計算外だった。
目の前に広がるのはひっきりなしに雨が降り続ける夕方のリゼンブール村。
どんよりと鉛色の雲が村のずっと向こうまで重く垂れている。
たたきつけるように降り続ける雨脚が弱まる気配は微塵もない。
その雨音を切り裂くように時折響く雷。
そして、目と鼻の先には一瞬の雷光を弾く彼女の金髪。
隣町に前から欲しかった本がいいタイミングで入荷したと聞いて
出掛けようとした所をウィンリィに呼び止められた。
ウィンリィも、機械鎧の工材を買い足すとか言って、
ついでにと一緒に出掛けたのは良かったが、
買い物の間、始終調子は狂いっぱなし。
正直に言えば、彼女と出掛けることになって内心落ち着かなかった。
リゼンブールに戻っても、二人きりになれるというのは
めったになかったからだ。
だから、正直なところ、オレは浮かれていた。
しかし、用事は機械鎧の工材を買うだけと聞いていたはずなのに、
蓋を開けてみれば、行ってここまで帰ってくるのに半日はかかってる。
一人で行けば往復に一時間もかからない。
それだけなら別に気にすることは無い。むしろ、好都合だ。
だが、気に入らないのはその半日の中身。
ウィンリィはオレのことなどそっちのけで買い物に夢中だ。
なんでこんなに女の買い物は長いんだろうと呆れながらも、
やれ服だ、やれケーキだと、あちこちへ連れまわされて、
気がついたら彼女の歩く財布になっている自分に気づく。
オマケに、リゼンブールの駅から歩いて戻る途中に雨に降られる始末。
何もかもが計算外だ。
オレは横目で隣を伺う。
彼女はこちらを気にしていないようで、濡れそぼった髪を払い、
その腕の中の紙袋を気にしている。
その袋の中身を覗き込みながら、
「あーあ。ちょっと濡らしちゃったみたい…。」
と呟いている。
オレもつられて、自分が買ってきた本の安否を確かめてみたりする。
本はずぶ濡れ。…最悪だ。
往来から少し離れたところにある、雨をしのぐのによさそうな木の陰に二人して駆け込んだ。
息を切らしながら肩を上下させる彼女を横目で盗み見て、ぎくっとしてしまう。
思わず目を逸らしたが、どうしてもそこへ視線が泳いでしまう。
「何よ。何かついてる?」
不審そうに彼女が眉をひそめる。別に、と答えて慌てて目を逸らす。
一拍の間を置いて、ぺちんと額に彼女の手が当てられたのに気づいた。
その手の中には湿ったハンカチが一枚。
「風邪ひくわよ。ほら、ふきなさいよ。」
「い、いらねぇよ。こんなの、錬金術で……−」
驚くほどすぐ側に彼女がいて、オレは思わず身をひいてしまう。
しかし、彼女はこちらの気持ちを察してくれない。
「頭濡らしたままだと風邪ひくでしょ!ほら!」
そう言って、ハンカチを押し付けてくる。
額にあてられたそれはびっくりするほど冷たい。
しかしそれ以上にオレの気を散らすのは、
雨で濡れて透けてみえる、彼女の白い肌。
「言うこと聞きなさいよっこのバカ豆!」
「…ッ豆って言うな!!だいたいなぁ〜ッ、お前の買い物がバカみたいに長いからこんなことになったんだろ……ぅ…!?」
唐突に空を走る一瞬の光。
一拍遅れて鳴り響く轟音。
そして、か細いウィンリィの悲鳴。
………これは、まずいだろ。
オレの身体は硬直して動かない。動かしていいものか、迷った。
が、しがみついてきたその身体は、驚くほどに柔らかい。そして、ひどく冷たい。
そのあまりの心許なさに思わず肩を抱き寄せてしまう。
雨脚は弱まる気配を見せない。
途絶えることなく地を叩き続ける雨音だけが、辺りに響いている。
そして、目の前には雷光を蒼く弾くウィンリィの金髪がちらついている。
自分の掌が触れている服のすぐ下に、彼女の白い肩が見えるのを目で確認して、これはまずいと思った。
「ウ…ィンリィ……」
離れようとしたが、ウィンリィはオレの背中に手を回したままだ。
まずい。このままじゃ、ひじょーにまずい。
そのときだった。耳元で、彼女がかすかに囁く。
「ごめん…ね。」
「…あ…?」
オレはすぐ横にあるはずの彼女の顔を覗き込もうとした。
しかし、うつむいたまま、オレの肩に顔を埋める彼女の顔は見えない。
「うれしかったの」
「……」
「エドと、一緒に……」
一緒にいれて、うれしかったの。柄にもなく、浮かれてた。
ぽつりと彼女は言葉を落とした。
オレの身体の中で湧き上がるのは大きな高揚。
心臓がバカみたいに跳ね上がり、なんでこんなに熱いんだろうと不思議だった。
胸の真ん中が、焦がれるように熱を上げている。
あんなに冷たかった自分の身体が、彼女の身体が、こんなにも熱い。
「バカ、だな」
「!…バカって何よっ、あたしは本当に…!」
オレの言葉に、ぱっと顔を上げるウィンリィ。
そこを狙って、オレはひとつキスを落としてみる。
みるみるうちに頬を赤く染める彼女の反応が面白いので、雨粒が滑った跡が見えてしまいそうなほどに白く冷たい彼女の首筋に、さらにもうひとつ。
そしてそのまま、彼女の濡れた肩と髪に顔を埋める。
嬉しかったのは、オレも同じ。
浮かれてたのは、オレも同じ。
同じ気持ちを二人して共有していたことが嬉しくて。自分と同じように彼女も感じていたことが嬉しくて。そして、心地よくて……。
つないだ温度も同じように伝わるのだろうか。
「エド…?」
ウィンリィが、オレの顔を覗き込もうと身体をひく。
そんな彼女に自分の気持ちを伝えるのはやっぱりなんだか恥ずかしい。
だから、彼女には教えてあげない。この発見は、もうしばらくは、オレだけの秘密。
顔を埋めたまま、オレは代わりの言葉を探してみた。
ふと見上げれば、マゼンタに染まる薄雲がリゼンブールの夕暮れに遠くたなびいている。身体はまだ熱を帯びていて、冷める気配はない。そしていつの間にか、彼女の服はすっかり乾いていた。
「……ところで、いつまでこうしているつもりだ?」
「…え!?」
気づいた彼女が慌てて離れようとする。が、今度はオレが離さない。
慌てて不服の声を上げる彼女に、お返しだ、と言ってみせる。
怒ったように赤く膨らませた彼女の頬をぺちんと弾いてさらにもう一つ、
キスを落とす。
今度はほんの少しだけ、長い口づけ。
雨はすっかり上がり、辺りには夕立の後の蒸せるような暑さがたちこめている。
真っ直ぐロックベル家へ向かおうと歩を進めようとすれば、
不意に彼女の手がオレの手に触れる。
繋いだ手から伝わる温度は、ゆるゆるとオレを満たし、発熱する。
それは気恥ずかしくて、でも、ひどく心地よい。
つないだ温度も同じように伝わるのだろうか。
握られた手を、オレはゆっくりと、しかし、しっかりと握り返した。
目の前には、黄昏に沈むリゼンブールが長い一日の終わりを告げようとしている。
そして、オレと彼女の視線の先には、煌々と光をたたえながら家族の待つ家がある。
「帰るか。」
思わずほろりと零れた言葉。
それに対して、彼女はゆっくりと、しかし、しっかりと頷き返す。
そんな些細なことが、こんなにも嬉しい。
つないだ温度は、同じように伝わるのだろうか。
つないだ気持ちは、同じように伝わるのだろうか。
確かなことは、ただ一つ。
彼女の手から感じられる熱が、こんなにも熱くオレを溶かす、ということ。
(fin.)
2004.10.03
うまくまとめられませんでした…(特に最後。)
書きたいことはこんなにも胸の中に渦巻いているのにそれを形に出来ない悔しさ。…精進します。
続編⇒「熱、溶けて」…エドが風邪をひいてしまう話。もろに性描写ありますのでご注意下さい。(裏路地で見れます)