サンプル3
「ねぇねぇ、エド。あたし、変じゃない?」
その台詞何回目だよ、とエドワードはげんなりする。滞在先としてとっているホテルの一室で、ウィンリィは先ほどからずっと鏡の前に立っている。
「別に。フツーだよ、お前」
なるべくぶっきらぼうに言うと、その答えがお気に召さないのか、鏡の中から不満げに頬を膨らませた彼女が睨んでくる。が、エドワードは気にしなかった。エドワードの背丈と同じ位の高さの姿見の中には、黒いドレスを身に纏ったウィンリィがいる。髪をアップにし、薄く化粧をした彼女は、普段見慣れている機械鎧の整備師とは別人のようだ。エドワードは鏡の中に立つウィンリィの頭のてっぺんからつま先までをずいとなぞるように見た後、ふいと視線を逸らす。ずっと直視するのはなんだか気恥ずかしい。部屋の端に据えられたクイーンサイズのベッドに寝転がったエドワードは努めて意識を別のところへ向ける。
ウィンリィはリザから服を借りたのだった。急遽決まったパーティー行きのためだ。服の用意がねぇよと断ろうとしたエドワードだったが、ウィンリィはリザから、エドワードはロイから、衣装を借りる算段まで整えられてしまい、今に至る。
(くっそ)
心の中で悪態をつくのは、もちろん目の前の彼女が憎たらしいからというわけではない。エドワードの懸案事項はただひとつだ。
(大佐の奴にかつがれた気がするぜ)
昼間、大総統府で交わした言葉をひとつひとつ思い出してみる。目的だった結婚報告と銀時計の返上は達成できたが、なんだか釈然としない。特に銀時計については、ロイがごねるのではないかとエドワードは予想していたからだ。ロイは以前からエドワードに対して軍属にならないかと誘ってきており、再三断ってきたという経緯がある。しかし、今回のロイはあっさりと銀時計を受け取った。それがエドワードには拍子抜けだった。宿に戻って冷静に振り返ってみて、何か裏があるのではないかと考えたくなってくる。そして、もし裏があるとすれば、この招待状に他ならない。貰った招待状を指先でつまんで、エドワードは封筒をひっくり返す。
宛名はロイ・マスタングだ。招待主の名前はなかった。封書はもちろん最初から開封されており、中身はパーティー会場の場所を示した地図と、開催日時を記した紙切れが一枚のみ。どういった趣旨のパーティーなのかということは一切わからない。
なぁに気負うことはないさ、とロイは軽く笑っていた。昔馴染みの顔もそこそこあるだろうから、肩身の狭い思いをすることもあるまい、とも。
(なぁんっか、引っ掛かるんだよなぁ)
紙切れをぺらぺらと振っても何も出てはこない。わかっていてもエドワードの指は止まらなかった。懸念を払拭する何かがひとつでも落ちてきたりしないだろうか、などとあり得ない事を考えてしまう。
「ちょっと、エド」
「あ?」
名を呼ばれて、声がした方へ視線のみを動かす。九〇度に曲がった視界の真ん中で、ウィンリィが仁王立ちしていた。
「あたしの話、聞いてる?」
「何が?」
訊き返した途端、ウィンリィは呆れたように肩を落とす。
「やっぱり聞いてないし! さっきの話よ」
「さっきの話?」
なんだっけ? とエドワードは思考を巡らせる。彼女の言葉が唐突すぎて何の心当たりもない。そんなエドワードに、ウィンリィはもうひとつ溜息を落とした。諦めて、先ほど告げた言葉をもう一度繰り返す。
「眠れなかったの? 昨日」
「昨日? なんで?」
「さっき、マスタングさんの所で『夢見が悪かった』って。アンタ、なんだか疲れてるみたいだし」
ベッドに横たわってるエドワードの様子は、一見して普段と変わらない。もちろん、ロイから借りたスーツを着た彼が普段と同じとは言えないが、恰好だけではなく、なんとなく表情や雰囲気が物憂げに見えたのだ。
エドワードが銀時計を返した時、ウィンリィは緊張していた。エドワードもそうだったかはわからないが、部屋の中に流れた空気は穏やかなものとは言い難かった。それでも無事に銀時計の返上は終わり、彼はこうして呑気にベッドに寝転がっている。しかし、エドワードの表情に、安堵に類するものは微塵も感じられなかったのだ。
「ああ……夢ね」
不味いものを思い出してしまった、と言いたげに、エドワードの表情は一瞬暗く翳る。しかし、翳ったのは一瞬のみで、エドワードは瞬時に切り替えていた。
「なんでもねーよ、たいした内容じゃないし」
「なによそれ。気になるじゃない」
「気にすんな。用ってそれだけか?」
じゃ、邪魔すんな、とあしらわれそうになって、ウィンリィはぷぅっと頬を膨らませた。
「なによ、ケチ。―もういいわ、じゃ、ここ、閉じて」
ここ? エドワードが怪訝そうに小首を傾げると、そうよとウィンリィは大仰に頷き己の背中を示してみせる。
「背中。手が、届かない」
やれやれ、とエドワードは溜息をひとつ落として身体を起こす。彼女はくるくると話題を変える。なんともせわしない。
「―浮かれてンなぁ、お前」
呑気で羨ましいぜ、という部分は心の中で呟いて、エドワードはウィンリィの背後に立つ。彼女は相変わらず鏡の前にいた。鏡の中には、ウィンリィより頭半分ほど高い位置に、エドワードの顔が映る。
「う、浮かれてなんか、ないわよ……?」
鏡の中の彼女の顔がいびつに強張った表情を浮かべる。あまりにも分かりやすすぎる。嘘をつくのが苦手なやつだ、とエドワードは思わず吹き出す。
「な、なによぉ! なんで笑うの!?」
ほんのりと頬に朱を差した彼女が、不満げに頬を膨らませて背後を振り返る。
…ったく、可愛いやつ。―とは、口では言わず心の中だけに留めておいて、エドワードは「ほら前向けよ」とウィンリィの両頬を背後から両手で挟んで促す。ぷにっと両頬を寄せたせいで、ほんのりおちょぼ口になった彼女の顔が鏡に映る。一拍の間の後、彼女の不満げな声が落ちてきた。
「―今、アンタ、また笑ったわね」
「べっつにぃ」
「とぼけないで。ちゃんと鏡に映ってるんだから」
おちょぼ口がうるさくわめいている。機嫌が悪いせいだろうか、妙につっかかってくるなぁとエドワードは思案する。
「どうせ似合わないってバカにしてるんでしょ! えーそうね! あたしはどうせ年がら年中機械いじってばっかの田舎モノよ。こんなドレス、どうせ似合わないって……―」
はっきり言ったらどうなのよ! と言いかけたウィンリィの唇は、最後までは音を作らない。言い終わるよりも前に、エドワードに顎を捉えられている。そして、背後からぐいと顔を寄せた彼に、唇を奪われた。
「……ッ…!」
突然のことにウィンリィは全身を硬直させる。最初は触れるだけのキスだった。目を見開いてされるがままになっていると、ぱちりと彼が目を開く。
「―目ぇ閉じろよな」
唇をくっつけたまま、エドワードはぽそりと低く告げる。だって、と言いかけたウィンリィの唇をさらに蓋するように、ぬるりと舌を差し伸ばしてくる。
「んッ……!」
ウィンリィは思わず目を閉じる。唇をすぼめて拒絶しようとした。しかし許されない。生温かなそれは、ウィンリィの唇をこじあけ、容赦なく侵入してくる。その誘いには抗えなかった。知っている気持ちよさがそこにある。知ってしまっているからこそ、身体が応えずにはいられない。あっさりと陥落したウィンリィは、彼の舌を受け入れるように己の舌を絡める。互いに温かな吐息を混じ合わせながら、温かく濡れた舌をねっとりと舐め合った。ちゅ、ちゅ、と濡れ触れ合う音が、顔を寄せ合った二人の耳に大きく響く。
「な、に……急に」
ようやく唇を解放されて、ウィンリィは口元を手の甲で押さえながら困ったようにエドワードを見上げた。
「不意打ち、―ずるいわ」
みっともないくらいに心臓が高鳴っている。聞こえてしまいそうだ。それが悔しくて、ウィンリィは頬を紅く染めながらエドワードを軽く睨んだ。
「お前がうるさいからだろ」
だから塞いだだけだ、とエドワードは低く呟いた。
「塞ぐって、モノじゃないんだから……!」
「当たり前だろ。そうじゃねぇよ」
わかんねぇ奴だな、とエドワードは口を曲げてウィンリィを見下ろした。時の流れと共に、いつの間にか視線の位置は逆転してしまった。以前は同じ高さにあったはずなのに。
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「だからなぁ、その」
「だから、何よ?」
いちいち言わないとわからんのか、こいつ、とエドワードは呆れたようにウィンリィを一瞥する。しかし、答えを期待するような眼差しを真っ直ぐに寄越されて、エドワードは頭を抱えたくなってくる。
綺麗とか可愛いとか、シラフの時に言えるかっつーの! いや、シラフでなくても言える気がしねぇけど。……なんて心の中で葛藤した後、エドワードはやはり誤魔化すことを選択する。
「だから、まぁ、こういうことと言うか……」
「え」
再びウィンリィの身体は硬直する。背後からむんずと身体を抱きすくめられたのだ。
「え、ど……?」
「……」
エドワードは無言のままだ。羽交い絞めするように抱きしめた彼女の身体は華奢で、マシュマロ製の枕でも抱いたような感触と甘い匂いがする。その触感と匂いを満喫しながら、抱きすくめた腕をするりと移動させて、彼女の胸の膨らみに行きついた。
「あ」
動揺と快感をいっしょくたにしたような困惑気味の表情を浮かべて、ウィンリィは鏡越しにエドワードを見上げる。エドワードもまた鏡越しにウィンリィを見つめた。鏡に映る彼女の表情を確かめながら、黒のドレスの上からその胸の膨らみを両手で包む。すべらかなシルクに包まれた両胸の頂にゆっくりと指先を這わせた。布越しからでもわかるその突起物を弾くように指先で嬲ると、途端に鏡の中のウィンリィの顔が快楽に崩れる。
「あ……!」
シルクの衣擦れの音が低く響く。ふ、と詰めた息を、ウィンリィは震えるようにゆっくり吐いた。ふ、は、ふ、は、と呼吸を短く切る。されていることは触られているだけ。それでもこんなに感じてしまう。生身の指先で敏感な胸の頂を撫でるように上下に擦られる。彼の手から逃れようと身をよじったウィンリィは、目の前の鏡に両手をつく。切れるような呼吸を繰り返していると、エドワードが耳元に唇を寄せる。
「きもちい?」
「……」
彼女は頷かない。エドワードは容赦なく告げた。
「顔、みえてるぞ」
「……!」
動揺したようなウィンリィの表情が鏡に縫い止められる。硬直した彼女は真っ直ぐに鏡の中の己を見つめていた。羞恥を無理やり自覚させるのはたまらなく愉しい、とエドワードは心の中で笑う。彼女はそんなエドワードを意地悪だのなんだの言うが、仕方ないのだ。自分にこんな風に思わせているのは、ほかならぬ彼女自身なのだから。
「え、ど……だめ……」
「なんで?」
マシュマロのような柔らかな胸を掌の中で転がしながら、彼女の耳元に低く問う。
「せっか、く……着た、のに」
また直さなきゃならなくなる、と言うウィンリィに、エドワードは笑う。
「お前のせいだろ」
「なん、で」
「こういうの着られると、脱がせたくなるワケ」
「はぁ……!? いみ、わかんない……」
「わからなくていいよ別に」
要領を得ないエドワードの回答に、ウィンリィは憶測をせずにはいられない。
「それって、やっぱり、あたしが、似合わないって、こと……?」
だから脱がすっていうの? という答えに行きついて、ウィンリィはひとり泣きそうになる。そこまで言わなくてもいいじゃない! と。
「はぁ…!?」
唐突に落ちてきた彼女の勘違いに、今度はエドワードが声をあげる番だった。彼女は本気でそう思っているのだろうか。
「意味わかんねぇぞお前」
「だって」
「んなワケねぇだろ、逆だっつーに」
「え」
それってどういう意味? とさらに問おうとするウィンリィには答えず、もう黙れよと言いたげにエドワードは彼女の耳に唇を寄せる。吐息を混ぜながら、差し出した舌でぺろりと耳朶を舐める。
「……ッ!!」
やだ、とウィンリィは身をよじるが、やはりエドワードには敵わない。羽交い絞めされたまま胸の先端を嬲られ続ける。ただそれだけなのに、ウィンリィの身体は熱くなっていく。目の前の鏡に映る己の姿が、いやでも目に入ってくる。エドワードに両胸を弄ばれながら耳朶を蹂躙されている己のいやらしい姿を。
(やっべぇなぁ……)
ちゅぷちゅぷと耳を食みながら、エドワードは心の中で呟く。最初はからかうだけのつもりだったのだ。なのに、ちょっと弄ってみたら想像以上に彼女が可愛い。普段は見慣れない恰好をしているのが余計に拍車をかけているように思えた。このまま押し倒してしまいたい。押し倒してもいいんじゃないか。よし、押し倒すぞ、……ときっちり順番だてて思考して結論づけた矢先、部屋の電話がけたたましく鳴り響く。
「……」
はぁあ、と落ちた溜息は二つだった。
「なに? 残念だった? 先できなくて?」
からかうように言ってみたら、バカ!! という声とともに、どこからともなく出てきたスパナが飛んでくる。げ! と身を竦めるが時すでに遅しで、それは軽やかにエドワードの顔にヒットした。
いってぇなぁ、と言いつつ、エドワードはウィンリィの背中のファスナをきゅっとあげると、空気も読まずに鳴り響く電話の受話器を取る。
「下に迎えの車が来たってさ。行ける?」
訊いた先から、エドワードは無理だなと悟る。エドワードに悪戯されてしまったウィンリィの髪は若干崩れ気味で、せっかく着たドレスも肩紐がずれている。やれやれ、と肩を落としてエドワードは再び受話器をとった。少し遅れるから待っててくれ、と言うためだ。そして、ウィンリィには「しょーがねーなぁ、待っててやるから支度しろよ」と涼しい顔で言うと、「誰のせいだと思ってるのよ!」と怒号が返ってきた。
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