*アル→ウィン。シリアス。エドの機械鎧の手術をした辺りの話がベース。甘味はカケラもありません。
月の綺麗な夜だった。
窓際に、降り注ぐ月光から逃れるように、
うずくまって、闇に意識を沈める。
そうするしか、無かった。
気持ちを無にしたかった。
そうでなければ、今のこの現実を、受け入れられそうにない。
けれど、無にしようとしたところで
最初から自分にはもう何も無いのだと思い直す。
わざわざ無にする必要もない。最初から、もう、無い。
手術室の入り口より少し離れた廊下に、
アルフォンスはうずくまる。
兄の手術は予想以上に長引いた。
先ほどピナコが終わったことを告げにきたが、
アルフォンスは動けずにいる。
もう何度も、こうして夜を過ごした。
眠れない夜を数えながら、月が沈むのを待つのだ。
太陽が昇るのを焦がれながら。
『アル』
声が落ちる。
アルフォンスは顔をあげる。
「顔をあげる」という動作も、まだ実はおぼつかない。
とてつもなく狭い四角形の視界をぐるりと動かす。
さまようように視線を巡らせて、ようやく声の主を見てとる。
自分の体が、今までとは違っているという現実感が、
ゆるゆるとアルフォンスを襲いつつあった。
それに、どう向き合ったらいいか、わからない。
返事をしないでいると、もう一度、彼女が『アル』と呼ぶ。
今までにない狭い視界の真ん中に、
濡れたタオルと洗面器を抱えた幼馴染がたっている。
こちらを見る彼女の青い目はどこまでも暗く、
不安定に揺れている。
……どうしてそんな目で見るの。
怖くなってくる。
身体がおかしかった。
自分が自分であるのか、どこまでも確定が見えない黒い不安感が募る。
自分はどうやって物をみていた?
どうやってしゃべっていた?
どうやって笑っていた?
どうやって泣いていた?
…いつも、どんな顔を彼女に向けていた?
落ちる黒い不安が、鎧の体にひたひたに満ちていく。
空っぽの身体を何かで埋めたくて埋めたくて、
きりきり、痛い。
きりきり、悲鳴を上げてる。
何もおぼつかない、感覚の無い体が、悲鳴に苛む。
『アル』
ウィンリィがまた呼んだ。
うずくまったアルフォンスは身動きせずに、
ただ彼女を見上げる。
返事をするのが、怖かった。
不安定に揺れる青が見つめてくる。
そこに込められた感情を、読み取ろうとする。
…僕は、どう映ってる?
返事をしないままでいると、
ウィンリィは無言のままゆっくりと近づいてくる。
闇の落ちる廊下は、彼女の歩とともにぎしりとかしぐ。
アルフォンスは声も無く、
ただ近づいてくる彼女をみていた。
どう、反応したらいいのか、わからなかった。
彼女の足音はどんどん近づいてくる。
狭い視界が彼女でいっぱいになる。
それとともに、空っぽの体が何かに悲鳴をあげる。
空っぽを埋めたくて埋めたくて、
ひたひたに満ちていくのは、闇色の感情だ。
不安定に揺れるウィンリィの瞳にたたえられてる感情の名前が知りたくて、
それなのに、ゆらゆら揺れる青を掬い取れない。
その青の世界に、僕はどう映っているか。
『アル』
『……』
返事をしないのは、自信が無いからだ。
アルフォンスは押し黙ったまま、自分のすぐ前に立つ幼馴染を見上げる。
そこに揺れる青があった。
アルフォンスは待つ。
彼女が次に何をするのか、闇に押し潰されそうな自分を叱咤しながら、待つ。
ウィンリィは静かに言った。
なぞるように、唇はゆっくりと動く。
それを自分の中でゆっくりと咀嚼する。
空っぽの身体をひたひたに満たしていたものが何だったのか理解に至って、
ようやく声が出た。
『……泣いてるのは、ウィンリィの方じゃないか』
見上げた青から空がぽたぽた落ちてくる。
慈雨のようなそれに、空っぽの身体がひたひたに満ちていく。
ようやく、わかった。
――僕は泣いていたんだ。
『泣かないで』
彼女の言葉を返すように、声を出す。
慰めるように、そして、言い聞かせるように。
『……泣いてない』
ウィンリィは喉から絞り出すような声で小さく言い切った。
『あたしは、泣いてない』
――だから、泣かないで、アル。
ウィンリィは洗面器を抱えたまま、あいた手でごしごしと目をこする。
泣かないでと言いながら。
『兄さんは?』
なだめるように、声を出す。
顔をあげる。
泣かないで、と願うように、ねだるように、すがるように、
ウィンリィに手を伸べる。
笑ってあげられたらいいのに、それがかなわない無力さにくじけそうになる。
それでも彼女が泣かないでと言い続けるものだから、
泣いてないよとなだめる。
なだめることで、笑える気がした。笑えなくても、笑いたくて。
この現実を前にしても、
人であることを思い出したくて、信じたくて。
だから、泣かないでと言ってくれる目の前の幼馴染を泣かせたくなくて。
泣かせたくないから、信じたい。信じられる。
『エドだって……』
ウィンリィは何かを言いかける。
しかし、途中でその言葉はたち消える。
降りしきる雨がどうしようもなく愛しくて哀しい。
アルフォンスが伸ばした手に、ウィンリィが手を伸ばす。
歪に手を軋ませながら、手を握りあって、
ウィンリィはぐいっとアルフォンスを引っ張った。
鎧はがしゃりと金属音を軋ませながら立ち上がる。
『エド、今は寝てる』
少しだけなら、とウィンリィは腫らした目をそのままに、
手術室の入り口を示す。
しかし、アルフォンスは首を振った。
『やっぱ、いいや』
『アル?』
どうして、と問う彼女に、アルフォンスはゆっくりと言葉を返した。
『こんなみっともない顔で、兄さんに会えないや』
そう言ってくるりと踵を返すアルフォンスの背を、
泣き腫らした顔でウィンリィは見送った。
月の綺麗な夜だった。
「アル〜?」
声に、はっとする。
「なに?」
顔をあげて、言葉を返す。
表情は作れないから、声は明るく。
工具類を戸棚に背伸びしながら仕舞ったウィンリィは、
引き出しをパタンと締めると、
すぐ側に座って兄の機械鎧のメンテナンスの様子を眺めていた
アルフォンスの顔を覗き込む。
「どうかしたの?ぼーっとして」
なんでもないよ、とアルフォンスは笑う。
正確には、笑うような声で答える。
自分を覗き込もうとするウィンリィから視線を外して、
整備室の窓辺へと顔を逸らす。
「……月がね、綺麗だなぁって」
ウィンリィは凝った肩をたたくように腕を回しながら、
ああ、と窓辺に視線をうつす。
漆黒の闇に染まったリゼンブールの空に、
ぽっかりと浮かぶ白い月が丸く輝きを放ちながら
南の空へと昇っている。
「ホント。…綺麗」
ウィンリィとアルフォンスのやり取りの横で、
エドワードは肩を回しながらシャツを羽織る。
「…ったく」
ぞんざいにため息をつくエドワードを
ウィンリィは見逃さない。
「何よ」
なんか文句ある?と、窓の月から視線を外したウィンリィは
眉を吊り上げながらエドワードに向かう。
もう既に喧嘩腰だ。
「ちゃんと間に合わせたんだから感謝しなさいよ」
「へーへー」
二人のやり取りを、アルフォンスはぼんやりと眺める。
くるくるとよく動くウィンリィの表情に、
あの月の綺麗な夜に見せた涙の面影はどこにも無い。
…無くて、いい。
しかしだな、と
アルフォンスを尻目に、その兄は肩をすくめながら
ウィンリィをちらりと見る。
「来るたびに怒鳴ってスパナはマジ勘弁……」
むっとウィンリィは唇を尖らせる。
「それはアンタが悪いんでしょ、あたしの機械鎧を…」
既に兄につっかかり気味なウィンリィを見ながら、
やれやれ、と思いつつもアルフォンスは内心笑みを禁じえない。
…不安だった。
自分が彼女にどう映ってるのか。
なのに、あっさりと彼女は自分に答えをくれたんだ。
だから。
言い合いを始めた二人に、
はいはい、そこまで、とアルフォンスは手をたたく。
「兄さんが悪いんだろ。ウィンリィの言った通りに
手入れなんかした試しないんだから」
「…お前までこいつと同じこと言うか!」
「…聞き捨てならないことを聞いたわ!」
余計に酷い事態になりそうだ、とアルフォンスは首をすくめた。
兄に掴みかかろうとする彼女は本当に元気で、
あの夜の翳りはどこにもない。
…そのままでいて欲しいんだ。
あっさりと自分に答えをくれた彼女だからこそ。
あーでもね、と
言い合いを続行しようとする二人に向かって
アルフォンスはなんでもない、という風に言った。
「僕も。たまには怒鳴るウィンリィじゃないほうがいいな」
…笑ってるところが好きだから。
さらりと言ってみせた。
「な……っ!」
…に、言ってんの!?お前、と口をぱくぱくしてるのは
ウィンリィではなく、エドワードのほうだ。
そんなエドワードを尻目に、
アルフォンスはちらりとウィンリィを見る。
きょとん、と丸く見開かれた彼女の目は、どこまでも澄んでいる空色だ。雨雲の翳りひとつない、澄み渡った青。
「あたしも」
ウィンリィはゆっくりと言った。
少しばかりはにかみながら、彼女は笑う。
笑いながら、あっさりと、答えをくれるんだ。
…一番欲しいものを。確信を。
それは、ここに在るという証。
「あたしも、好きだよ。…アルの笑ったとこ」
ほらね。
ありがと、とアルフォンスは笑う。
笑えない身体でも、彼女が笑ってくれるから、
だから笑うことが出来る。
だからね、証明をくれる君が好きなんだ。
好きにならずにいられるわけがないんだ。
あの夜に、
眠れない夜の闇の奥底に沈みそうになった僕を立ち上がらせてくれた君を。
今はまだ、何も言えないけれど。
アルフォンスは、窓辺の月に再度視線を向けた。
そう。
月の綺麗な夜だった。
(fin.)
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2005.10.05
この後のエドが気になるよ…(エドウィンも好きだからv)
アル→ウィンは初めて書きました。
明るい話はやっぱり思いつかなかったのでドのつくシリアス。
同盟入会記念?(笑)
――――「月の綺麗な夜だった。」