「雨があがるまで」



*アニメ後話。劇場版を見る前に書いたものです。ロイ→ウィン→エド。
CP要素は少し低め。シリアス。







雨が降っている。
窓辺に腰かけていたその少女は、ゆっくりと唇を開いた。
「救われたいですか?」と。
高くも低くも無いその声が、静かに部屋に落ちる。
それ以外に響き渡るのは、窓の外で走るように打つ雨の重低音だけだ。


どんな声をかければよいか、ロイには分からなかった。
数年前のことだ。
エルリック兄弟の情報とともにあった、リゼンブールという文字。
小さい娘がいるんですよ、と笑ったあの医者の顔がちらついた。
そして話に聞いていたその少女とこうして面を会わせても、掛けてやる言葉が無かった。
どんな言葉を掛ければいいのだ。
親を殺したのは自分だと名乗ればいいのか。
それをして、その次はどうなる?
何度と無く己を苛む慟哭に、耐えられなかった。
大総統になる。全ての罪を贖いたいがために決意した。
それを支えた親友を失って、
目標は変わってしまった。
片方の目を失ったのは、きっとその罰だ。
罪を償うためにせめて権力を欲して心を殺してきたはずなのに、
自分は最後は親友を選んだ。復讐を選んだ。

窓辺に腰掛けて、自分をまっすぐに見つめてくるその少女に、
だから掛けてやる言葉はないし、掛ける資格も無い。


鋼の錬金術師失踪の報を聞いたとき、真っ先に目の前の彼女のことを思い出した。
何をするわけでもない、だが、行かねば、と思った。
リゼンブールへ。彼らの娘のところへ。


「帰ってください」
応対に出た彼女は、やはり頑なだった。
顔をこわばらせて、目を合わせようともしない。
間の悪いことに、家には彼女一人だった。
玄関先で目を合わせようとしない彼女を見て、
自分の力の無さに途方にくれた。
やはり自分には無理なのだと、
ロイは踵を返そうとした。
外は土砂降りだった。
自分にはお似合いだな、と自嘲的に思ったとき、
背中に「待って」という声を聞いた。

「雨が、上がるまでなら…」

やはり目を合わせようとしない彼女が、
小さくそう言って、
ロイは、部屋へと通された。
内心、ロイは途方にくれていた。
どうせ、拒絶されるとそう思っていたからだ。
そう過信していたから、だから、こういう場合はどうするか、
何も考えていなかった。
テーブルの上に運ばれてきたコーヒーの湯気を睨むように見つめながら、
自分の狡さをロイは自嘲的に思う。
彼女に拒絶された時に自分に対してする言い訳しか、自分は考えていなかった。
向かい合うようにテーブルについたウィンリィは、
砂糖をひとさじ入れて、ティースプーンでコーヒーをかき混ぜている。

雨の音だけが響く部屋の中で、
二人の会話は続かない。
ぽつぽつと途切れるように言葉が宙を浮いた。

「何のためにここに来たんですか」
とりとめもない会話が続いた後に、
本題に入ろうとばかりに話を振ったのは彼女のほうだった。
話に疲れたのか、
それとも真正面に向かい合って座るのが苦痛だったのか、
コーヒーを持ったまま、彼女は窓辺に座る。
問うた言葉はひどく静かだったが、
やはり彼女の目は自分に向けられることは無い。
それに落胆を覚えながら、ロイは言葉を探した。

目的は無かった。
エドワードがいなくなったと聞いて、いてもたってもいられなかったからだ。
しかし、すぐにここに来ることは叶わなかった。
戦闘で負傷した体が、ここに来ることを許さなかった。

「エドなら…いませんよ。知っているとは思いますけど」
彼女は頑なにロイのほうを見ようとはせずに言葉を継いだ。
視線は窓の外のほうをひたすら向いている。
彼女の手の中のマグカップから、淡い湯気が踊るのを
ロイは力なく見つめた。

「エドも、アルもいません。
アルは錬金術の勉強中ですし。
…エドからは、何の連絡も。…だから」
だから、ここに来ても無駄です、と彼女は小さく言った。

「そういう、用では、ない」
口の中がカラカラに乾くのを覚えながら、
ロイは言葉を切るように発した。
すると、初めて、彼女は自分の方を向いた。
心底不思議そうな表情を浮かべながら、
まっすぐに自分を見つめてくる。
「……じゃあ、なんですか?」

チャンスだ、と思った。
これを機会に償いの言葉を並べればいい。
かつての戦闘で、医者を殺した罪を、今ここで償いたい。
せめて、贖罪の機会をくれ、と言いたい。

しかし、ロイは口に出来なかった。

代わりに出た言葉は、別のものだった。

「君の様子が、気になったから」

それは、嘘ではなかった。しかし、本当でも無かった。
彼女のまっすぐな視線を受けて、ようやく自分が自分のことしか考えていなかったことを
ロイは悟った。
自分は自分の行為を棚にあげて、
ただ許されることだけを願っている。
そんな気がした。


あたしの様子?とウィンリィはおかしなことを聞いた、とばかりに
諦めたような力の無い笑みを浮かべた。

「……あたしは、大丈夫ですよ。
あなたなんかに心配してもらわなくても。」

それは嘘だ、とロイは分かっていた。
この少女が、失踪したあの少年のことを想っているのは知っていたからだ。

そうね、とウィンリィはいい機会だとばかりに口を開いた。

「…あなたがこの村に来なければ、
エドだって国家錬金術師なんかになろうとは思わなかったかもしれない。
そしたら、こんなことにはならなかった…。」
ロイは身構える。
そう、これはある意味、事実を言い表しているからだ。
「そしたら、あの二人も錬金術のことなんか忘れて、
ずっとこの村にいたかもしれない」
ウィンリィの言葉に、段々と刺々しいものが含まれるのを
ロイは身構えながら聞いていた。
「…あなたが、…あなたのせいで」
睨むように自分を見る青い双眸を、ロイは受け止める。

…あなたが、あたしから何もかも奪ったのよ。
お父さんもお母さんも、幼馴染も、好きな人も。

低く震えるように、彼女はそう言った。

ロイは目を閉じた。
聞き入れようと思った。
身体を走る震えに、止まれと命じたが、無理だった。
そこに、自分の罪がある。

「………なんて、なじられたかった?」

はたと目を開けると、
力ない表情で、こちらを見る少女がいる。
そこに、怒りや哀しみと言った感情の覇気は無い。

なじらないわよ、と彼女は言った。
「あたしは、そこまで優しくなんかないわ」


不意に、ロイの脳裏に、かつてイシュヴァールで交わした言葉がよみがえる。
いじっぱりで譲らないのは、あたしにそっくりなんですよ、と
笑顔を浮かべながら血塗れた腕に包帯をあててくれた、ロックベル夫人の声が。

椅子を蹴倒すようにして、ロイは立ち上がった。
突然のことに、ウィンリィはぎょっと身体をこわばらせる。
「な、に…」
物も言わずに近づいてくるロイに、ウィンリィは唐突に恐怖を覚えた。
悪い人ではない。それは知っている。
だけれど、このひとは両親を殺した人だ。
軍人は嫌い。かつて、このひとの部下にそう言ったことがある。
その気持ちは、両親を殺したこの人が悪い人ではないと知ってからも変わらない。
そう簡単に、気持ちが変わるわけが無いのだから。

「…や…」
本能的に、ウィンリィの身体は逃げようと引いた。
しかし、窓辺に座っていた彼女は、近づいてくるロイを前にして、
動くことが出来なかった。
不意に手が伸びてきて、
ウィンリィは思わず肩をすくめながら目を硬く閉じる。

怖かった。
ただひたすらに、この軍人が怖かった。

しかし、目を閉じていても何も起こる気配が無いので、
ウィンリィはゆっくりと目を開けた。
見れば、窓辺に腰掛けた自分のすぐそばに、
ロイが膝をつくようにして、自分を下から見上げている。

「待ってるのか、あいつを」
ウィンリィはわずかに目を見開いた。
ロイは視線を窓の外に移す。
少しばかり緩やかになりつつある雨が打つのは、
リゼンブールの小道だ。
あの道をまっすぐにたどれば、駅につく。
ロイもまた、その道を歩いてここまで来た。

ウィンリィは静かにうなずいた。
「待ってる。……なのに、あいつが来ない。
来たのは…」
ウィンリィは切なそうに目を潤ませた。
「来たのは、エドじゃなくて、あなただった」

窓の外をいつも見ている。
いつも待っている。
もしかしたら、ふらりと帰って来るんじゃないかって。
でも、見えたのは、見慣れた赤いコートではなくて、
見るのが怖かった群青の服に黒いコートだった。
それが、まっすぐに自分の所へやってきたのだ。

代わりになろうか、とロイはふと口をついて出た。
酷いことを言っている、とは分かっていた。
親を殺した自分が、どの面下げて言う言葉なのか、と。

無理よ、とウィンリィは首を振った。
「あなたは、エドじゃない。」
あたしが好きなのは、あいつなの。
そう言った彼女の瞳がひときわ大きく揺れて、
はらりと伝うように涙が落ちた。
落ちた雫を見て、
ロイは身体が動いていた。

「……っ…離し……て…っ!」
腕の中で彼女がもがく。
しかし、構わずに押し込むようにして抱きしめる。
「い、や……!」
こんなのいや、とウィンリィは混乱する思考に途方にくれながら
必死で身体を離そうともがいた。
しかし、相手の力は予想以上に強い。

壊れるくらいに抱きしめてくれるのは、エドだけだと思っていたのに。

途方に暮れながら、ウィンリィは徐々に力を失う自分の四肢を叱咤する。
ここで抵抗を見せなかったら、裏切りだ。
あいつに対する、諦めと、裏切り。

不意に、ウィンリィが抵抗を見せなくなり、
ロイはどうしたのだと不安になる。
目の前の彼女はどうも思考や行動が読めない。
読めないから、困る。
計算が通用しない。


疲れた。

ウィンリィがポツリと呟くのを、ロイは確かに聞いた。

「待つのも、期待するのも、
許すのも、許さないのも、全部…もう、疲れた」
抵抗を見せていた彼女の腕が、力を失ったようにだらりと垂れる。

わずかに身体を離したロイを見上げるように青い目が揺れていた。

「許されたいですか?」
珊瑚のような色をした小さな唇が、震えるように開く。
「救われたいですか?」

強いまなざしが、ロイを射るように見ていた。
腕の中にいるこの少女が、まだ十代の女の子なのだとロイは信じられなかった。
本当は芯の強い、女がそこにいる。

「痛いですか?」
不意に手が伸びてきて、ロイの顔に触れてくる。
失った目のことを言っているのだ、とロイは気づく。

そろりと彼女の顎に指を添えながら、
ロイは、「ああ」と答える。
「…痛い。」
あたしもです、と声が落ちる。

「痛くて。…待っている、って約束なんかしていなかったのに、
それでも待っている。…してもいない約束を律儀に守ることが痛い」

そういいながら、彼女は目を閉じた。
ロイはそろりと唇を寄せる。
彼女が求めているなら、代わりでも構わない。
なんでもする。それで許されるとは思っていないけれども。

しかし、もう少しで唇と唇が触れようとしたそのとき、
閉じていた彼女の目がハタと開いた。
「……雨」
「え?」

ウィンリィはロイを押しやるようにして、身体を離す。
そして窓の外に目をやる。
「雨が、やみました」

ふと見れば、あれほど激しかった雨足はいつの間にか遠のいている。
かすれるように、彼女は言い渡した。
「帰って、ください」

やはり、最後は拒絶なのだ。
与えられたその言葉に、ロイは落胆の色を隠せない。

そう、彼女は言ったはずだ。
雨が上がるまで、と。
雨が上がったら、もう自分はここに居ていい理由が無い。

ロックベルの家から出ようと、玄関先でドアノブに手をかけたときだった。
「待って」
もう一度、呼び止められた。
振り返ると、震えるように両の腕が伸ばされてきた。
「かがんで」
何を…?とロイがいわれるがままに上体をかがませると、
ふわりと、ウィンリィの両の腕が首にしがみついてくる。

「痛いのは知っています」
小さく声が落ちてきた。
「でも、許せないんです。…まだ、許せない私を、許して…?」
ふわりと唇が寄せられる。
それは、失った目を覆う眼帯に、落ちるように施された。

身体をおしのけるように押されて、
目の前でパタンと扉は閉まった。
ロイは玄関先で呆然と立ち尽くし、もう見えることのない自分の目に手をあてる。
切ないことに、その唇の感覚は、分からない。

罰だ、と思った。
まだ許せない、と言う彼女。
それは期待していいということなのか。
そう思いいたってから、恥を知れ、とロイは自分をののしった。
期待することさえ、罪深い。
自分は許されていない。許しを請う資格さえないのだから。
雨が上がって、よかった、と
ロイは空を見上げた。
雨が上がらなければ、また過ちを重ねていた。
唇を、重ねていた。
彼女を、汚していた。

せりあがる期待と、相反するような落胆が、
背中合わせにロイをかき乱す。
雨が上がって、よかったと思う。しかし、同時に、惜しかったとも。

「鋼の。…どこに居るんだ」
自分が埋められない彼女の慟哭を埋められるのは、
あの錬金術師しかいないのだ、と己の無力さをロイはかみ締めた。
己の力の無さが歯がゆい。
与えられたけれども知ることは出来なかった彼女の唇の感覚を切なく指先でなぞりながら、
ロイは踵を返した。
来た道をたどるようにして、今度は駅へと向かう。

そんなロイを、窓辺から見守るのは、ウィンリィだ。

…雨があがって、本当によかった。
あのまま、弱さに負けて、裏切るところだった。それをしなかった自分をほめたい。
だけど、とウィンリィは、小さくなっていく黒いコートを見つめた。

痛いのは、あのひとだって同じなのだ。
あのひとは奪ったひとなのに、憎みきれない自分が悔しい。
許したいけれど、許せない。

エド、とウィンリィは小さく呟いた。
しかし、唇は音を作らずに空を切る。

帰ってきて。
でないと、迷ってしまう。
弱さに負けて、迷ってしまう。受け入れてしまう。

ウィンリィは、視界から黒いコートを遮断するように目を閉じる。
あそこからやってくるのが、
今度こそ彼でありますように、と祈りながら。
しかし、目を開けても、そこに、見慣れた赤いコートは何度確かめたって見えない。

…もう、何度だって味わった。
それなのに、どうしてあたしは待っているのだろう。
わざわざやってきた、あのひとの手を払いのけてまで。

そう思いながら、
ウィンリィはわずかに息をつき、
そして、何かを断ち切るように、
窓のカーテンを静かにひいた。




(fin.)




*********************
2005.3.7 初書き。
2005.7.10 ウィンリィ応援祭さんへ投稿。
2005.10.8 若干修正済みアップ。

劇場版を見るずっと前に書いたものです。企画サイトさんへ投稿させて頂きました。ウィンリィの両親の設定は、まだなんの解決もしてないと思うんですが…劇場版でロイとウィンリィが電話で会話してるのを見たときはビックリしました。




――――「雨があがるまで」


template : A Moveable Feast

-Powered by HTML DWARF-