と言った。
あたしは、さらにイライラしてくる。
「なんで……!」
「……お前が忘れろっつーんなら、なおさら」
なおさら、誰が忘れるか、とあいつは言った。
「なんで……、こんな時ばっかり!
あたしが電話しろとかそう言った時は忘れるくせに!」
「そうか?」
「そう、よ……!」
しかし、
なんと言われようと、忘れねぇよ、忘れてやらない、と彼は静かに、
けれど強く断言した。
「……い、じわる……!」
「なんとでも」
「ワガママ…っ!」
「それは、お前」
ぎくりとして、あたしは言葉をつぐんだ。
ベッド脇に座ったまま、エドはじっとあたしを見下ろしてくる。
「お前、意味わかんねーよ」
でも、そういうエドの言葉には、せめるような強い調子は微塵もない。
淡々とした口調が、なんだか悔しい。
肝心な時はいつもそうだ。だから悔しい。
いつもは強引で、人の都合なんか考えなしに帰ってきて、
一見するとワガママで、人を振り回すくせに、
肝心なところで…………彼は優しい。
「アンタのせいよ」
あたしはおかしい。熱のせいだ、そう思うことにしよう。
「はぁ?」
エドは、何いってんだ、とまた首をかしげた。
「意味わかんないのは、アンタのせい」
言いながら、だんだん泣きたくなってくる。
こんなことが言いたいんじゃない。
こんなことが言いたいんじゃなくて、本当は………。
「分かったよ」
唐突に彼はあたしの言葉を切るように強く言った。
「よぅく分かった」
あれだな、とエドは言葉を継ぎながら
あたしの額にもう一度手をやる。
その手には冷たいタオルが握られている。
「オレが風邪をうつした。オレのせい。オレが悪い。ようく分かった。
昨日のオレはどうかしてた。オレが悪いよ。オレのせいだよ」
分かったから、頭冷やせ、とでも言いたげに、
エドはあたしの額にタオルを押しつける。
「オレが全部悪い。分かったから」
違うってば、とあたしはタオルを振り払おうとする。
「そうじゃなくて……!」
「もういいから、はやく寝ろ。はやく治せ」
「エド……!聞いて……!」
あたしは、自分の額にまた伸ばされた彼の腕を掴んだ。
「聞いて……」
エドはぴたりと動きを止めて、あたしを見つめる。
「もう十分きいた」
「まだ十分じゃない」
なんなんだ、とさすがに苛々したような口調が返ってきた。
「お前、ハッキリ言えよ」
また、言われた。あたしは泣きたくなってくる。
「ハッキリ言わないと、オレ分かんねーよ」
闇の中で、彼の目が強く促す。
「ハッキリ……言ったら、あんたが困るの」
「はぁ?」
なんだそりゃ、と彼は顔をしかめる。
「言ったら、アンタを困らせるの!だから言わない!」
ふざけんな、と声が返ってきた。
「何いってんの?お前?
オレが困る?……なんでお前にそんなコトが分かるんだよ?」
オレは言われないとわかんないんだよ、とさすがに怒った口調でエドは言い放った。
だって、とあたしはようやく言葉を継ぐ。
「あたし、ワガママなんだよ」
ワガママって何、と、やっぱり怒った声が返ってくる。
「ワガママだから、だから、言わない」
「さらに意味不明だよ、お前」
「意味不明でいい」
「よくねぇよ」
あのなぁ、とエドは言い聞かせるように身を乗り出す。
彼がたてた膝が、ベッドをぎしりと軋ませた。
「オレはお前が思ってること知りたいし、
分からないと落ち着かないんだよ。お前は違うわけ?」
「それは、あたしだって……」
「だろ?だから、ハッキリ言えよ」
「だから、言えないんだってば」
「ワガママだからか?」
「そう」
エドは、はぁっと大きくため息をついた。
「お前がワガママだってこと、今更言われなくても知ってるよ」
あたしはむっとして、言い返す。
「あたしだけじゃない。エドだって……!」
そう言い掛けて、違う、とあたしは口をつぐむ。
「オレがなんだよ。……言えよ。ワガママなんだろ、お前」
聞いてやるよ、とエドは言った。
かなわない、と思った。
いつの間にか、誘導尋問されてる。
それが分かって、あたしは悔しかった。
「なんでそこで泣くかわかんねーよ」
エドはぽつりと言った。
「泣いてない」
「嘘もたいがいにしろ」
もう一度大きくため息が落ちてきて、
その次に、ぐいっと体を引っ張られる。
ぎしりとベッドが悲鳴をあげて、
あたしはエドに抱き寄せられたのが分かった。
「とっとと泣きやめ。そしてさっさと寝ろ。治せ」
ぐすっと鼻をすすって、あたしはされるままになる。
ぽん、とあたしの頭を軽く叩いて、
エドは囁くように言った。
「お前、ワガママじゃねぇよ。……さっきのは嘘」
だから、忘れてな、とエドは小さくつぶやく。
「どうせ、オレが風邪を引いたのは自分のせいだとか
そんなことだろ?お前が言ってるの」
オレ、言ってなかったことがあるんだけど、と
彼は小さく言葉を続ける。
「お前の、それに弱いんだよ」
「………それ?」
あたしは鼻をすすりながら聞き返す。
「それ。」
エドは繰り返す。
「お前の、お願い」
昨日のお使いも、オレが好きでやったんだから、
だからワガママじゃねぇよ、とエドは続けた。
「お前にとってはワガママでも、オレにとってはお願いなわけ」
意味わかんない、とあたしは囁いた。
気がつけば、まだ雨の音が響いていることにようやく気づいた。
涙は止まって、いつの間にか自分がひどく落ち着いていることに気づく。
「わからんだろ?……オレもわからん」
だから、忘れろ、と彼は言った。
「でも、あたしが言いたいことは……」
いいからもう黙れ、と彼はあたしを強く抱きしめる。
「オレが勝手に風邪ひいた。
お前は責任を感じた。それで風邪をうつした。
そのせいでお前が意味不明。
オレがワガママって言ったり、自分がワガママって言ったり。
どっちなんだよ、て気分」
オレに分かったことはこれだけだな、とエドは自嘲するように言う。
「お前がハッキリ言わないから」
そして、そうだな、とエドはゆっくりとさらに言葉を続けた。
「だったら、責任とってやろうか」
「え?」
エドはゆっくりと体を離し、あたしの顔をのぞき込む。
「風邪をうつしたのはオレだよ。お前がうつせって言うからうつした。
オレのワガママを聞いてくれたわけだ。
……じゃあ、今度はオレがきいてやるよ。」
お前、ワガママなんだろ?自分でさっき言ったよな?と
エドは続ける。
「うつしたのはワガママなオレのせい。
じゃあ、その責任とって、またうつってやるよ。
お前はワガママだから、オレにうつしてくれるよな」
ちょっと……待って……と言おうとするあたしの口を彼は自分の唇でふさぐ。
唇を離してから、彼は吐き出すように低く言う。
「ハッキリ言えって言ってるのに、言わないお前が悪い。
……嫌なら嫌って言え。途中でも止めてやるよ」
だけど、お前が言うに、オレはワガママらしいから、と彼は言葉を続けた。
「ワガママなオレは途中でやめない」
どっちなのよ、と言ったら、
それはお前次第だろ、と言葉が返ってくる。
「どっちか、ハッキリするのはお前だよ」
そう言いながら、エドはあたしをベッドに押し倒す。
「やだ……!」
エドはするりと自分の上着を脱いだ。
それを投げ捨てながら、さらりと言った。
「オレも昨日断った。けど、お前はやめなかった。」
あたしのせいにしないでよ、と言おうとする唇はもう一度ふさがれた。
ハッキリするまでやめないからな、と言いながら、
彼はあたしの服に手をかける。
……ハッキリしろだって。
自分だって肝心なことはハッキリ言わないくせに、
なんてめちゃくちゃなことを言い出すんだろう。
彼の手を邪魔しようとするけれど、身体に力が入らない。
それを知ってか知らずか、
彼はどんどんあたしの服をはいでいく。
「お前がオレに言って、オレが困るようなことが何なのか
ハッキリ言うまで、絶対にやめないから」
ひどい選択だ、とあたしは思う。
オレ、ワガママなんだろ、とエドは確認するように言った。
嗚呼、とあたしは目を閉じる。
こんな形で思い知らされてる。
あたしは、あいつのそれに弱い。
(fin.)
2005.2.13
……ぐだぐだですみません。しかも意味不明で……。
次を読めばなんとなく解決する…かと。
続きます。
⇒「78.イコール」に続きます。よろしければそちらもどうぞ。