46.追いつく・追いつかれる
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トライアングル-6


追いかけっこならたくさんした。
それは小さい頃の話だ。
じゃんけんをして、
たいてい負けるのはエドワードだった。
アルフォンスはなんだかんだ言って、逃げるのも隠れるのもうまい。
必然的に、エドワードはもうひとりのほうをつけ狙うことになる。
追いかけてくるエドワードから必死になって逃げたことを、
ウィンリィはよく覚えている。
負けず嫌いなエドワードは、
じゃんけんに負けたら必ず負け惜しみを言ったものだった。
「オレは追いかけるほうが性にあってるんだよ。」と。
そういいながら、ムキになって追いかけてくるのだ。
そして、追いつけば、無邪気に笑顔をはじけさせながらこう言うのだ。
「つかまえた。」と。


「なぁんで!追いかけて来るんだよ!!」
「あんたが逃げるからでしょ!!」
「お前が追いかけるから逃げるんだよっ!」
「あんたが逃げるから追いかけてるのよっ!」


こんな不毛な言い合いを何度かわしただろうか。
メリィと別れたウィンリィは真っ直ぐにエドワードのところへ向かった。
走って寄って行ったら、なぜか彼はくるりと方向を変えて無視しようとする。
腹が立ったから怒鳴ったら、悪態をつきながら彼が走り出したのだ。

肩で息をしながら、ウィンリィは逃げる赤いコートを睨みつける。
エドワードは時折後ろを振り返りつつも、
足をひきずりながら、前を行く。
速くも遅くもない早さだ。

もっと進んで、とウィンリィは息を乱しながら願う。

もっともっと遠くへ。
道のずっと向こうまで。
誰の目にも届かないところへ。
出来るだけ、遠くへ。

思えば、と、揺れるエドワードの赤い背中を一心に見詰めながら、
ウィンリィは反芻するように思いをめぐらせる。
昔もこんな風に走っていた。
今とは違って、追いかけられていたのはウィンリィだったけれども。
逃げないで、とウィンリィは手を伸ばす。
だって、そうでしょ?
もう、あたし達は子どもじゃない。

どれ位走っただろうか。
行き着いた先は、村はずれの墓地だった。
墓標の間を抜けるようにしてエドワードとウィンリィは走り続ける。
静寂が横たわる墓地に、
二人分の乱れた息と足音だけがこだまする。
墓地の深部へと進み、
低く枝を垂れた一本の木の前で、
行き場を失ったと悟ったエドワードは唐突に立ち止まる。
後ろを追ってくるウィンリィのほうをくるりと振り向いた。

振り向いた彼がまっすぐ射るように自分を見ているのを悟って、
ウィンリィは足を止めた。
お互いに肩を上下させながら、
ウィンリィはなんとか口を開く。
彼に近づきながら、まっすぐに向けられた視線をそのまま返す。
「追いかけっこは終わりよ。…エド。」
「……そーだな。」
肩で息をしながらも、エドワードは吐き出すようにそれだけを言った。
怒ったような目で、ウィンリィを睨みつける。

「……追いかけられる気分はどう?」
「……何がだよ。」

軽い足音を立てながら、ウィンリィはゆっくりとエドワードに近づく。
近づきながら、ウィンリィは甘い眩暈を覚える。
近づくたびに心臓が跳ね上がる。
気持ちが膨れ上がって、いっぱいになっていく。

「お前、意味がわかんねぇ。」
エドワードは眉根を寄せながら、吐き出すように低く呟いた。
ウィンリィは優しく返す。
「それは、こっちの台詞よ。」

さくっと軽く土を踏む音を立てて、
ウィンリィはエドの目の前に立つ。
赤いコートの裾に手を伸ばそうとすれば、それは払われる。
「……追いかけるほうが、性にあってるって言ってたくせに。」
「は?」
戸惑ったようにエドワードは首をかしげた。
ウィンリィはもう一度手を伸ばして、
エドワードの服の裾を握り締める。
「つかまえた。」
「………。」
ウィンリィはぽつりと言った後、そのまま黙って視線を落とす。
その視線の先には、銀の鎖が揺れている。

二人の間に重い沈黙が落ちた。

頭上に重く垂れた木の枝が、
風に吹かれて、不穏にざわめいた。
ただでさえ薄暗く陰気なイメージが漂う墓地に、
二人して途方にくれたようにたたずんでいる。
先に口を開いたのは、エドワードのほうだった。

「悪かったよ。」
「………。」
何が、とはウィンリィは聞かなかった。
ただ、黙って、ひたすらに揺れる銀の鎖を瞳に映らせる。
「昨日は、…悪かった。
悪いのはオレだ。殴りでもなんでもすればいい。」
「……バカ、言わないで。」
あのな、とエドワードは重い口を開く。
「あの時は、オレがどうかしてたんだ。」
「違う。」
「違わねぇよ。何も考えてなかった。オレには……」
しかし、ウィンリィは言わないで!と声を荒げる。
「……言わないで。…それ以上、謝らないで。」
うつむき加減のウィンリィの顔を、エドワードは覗き込もうとする。
しかし、ウィンリィはそれを許さない。
「あんたに謝られたら……もう、虚しいだけなの。」
エドワードの眉間にさらに皺が刻まれた。
一文字に結ばれた口が何か言おうとするのを感じて、
ウィンリィはやめて、と制止する。
そして、こつん、とエドワードの胸に頭を寄せる。
目線はそのまま揺れる銀時計の鎖に注いだまま、
ウィンリィは絞り出すように声を上げる。
「……間違いだった、なんて…言わないでよ。」
言いながら、ウィンリィは、自分の視界がぼやけてくるのを自覚する。
「自分のしたことが、言ったことが、間違いだなんて、思いたくないよ……。」

自分は間違っているのか?
ウィンリィはぽたぽたと溢れては吸い込まれるように地面に落下していく
自分の涙を目で追いながら、自問する。
お互いに好きだという気持ちは確認している。
なのにどうして駄目なのだろう。
優先しなければいけないことはたくさんあった。
それが、がんじがらめの鎖のようにエドワードと自分を縛っていく。
だから、目の前で揺れる銀色の鎖がひたすらに哀しい。
それの中身を自分は知っているのだ。
刻まれた彼の覚悟を知ってしまっているのだ。

…世界は広く、追いかけごっこで行き着く果てが見えるほど狭くはない。
それを知らないほどの、何も分からない子どもではもうないのだ。

「泣くなよ…」
唐突に声が落ちてきた。
ウィンリィは目を見開く。
見れば、おろされた彼の腕が、手が、指が、わずかに震えている。
「オレだって…どうしようもないんだよ…。」
エドワードは上がらない自分の両腕に虚しさを覚える。
目の前に好きな女の身体があって、抱き寄せたい衝動を抑えている。
それなのに、頭にちらつくのは、昨夜交わしたしびれるような口付けだった。
そして、同時にちらつくのは、弟の冷たい鋼の身体に落とした乾いた口付けだった。
どちらも知ってるから、だからどうしようもない。
忘れるわけがない。
忘れられるはずがないのだ。
昨夜、選んだのは確かに自分だった。
彼女を抱き寄せてキスをした。それは、事実だった。
したいから、したのだ。
それを、本当は、謝りたくなんか無い。
あれが、本当の気持ちだからだ。
間違ってるなんて、思いたくない。

ああ、とエドワードは空を仰いだ。
目に入ってくるリゼンブールの空は雲行きが怪しい。
頭上に垂れ込める鬱蒼とした枝々が、
何かの警鐘を鳴らすように風にざわめいている。

揺れる銀の鎖を憎むように睨みながら、ウィンリィもまた、
嘆くように息をはいた。

……何も判らない子どもにはもう戻れない。
何も分からないまま盲目のように相手を求めることができたらどんなに楽だろう。

二人は、同時に重いため息をついた。
二人して、同じことを願っている。
それなのに。

ウィンリィはうつむいたまま涙を払う。
何の解決もないのだ。
誰も悪くない。
誰も悪くないからこそ、彼は動くことが出来ないのだ。
ウィンリィが自分のせいにしても彼は自身を責めるだろう。
罪悪感から逃れることは出来ない。
それを理解できるほどに、もう自分達は子どもじゃなくなっているのだ。
そう、子どもじゃないのだ。

「ウィンリィ…?」
顔を上げたウィンリィの青い瞳は、とてつもなく強い光を帯びていた。
「あんたは悪くないの。…こう言ってしまうあたしを、許して?」
…あんたは悪くない。こう言うことであたしは後ろめたさから逃れている。
それがあんたを後ろめたさへと導いてしまう。
それさえも全て分かった上で、
あんたを縛るあたしを許して。

何かを言いかけたエドワードの唇を、ウィンリィは制止する。

彼女が吐き出すように言ったその言葉を、
エドワードは必死で理解しようと頭の中で咀嚼しつづけた。
火をつけた。つけてしまった。
選んだのは自分だ。
彼女は悪くない。
悪いのは自分。けれども、弟の現実を前にして立ちすくんでいる。
追いかけられて、つかまった。彼女に。
けれど、つかまったのは自分のせいだ。
全速で逃げようと思えば、逃げることは出来たはずだ。
それが出来なかった。
それを彼女も知っている。
知った上で、「つかまえた」と言った。
逆だ。つかまったのは、彼女のほうだ。

許して欲しいのはオレも同じ。
彼女を縛ることになる。それも、とてつもなく酷い形で。

「忘れよう…?」
現実を見る目を捨てて。
ただ、降り積もる罪の意識を手放さずに。そのまま抱えて。
ウィンリィが小さく言った。
その声はかすれるように小さかったが、しかし、とても明瞭だった。

自分達はもう子どもじゃない。

世界の広さを、冷たい鋼の現実を、知った。
知った上で、ごまかす。
ごまかせる。もう、子どもじゃない。
子どもじゃないから、ごまかす。
子どもじゃないから、その現実からは逃げない。
逃げないで、全てを受け入れる。
それはとてつもなく重い罪の意識を伴うけれども、
それ以上の現実を知っているから。
だったら、ごまかすしかない。
どこまでもひたすらごまかして、嘘をついて、隠し通して。
ただ、降り積もる罪の意識に目を逸らさずにそのまま抱えるのだ。

コートの裾から手を離し、
ウィンリィはエドワードの腰の鎖に手を伸ばす。
そして、それを引きちぎった。
ぶつり、と鈍い音がして、
じゃらりと銀時計はウィンリィの手に落ちる。
それをそのまま、ウィンリィは自分の背後に放り投げた。
エドワードの目の前で、
緩い放物線を描きながら、銀時計は草むらの中へと落下していく。
エドワードはそれをぼんやりと見つめた。
甘い衝動が、身体を突き抜けるのを感じていた。
途方もなく、それを感じていた。
エドワードの耳の後ろに手を添えて、
ウィンリィはそっと囁く。
「目、閉じて。」
息がかかるほど近くに、ウィンリィの顔がある。
エドワードはその手をとって、自分の首に回させた。
「お前こそ、目を閉じろ。」
ウィンリィは言われるままに目を閉じる。
ほどなく唇に落ちてくるのは甘い痺れだった。
息苦しくなるほど強く身体を抱きしめられる。
麻痺していく己の意識の片隅に、
「つかまえた」と言って無邪気な笑顔を浮かべる幼い少年の声がはじけるのを
ウィンリィは聞いた気がした。


(fin.)





2004.11.17
……続きます。




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