4.ムキになるなよ
機械鎧の手入れをさぼった! とウィンリィはよく怒る。壊してしまった後は、まるでお決まりのように怒鳴られるのだ。怒鳴られついでに、銀色の凶器をいくつか食らったエドワードは、痛みにしびれる頭をさすりながら、このまま彼女がどこまでも凶暴を極めていくのではないかと、己の機械鎧の手入れ不足が原因だということを棚にあげながら危惧する。
このままでは、身がもたない。
「おまえさ……」
整備が終わったあと、エドワードは作業台の前に腰掛けながら、なにやらこまごまとした後片付けを始めているウィンリィを軽く睨む。後頭部はまだひりひりしていた。
「最近どんどん酷くなってねぇか……?」
「何が?」
さらりと問い返されて、エドワードは、むっと言葉に詰まる。
「……暴力反対」
「あんたが悪いんじゃない」
「客にはもっと懇切丁寧に」
「あたしはいっつも懇切丁寧よ」
何を言っても切り返されて、エドワードは面白くなさそうに口を曲げた。
「おまえ、凶暴さが日ごと増してるぞ。なんつーか、昔はここまで酷くなかったような……」
「昔っていつの話よ?」
えーと、とエドワードが記憶を遡っている横で、ウィンリィはあのねぇ、と呆れたように彼を見返した。
部屋の一隅に据えられた戸棚に工具類を片付けて引き戸を戻す。
「別に変わってないわよ。いつもどおり」
凶暴凶暴って失礼ね、とさすがにウィンリィも面白くなさそうに眉根に皺をひとつ刻む。
「昔から変わってないわよ。それに、凶暴さが増してるなんて言ってくれたけど、あたし、エドに腕相撲で勝ったことあるわよ。昔」
ウィンリィのその言葉に、え、とエドワードはぽかんとする。
「……オレが負けた……?」
エドワードは「んん?」と腕を組んで首ををかしげた。
そんな記憶は、無い。
「……オレが、おまえに?」
「うん」
ウィンリィはあっさりとうなずく。
何言ってんだ、とでもいいたげな呆れた顔をしながら、は、とエドワードは肩をすくめてみせる。
「……ありえねぇ」
「あら、ホントよ」
エドワードの反応に、ウィンリィは心外そうに言葉を返す。
「アルが一番強くって。その次があたし。エドはあたしに負けたじゃない」
あのころから小さかったもんね、とニヤリとしながらウィンリィは言ってのける。む、とエドワードは眉を寄せた。
「おまえ、その記憶間違ってねぇ? オレ、そんなの覚えてないぞ? ……いやその前に、あのころからってなんだよ!」
「でもホントだもん」
なによう、あたしが嘘ついてるとでも言うわけ? とウィンリィはわずかに頬を膨らます。対して、エドワードも口をへの字に曲げて答える。
「絶対にありえねぇ!」
「ムキにならないでよ。たかが昔のことじゃない」
ウィンリィは口を尖らせながら、テーブルを挟んでエドワードの向かい側に陣取るように座った。
「え」
エドワードはぽかんと目を丸くする。言葉を継げずにいると、ウィンリィの左手が伸びてきて、左手に絡まる。
「んじゃ、しましょ? ……腕相撲」
壊れそうなものを触れてしまったかのようにエドワードの指先はどこか惑うように微動し、固まる。一瞬動悸がせりあがり、触れてきた彼女の手の感触にエドワードはひそかに震える。
「な、なんで、左……?」
声がわずかに裏返ってしまった気がした。しかし、そんなエドワードの言葉に彼女はすぐに答えない。
ほら、ちゃんと肘立てて! とウィンリィは眉を吊り上げると、ぎゅっと手を握ってきた。ほっこりとした温かみが手の中に丸く生まれて、帯びた熱が全身を伝いそうだった。
熱が顔にでてなけりゃいい。
平静を装いながら、エドワードは手を握り返してみる。そして、まじまじと、向かい合わせの彼女の顔を見返す。ウィンリィは大真面目な表情でさらりと言った。
「あたしが造った機械鎧が負けるわけないじゃない」
だから、左手じゃないと勝負にならない。
深い理由なんてないだろうと思っていたが、彼女はあっさりとその理由をエドワードに言ってのける。
なんだそれ! とエドワードが言う前に、ウィンリィは言葉を続ける。
「だから、こっちで。でも利き手じゃない分、あたしがハンデ負ってあげてるわよ。昔勝ったよしみでね」
「……オレだって左はもともと利き手じゃねぇっての」
「ごちゃごちゃと小さいことにこだわらない!」
「…小さい言うな!」
エドワードは内心どぎまぎしながら握った手と、そして睨みつけるようにして自分を見てくるウィンリィを交互に見比べた。
深い意味なんてないだろうと思いながらも、握り返したそれは、生身の熱とやわらかさをいやでも伝えてくる。
(あーちくしょう)
「……昔とは違うっての」
視線のやり場に困って、エドワードはうろうろと金色の目を所在なげにさまよわせる。
彼女が言うような負けた記憶はなかったのだが、負ける気はまったくしない。半ば呆れつつ、半ばどぎまぎ動揺を隠しつつ、力をこめてくる彼女の手を負けじと握り返す。握った手をはさんで、青い大きな瞳がこちらをにらみつけてくる。んじゃ、いくわよ、と言う彼女の声は真剣そのもの。
ウィンリィの掛け声が軽くかかって、腕相撲が始まる。
む、とエドワードは眉根を寄せた。ウィンリィの表情はいたって真剣だ。握った手は小刻みに震えながらどちらに倒れるのでもなく均衡を保っている。
ウィンリィの力は思った以上に強い。意外な面を見た気がしたが、エドワードはまだ余裕だった。
握った手を一心に睨みながら思い切り力をかけてくるウィンリィの様子をエドワードは真正面からみつめる。手に集中している彼女は、それに気づいていない。
このまま彼女の手の甲を机の上に倒すのは簡単だった。しかしなんとなくそれをするのはためらわれて、エドワードは適当に力加減を計ってしまう。
そのまま終わらせるのはもったいない。かといって、負けるのはしゃくだ。
さてどうするか、と思いつつ、唇をぎゅっとかみ締めて生真面目に腕を倒そうとしているウィンリィのその表情に見入ってしまう。
なんでそこまで真剣なんだ、と言ってしまいたくなるほどに、彼女は集中していた。
震えるような青い瞳は瞬きを忘れてしまったのではないかと不安になるくらいに大きく開かれていて、目の前のふるふると震える手をにらみつけている。かみ締めた唇と、どこか蒸気したように薄紅に膨れた頬。バンダナから零れた金髪は彼女の肩先を滑って、木製の机上に波をうつ。
不意に、自分の中に生まれた単語ひとつに、エドワードはぎくっとする。
(やべ。何考えてんだ、オレ?)
そう思ったが、遅かった。思うより先に、身体が動く。
「あ」
ウィンリィの目が丸く見開かれる。がくっと身体の力が抜けるような感覚にウィンリィはひやりとしたものを覚えながらも思わず顔が緩んでしまう。
ぱたん、とあっけなく彼の手の甲は机に押し付けられた。
(勝った!)
やった、とようやく勝負相手のほうに初めて視線をめぐらせて、ウィンリィはぎょっと身体を固まらせる。
空色の瞳が、エドワードの視界の真ん中で大きくひと揺れした。揺れるその空を流れるように見てとりながらも、エドワードは身を乗り出していた。
「な、に……」
ウィンリィは声をあげようとする。
一瞬の喜びもつかの間。反射的に、ウィンリィは引くように身じろいで、空いているもう片方の手を、エドワードの動きをさえぎるように彼のほうへと思わず押し出していた。
しかし、無駄だった。押し出したもう片方の手は、途中でエドワードの空いていた機械鎧の手に絡めとられてしまう。
唇が触れそうで触れない、そんな程近いところに、エドワードの顔があることに、ウィンリィは目をまるくする。
勝負をしていたはずなのに、どうして。
壊れてしまったのではないかと怖くなるほどに、ゆるやかに、そして急速に、心臓が踊りだす。
そんなウィンリィの動揺をよそに、空中で捉えたウィンリィの手を、エドワードはむんずとつかんだまま、ゆっくりとテーブルにおろす。
テーブルの上で、お互いに両の手をクロスさせながら繋ぎあっている。身をひこうとしても、無駄だった。両の手に、捕らえられている。
ガタン、と椅子が倒れる音が床の上にはじけた。身体をひいたウィンリィの軌跡を追いかけるように、身を乗り出したエドワードがせまる。思考よりも先に、身体は勝手に動いている。
吐息がかかるのではないかという位に程近いところで、見えない糸で引き寄せられるように視線がひたりと交錯した。
「ムキに、なるなよ?」
ウィンリィの瞳がさらに見開かれた。声をあげる間は与えられない。
金色の目を細めてどこか悪戯っぽくエドワードは笑う。そして、軽く顔を傾ける。すべてが一瞬の出来事のはずなのに、目の前のすべてがひどく緩慢に流れていくようにウィンリィには映っていた。
エドワードは目を閉じる。きゅっと、握った手に力を込めた。機械鎧の右手に彼女の右手。左手に、彼女の左手を。伝わる感触は生身の手から半分のみで、しかしそれが足りない。
補うかのように、身を乗り出す。
ようやくたどり着いた先は、唇。
囁くように、キスを落とす。
「……っ」
こわばるように、捉えたウィンリィの手に力が込められる。しかしそれは一瞬のみで、春の雪解けのように緩やかに彼女の手から力が抜けていくのをエドワードは片方の手の中で確かめる。
交わした吐息を混ぜるように唇を食んで、ゆっくりとエドワードは顔を離す。離しながら、わるい、と低く囁く。
「負けた」
何に、とは言わない。
唇を離してただそれだけ囁けば、ウィンリィはむっと口を一文字に結ぶ。
「ずるい、わ」
何に対してずるいのか、自身もわけがわからないままウィンリィはエドワードを睨む。
勝負はついていた。エドワードの手の甲は、ウィンリィの手に押さえられている。
勝ったはずなのに。
「これじゃ、あたしが負けたみたいじゃない」
ウィンリィの言葉にエドワードは、はぁ? と首をかしげる。どういう意味だよ、と彼女の顔をよくよく見返せば、そこにはよく熟れた林檎よりもずっと赤い頬を膨らませた彼女がいる。エドワードは一瞬言葉を失う。
絞るようにきゅっと胸に落ちてくる形容詞はやっぱりただひとつで、それがあまりに彼女にぴったりで、だから負けていた。
どちらが勝って、どちらが負けたのか。
「どっちでもいいだろ、もう」
両手を握り締めたまま、エドワードはさらりと言った。
「ムキになるなよ」
両手を捉えられたままウィンリィが縮こまるように目を閉じるのを確認しながら、エドワードはもう一度、顔をかたむけた。