足りない-6
泣かないで、と言うのは、無理な話だ。
アルフォンスはなすすべもなく、
二人を見守った。
言葉を言い捨てたエドワードは、部屋を出て行く。
それを、ウィンリィは何も言わずに、見送った。
追いかけることもなく。
…追いかけっこならたくさんした。
けれど、彼はそれを放棄したのだ。やめたのだ。
ウィンリィは、
廊下から零れる光を飲み込んで音もなく閉まりゆく扉を、
そして、その向こうに消える彼の背中を、
力なく見つめていた。
みるみる視界が潤んでいく。
「ウィンリィ……」
アルフォンスは言葉を継ごうとしたが、それは途中で消える。
空洞の鎧の中に、ひたひたとそれは満ちていく。
そして、同時に、欠落していく。
ああ、そうか、とアルフォンスはひとり、心の中で合点した。
ただ黙って、涙を払い続けるウィンリィを見て、
心に落ちてくるのは。
「アル…。気に、しないで」
しゃくりあげながら、ウィンリィが小さく言った。
涙はどんどん溢れてくる。
アルフォンスは泣けないのに。
なのに、自分の涙はぽたぽたと際限なく落ちて、
シーツを濡らす。
「気に、しないで」
ウィンリィはもう一度言った。
そして、かすれた声で付け加える。
ホントは、泣きたくないのに、と。
すると、アルフォンスの声が落ちてきた。
大丈夫だよ、と。
「言ったでしょ。…僕、ホントに平気なんだ」
嘘だ、とウィンリィは首を振る。
…手に入れたと思っていた。
でも、だめだったのだ。これが答え。
手放そう、そう思った。
それがお互いにとってよいというのなら。
でもどうだろう、とウィンリィは唇をかみ締めた。
気持ちだけは変わらない。
どこまでも渇いていて、だから欲している。
欲しかった。だから追いかけて、手に入れた。
でも足りなかった。
どこまでもそれは際限がなくて。
追いかけても追いかけても、
走っても走っても、どこを間違えたのか、追いつけない。
どこで間違えた?どこで迷った?
どうしたら、あいつと向き合える?
まるで迷路のようだ。
行き所の無い気持ちが、右往左往しながら
この迷路をただ一人虚しく走っている。
手をのばせばすぐそこにあるのに、
気持ちだけが迷走している。
俯きながら、ウィンリィは笑おうとした。
それでも涙は溢れてくる。
「…止まんない」
困ったわね、とウィンリィは明るく言おうとしたが、声は震える。
ウィンリィはごめんね、と続けた。
「どうして?」
どうして、謝るの、とアルフォンスは小さく尋ねた。
だって、とウィンリィは涙を払いながら答えようとしたが、
言葉にはならなかった。
…アルフォンスにひどいことを言わせているとよく分かったからだ。
「……平気だ、なんていわないで」
ウィンリィは絞り出すように言葉を継いだ。
「え?」
アルフォンスは鎧の頭をかしげる。
「平気じゃ、ない、でしょ」
ウィンリィは手を伸ばす。
哀しいほどに硬いアルフォンスの手を、
ぬくもりのかけらもないその手を握った。
ウィンリィの意図が分からなくて、
アルフォンスは慌てる。
ウィンリィは声を押し殺すようにして続ける。
「冷たいとか熱いとかわからないから必要ないなんていわないで」
そんな嘘、哀しすぎるよ、と。
でもね、とアルフォンスはウィンリィの言葉に返そうとしたが
それは許されない。
ウィンリィはアルフォンスの言葉など待たなかった。
唐突に、ウィンリィは声を張り上げる。
「平気なわけ、ないじゃない…っ。
冷たいのが分からないから今頑張ってるんでしょ。
身体取り戻すために二人で旅して……っ」
…あたしはそれを支えるって決めた。
今の関係が破綻したって、
形はどうあれ、それを続けるだけだ。
もう、それだけでいい。
アルフォンスにそんな言葉を言わせているのなら。
そんな哀しすぎる嘘を吐かせているなら、もういい。
「でも、僕は」
アルフォンスは食い下がるように言葉を続ける。
焦っていた。
なぜなら、ウィンリィが「手放そうとしている」ことに気づいたからだ。
兄を、手放そうとしている。
それを知って、意味もなく焦りが走った。
ダメだ、と思った。
そんなことをしたら、どうなると思う。
絶対にダメだ。
そう思い至ってから、アルフォンスはハタと我に返る。
なぜ、ダメだと思う、と。
形の上では何も変わらないはずなのだ。
ただ、兄とウィンリィが幼馴染に戻るだけで、
それさえも、今までの暗黙のルールから何も知らないことになっているはずなのだ。
そう、形の上では、何も変わらないのだ。今まで通りなのだ。
今まで通り、メンテナンスが終われば旅に出る。ウィンリィを置いて。
もう、「知らないフリ」をするのも不必要だ。
そこに、お互いを縛る罪悪感も何も無いはずなのだ。
それなのに、どうしてだろう。
アルフォンスは、ウィンリィが握り締めてくる自分の手に、
気持ちを傾けようとする。そこに、あるはずの彼女の感触を確かめようとする。
…何もかも解決するはずなのに、
どうして自分は
こんなにも虚しい欠落感を覚えているのだろう。
ウィンリィはアルフォンスの言葉をさえぎる。
「もう、言わないでいいから」
ウィンリィ、と続けようとするアルフォンスの言葉を、
ウィンリィは首を振りながら拒絶する。
アルフォンスだって人間なのだ。
それなのに、何も感じないなんてどうして言える?
なおも食い下がろうとするアルフォンスに、ウィンリィは言った。
「あたしが泣いても、アルは何も感じないの?
もし、感じないんだったら、そんなの、アルじゃないよ…」
涙目で、ウィンリィが睨むようにアルフォンスを見上げてくる。
「あんたも、あいつも、
何も言わないじゃない…」
アルは嘘までついて。
あんなルールが間違っていたんだ。
あんなルールがなければ守れない関係なんて、もう要らない。
「あたしは、あんた達が元に戻れれば、それでいい」
無事でいてくれればいい。怪我しなければいい。
そして、ここに戻ってくる日がくればいい。
そう、それでいいじゃないか。
願うのは、ただひとつ。
あいつと、目の前の幼馴染の最上の幸せを。
「……それで、いいの?」
まずい、とアルフォンスは内心で焦っていた。
いいわけがない。よくないんだ。
ウィンリィが、兄を手放そうとしている。
「ウィンリィは、平気なの?」
馬鹿ね、とウィンリィは泣きながら笑った。
…そう、あいつがやめたのだ。
おいかけっこは相手がいなければ出来ない遊び。
あいつは、それをやめた。
それが、あいつの望みなら、もういい。
「あたしは平気よ」
それこそ、嘘だろ、とアルフォンスは言葉を返した。
まずい、まずい、と何かに焦りながら。
しかし、その一方で、どうして自分は焦っているのか分からなかった。
「僕に嘘を言うなって言っておいて、それ?」
違う、ホントよ、とウィンリィは泣き笑いながら言葉を継いだ。
「あたしはいっぱい泣けるもの。
アルと違って、いっぱい涙が出るの。
いっぱい泣いたら、元に戻るから」
だからね、アルが平気なはずがないのよ、と言い聞かせるように
ウィンリィは言った。
「アルは泣けないのに、平気なはずがないんだよ」
…気持ちの行きつく場所が、吐き出すものが無いアルフォンスが、
平気なはずがないのだ。無感覚なはずがない。
「痛いでしょ。哀しいでしょ。人間だったら普通なの。
…身体がなくたって、アルはアルだもん」
ああ、そうか、と
その言葉を聴いたアルフォンスは鎧の中でひとりごちた。
…感情を希薄にして生きていくしかないと思っていた。
そうでないと、この現実を直視できない。
「冷たい」も「熱い」も、分からないことが自分の現実で、それは今も変わらない。
だけれども、だからこそ欲しているのだ。
身体の無い自分に空気はいらないわけじゃない。
身体が無いからこそ欲していて、
足りないそれのために、ここまで前に進んできたんだ。
自分以外の誰かが、自分のことを人間だと言ってくれるから、
だから生きてこれたんだ。
目の前の幼馴染がそう言ってくれるから、だから願えるんだ。
アルフォンスは自分が焦る理由もようやく理解した。
彼女が手放せば、見えてくる結末が嫌だからだ。
それは、自分の願いとは違う。
願うのは、ただひとつ。
兄と、目の前の幼馴染の最上の幸せを。
だから、焦っているんだ。
アルフォンスはウィンリィの手を握り返した。
「…アル…?」
ウィンリィはすこしばかり驚いた表情をアルフォンスに向ける。
星明りに、濡れた彼女の頬が見えた。
その上をすべる涙の粒を、払ってやるのは自分の役目じゃない。
自分に出来ることは押してやることだ。
暗黙のルールを使うのではなく。
「まだ、だめだ」
アルフォンスは小さく言った。
それが、僕の願いだから。
だから、まだ。
「手放さないで」
ウィンリィはわずかに目を見開いた。
そして、力なく、瞳は伏せられる。
アルフォンスの願いも虚しく、声は失望を落とした。
無理よ、と、小さく唇は言う。
小さくて、それでいてはっきりとした意思表示だった。
(fin.)
2005.3.24
趣旨変えたほうが良い内容になってまいりましたが。
意味が分かりにくい、という方は、
「トライアングル」の「追いつく・追いつかれる」、「共有」あたりを読まれるとしっくり来るかもしれません。
予定ではあと3話で終了になります。
もう少しお付き合い頂ければ幸い。