51.熱冷まし
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トライアングル-10


「あたし、そんなに熱は無いのに。」
部屋に入ってきたエドワードをベッドの中から見上げながら、
ウィンリィはかすれた声でそう言った。

しかし、エドワードは無言のままだ。
アルフォンスとの会話の後、部屋から出た。
アルフォンスは止めなかったし、エドワードもとどまるつもりは無かった。
そんな弟に、エドワードはどうしようもない思いに駆られる。
いっそなじられればどんなに楽だろうか。
しかし、弟はそれをしなかった。
ただ、戒めのように言葉を放った。「忘れないで」と。


「熱冷まし、持ってきた。」
エドワードはぶっきらぼうにそれだけ言った。
示されたそれに、ウィンリィは手を出そうとしない。
「……熱、ない。」
「うそつけ。」
エドワードは左手を伸ばしてウィンリィの額に当てる。
しかし、あまりハッキリとは分からない。
面倒になって、エドワードは、ウィンリィの額に額をつける。
「……熱っぽい。やっぱ。」
ぼそっと呟いてから、ちらっとウィンリィの顔を見る。
程近い所で二人の視線が合う。



「………顔、赤い。」
「………熱、あるから。」
「さっきは無いって言ったくせに?」
「………」
ウィンリィは何もいえなくなる。
どこを見ていいか分からなくて、ウィンリィの瞳は伏せがちになる。
程近いところで、エドワードの吐息を感じて、
ただそれだけでもう目が回りそうだった。
それほどに、彼はウィンリィを強く強く捉える。

伏せがちなウィンリィの目は、
かがんでくる彼の腰に目が行く。
そして、その目は、エドワードの腰に光る銀時計の鎖を捉えた。

引きちぎったはずのそれは、綺麗に直されていた。

ウィンリィはそれになんとなく手を伸ばす。
しかし、その手は途中で遮られるように掴まれた。

「ダメ。」
きっぱりとした声だった。
「………どうして?」
エドワードはゆっくりと首を振った。
「もう、触るな。」
ウィンリィの顔がわずかに曇る。
「それは、どういう、こと?」

昼間のことだ。
忘れよう、といった。
それを彼は受容したのだと思っていた。
…勘違いだったのか?


違う、と
ウィンリィの思考を否定するように、エドワードはなおも首を振った。
ウィンリィの手をとったまま、エドワードはそのままウィンリィを引き寄せる。
唇を押し付けられるようにして、乱暴なキスが落ちてきた。
なんだろう、
とウィンリィはざわざわとした感触が這い出てくるのを抑えられない。
「エ、ド……」
意識がぼうっと霞んでくるのは熱のせいだろうか。
それとも、彼の乱暴な唇のせいだろうか。

「泣きたい気分なのに、泣けないことがあるって、わかるか?」
「な、に…?」
唇を離しながら、エドワードはぽつりと言った。
そして、間を待たずにまた唇を落とす。

「い、…痛いよ…。」
手首をずっと握られたままキスの雨をうけ、
ウィンリィは身をよじるように、彼の戒めから逃れようとする。
しかし、エドワードは離さない。
「エ…ド……?」
なんだろう。ざわざわする。ウィンリィはこの感覚が恐怖という名前を付けるのに相応しいと気づくのに、時間がかかった。
「お前は、もう、触るな……」
何かに言い聞かせるように、エドワードは低く繰り返した。
「エド……やだ…。」
何が嫌なのか、自分でも分からなかったが、
思わずウィンリィは口について出ていた。
しかし、拒否の言葉はエドワードをさらに一歩、踏み込んだ行動に移らせる。
掴んで離さない手首をそのままシーツに押し付けて、
エドワードはウィンリィの上に覆いかぶさるようにベッドになだれこんだ。
「ゃ…ッ…!!」
ウィンリィの小さな悲鳴が、か細く部屋に響いた。
しかし、それは、それ以上は大きくならない。
エドワードの唇が、それ以上声を上げることを許さなかった。

深く口付けを落とした後、
息を吐くように顔を離して、エドワードは低く呟いた。
「もう、触らせない。
……その代わり、これ以外なら全部やるから。」
「なにを………?」
エドワードが何を言っているのか分からなかった。
ウィンリィは、薄暗い部屋の中で、探るように
目の前の彼の表情を読みとろうとする。
しかし、彼の顔は見えているはずなのに、見えない。
…彼が、見えない。
何を考えているのか分からない、という形容がぴったりな、
深い色に沈んだ彼の両目が、ウィンリィを真っ直ぐに射る。
彼の口からあふれてくる言葉はどこまでも無機質だった。

「好きにしていいんだろ?
オレが欲しいんだろ?
……全部、やるから。」

とつとつと彼の口から溢れる言葉はどれも、
昼間、ウィンリィが欲しかったものだったはずだ。
しかし、なにか違う、とウィンリィはざわめく心を抑えることが出来ない。
「いや……」
震える声は声にならない。
しかし、エドワードの手が自分の衣服に手をかけようとしているのを悟って、
ウィンリィの声はようやく音を作った。
「いや……ッ!!やだ…!お願い…エドっ!」
身体を押さえつけてくるエドワードに必死になってウィンリィは抵抗した。
…こんなの、嫌だ。絶対に、嫌だ。

エドワードは片手しかないはずなのに、どうしてこんなに力が強いのだろう。
息を乱しながら、ウィンリィはそう思う。
目の前にいるのが、いつも見知っている幼馴染とは別人のように見えた。
恐くて、恐くてたまらない。

欲しいと思ったは確かだ。
でも、こんな形でじゃない。
それは、我侭なのかもしれなかったが。
こんな、あてつけたような形で与えられたくなんかない。

何があったのか、予想はついた。
だから、嫌だった。
銀時計を触らせない、とは、つまり、そういうことだ。

ふらふらとする意識を奮い立たせながらウィンリィはエドワードに抗う。
しかし、エドワードには敵わなかった。
自分の身体でウィンリィの身体を押さえつけながら、
徐々にウィンリィの服を剥いでいく。
そして、昼間、自分が落としたキスの跡をなぞるように
首筋や胸元に唇を滑らせる。
彼の生身の手は、ウィンリィの身体を衣服の上から弄り、
その手は徐々に別の生き物のように動いて、
下へ下へと降りていく。

目の前の彼はまるで別人のようで、
ウィンリィは恐怖を抱いていた。それが、自分でも自覚できていた。
気がついたら、叫んでいた。身体は動いていた。
「い…や…ぁ…っ!!」

乾いた音が部屋の中に虚しく響いた。
全ての動きが止まったかのように、ウィンリィは感じた。
闇にこだまするようにその乾いた音は虚しく耳の裏を反響し、
全ての動きを止める。

「……」
目の前のエドワードは何も言わなかった。
ただ、ぶたれた頬を、左手でゆっくりと覆う。

ごめん、というウィンリィの声は、声にならない。
それほどに恐くて恐くて、
ただ逃れることだけを意識に思い描いていた自分に気がついていた。
肩で息をしていると、
唐突に全身に震えが走り始める。
同じく肩で息をしている目の前の彼を、
恐る恐る見上げた。
ただひたすらに、恐怖だけがあった。


「……悪ぃ…。」
ぽつ、と彼が呟く。
その言葉を聴いて、
堰が切れたようにウィンリィの瞳から涙が溢れ出す。

「なんで………?」
落ちた問いにエドワードは何も答えない。
ただ、倒れこむように、ウィンリィの身体の上に
身体を折り曲げるようにして頭だけを彼女の胸の辺りに乗せる。

激しく波打つウィンリィの鼓動を、エドワードは聞いた気がした。

「……アルが。」

アルフォンスに、忘れないで、と言われた。
それは、戒めと同時に、許しの言葉でもあった。
それを思ったらいたたまれなくなる。

彼の低い呟きに、ウィンリィはやっぱり、と心の中で合点する。

「だまってるなんて、無理だった。」
ウィンリィは何も言わずに、ただ暗闇の下でうなずく。
エドワードに対して、可も不可もいえない。
それを、ウィンリィは痛く感じていた。

「エド……。」
彼の顔が見えない。
ウィンリィは横たえた自分の体の上に乗るようにして
顔をうつぶせるエドワードの表情をうかがおうとする。
頭だけもたげても、胸に伏せられた彼の顔は見えない。

「泣きたいけど……泣けない。」
くぐもった声が胸に直接響いてきた。
ウィンリィは思わず、彼の頭を両の腕で抱き締める。

二人の間に、ほっこりと熱が生まれた。
それはどんな薬を使っても、冷めることは無い。


止めようと思っても、ウィンリィの頬から涙が落ちるのは止められなかった。
頬を伝ったそれは、波打つ彼女の金髪をすべり、シーツを濡らしていく。

泣けない体でアルフォンスが泣いていた。
泣ける体があるエドワードは泣こうとしない。
そのどちらもが哀しくて。

自分が選んだ我侭が、とてつもなく酷い形で立ち現れてしまった。
最初からわかりきっていたことなのに。

…誤魔化して、嘘ついて、得たものは、
本当は得てはいけないものだった。


ウィンリィは、エドワードが持ってきた薬に目をやる。
こんなもので、
絶えることなく生まれては自分を焦がす熱を冷ますことが出来たら、
どんなに楽なのだろう。
そんな魔法のようなものが無いと分かってるから、
だから、こんなにお互いが苦しんでいる。
誰も、間違っていない。
だけど、誰も正しくなんかない。
欲しいものは欲しいと言うことは、つまりそういうことだ。
それなのに、得てはいけないものを得た。
もう1人の幼馴染の優しさを。

そして、目の前の幼馴染の気持ちを、自分のものにしようとしている。


でも、もう決めたのだ。
手に入れる、と。
あてつけたように、何かの代わりのような交わりなんかいらない。
ただ、目の前の男が欲しいのだ。
そのために、酷い女になる。
エドワードにとっても、そしてもう1人の幼馴染にとっても。

「簡単に、言わないで。」
酷いことを言っているのは分かっていた。
けれども。
「簡単に、全部やる、なんて、言わないで。」
エドワードの頭に回す両腕に力を込める。
「全部やる気なんかないくせに。」
違う、やれない、のだ。
けれど、今はあえてそれを言わない。
でないと手に入れられないから。

眩暈がした。
けれども、ウィンリィはなんとか身体を起こす。
「……ウィンリィ…?」

抱き締めた腕を緩めれば、
エドワードがゆっくりと顔を上げる。
ベッドの上で二人して、お互いの顔を見つめた。

「簡単に、…言わないでよ。」
ウィンリィは恐る恐るエドワードの頬に手を寄せ、
口付ける。
「あんたがあげれないなら、あたしがあげるから。」
「…は………?」
エドワードの手の中にまだあった薬の袋をゆっくりと取る。
それを床へ落として、
ウィンリィはエドワードの首に腕を回した。
耳元で、もう一度囁く。
「もらって。」

全部やる、なんて不可能なことを言わないで。
あんたにはやることがあるのを、あたしは分かってるから。
全部もらえないなら、それまで待つから。
それまでは、あたしが、あげる。
あんたを、支えてあげる。

薬の束は音を立てることもなく床に落ちた。
熱冷ましは、いらない。
どうせ冷めることなんて考えられないんだから。


まわした腕を緩めたら、
今度はエドワードからキスが落ちてきた。



(fin.)




2004.12.03
…意味不明ですが次回を読めばおそらくはすっきりするかと。続きます。終わりませんでした。二個に分割。長くなります。





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