そんな約束なんて忘れていた。あてにしていなかった。
言った後で、冗談だから、て慌てて言い直したんだから。
いらない、て言ったら、あっそ、と気のない返事が返ってきて、
それでお話は終わりだった。
だから、彼が帰ってきたときにはびっくりした。
けれども、唐突に帰ってくるなり彼が投げてよこした言葉は、
「おやすみ!」だった。
「忙しいひと」
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なんなのよ、とウィンリィは少しばかり腹を立てながら
作業台の上を片付けていた。
部屋の時計は十二時を回ったところだ。
バタバタといつものように唐突に帰ってきた彼は、
「悪いけど、寝る」と言って
空いている部屋のベッドへ直行した。
帰ってきた理由も特に告げられなかった。
わけが分からなくて、ついさっき、こっそりと部屋をのぞいたら、
まだ夜の八時過ぎだったというのに
エドワードはベッドに倒れるようにしてぐっすりと眠りについている。
なんなのよ、とベッド脇に立ってぽつんと呟いたら、
しぃっと潜めた声が響く。
「ごめんね、ウィンリィ。兄さん、今日寝てないんだ」
背後から届く申し訳なさそうな声はアルフォンスのものだ。
ウィンリィはなんなのよ、と内心納得いかなかったが、
寝ていない、と聞いてから、少しばかり思い直す。
ため息をひとつついて、
うつぶせるようにして無防備に寝入っているエドワードをちらりと見る。
「……ホント、意味わかんない」
ぽつんと言い捨てて、ウィンリィは部屋を出る。
ぱっと見た感じでは、特に機械鎧が不調というわけではなさそうだ。
……じゃあ、なんで?
アルフォンスに続いて、部屋から出たウィンリィは、
後ろ手に部屋の扉を閉めながら、
ふっと落ちる小さな動揺に不安を隠せない。
…理由がない。理由が分からない。
「ウィンリィ?どうかした?」
浮かない表情をみせたまま、
自分の足元を睨むようにしてドアの前に立つウィンリィに、
アルフォンスは首をかしげる。
その問いに対して、ウィンリィは問い返した。
「……あんた達、なんかあったの?」
ウィンリィの言葉にアルフォンスは鎧の頭をかしげる。
「…どうして?」
「…急に、帰ってくるから」
それなんだけど、とアルフォンスは困ったように言葉を継いだ。
「僕も分からないんだよね。兄さんが急に帰るって言い出したから」
ウィンリィはわずかに眉をひそめた。
アルフォンスが分からないのなら、なおさら自分に分かるはずがない。
「そう。…ありがとう」
幼馴染の浮かない表情に、アルフォンスはまた首をかしげた。
そうして数時間の時が過ぎて、
ウィンリィはいつものように仕事を終えようとしている。
あんまりはかどらなかったな、とウィンリィはため息をついた。
なんだか気が散って仕方が無かったのだ。
いつもどおりでないと、一抹の不安がぽつんと心に落ちてくる。
染みのように落ちたそれは、拭っても拭っても消えてくれない。
自分がどうしてこんなに不安に駆られてしまうのか、
理由を考えていて行き当たった答えに、ウィンリィは自嘲を浮かべた。
…ホント、どうしようもない、と。
そう思い至ったとき、不意に作業部屋の扉が開いた気配を覚える。
思わず期待に撥ねたのは心臓だ。
しかし、振り向いた先に居たのは、アルフォンスひとりだ。
ごめんね、とアルフォンスは自分のことのように申し訳なさげに謝る。
エドは?と聞くと、ずっと寝てる、と返ってくる。
そう、と呟いて、アルが謝る必要は無いよ、とウィンリィは付け加えた。
「寝てないって、何やってるのよ、あんた達」
これみよがしにため息をつきながら、ウィンリィは手を動かす。
部屋の中には、カチャカチャという金属音が響いていた。
「僕も寝て欲しかったんだけど、今日中にどうしてもリゼンブールに行くって
急に兄さんが言い出して…」
査定や任務のレポートを行きの列車で片付けてたよ、
とアルフォンスは首をかしげながら言葉を続ける。
「で、明日の朝いちで司令部に戻るんだって」
え、と驚いたウィンリィは手を止める。
思わずアルフォンスを凝視した。
「明日帰るの…?」
ますます意味が分からないわ、とウィンリィは眉をひそめた。
僕も分からないんだ、とアルフォンスは困った風な口調で返した。
…やっぱり意味不明だわ。
ウィンリィは、口を一文字に結んで、
がちゃんととびきり大きな物音を立てながら片づけを再開する。
帰ってくるのは嬉しい。
乱暴に叩かれたノックの先にあいつをみた時には
自分でもびっくりする位に心臓が踊り撥ねた。
でもあいつは目をそらしたまんま、こっちの顔は一つも見ずに
「寝る!」ときた。
あたしだって忙しい。
あいつが色々と抱えているのは知っているけれども、
あたしにも日常がある。
理由の分からない帰郷は嬉しい反面、複雑だ。
気が付いたら考え込んでいる自分を自覚して、
ウィンリィはため息をひとつ、ついた。
…あいつの行動ひとつひとつにいちいち一喜一憂していたら身がもたない。
そう考えていたら、ウィンリィはどんどん腹が立ってきた。
かき乱されて、振り回されている。
そう気づいたのだ。
アルフォンスは、怒気の混じった雰囲気を発し始めたウィンリィに
おろおろとしながら言葉を継いだ。
「僕、最初は、“ほわいとでー”のせいなのかと思ってたんだけど」
「え」
再び、ウィンリィの作業する手が止まる。
アルフォンスは構わずに言葉を続けた。
兄の行動の跡をとりなすのは自分の役目だ、といわんばかりに、
ひとまず目の前の幼馴染の疑問と怒りを解こうと言葉を巡らせる。
「ほら、ウィンリィがこの前、言っていたじゃない」
アルフォンスは一ヶ月ほど前のことを思い出す。
アルは食べられるようになったらチョコレートをあげるね、と言ったウィンリィが、
一ヶ月後の行事について教えてくれたのだ。
その後、兄は「すげぇ不味かった」という、
今のウィンリィにはとても聞かせられない感想を、
その言葉とは裏腹の満面の笑顔を見せながら、アルフォンスに披露していたのだ。
身体があったとしても、
お前にはとてもじゃないけど、食わせられねぇよ、と。
「でも、何かお返しを買ってる様子が無かったんだよね」
買おうとして何度も兄が悩んでいる風を見せていたのはアルフォンスは気づいていたが、
結局、何も買わなかったんだよねぇ、と
アルフォンスは言ってから、ハタとウィンリィを見てぎょっとした。
「う、ウィンリィ……?」
アルフォンスは慌てた。自分は何かとてつもなく不味いことを言ったのか、と。
ウィンリィの顔が、どこか悪いのではないかという位に真っ赤だったからだ。
アルフォンスはおろおろと、さらに言葉を付け加えたが、
それはウィンリィの顔をさらに赤くするという効果をもたらしてしまった。
「何か買わないの、って聞いたら、
やっぱり買う必要無いんだ、だって………」
ウィンリィは目を泳がせながら、
かろうじて、なんでもない……と声を出した。
蚊の鳴くような声だ。
アルフォンスはますます慌てふためく。
「ウィンリィ、休んだほうがよくない?」
ウィンリィだって、兄のことを言えたものではない。
機械鎧にかけるウィンリィの職人気質なところを、
アルフォンスはよく理解していた。
そうね、というウィンリィの声は、やはり小さかった。
きぃっと扉のかしぐ音が部屋に響く。
息を殺しながら入ったその部屋は、しかし自分の部屋ではないことを
ウィンリィはよく承知している。
普段はあいているはずのベッドに彼はいる。
そろりと近づいて、やはり彼が寝ていることを確認して、
今度はウィンリィはほっと安堵した。
アルフォンスとの会話で、一ヶ月前のことをようやく思い出したからだ。
きし、とベッドがわずかに軋む。
ウィンリィはエドワードが横たわるベッドの脇に、
浅く腰掛けた。
電気を消した部屋の中で息を殺してみると、
単調に響くのは彼の寝息だけだ。
「……それだけのために、帰ってきたってわけ?」
ぽつんと声を落としてみた。しかし、返答は無い。
期待なんかしていなかったし、あれは有効な話ではなかったはずだ。
言った自分が、言った直後に自分で取り下げたから。
一ヶ月前。一ヶ月後のことを知ったエドワードは
ふと「何が欲しい?」と聞いてきた。
やっぱりいらない、と言ったら、あっそ、と返ってきた。
話はそこで途切れて、その後にその話が出ることはないまま時間は過ぎて、
ウィンリィはすっかりそんな会話のことなど忘れてしまっていた。
だから、嬉しかったのだ。
自分がおかしくて、呆れてしまって、ウィンリィは苦笑いをこぼしてしまう。
…ホントに、忙しい。
ドキドキして、不安になって、怒って、びっくりして、呆れて、笑って。
めまぐるしいほどの感情の流れは、すべて彼のせいだ、と、
ウィンリィはねめつけるように「馬鹿」と小さくつぶやく。
「誰が馬鹿だ」
ぎょっとウィンリィは身体を硬直させる。
闇の中で手が伸びてきて、それは力強くウィンリィを抱き寄せた。
倒れ込むようにして、彼の胸に手をつくと、
彼の片方の手が頬に伸びてくる。
つい、とひと撫でするようにして彼の指先を頬に感じて、
それと同時に、ついばむような唇が施される。
息を吐くようにして、唇を離すと、
エドワードの声がぽつんと落ちる。
「あんまり眠くて、危うく本来の目的を忘れるとこだったぜ」
「エ、ド………あっ」
ウィンリィは思わず身体を離そうと身をよじったが、
それよりも先にエドワードのほうが早かった。
エドワードは手際よくウィンリィの作業着の前をするりと割る。
暗闇なのにも関わらずに慣れた手つきで、
ウィンリィはどこで覚えてくるのかと複雑な気持ちになる。
そんなウィンリィなどお構いなしに、
エドワードは彼女の首筋にも唇を寄せた。
「あ」
ちくりと刺さるような痛みに、ウィンリィは思わず声を出す。
「…で?あとはどこだ?」
「…………も、いい」
ウィンリィの言葉に対して、エドワードは遠慮すんな、と返す。
その声はとてつもなく楽しげな調子を含んでいる。
「せっかく来たんだ。いくらでもしてやるよ、これくらい」
そう言いながら、またウィンリィの唇にキスをする。
「…あ…」
ウィンリィは思わず目を閉じる。
エドワードの唇はウィンリィの額に触れてから、
するりと耳へと移る。
耳元をくすぐるようにかかる吐息に思わずウィンリィは身をよじった。
「も、やめて」
じゅうぶんだから、とウィンリィは逃れようとする。
「査定にレポート。それにクソ大佐の野暮用ひとつ。
…睡眠削ってここまで来たんだ。お前は十分でもオレが足りねぇよ」
だいたいなぁ、とエドワードはウィンリィの服を脱がせながら言葉を続ける。
「お前がハッキリしないからこんなことなるんだよ」
さんざん迷ったんだからな!と、わずかに強い口調をみせた彼だが、
それでも、その言葉はどこまでも楽しくて仕方ないという風を帯びている。
「結局何も買わず終い。代わりにわざわざ来たってわけ。
…でも、お前にしてみれば最初のお願いが叶ったわけだから問題は無いだろうし?」
自分の身体の上にウィンリィをのせて、
唇を寄せながらエドワードは彼女の身体をまさぐる。
「エ、ド……っ」
やだ、とウィンリィは身体をねじる。
しかし、たくしあげた布地から零れる彼女の胸にエドワードは容赦無く
口づける。
鼻先で揺れる桜桃を舌先でちろりと嬲りながら、
エドワードの手はウィンリィの下腹部へとのばされていく。
……が、その手は不意にぱたりと力を失ってしまう。
「……エド?」
自分を戒めていた彼の腕が急速に緩んでいくのを感じて、
ウィンリィは思わずしがみついていたエドワードの顔をのぞき込もうとする。
わりぃ、と小さくエドワードの声が落ちてくる。
「やっぱ、……眠い」
わりぃ…とエドワードはもう一度言う。
程なくしてまた立ち始める規則的な寝息を、
ウィンリィは静かに聞いていた。
半端に乱された衣服を直しながら、ウィンリィはエドワードの顔をのぞき込む。
夜の闇にまぎれて、彼の顔は見えない。
…ちょびっと、残念…。
ふと自分がそう思ってしまっていることに気づいて、
ウィンリィは慌てた。
そんな風に思っていると、エドワードには絶対に知られたくない。
「馬鹿」
もう一度つぶやいてみたけれど、今度は何の返答も無かった。
言った本人でさえ忘れてたのに。
寝入るエドワードの額に手を伸ばして、
指先で彼の髪を梳く。
……あんたも、忙しかったんだね。
ふとそう思ってから、ウィンリィは口元を綻ばせた。
寄せた髪からこぼれた彼の額に、ウィンリィはゆっくりと唇を落とす。
ありがとうという言葉をなぞりながら、
どうしようもなく溢れてくる気持ちをただひとつ、唇に乗せて。
頬を寄せるようにして、エドワードの胸に頭を乗せる。
彼の呼吸で上下する胸が、とてつもなく心地良い。
心臓の場所はここだろうか、そう思いながら
ウィンリィはゆっくりと目を閉じた。
明日になればまた朝が来て、
彼はせわしなく出て行くのだろう。
だから、とウィンリィは祈るように目を閉じている。
だからせめて、今だけは。
ウィンリィの願いをきくかのように、
どこまでも静かに、夜は更けていく。
(fin.)
2005.3.12
…ホワイトディぽくないですね…。ただ単に、ウィンリィにエドをプレゼントしたかっただけ…。つか、エドがエドをプレゼントすんの書きたかっただけだったり。
2005.3.19
これを書いた時、相当眠かったんでないか、私は…。というか、意味不明ですみません。いつも通りヤマもオチも無い。