トライアングル-2
昼間の晴天が嘘のように、嵐の夜が訪れた。
ウィンリィは何度目かのため息をついて、手を止める。
目の前に広げられているのは、機械鎧の製図だ。
しかし、今夜はどうしたことか、仕事がはかどらない。
頭をちらつくのは、昼間の出来事だ。
おかげで集中できない。
ウィンリィは両手を上げて、大きく伸びをした。
窓を見れば、月の無い夜の空には闇色をした雲が流れては消えていく。
かたん、と物音がして、とくん、と心臓が撥ねた。
振り向けば、期待通りに彼がいる。
「まだ、終わらないのか?」
「ん。まーね。」
物音一つ立てずに自分の背後に近づいてくる彼。
なんでもない風に会話してみせる。
だって、そうでないと、怖い。
何かが起こってしまいそうで、怖いのだ。
「いいにおい。」
ウィンリィはとっさに言った。何かを言わないと怖かった。
沈黙が怖かった。
自分から話題を提供しておかないと、とんでもない方向へ話が進みそうで。
「ん、ああ。…オレもまだ読みたい本があるから。」
だから、眠気覚ましに、とエドワードは呟くように静かに言った。
「…そのコーヒー、ミルク入ってる?」
「…………喧嘩売ってるのか?」
「…ちょ、…聞いてみただけじゃないっ!」
ぽつん、ぽつん、と会話は途切れる。
ウィンリィは少しばかり眠い頭をめぐらせながら言葉を継ぐ。
「も、もう、機嫌、いいみたいね。」
「は?」
「ほ、ほら、昼間。なんか、あんた、最悪に機嫌悪かったじゃない。」
「ああ……」
そうやって、やはり会話は途切れてしまう。
二人の頭に昼間の出来事が蘇ってきて、
ウィンリィは墓穴を掘ったことにようやく気づく。
「あ、あれは……その」
エドワードの言葉が歯切れ悪い。
「なんでもねぇよ。」
「……なんでもないことであんなに怒らないでよ。」
「しゃーねぇだろ。お前が……」
「あたしが?」
うっ、とエドワードは言葉に詰まったような表情をみせる。
「お前が……」
本当に、些細なことだったのだ。
駅の人ごみの中でウィンリィはすれ違いざまに男とぶつかった。
鞄の中身をぶちまけてしまった男と、
ウィンリィは地面に膝をついてその中身を拾うのを手伝い、謝罪の言葉を言い合っていた。
エドワードはその様子をぼんやりと見ていた。
『そんなに謝らないで下さい』とウィンリィの唇が笑いながら言うのを、
人ごみの中に揉まれながら眺めていた。
その時の彼女の笑顔に、相手の男が見せた表情が忘れられない。
「……なに、よ。それ。」
今度はウィンリィが不機嫌になる番だった。
そんな馬鹿馬鹿しい理由で、エドワードはあんなに不機嫌だったのか、と。
エドワードは目を伏せる。
きっと、自分の顔はあの男と同じ顔をしているに違いない、と思った。
正視できない。
その時の彼女の笑顔が、あんまりにも眩しく映ったせいで。
エドワードはショックだった。
しばらく会わないうちに、幼馴染が違う生き物になったようだった。
……それが、嫌だった。
冗談じゃない、と思ったのは、ウィンリィだ。
そんな些細なことで、いちいち怒られていたんじゃ、身が持たない。
そんなことで振り回される自分の身にもなってほしい。
第一、自分達はそういう関係ではないはずだ。
いちいち何かを言われる筋合いはない。
あの、昼間の二人のような……………。
ウィンリィは製図用のペンをぱちりと音を立てておいた。
かたん、と椅子を押しのけて、座ったままエドワードのほうへ向く。
「ね。…あたしは、あんたの、何?」
沈黙が、落ちた。
エドワードは、目の前で自分を見上げてくるウィンリィをじっと見つめた。
耳に、外の嵐の喧騒が響いている。
窓がガタガタと震える音だけが、部屋の沈黙を破るように低く聞こえた。
何も言わないエドワードにウィンリィはだんだん苛々してくる。
エドワードは何もいえなかった。言いたくなかった。
頭を駆け巡る単語は、どれも自分の中の符号と一致しないのだ。
それに、気づいてしまった。
沈黙を破ったのは、最高に機嫌の悪いウィンリィだ。
「…じゃあ、キスして。」
気がついたら、ウィンリィは言っていた。
「あの二人みたいに。」
今度の答えはすぐに返ってきた。
「いやだ。」
冗談じゃない、とウィンリィは眉をしかめる。
しかめながら、自分が何を言っているのか、ゆるゆると理解を始める。
取り返しがつかないことを言っているのは分かっていた。
「いやなら。いやなら、もう、何も言わないで。怒らないで。」
…あたしを、振り回さないで。
しかし、これにもすぐに返答が落ちてきた。
「いやだ。」
彼が何を気にしているのかは、言われなくてもすぐに分かる。
わかるから、だから、言ってみた。
「……じゃあ、一回だけ。」
一回だけなら、ミスったって言える。言い訳できる。あたしなら、言い訳する。
絞り出すようにエドワードは眉をしかめながら言った。
「一回じゃ、…済まなくなる。」
「……ふざけないでよ。」
「ふざけてねぇよ。」
「じゃあ、あたしはどうすればいいの?」
エドワードは苦いものを呑んだように苦しげな表情を見せる。
そのままでいて、と願うのは我侭なのか?
このままでいたい、と願うのは理不尽なことなのか?
ウィンリィは泣きそうになる自分を必死に堪える。
「その答えを、…あたしに言わせるつもり?」
それは、決定的な言葉だった。
…もうだめだ。泣いてしまう、と思ったとき、ウィンリィの唇は塞がれた。
ごちん、と歯があたって、ウィンリィは顔を離す。
「へた、くそ……」
痛さに、思わず涙が出た。
痛みのせいだけではないことは、分かっていた。
「うるさい。」
エドワードはぽつりと言って、ウィンリィの横髪をむんずと掴む。
「今から巧くなるから、少し黙ってろ」
ウィンリィは目を閉じる。
ほどなく落ちてくる唇は、今度は少し柔らかかった。
「もう一回して?」
「一回だけって、言ったくせに?」
「あんただって、今二回したじゃない。」
終わったら、忘れるから、とウィンリィはぽつりと言った。
わすれるから、お願いだから今だけは。
エドワードは眉をしかめながら、無理だよ、と言った。
「忘れるわけがない。」
火がついた。つけてしまった。
一度、ついたら、もう消えるわけがない。
こんな、酷い嵐の夜であろうと。消せるわけが、ないんだ。
ぽつりと言って、エドワードはウィンリィの身体を寄せる。
もういちど、今度は一回目とは比べ物にならないくらい、
優しいキスが落ちてきた。
罪悪感に打ち震える、甘くて優しいキスが。
「エド…。」
「ん?」
何度目か分からない口付けから顔を離すと、ウィンリィは目を伏せながら、ぽつりと言った。
「あんたは、悪くないから。」
あんたを誘ったのは、あたしなんだから。だから、あんたは悪くない。
そう言おうとした唇は、
言わないで、という無言の言葉とともに、彼のキスでふさがれた。
(fin.)
2004.10.19
…意味不明ですみません。なんとなく、唐突に始まりな二人を書きたくて。というか、このネタは、
実は短編のほうの「ぬくもり」の続編として考えていたネタです。が、なんとなくもう短編にして書きたくない、書く必要性を感じなくなってしまい、
ここで書きました。この後、アルとの絡みを書きたいと思います。いつになるかわかりませんが。