それは、たった二週間の出会いと別れだった。 何かの見間違いかと、その時エドワードは思った。朝靄がまだ幾らか残るドイツ・ベルリンの肌寒い月曜の朝。一日を始動させた街は徐々にその喧騒を大きくさせていく。緩やかな時間の移りの中で、エドワードは懐かしい蜂蜜色の髪に出会う。 「……?」 レンガ製の建物の合間を縫うようにして走る道路を、人や車や馬車が行き交う。まだ早朝の人影がまばらな歩道の真ん中に、金髪を揺らせた白い帽子の女が立ち止まっていた。 そこに、赤いポストがある。建物と建物の隙間に、忘れられたように立つ赤い郵便差出箱だった。白い帽子の女は、その前に立っていた。 つばの広い白い帽子に、揺れる金髪。ふわりと風を切るワンピースの裾。横顔は見えなかった。しかし、そのたたずまい、その纏っている空気。 エドワードは息を呑んだ。 (似てる) 心揺れるような確かな予感が足元から立ち上る。 いつもどこか探していた。気になっていた。こんな所にいるはずがないと分かっているのに、いつも目は「彼女」の面影を追っている。 白い帽子は軽く空を仰ぐそぶりを見せた。そして、一瞬の間があった後、蜂蜜色に揺れる髪はゆるやかに放物線を描く。エドワードは目を見開いた。声はあげずに、思わず走り寄っていた。 道の真ん中で、女がひとり、倒れた。 それが、出会いだった。 ■月曜日■ 「おい、大丈夫か?」 道の真ん中で、身体を投げ出すようにして倒れた女に、エドワードは駆け寄った。華奢な身体を抱き起こして、呼びかける。 「おい、しっかりしろ」 壊れた人形のようにカクンと枝垂れた首を慌てて腕で支える。朝陽を艶やかに弾くハニィブロンドがさらりと波をうって、青白い顔をした少女の顔が現れる。その顔を見て、エドワードは一瞬声を失った。 なんで。 倒れた彼女の顔をまじまじと見つめる。思わず、名前を呼びかけた唇だったが、音を作ることは出来なかった。違う。「彼女」のはずがない。だから、名前を呼んではいけない。 腕の中に頭を抱えあげて、おい、と呼びかける。 しかし、返事の代わりのように、女は唐突にひとつ呻いたあと、身体を折り曲げて突如激しく咳き込み始める。 「……っ…て、がみ」 「は?」 激しい咳の合間に、掠れた声が零れる。 「てがみを……」 見れば、倒れた彼女の右手には、白い封筒が握られている。あ、とエドワードは、彼女と彼女の虚ろな空色の瞳が見ている先にある赤いポストを見比べる。 「手紙を、出して……」 呟いた声が、自分に向けられていると悟ったエドワードは、彼女が握り締めているその白い封書を手にとる。ほっと、彼女の身体から力が抜けるのが分かった。 エドワードは力を失ったようにぐったりとした彼女の身体を道路に横たえると、望みどおりに、そのポストに手紙を差し込む。レンガ製の建物と建物の間に挟まれるように佇むそのポストの存在を、エドワードはその日初めて知った。それほどに、存在感の薄いその赤い郵便箱は、ひどく古びて、汚れている。 カタン、と落ちる音がして、手紙の投函は終わる。エドワードはくるりと振り向いた。震えながら上体を起こした彼女と、カチリと視線がかみ合う。 (……似てる) 女の表情は蒼く、どこか儚げだった。虚ろな色をした瞳が、何か遠くの別のものでも見ているかのように揺れる。 「え……ど……」 「は?」 名を呼ばれた気がした。しかし彼女の顔はさらに蒼白になり、畳み掛けるような激しい咳き込みが始まる。 「大丈夫か……」 口に手をあてて激しく咳き込む彼女の横に屈んで、エドワードは思わず彼女の華奢な背中をさすろうと手をあてる。 息が出来ているのかと不安になってくるような、立て続けの激しい咳だった。涙を滲ませたその少女の目は、リゼンブールの空にも似た透明色強い青。しかし、それは激しく苦痛に歪んでいる。 少女は口を手で押さえながらさらに大きくひとつ咳込んだかと思うと、ぜいぜいと肩で息をしながら、エドワードの腕から離れようとする。 「おい……」 けほ、と小さく咳をして、石畳の道に座り込んだ彼女は、口を押さえていた右手に虚ろな青の眼差しを落とした。誘われるように、エドワードもその視線の先を辿る。そして、ひやりと背筋が冷えた。 その手の中に、彼女の瞳とは対照的な色が落ちていたからだ。彼女は慌ててそれを隠そうと握り拳を作るが、遅かった。 「今、医者を……」 エドワードがそう言いかけた時だった。 「また君か」 背後から低い声が落ちる。え、とエドワードは振り向いた。傍で、彼女が身を硬くしたのを感じとった。 振り向いた先に、黒髪黒目の痩身の男が立っている。エドワードは見覚えのあるその男の顔に目を見開いた。 「すみません、……マスタングさん」 腕の中の彼女が弱々しく呟く。え、とエドワードは彼女とその男を交互に見比べた。 紺色の制服と帽子を被ったその男は、なんだ? とばかりに小首をかしげて、エドワードを見下ろした。 「私の顔に何かついているか?」 いや、と言うエドワードの声は掠れて、音にならなかった。石畳の通りに膝をついたまま見上げてくるエドワードに、その男は何やら不愉快そうに眉をひそめてみせた。 それが、出会いだった。 |