足りない-2
夢を見た。
そのせいだろうか、息が苦しい。
闇の中で、エドワードは静かに目を開いた。
墨を流したようなその暗闇に視線を彷徨わせてから、
ただ黙って体を起こす。
寝台がギシリと軋んで、
それと同時に、鈍い痛みが走る。
キシ、とかしぐ機械鎧の足の付け根を、
エドワードは思わず押さえた。
脳裡には、今しがた見た夢がちらついている。
「兄さん」
闇に落ちたその声に、
エドワードはふと顔を向ける。
暗がりに溶けるようにして床の上に座り込んでいるアルフォンスを
彷徨うように目でみてとる。
「眠れないの?」
「………いや」
少し夢見が悪かっただけだ、と言うと、
アルフォンスは、ぽつりと、夢か…と呟いた。
ひたすらに濃い闇色に、鎧の反響音が虚しく落ちる。
弟は眠ることすら出来ないのだ、と思いなおして、
エドワードは、何も言えなくなる。
こんな、苦い夢を見た後には尚更だ。
「どこ行くの?」
寝台から抜け出して、床を軋ませながらそろりと踏み出すエドワードに、
アルフォンスの声が掛かる。
エドワードの答えには幾分かためらいの色が見え隠れする。
それを察知しているのかいないのか、
アルフォンスはただ兄が答えるのを待った。
「…ちょっと、………風呂」
「………」
「汗、掻いたから、な。」
一拍の間が落ちた。
エドワードは、それがとんでもなく長い時間に思えた。
「…僕は、知らない。」
「アル…」
「僕は、ここにいる。……ここで、寝てるから」
それは、不可能なことなのだと、エドワードもアルフォンスも承知している。
なのに、それをあえて言う弟に、エドワードはかけてやる言葉が見つからない。
扉は軋みながら開き、エドワードを飲み込んで無言で閉まる。
それを全て見届けて、
床の上に座り込んでいるアルフォンスは膝を折るようにして
鎧の身体をまるめる。
…まだまだ、夜は長いのだ。
ぽちゃん、と水をひと掬いして、
手のひらから零す。
…こういう時は冷たい水がいい。
エドワードは心の中で、言い聞かせるようにひとりごちた。
真夜中にひとりで浴槽の中にひたひたと水を張り、顎まで身体を水で浸す。
ロックベル家は夜の帳に寝静まり、
身体を浸した水面がわずかに波紋を広げるのみだ。
顎まで水に浸かっていると、だんだん息が苦しくなってくる。
しかし、構わずに我慢してみる。
そうでないと、余計なことを考えそうになる。
衝動をひた隠しにして、ただ自分の感情に曖昧になるだけだ。
そうでないと、滅茶苦茶になりそうだった。いや、滅茶苦茶にしそうだった。
それなのに。
「………何してるの」
それなのに、彼女が来た。
エドワードは、はぁ…と息をつく。
浴室のドアが遠慮無しに開かれ、ウィンリィが立っている。
「…お前な…、普通、男の風呂、覗くか?」
「覗きじゃないもの。……堂々としてるでしょ?」
そんな問題じゃねぇよ、とエドワードはさらに息をついた。
そんな彼の意など介さず、ウィンリィは浴室に足を踏み入れる。
「お湯、焚こうか?」
ホントは寒いでしょ、とウィンリィはさらりと言った。
「いーよ。…いざとなれば錬金術使うし。…て、それより、お前…」
エドワードはバスタブの中から
近づいてくるウィンリィを見上げる。
「それ以上、近づくな。」
「なんで」
「いーから、近づくな」
「でも、お湯焚くから。」
「だから、いらねーって。」
「あたしがいるの」
「……は?」
「あたしは、寒いのは嫌だもん」
ああ、もう!とエドワードは頭を抱える。
せっかく冷たい水で自分の身体を、頭を、全部冷やそうと思ったのに、
彼女がいたんじゃ意味が無い。
「……お前、何言ってるか分かってる?」
「うん」
「うん、て……あ、あのなぁ…!」
ウィンリィはすぐ間近まで来た。
バスタブの縁に手を付くようにして膝を折る。
彼女の顔がすぐ間近まで寄ってきて、
同じ高さで目と目をあわせた。
「…今更、恥ずかしがることないじゃない。」
あんなコトしたくせに、とウィンリィの唇が動く。
それを見てとり、エドワードの目がわずかに見開かれた。
……このバカが。
エドワードは、耐えてきた気持ちがキレるのを自覚していた。
身を乗り出して、彼女の身体を捉える。
そしてそのまま、彼女の唇を奪う。
しばらくぶりの彼女の唇は、それでも頭の中で反芻していたそれと
そう変わることなくそこにあって、自分をすんなりと受け入れる。
それが無性に嬉しくて、そして腹立たしくて、
エドワードは息が続く限り唇を貪った。
ぬれた腕で彼女の身体を思い切り寄せ、
彼女の首筋や後ろ髪を撫でていく。
彼女のひとつひとつを確認していくように。
気が済むまでひとしきりキスの応酬が続いた後、
詰めた息を吐くように低くウィンリィは言った。
「……昼間、ずっと機嫌が悪かったよね」
間を置いてから、エドワードはそうか?と低く聞き返す。
そうだよ、とウィンリィは言葉を返す。
彼女の手がバスタブ越しに伸ばされてきて、
湿った自分の髪にそっと触れてくる。
その白い指はするりと首元に移動して、
さらに肩口、そして胸元へと別の生き物のように動く。
そして、機械鎧の接続部をなぞるようにしながら、
ウィンリィは訊いた。
「ねぇ。………空気って、何?」
そろそろと動く彼女の腕を見ながら、エドワードは軽く息をつく。
「………聞いてたのか」
「うん。まぁ」
ちくしょう、とエドワードは内心舌打ちした。
水に浸かってるはずなのに、身体が熱くなってくる。
顔が赤くなってくる。
「あれは、だな…」
なんて言おう?正直に言うか?
迷っているエドワードを傍目に、
ウィンリィはさらりと先手を打った。
「……エドって、コドモよね」
はぁ?と眉をしかめるエドワードに、
ウィンリィは軽く笑みを浮かべる。
「……大丈夫よ」
「何がだよ」
「あたしも、強いから」
「だから、何が」
毎日不安で、何か足りなくて、いつも渇いてる。
ウィンリィはぽつんと言った。
「あたしも、強いよ?……独占欲。」
全部バレてる。だから、敵わない。
エドワードはそう思い至り、もう一度息を吐いた。
濡れた手でウィンリィの髪に触れ、
耳の後ろに横髪を寄せる。
そして、耳元に唇を近づけて、低く呟いた。
「服、脱いで」
…一緒にいれてやるよ、と。
息が苦しい。
それは、夢をみたせいだけではなくて。
エドワードは、真っ直ぐにウィンリィの顔を見つめた。
目の前に、彼女の青い瞳がある。
それはわずかに揺れていて、震えるように自分を見返してくる。
夢をみたせいだけではない。
息が苦しいのは、空気が足りないから。
渇きから逃れるかのように、
エドワードはもう一度、ウィンリィと唇を合わせた。
(fin.)
2005.1.28
…続く……の?た、たぶん、続きます。
冷たい雰囲気を書きたいというのが、今回のコンセプトだったり。
⇒「86.無意識」に続きます。よろしければそちらもどうぞ。