トライアングル-7
不穏な風は嵐を運んできた。
木々をざわめかす風がわずかに湿ったかと思うと、
唐突に銀の針のような雨が地面を叩き始める。
「エ…ド…。」
ウィンリィが切なげに息を吐く。
低い木立は、二人をきっちり雨から遮るにはまだ枝ぶりがわずかに足りない。
優しく激しい雨は二人の身体を次々に濡らしていく。
しかし、それに反比例するかのように、
目と目を合わせて互いを確かめるように見つめあう二人の身体は
どんどん衝動で熱くなっていく。
お互いに、濡れそぼった髪が頬に張り付くのを寄せてやりながら、
何度もキスを交わした。
交わした唇に雨が混じる。
その味さえも全てが優しく感じられた。
ウィンリィに触れてくるエドワードの手はひどく優しくて、
恐る恐ると、壊れ物を扱うようにぎこちなく、そしてやわらかい。
ウィンリィの頬に片方の掌をあてるようにして何度もキスを落として、
彼女の首筋に張り付く金の髪を払いながら、
ウィンリィのまるい肩や二の腕へと掌を下ろしていく。
そこを何度もさするように愛撫した。
片腕しか無いのが勿体ない、とエドワードは思った。
抱き締めたいのに、それが出来ない。
残った一本の左腕が、せめて彼女を感じ取れる生身の腕でよかったと
今は思うことにする。
……本当は、それを思うことは罪なのかもしれないけれども。
弟の身体はそれさえも感じ取れないのだから。
ウィンリィのほうは、というと、
エドワードのもったいぶった手の動きがもどかしくてならなかった。
…もっと触れて。いっぱいさわって?
いっぱいキスして?
全部欲しい、とウィンリィは全身で切望している。
濡れそぼった彼の髪を撫でつけながら
彼の目を見つめる。
同じくらいの高さの目線が、かちりと合って、
ウィンリィは切なくなってくる。
エドワードはまずいな、と内心思っていた。
雨に打たれて濡れ鼠のように濡れそぼった彼女は、
それでもすごく可愛くて、
冷えたはずの唇はまだ薄桃色を浮かべて形よく開いては吐息を紡いでいる。
まるい雨粒を弾く彼女の肌は本当に白くて、
その上を、彼女の胸元めがけて透明な水滴がいくつも滑り落ちていく。
切々と何かを願うように投げられてくる彼女の視線に
心が突き動かされそうになってくる。
嵐はますます激しさを増して、
それさえもエドワードの心をかき乱した。
吹き荒れる風雨が、周りの世界を遮断してしまうような、
そんな感覚に陥ってくる。
「すき?」
彼女の唇が動いて、そう聞いてきた。
「いまさら、だろ。」
エドワードの聴こえるか聴こえないかのささやかな呟きにさえ、
ウィンリィはほっこりと笑む。
そんな様子さえもが愛しくて、だから、踏み出せない。
身体は、別だった。
今すぐにでも彼女を自分のものにしたくて、体中が疼いている。
皮肉なもんだな、とエドワードは泣きたくなった。
「あたしも、すき。」
ウィンリィが泣きそうな顔になりながら、そう呟いた。
これほど甘いことばがあるのか、とエドワードは眩暈を覚える。
彼女がそれを自分に向けて言ったというだけで、
こんなにも心が感じている。それがあまりにも幸せで。
幸せすぎて、だから、ぽつりと落ちる陰を自覚する。
罪悪感という名の。
エドワードの伏せられがちな瞳が揺れるのを見ながら、
ウィンリィは切々と願っている。
お願いだから、全部あたしのものになって?
今だけでいいから。今だけで。
今だけは、銀の鎖のかわりにあたしに縛られて?
「エド。あたしを、好きにして?」
吐き出すように、絞り出すように、ウィンリィは一言、そう言った。
眩暈がするほど恥ずかしくて、でもどうしようもなく切ないほどに願っている。
地面を走るように雨脚が二人を濡らした。
風雨の中でエドワードとウィンリィは視線を合わせる。
「……参ったよなぁ…。」
唐突にエドワードはぽつんと言った。
ウィンリィは不安げに瞳をめぐらせる。
彼の行動の一つ一つが、ウィンリィの全てを支配する。
エドワードはぱたりと左手をウィンリィの肩からすべり落として、
こつんとウィンリィの肩に額を乗せた。
のせた額から熱が伝わるのは、おそらく気のせいではない。
どこを見ても、どこを触れても、
痛いほどに感じてしまう。
それほどに幸せで。
彼女が許せば許すほど、反比例するように自分が許せなくなる。
それほどに大切で、愛しくて。
自分の中にこんな感情があるなんて思ってもいなくて、
エドワードは自嘲してしまう。
すきだと言った瞬間、
明確に自覚した瞬間、
自分を戒めなければならないほどに、彼女を大切にしたくなって。
大切すぎて、これ以上触れられない。
それほどに好きで好きで。
自分にはもったいなくて。
「皮肉なもんだ……」
エドワードはぽつんと呟く。
しかし、それは吹きすさぶ風雨の中に掻き消える。
「エド……?」
ウィンリィが不安そうにエドワードの両肩に手をのせる。
その動きひとつにさえ、エドワードはドキドキする。
おかしくなりそうだった。
伏せがちだった目をあげて、
エドワードはウィンリィの揺れる青い瞳を覗き込む。
「今は……これで、勘弁。」
「え」
そっと、ウィンリィの首筋に唇を落とす。
どこまでも白い彼女の肌の上に、
赤い証が花開く。
あたしは、平気よ、と言うウィンリィだったが、
エドワードは違うんだ、と力なく笑う。
平気じゃないのは、オレのほう。
感じすぎて、眩暈がして、おかしくなりそうなんだよ。
吐き出すようにそう言えば、
ウィンリィは切なげに目を潤ませてから、分かった、と言う。
身体を離して、
エドワードは帰ろう、とウィンリィを促す。
嵐はまだやまない。
しかし、これ以上、ここにいたら、自分が自分でなくなるような気がした。
左手をさしのべれば、
彼女の白い指が絡まってくる。
歩きがてら、ようやく探り当てた銀時計を、
エドワードがポケットに仕舞おうとしたその時だった。
「兄さん?ウィンリィ?」
ぎくりとして、思わず、二人はつないだ手を離してしまう。
その声があまりにやわらかで、優しくて。
だから、こんなにも打ち震えてしまう。……罪悪感で。
見れば、居並ぶ墓標の陰の向こうから、
鎧姿のアルフォンスが走って近づいてくる。
「何やってんだよ、もう!」
アルフォンスは、今朝、兄と交わした会話のことは気にしていないという風で、
二人に駆け寄ってきた。
濡れそぼっている二人に傘を差し出そうとして、
アルフォンスは、兄の手の中からこぼれる銀の鎖を目にとめる。
「それ、どうしたの?」
傘を受け取ろうとして、エドワードは、ああ…と言葉を濁す。
「ちょっと…壊れちまって、鎖が。」
そういいながら、銀時計をポケットに仕舞い、
受け取った傘をぽんと音を立てて開いた。
そして、それをウィンリィの上にさす。
「ふぅん……」
アルフォンスは、妙な感覚が昇るのを感じていた。
それはざわざわと、自分の魂の深いところを不穏にくすぐる。
エドワードの隣で俯き加減に歩くウィンリィの首筋に視線をとめて、
アルフォンスはざわりとした予感を確かめるように手にとった。
「ウィンリィ……それ…。」
ウィンリィはアルフォンスの指し示す箇所にそっと手を添えた。
「ちょっと……虫に、さされた。」
これ以上、触れられない。
その言葉とともにつけられた赤い証を、ウィンリィは隠したが、
アルフォンスは、
白い肌の上に
何かを一心に自己主張するように花開いた赤いそれを
確かに眼で確認してしまった。
アルフォンスは、ああと鎧の中でさめざめと嘆息する。
それは、触れてはいけないものだった。
何かをごまかすかのように、
ひどい雨は降り続けた。
その雨の中を、三人は無言で歩き続けた。
(fin.)
2004.11.21
……続きます。