39.お願い
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ヤサシイ方程式-1



オレはあいつの、それに弱い。



「は。……風邪って、もしかして、ホントにうつったワケ?」
ロックベル家の朝。
食事の時間になっても部屋から出てこないから、
彼女の部屋に行ったら、案の定だった。

うるさいわねぇ…という弱弱しい声が返ってくる。
部屋に足を踏み入れて、ベッド脇に近づいた。
そっと覗き込めば、
ウィンリィは上掛けを頭からかぶるようにして横たわっている。
見れば、顔は腫れたように赤くなっていて、
はっきり焦点の合わない青い瞳もどことなく空ろだ。
オレは大袈裟にため息をついた。
「オレは、治ったよ?」
お前のお陰だな、と言うと、
一拍の間を置いて、あっち行ってよ、とか細い声がつき返される。
その言い方はどことなく棘があったので、
思わず口に出てしまう。
「いい気味」
何言ってるんだろう。オレは。
こんなこと言いたいわけじゃないのに。
もっと別のことを言いたいのに、口に出るのはいつも違うことだ。

彼女はもう一度うるさい、と言ってから咳き込む。
オレももう一度ため息をついてから、階下にいるはずのばっちゃんを呼びに行こうとした。
その時だった。
「エド」
か細いながらもハッキリした声が背後から響いて、
扉に手をかけていたオレは動きを止める。
振り向いて、何、と言った。
白いシーツが、彼女の身体の形を作っている。
それがわずかに身動きしたかと思うと、「なんでもないよ」という声がした。

なんでもないなら、いちいち呼び止めるな。
……期待、しちゃうだろ。

「変な奴」
オレはそんな言葉を言い捨てて部屋を出た。
うるさい、という声が、また微かに聞こえた。





「ウィンリィ、風邪だって聞いたけど」
大丈夫なの、と弟が心配そうな声を上げる。

「さぁな。声がガラガラだったけど。」
オレは何でもない風を装って、テーブルにつく。
「お前が治ったばかりだっていうのにね、エド」
朝食の皿を運びながらばっちゃんが言う。
「兄さんがうつしたんじゃないの?」
弟の言葉に、馬鹿言えよ、とオレは返した。
「オレのせいってか?…冗談じゃねぇよ。あいつが勝手に……」
勝手に…。
言いかけて、オレは口をつぐむ。
「兄さん?勝手に、何さ?」
不自然に言葉を切ったオレに、弟が首をかしげる。
オレはもう一度ため息をついた。

「何でもねーよ」

テーブルに置かれたカップを手に取り、一気に飲み干す。
砂糖の入っていないコーヒーは、ひどく苦かった。


ウィンリィが整備の仕事に出られないということで、
メンテナンスは1日延期される。
足の方のメンテナンスは終わっていたから
オレはその日1日暇でしょうが無かった。

特にすることも無くて、
雨が降りしきるリゼンブールを窓から眺めてみる。
一昨日から降り出した雨はいっこうに止もうとする気配が無い。
「洪水が起こらなければいいけどねぇ」
仕事の合い間の休憩時に、ばっちゃんがぽつんとこぼした。

何も無い村だ。
読む本も手元に無くて、オレはじりじりとする。
それは弟も同じなのかどうかは分からなかったが、
アルフォンスは別部屋でばっちゃんの手伝いをしているようだった。
自分もやっても良かったが、
二階から時折聞こえてくる咳込みに気が散ってしょうがない。
本当に、忘れた頃に、かすかにコホンコホンと聞こえてくる。

…オレのせいじゃない。あんなんで風邪がうつるなんて嘘に決まってる。
そう思いたかったけれど、
昨日はぴんぴんしてた彼女が今日はイキナリ倒れた。
なんとなく、後ろめたい。

「おねがい」
その言葉に弱くて、彼女の頼みを承諾したのは一昨日のこと。
彼女に頼まれて隣町まで使いに出た。
外は大雨。もちろん、承知の上だった。
別にそのせいというわけではないだろうし、
オレも自分で疲れていたせいだろうと分かっていた。
しかし、その晩風邪をひいて、寝込んだ。

「エドでも風邪ひくことあるのね」
オレの額にひやりと冷たいタオルを掛けながら
ウィンリィはさらりと言った。
あんまり淡々とした言い方だったせいで、
誰のせいだよ、と思ってしまった。
それが顔に出たらしい。あいつは、「あたしのせい?」と聞いてきた。

「だったらどうする?」
冷たいタオルを額から取り去って、
上体だけを起こしたオレは、ベッド脇に座る彼女をじっと見据えた。
「どうするって?」
視線を返すように、ウィンリィもオレをじっと見据えた。
何馬鹿なことを言っているんだろうか、オレは。
そう思いながらも、言葉は止まらなかった。
きっと、熱のせい。熱にうかされてたんだ。
その熱が出たのは、こいつのせい。
こいつの、お願いのせい。

「責任とれよ」
馬鹿なことを言っている。よく、自覚していた。
それに対して、あいつがしたことは。




犬の吼える声がして、
オレは我に返る。
見れば、いつの間にか部屋にはアルフォンスが居て、
その足元にはデンがまとわりついていた。
「兄さん?大丈夫?」
顔色が悪いよ、と言われて、そうか?と首をひねる。
その時、また、階上から咳込む声がした。

「気になるでしょ」
「は?」
無理しなくていいよ、とアルフォンスは、分かってるからさ、という口ぶりで言う。
「兄さん、さっきから恐い顔してる」
自分のせいで風邪をうつしたと思って責任感じてるんでしょ、
とアルフォンスは続けた。

「……そんなんじゃねーよ」
オレはぼそりと言葉を返す。
じゃあなんでそんなに恐い顔してるのさ、と弟が首を傾げるものだから、
オレは思わず口を開いた。

「あいつ………ワガママなんだよ」




……じゃあ、責任取るわよ、とあいつは言った。
責任取るから、目を閉じて、と。

何をする気なのか、最初は本当に分からなかった。
だから、唇に柔らかいあいつのそれが落ちてきて言葉が継げなかった。

「うつしていーよ。……風邪、うつさせて」
身体を投げ出すようにして、あいつが倒れ掛かってきて、
オレを下敷きにしたあいつの髪が、
真上からさらりと垂れてくる。
ベッドがぎしりと軋んで、
身体を横たえたまま天井を仰ごうとしても、
視界一杯に、揺れるあいつの目があった。

「ヤメロって。……冗談だよ」
慌てていったけれど、遅かった。
あいつは言う事を聞いてくれそうに無い。
言い出したら聞かない。それに、弱い。

「うつして?」

囁くようにあいつが言葉を吐いて、
言い終わるか終わらないかのうちに唇が落ちてくる。
ただでさえ身体は熱であつくてうかされていて、言うことを聞かないはずなのに、
あいつから与えられた唇を、別の生き物のようにオレの口は求める。





「ワガママ?」
何言ってるんだよ、兄さん。ウィンリィの言うことを聞かないのは兄さんのほうだろ?
と、笑うように言う弟に、
オレはそういう意味じゃなくてだな、と言いながら、
不覚にも、昨夜のことを思い浮かべて眩暈を覚えた。
「兄さん?」
顔に血が昇る、という感覚に、
目の前の弟に気づかれていないかと思わずぎくりとしてしまう。
もういいよ、と慌てて言葉を切ると、
変な兄さん、とアルフォンスが首をかしげる。
「そんなに心配なら、見てくればいいのに」

どーでもいいだろ、別に、と
雨の降りしきる窓の外に目をやる。
止まない雨のせいで一日中同じような薄暗さだったが、
それでも、外の光景が、夕方にさしかかっていることは見てとれた。
これは本当に、洪水の心配をした方がいいかもな、と思ったところで、
「エド!」と呼ぶ声がする。
隣室のばっちゃんの声だ。
なんとなく居心地の悪いような気持ちになっていた所だったので、
オレは弟から逃げるようにして、
ばっちゃんの元へと行く。
「何」
しかし、ばっちゃんの用事は、
ウィンリィの様子を見てきて、というものだった。
救われた、と思ったら、逆に足元を掬われた気分だ。
「昼にちょいと覗いてみたんだけど、食欲無いみたいでさ。
あたしはまだ仕事あるから、ちょっと様子を見ておくれ」
ため息をごまかすように、へーいという返事で気の無い振りをする。



部屋は、なんだか熱っぽいにおいがした。

「誰…?」
とか細い声が落ちる。
部屋に明りは無く、
外ももう暗い。雨足だけが駆けるようにして重低音を部屋に響かせている。
「オレ」
ぽそりと言ってから、部屋に入った。
扉を後ろ手に閉めれば、廊下から漏れた光はあっという間に遮断されて
部屋はまた薄暗い闇に落ちる。

何、と聞いてくる声はびっくりするほど力弱い。

「ばっちゃんが…様子、見て来いって」
そう、と小さく声がした。
乱れたシーツの下に彼女の肢体が形取られているのが
薄闇の下でもよく分かる。
シーツの上に波打ちながら広がるのは彼女の長い髪だ。
それを見ながら、不意に、昨夜のことをまた思い出してしまい、
自己嫌悪に陥った。

「ごめん」

口に出たのは謝罪の言葉だった。
本当に言いたかったのは、これだ。
ようやく、それを自分で理解した。
朝からずっと抱えていたもやもやだ。
しかし、彼女の反応は無い。

「けど、お前だって悪いぜ。
あんな……ことで風邪がうつるとか
オレ、本気にしてなかったし………」
口に出た言葉は自信が無くて小さくなっていく。

「……アンタが、責任とれって言うからよ」
ぽそっと呟いた彼女の言葉には、少しだけ棘を感じた。
「アンタのワガママに、付き合ったのよ」
思わずむっとして言い返す。
「あの時、オレもちょっとおかしくて…それで責任とれとか言ったけど、
元はといえばお前の頼みもちょっとは原因あると思ったからで……」
だいたいなぁ、とオレは続けた。
「嫌なら嫌ってハッキリ言えばいいだけだろ。
責任とれって言ったのは確かだけど、
とるって決めたのはお前だろ」
しかし、返された言葉は「聞きたくない」だった。

もう、出てって、とウィンリィはハッキリとした口調で言った。
もう、聞きたくない、と。
「なんだよ、それ」
意味わかんねー、と思ったが、相手は病人だ、とオレは思い直すことにした。
オレも昨日はおかしかった。
こいつも、昨日のオレのようにおかしいのかもしれない。
昨日のオレのように。

何も言わないで出て行こうとした。
しかし、朝と同じように、また呼び止められた。

「なんだよ」
出来るだけ静かに返そうと思った。
部屋に響き渡る雨の音のように、ひたすら波の無い静かな声で。

なんでもない、と言うんだろうと思った。
朝と同じだ。
言いたいことがあるけれど、言わない。
お互いに、それは同じ。
分かってるけれど、知らんぷりしてる。
でもいつも期待してしまう。

そして、彼女は言った。

「側にいて」


かそけくような、本当に擦れた小さな声で、彼女はそういった。
そんなことを言われるのは初めてで
だから、分かっていても、動揺した。
本当に、彼女の口からその言葉を聴くことになるとは思わなくて。


「側にいて。……お願い」


ドアノブに掛けていた手を離す。
ドアの向こうから零れた廊下の光は、問答無用で掻き消える。
踵を返し、彼女の元へと足を向けた。

自分でもよく分かっていた。

オレはあいつの、それに弱いと。



(fin)





2005.2.12
…続きます。意味不明ですみませんが、もうちょっとお付き合い下さい。


⇒「40.ワガママ」へ続きます。よろしければそちらもどうぞ。






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