5.あたしで鳴らして
厚く塗りおろされた暗闇の中では、息遣いひとつさえも誤魔化せない。二人して、ベッドの上に座っていた。暗くなった視界に、呼吸と脈拍がせりあがるようにその存在を顕わにしていく。
「エ……ド……」
呼んだ唇は途中で音を切られる。塞がれて、奪われる。は、と息を吐きながら、せわしなく溶け合わせる。
暗がりに慣れ始めた目を凝らしながら、彼がどんな顔をして、どんなことを思っているか、知りたくて、近づきたくて、触れてくる丸い吐息を食むように唇を貪る。
飢えたように濡れ始めた唇をさらにぬらすように舐めあって、囁くように舌を触れ合わせる。どこか確かめるような、おずおずとしたぎこちない空気はすぐに闇に溶けて、もう何も見えなくなる。ひとつしか、考えられなくなる。
唇を重ねながらお互いの服に手をかける。キスしながらだとあまりうまくいかない。しかし、触れていない間が惜しくて、互いの唇を啄ばみながら、手探りで服を剥いでいく。
せりあがる動悸が聞こえてしまいそうであたしは恥ずかしい。
誤魔化すように、エドの肌に指先を這わせながら小さく呟く。
「エド。ドキドキ、言ってる」
半ばからかうようにそう言うと、エドは憮然とした表情で唇を不機嫌そうに押し曲げる。
「しょうがねぇだろ。……ちょっとキンチョウするんだよ」
エドからそんな殊勝な言葉が出てくるとは思わなくて、あたしは堪えきれずに思わず吹き出してしまう。
そんなあたしの反応に、彼がむっとへそを曲げたのが暗がりでも分かった。
「おまえはしないのかよ」
その問いに、彼の顔を真正面から見返しながら、あたしは大真面目に頷いた。
「そりゃ、してるわよ」
あたしはエドの両手首に指を這わせる。
「さわって」
エドの鋼の右手と生身の左手の手首を握って、自分の胸の辺りに押し当てる。エドは一瞬驚いたように身じろいだけれど、拒否はなかった。
されるがままに、はだけた胸の上にてのひらをのせる。
「……」
エドは一瞬息を呑んだあと、どうしたらいいか分からないとでも言いたげにふいと一瞬だけ視線をそらす。暗がりの下で、どこか彼の頬に朱がさしたように見えて、あたしの鼓動はなお高鳴る。
(感じてるんだ)
それが嬉しくて、恥ずかしくて、やっぱり嬉しい。
「……なぁに顔赤くしてんのよ……」
「うるせぇな」
「ドキドキ言ってるでしょ」
「あーそうだな」
エドはぶっきらぼうにそう言って、触れた右手を肌から離そうとする。きち、と機械鎧が小さく軋む音を聴いた気がした。離れていこうとするその手を、あたしはなおもひしと掴みなおす。なにすんだ、とエドは驚いたようにみじろいだ。
言葉はない。それでも、無言のまま、暗がりの下で、かちりと視線をかみ合わせる。
冷たい手と暖かい手がそこにある。
「だいじょうぶ」
あたしは小さく言った。
「あたし、どっちも好きだから」
その冷たい手を造ったのはあたしだから。だから、さわって。
あたしはエドの両手首から手を離して、ついと辿るように彼の腕に両手の指を走らせる。
冷たい右腕と、暖かい左腕。なぞるように両の指先をしならせて、彼の心臓に辿りつく。
「知ってた?」
手の中で、とくとくと波打つ鼓動を感じながら、あたしは囁いた。
「ひとの心臓ってね、一生のうちに何回打つか決まっているんだって」
へぇ、と言いながら、あたしが胸に伸ばした両手に、エドが手を重ねてくる。
指をほぐすように絡められて、彼の肌から引き剥がされる。緩やかに視界は反転して、ベッドに押し倒された。
暗い視界がさらに翳って、落ちてくる口付けに目を閉じる。せりあがる心臓の音に飲み込まれそうになりながら、あたしは音を数える。数え切れないその音を。
「何回?」
唇を離しながら、エドが訊いてくる。ひどく静かな声だ。あたしは思わず目をあけて、えーと、と思考を巡らせている合間に、あたしの手首を押さえつけていたエドの手はするりと移動して、脱がしかけていたあたしの服にかかる。
左の指先が、肌の上におりてきて撫でてくる。あたしは、再びきゅっと目を閉じる。さわられて、心臓は、余計に跳ね上がる。
吐息が顔に落ちてきて、くすぐるように耳元に移動していく。一方で、胸のふくらみを包まれるように触られて、手の中で転がすようになで上げられて、さわられるだけで、あたしの息はあがっていく。鼓動が、数を増して、あたしを飲み込もうとする。
「あてて、みて」
小さく息を乱しながらエドにしがみついてお返しのように耳元で囁く。一瞬の間のあと、めんどくせぇという言葉がひとつ。
前髪を撫で付けるように触られて、片方の手では半裸にさせられた胸をなでられる。形をなぞるようなその仕草にあたしの心臓はどんどん早鐘を打っていく。それが聞こえてしまっている気がして、恥ずかしくなってくる。
「心臓が鳴る音は最初から決まってるから、早く鳴らせば鳴らすほど、早く死んじゃうのよ」
知ってた? というあたしの問いに、エドはふぅん、とだけ返し、あたしの上半身を露にさせる。耳元から首筋に移動したエドの唇が、徐々に胸元へと移動していく。吐息と一緒に落ちてくる冷たくて、そして暖かい唇に、鼓動はどんどん跳ね上がる。
露にさせられた胸の頂に、エドがちゅ、と音を立てて口付けて、あたしの身体はぴくっと跳ねてしまう。
おまえだって、とエドは低く呟く。
「すっげぇ、ドキドキ言ってる」
そう言いながら、エドの左手があたしの左胸を覆うようにして愛撫してくる。
「……っ…ン……」
まるく膨らみを揉まれて、親指の腹で先端を擦られる。
あたしは目を閉じて、エドがするままになる。ゆるやかに身体の内側が熱を帯びていく。
「ここ、感じるわけ?」
硬くなってる、と親指で執拗に擦り上げながら、エドがどこか悪戯めいた声色で言う。
「どんどん音があがってるぜ、ウィンリィ?」
あたしの顔に熱が昇る。からかうような口調が悔しくて、なんとか言い返す。
「エド、が……、すごく、近い、から」
「……意味わかんね」
「……あんたが心臓に近づくと、鳴っちゃうの」
「はぁ?」
なにがだよ、と低く言葉を返しながら、エドは執拗に乳首に口付けてくる。機械鎧の右手は、あたしの顔の横に伸ばされて、ほどいた髪を梳いた。左手は、あたしの右胸を愛撫し始める。
「あたしが早く、死んだ、ら、エドの、せい、なんだから」
心臓の音に飲み込まれそうになりながらあたしは彼の愛撫に震えながら小さく言う。
「あんたのせいで、こんなにドキドキするんだから」
あんたのせいで、こんなに鳴ってる。あたしの心臓は、バカ正直で恥ずかしい。だから、エドのが気になる。
「なんだよ?」
あたしの胸に伏せたエドの顔をあげさせて、あたしはエドのシャツの下に自分の手を滑り込ませる。
途中なのに、と少し不満そうな彼を、なんとか押し倒して、形勢逆転。
エドに跨って、彼のシャツを剥ぐ。たくしあげた下に、少し汗ばんだエドの胸がある。這わせた指を、彼の左胸へ。
あんたのせいであたしはこんなに鳴らしている。じゃあ、あんたは? あんたは、あたしで鳴らしてる?
這わせたてのひらの中に落ちてくる、暖かな鼓動。てのひらでは足りなくて、あたしはゆるやかに身体を前に傾ける。音の波に震えているような彼の胸に唇を押し当てる。
「…………っ」
エドの身体がわずかに震えて、それに呼応するようにあたしの胸の奥はきゅんと震える。軽くついたてのひらの下で、鼓動が跳ねたような気がした。
もっと鳴らして。
あたしで鳴らして。
舌を伸ばしてちろちろと彼の胸の先端を舐める。軽く音をたてながら彼の胸、首、顔、そして唇へとキスをする。エドは黙ってあたしのキスを受け止めてくれる。
だけれど誤魔化せない。黙っているけれど、心臓の音は黙っていない。
「……んじゃ、オレが早く死んだら、おまえのせいだな…」
は、と息をついて唇を離すと、エドはぽつりと言った。
「……かぞえきれねぇけど、たぶん、今後もすっげぇ鳴る予定だから」
そんで今からも鳴る予定だし、と彼は低く付け加えて、おもむろに身体を入れ替える。
再び薄暗い視界が回ってエドに押し倒される。視界が翳って、唇をふさがれる。動けないように顔を両手で捉えられて、貪られる。
服を脱がされて、全裸にさせられたから、あたしも負けじとエドを脱がせる。お互いにさらけだしあって、さわりあって、ちかづいていく。
身体中を愛撫されて、かぶさってくるエドの体温に、吐息に、重みに、身体が、心が、どんどん濡れていく。
「おまえ、だいじょうぶか?」
息を乱しながらエドは聞いてきた。汗ばんだ空気が肌にはりつく。足を開かされて、じっとり濡らしてしまったそこにエドの手が這う。
「オレ、さらにもっとぴったり近づきたいんだけど」
低い声に、身体が震える。彼が言いたいことが分かって、焦がれるように身体が濡れるのが分かった。
あまりよく見えない視界の真ん中で、少し息を乱したエドが落とす言葉にも吐息にも、すべてに、近づいたら心臓が鳴る。もっと鳴る。もっと近づいたら、もっとぴったり重なったら、その先はどうなる。
「壊れんなよ」
彼の言葉に、壊れてもいいよ、とはあたしは言わない。
もっと近づいたら、もっとぴったり重なったら、もっとあんたであたしの心臓は鳴る。そして、あんたの心臓を、あたしで鳴らして? 鳴る数が決まっているなら、どれだけあたしで鳴らしてくれる? あんたの一生の中で、どれだけあたしはあんたの中にいられる?
開いた身体を裂くようにエドが入り込む。よくならされた身体はたやすくそれを受け入れて、濡れる。さらにもっと、と。
だから、あたしで鳴らして。
「あんただって」
壊れてもいいよなんていうのが悔しくて、あたしは言う。
「壊れないでよ」
エドは暗がりの下で、くつ、と小さく笑いをかみ殺したようだった。待ち焦がれたように濡れた身体を思い切り開かされて、エドの身体が割り込んでくる。
「んじゃ、遠慮なく」
させていただきマス。低い声が耳元で響く。そんな声にさえきゅんと跳ね上がった心臓が、憎らしい。あたしが鳴るんじゃなくて、あたしで鳴ってほしいのに。
悪戯っぽいその言い方に、バカ、とあたしが悪態をつく前に、有無を言わさない勢いで、彼があたしの中に入ってきた。